こんな弱音なんて、吐くつもりじゃなかった
慌てて抜いた剣に、肉薄して来た先生の短剣がぶつかった。びりびりとした衝撃が腕まで伝わる。危なかった。間に合わなければ、この剣は確実に私の肩を打ち据えていた。
「まだ生きていたのね。小娘」
「ッ……ちょっと、役に入り込みすぎじゃないですか。先生」
「そう? こういうのは本気でやるから楽しいのよ。お前も本気で足掻いてみなさい!」
短剣の圧はそのままに、先生の足が動いた。
足払いだ。そうとわかっても、剣を受け止めるために踏ん張っている足は容易には動かせない。跳躍魔法の発動も、魔力圧縮の時間を考えれば間に合わない。
「ッく……!」
ただ無様に転ばされてたまるか。
のしかかる短剣の圧にそのまま押されるように、ぐっと体を沈み込ませた。足払いをかけようとしていた先生の不安定な重心が崩れる。今しかない。
「残念。それは愚策」
ニッと笑った先生が短剣から手を離した。武器を離した手はそのまま私の肩へ伸びる。押し倒す気だ。
「ッい、っけえ!」
刹那。ギリギリ魔力の圧縮が間に合って、全力の跳躍魔法を発動させる。先生の指先が仰け反った私の肩を掴み損ねて空を切った。
ほとんど吹き飛ぶみたいに背後に跳んだ。
そんな不安定な体勢から跳んで、まともな着地などできるはずがない。
地面をごろごろと転がって、向かいの寮の壁に強かに背中を打ってようやく止まった。
体中痛い。でも早く起き上がらないと。すぐに追撃が。
無理矢理に上げた視線の先。とっくに体勢を立て直した先生は、楽しげに笑っていた。その手には例の短剣が戻っている。私が地面を転がっている間に拾ったのだろう。
「今のは、いい回避だったわ。なかなか筋が良い。ここで私が脱落させてしまうのは、少しもったいない気もするけれど……そういうルールである以上は、仕方ないわね」
今の回避で魔力は完全に尽きた。残っていたとて、二度目の跳躍魔法が放てる体勢でもない。先生は余裕の笑みで歩いて近づいてくるけれど、その威圧感は本物だった。
少しでも下手な動きを見せればその瞬間に制圧される。座り込んだ姿勢から動けない私の前まで来て、先生が立ち止まる。
喉からヒュッと息が漏れた。
これはただの学内イベントだ。
ただの遊びで、ただのゲーム。
だというのに、この恐怖はなんだろう。もう、腕輪を差し出してしまいたい。この緊張から抜け出したい。
ここまで生き残ったのだ。エレノアを退けて、リタと何人も倒して、シンからも逃れて、その終わり方がこんなにも無様でいいわけがない。
伸びてきた先生の手から逃れるように身を捩った。だが、抵抗虚しく易々と腕を捻りあげられる。
「ッ……痛っ」
「まだ抵抗する元気があるのね。でも、残念だけどこれで……ッ!?」
言いかけた先生の声が途切れた。直後、掴まれていた腕も解放される。反動で倒れた私の耳に、ガキン! と金属同士がぶつかったような音が響いた。
「……間一髪、だったようだな」
聞き違えるはずもない。殿下の声だ。
「殿下……まさか、御身が他人を庇うとは思いませんでした」
体を捻って不恰好な体制で見上げれば、殿下が剣を構えて私を庇うように立っていた。先生は一歩離れたところで短剣を構えている。だが、それはどちらかといえば防御の構え。攻撃の意思は感じられない。
「寮の仲間くらい庇いますよ」
先生は少し迷ったようだったが、結果構えを解いて短剣を納めた。
「……ここは、殿下に免じて見逃して差し上げます。運がいいわね」
先生が踵を返してさっさと去っていくのを見送ってから、殿下は剣を鞘に納めて私を助け起こしてくれた。
「あ、ありがとうございます……すみません、殿下。ご無事でよかったです」
「ああ。エリン嬢こそ、無事で何よりだ。とりあえずここを離れよう。今の戦闘音で人が来るかもしれない」
「は、はい!」
強打した背中は相変わらず痛いし、体も擦り傷だらけだが、とりあえず無視だ。落としてしまった剣だけ回収して、殿下の後を追う。そのまま歩くことしばらく。不意に殿下が足を止めて振り返った。
「……これだけ離れれば問題ないだろう。大きな怪我はないか?」
「はい。擦り傷だらけですけど……。殿下も大丈夫ですか?」
「ああ。幸いにも交戦することはなかったからな」
それはそうか。王族に喧嘩を売るような物好き、そう多くないだろう。
「殿下相手に、皆様ご遠慮されているんじゃないですか?」
「はは、否定できないのが困るな」
軽く肩を揺らして笑うと、殿下は道の端まで歩いて行って腰を下ろす。ぽんぽんと地面を叩いて隣に座るように促されて、疲れ果てていた私は素直に従うことにした。今鬼が来たら危ないかもしれないが、どの道もう魔力も尽きている。逃げ切るのは無理だろう。
「あの……すみません。私もう魔力なくて。せっかく助けていただきましたが、戦力にはなれそうにないです」
「気にすることはない。むしろ、よく逃げ延びたものだ」
「でも、私のことなんて見捨ててお一人で逃げてくださった方がきっと生存率は高かったはずです。どうして助けてくださったんですか?」
「……仲間を助けるのに、理由を求めるなんて野暮だろう」
「仲間……ですか? 私が」
ほんの少し、自嘲の響きが混じった。
だって、あまりにも違いすぎる。
成績だってレジーナやリタに及ばない。寮の中で誰よりも身分が低い。魔力量があったところで、魔力濃度が低すぎて活かせない。剣術も魔術も、凡人がちょっと頑張った程度のもの。
そんな私が、殿下やロレンスやレオンやフィリップ、レジーナの仲間、なんて。やっぱりどこか空々しく聞こえてしまう。
「……エリン嬢は、僕のことを仲間とは思っていないのか」
「ッ……そんなの、烏滸がましいです。私は、何にも持ってない。誰にも勝てない。何もすごくない。すごい魔力も、才能も、血筋もなくて、努力をしても敵わなくて。諦めないのが才能だなんて言葉に逃げてるだけの……ただの凡人が、殿下の仲間だなんて絶対に言えないです」
こんな弱音なんて、吐くつもりじゃなかったのに。
思えば今日は、逃げてばかりだった。負けてばかりだった。助けられてばかりだった。レオンに逃がされて、リタに守られて、殿下にさえ庇わせた。
私一人じゃ、結局何もできない。
「ふっ」
殿下が小さく吹き出すような声を漏らした。
「……殿下が笑ってくださるなら、少しだけ救われます」
「うん? ふふっ、違う。馬鹿にして笑ったわけじゃない。君の言ったことこそが、君の凄さの証左だと思ったまでだ」
「え……? どこがですか」
「持って生まれた血筋も才能もなしに、君は今僕の隣に座っている。王族と対等に言葉を交わせる場所まで、君は実力で上ってきたんだろう。生まれ持った血筋の上に胡座をかいた人間なんかより余程凄いことだ。第一、君の目的は、こんな学内イベントで勝ち残ることじゃないだろう」
「それは……」
その通りだ。私の目的は、ずっと変わらない。
殿下の側室になること。
別に学園で1番になることじゃないし、リタに勝つことでもない。でも、だから負けていいなんてことにはならないと思う。だって。
「特別な何者かでないと、僕の寵愛は受けられないと思うのか?」
言い当てられて、言葉に詰まった。
「ッ……はい。私なんかが、殿下の隣に立つには凡人のままじゃ」
「エリン嬢」
名前を呼ばれて、続く言葉を飲み込んだ。
「なんですか?」
「君はまだ、僕を誤解しているな。言っただろう、僕はそんなに完璧で立派な人間じゃない。ただ生まれ持った血筋の上に胡座をかいているだけの、君と同じ凡人だ」




