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敵襲

 いつもどおり、家事をやっていたときのことだった。

 玄関の戸を叩く音が聞こえ、リーメイは家事をやっていた手を止めて、玄関へと向かった。

 差し込んでくる明るさをさっと確認する。この時間帯だと誰だろうか。ホウは家事が一段落したあたりにやってくるので、この時間帯にはこない。

 リーメイはヨウの言いつけどおり、慎重に戸を開けると、微かに開いた隙間から指が入ってきて、戸をがっしりと掴んだ。

 戸は手によってゆっくりと、だが閉じるのを許さない力で開けられ、戸の向こうにいる人物の姿を顕にしていく。

 リーメイは戸から手を離し、一歩ひいた。

 知らない人だ。服装はホウに似ているが、その顔には覚えがない。

 

「どうも、こんにちは。君がヨウの妻か」

 

 男はうっすらとした笑みを浮かべる。一見かたちがよく、印象の良い笑みに見えるが、何か含みのある笑みだった。

 

「……こんにちは。主人に、何か」

 

 リーメイは前掛けを握りしめる。

 

「いいや、ヨウに用があって来たわけじゃない。」

 

 男はリーメイをつま先から頭までじっと観察するように見る。その行動の目的が分からず、リーメイは男の目から目をそらさないようにじっと睨んだ。

 

「……それに、俺の妻が君に世話になっているようだからね。」

 

 交流のある女性を次々と思い浮かべる。誰が彼の妻に該当する人だろうか。

 リーメイは改めて、男の服装を確認する。やはり、ホウの服装に似ている。街を行き交う住人たちに混じっているような人ではないことは確かだ。

 そんな身分の高い人の妻と交流はあっただろうか。思い浮かべる人はほとんど、共に店をやっている夫の妻であったりする。

 しかし、一人だけそうでない可能性のある女性がいた。チャンフェイだ。彼女はたびたび、自分の夫の話をするが、その姿を見たことはない。

 それに、彼女の夫は厄介だと聞いたことがある。

 

「……もしかして、チャンフェイさん?」

 

 正解かどうかは賭けであったが、男が眉を微かに上げたのが見えた。

 

「ほう、やはりあれを手懐けるには知性も必要と見える。」

 

 男はあやしげな笑みを浮かべた。

 

「チャンフェイさんには、わたしの方がお世話になってますよ。

 いつも色々話してくれますし、助言をくれたりしますし。むしろわたしの方がお礼を言いたいくらいです」

 

「あれは聞くよりも話す量の方が多い女だからな。たびたび家から抜け出して何かしていると思ったら、そういうことか。」

 

 男の話の真意が分からない。周囲に遠回しな言い方をする人が多いので、そういう話し方には慣れているが、それでも彼の言いたいことは分からなかった。

 

「提案がある。君、俺に雇われるつもりはないか?」

 

 男は一歩、リーメイに近づいた。

 

「だめです。わたしはこの家の仕事を任されていますから」

 

 リーメイがきっぱりと断ると、男は愉快そうに笑った。

 

「ほう……ほう。なるほど。今より豊かな生活を約束すると言っても?」

 

「だめです」

 

「俺が任せようとしているのはチャンフェイの世話だ。あれが君と会うために外に出たがっているというなら、君を家に置いておけばいい。君も友人といつでも話せる。いい話だろう?」

 

「よくないです。」

 

「友人が君に会えないのは悲しいことだとは思わないのかい?」

 

「そういうこと言うの、ずるいと思いますよ」

 

 リーメイが男を睨んでそう言い返すと、男は一瞬眉をひそめた。

 

「チャンフェイさんを引き合いに出すの、良くないと思います。そう言えばわたしが頷くかも、っていう考えが見えて嫌です。

 本当に、これからチャンフェイさんに会えないと思うと確かに悲しいですけど、チャンフェイさんなら自力で会いにくると思います。」

 

「……確かにあれは、そういう女だ。だが、俺以上にあれを語れる人間はいない。そのことは理解して話してもらわないと困るな」

 

「やきもちですか?」

 

 リーメイが容赦なく思ったことをそのまま言うと、男はまた眉を微かにひそめた。

 

「やきもちって自分の問題でしょう?確かに、好きな人のことを自分より詳しく知ってる人がいたら、わたしだってもやもやしちゃいますけど。

 でも、その気持ちとその人とは関係がないので、わたしはその人に八つ当たりとかしません!それに、好きな人とそれだけ仲がいいってことは、それだけ好きな人のことを支えてきているわけですから……感謝の気持ちの方が、ちょっと大きいですしね」

 

 リーメイはとある人物のことを思い浮かべた。

 やきもち、という気持ちは確かにある。本で出てきたその感情の名前は、もやもやした気持ちの名前そのものだった。

 だが、その人がいなければ、ヨウと結ばれることもなかったし、ヨウも今より辛い人生だっただろう。

 だから、感謝の気持ちのほうが大きい。リーメイはそう思っている。

 

「俺相手に説教か。大した度胸だな。肝が据わっていなければ邪竜の妻は務まらないか?」

 

「ヨウさまのこと怖いひとみたいに言わないでください!」

 

 男が半ば馬鹿にするように言ったので、リーメイは思わず言い返してしまった。

 

「『怖い人』?人、か。お前にはそう見えるのか?」

 

 男は不敵に笑った。それがなんだか癪に障った。

 

「何ですか?ヨウさまのこと悪く言うつもりですか?」

 

「いや、鬼も容易く斬り殺し、一人で百人の兵士と同等の戦果をあげるあれを人と呼べるのか、と思ってね。

 角と尾のはえた、凄まじい膂力をもつ男だ。お前程度の小娘など指先一つで殺せるだろう。返り血を浴びても眉一つ動かさないだろうな。

 だから言っているんだ、肝据わっている、と」

 

 リーメイは男が何を言いたいのか分かり、頭に血がのぼるのを感じた。

 無意識に奥歯を噛み締め、眉を逆立てる。

 手は玄関に置きっぱなしになっていた箒を素早く掴んで、男を目掛けて振りかぶっていた。

 

「最低!出てって!もう二度とうちの敷居をまたがないで!」

 

 男は軽い身のこなしで下がり、リーメイの攻撃を躱した。

 

「はは、お前はそれで怒るのか。あの化け物のことをそう言われるのがそんなに嫌か?」

 

 男は愉快そうに笑った。

 頭にくる。リーメイは男を睨みつけた。

 

「ヨウさまは化け物じゃないもん!あんなにやさしいひとを、こころがないみたいに言わないで!」

 

 当たらない箒を振るうと、どうしてか、怒りとともに涙が出てくる気がした。

 

「こころはあるんじゃないか?人の真似をして生きているんだろうからな?」

 

「人の、真似……!?人の真似、ですって……!?」

 

 頭の中で何かが切れるような感じがした。

 リーメイはほとんど怒鳴るような声で言い返す。

 

「あの人の何を見たらそんな言葉が出てくるの!?

 本当に最低……!あなたこそ人のこころがないじゃない!

 早く出てって!その顔、二度と見せないで!!」

 

 当たらない箒を振るい続けて、やっと男のつま先が玄関から出たとき、リーメイはおもいっきり戸を閉めた。

 大きな音がなるが、それを気にしている状況ではない。箒を戸に立てかけて戸が開かないようにし、二、三歩下がる。

 急に足の力が抜けたような感じがして、ほとんどへたり込むようにしてその場に座り込んだ。

 その瞬間、目に涙が盛り上がってくる。それをどうすることもできず、まばたきをしてごまかそうとしても、涙が止まることはない。

 リーメイは膝を抱えてうずくまった。何故か涙が止まらない。先程まであんなに強く出られたのに、急に弱くなってしまったみたいだ。

 

 そうして唇を噛んですすり泣く声を出さないようにしていると、戸を叩く音がした。

 リーメイは顔をあげて、戸の方をキッと睨む。二度と来るなと言ったのに、また来たというのだろうか。

 

「……リーメイ、私だ。ホウだよ」

 

 戸の向こうから聞こえてきたのは、ホウの声だった。

 しかし、リーメイは耳を澄ましたまま立ち上がらない。

 

「……台所の棚の上から三番目の右の方に、私に出すお茶がある。それを年季の入った湯呑茶碗に淹れて出すだろう?

 菓子は何故かヨウが私がくるのを察して買ってあって、大体が私の気分にあうものだ。君はそれを毎度不思議に思っている。

 ……どうだい?戸の向こうにいるのは私だと思えたかい?」

 

 リーメイは立ち上がって、立てかけていた箒を取った。

 戸を慎重に開けると、今度は指が入ってくることはなかった。そこには苦い顔をしたホウがいて、こちらを心配そうに見ていた。

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