勝者がすべきは同情や共感ではない
手を伸ばして、しかし。
「痛いっ!?」
身を捻るようにしたエレノアは、思いきり私の手に噛み付いていた。しかもめちゃくちゃ容赦ない。本気で食いちぎろうとしてるんじゃないかという強さ。絶対歯形残る。
「ッ……フ、フウウ……ウウヴウヴ」
エレノアは若干涙目になって悔しげに私を睨みつける。学年1位のお嬢様が、まるで獣のようだ。
「痛い痛い痛い痛い! は、離してください! ばっちぃですよ!」
私が叫ぶとエレノアは噛み付くのをやめてくれた。咄嗟に噛まれていた手を引っ込める。ついた唾を雑に服で拭っていると、エレノアは予想外の行動に出た。
おもむろに左腕を掲げたのだ。腕輪がキラリと太陽光を反射する。そして、腕輪ごと手首を地面に叩きつけた。
当然のこと、腕輪は砕け散る。
「…………ええっ!?」
なんで? と思ったのも一瞬のこと。少し離れたところから、また似たような音……即ち、腕輪が砕ける音が聞こえた。振り返ると、リタの足元。こちらも倒れたルーウェンが腕輪を握り潰している。
「私の負けです。ですが……貴女に腕輪を渡したりはしたくありませんので」
それで叩き割ったの!?
「そういうことだ。君のような魔法の美学を理解しない者に渡す気はない。濃度に頼り切りの雑な魔法極まりない」
ルーウェンはルーウェンでよくわからないことを言っている。何かこだわりがあるのかもしれない。
ともかく、勝負はついた。エレノアを離して立ち上がるが、エレノアに起き上がる様子はない。見下ろすと、悔しげに顔を歪めて私を睨みつけていた。
「……どうして、貴女は……。シン様も、フィリップ様も、レジーナ様も、お兄様でさえ貴女に期待して。平民のくせに勉強までできて」
「エレノア様……」
「その上……私は武力でまで負けるというの。なんで……なんで、どうして。私の方が環境に恵まれていて、努力を怠ったつもりもないのに……!」
そのまなじりから、涙が伝う。
それは、初めての感覚だった。
嬉しいのに、悲しかった。
私は努力をしたと思う。それはもう、殿下の隣に立つために死に物狂いで努力してきたと思う。それをエレノアに認められた気がして嬉しい。
けれど、努力したのはエレノアとて同じだ。
学年1位の実力は伊達じゃないだろう。棒の扱いだって熟達していた。この狭い通路でなければ、きっと私は負けていただろう。幼い頃から相応の教育を受けてきて、本人の努力だってあって。
ぐっ、と唇を噛みしめる。
努力しても勝てない悔しさは、私にだってわかる。私だって何度も何度もリタに負けてきた。
だからといって、勝者がすべきは同情や共感ではない、というのが私の持論だ。
「……当然ですわ。エレノア様は環境には恵まれたかもしれません。ですが、私は運に恵まれました。人にも恵まれました。努力もしました。ですから……勉学だってこれから私が勝ちますわ!」
勝ち誇って、胸を張って言い放った。
それがきっと、勝者としての振る舞いだから。リタもずっとそうしてくれていたから。
「ははっ、調子に乗るなよ。俺より勉強できねえくせにさ」
リタに口を挟まれて、カチンとする。
「あんたにだって勝つもん! 魔法だって、今は負けてるかもしれないけど、すぐに追い抜いてやるんだから!」
「はいはい。せいぜい頑張れよ」
「そうよ、せいぜい頑張りなさい。私のリタが負けることなんてあり得ないわ」
便乗するように割り込んだのは、ジョアンナだ。陰に隠れていたジョアンナは、出てきたかと思うと、リタに後ろから抱きついている。
「ジョアンナ様、離れてください」
「もう、つれないんだから。わかったわ。ああ、それから、もう私のことは復活させようとしなくていいから。生き残ってちょうだいね、リタ」
「あー……わかりました」
「あともう1つ。そこの3人! リタに惚れちゃだめよ。私のなんですから」
ビシッと指差したのは、私とエレノアとサフィア。
「心配しなくても、こんなのに惚れたりしませんって」
「こんなの、って……。それより、こっから離れようぜ。今の騒ぎで漁夫を狙った奴が来るかもしれないし」
「それもそっか。じゃあ、行こっか、サフィア」
「あ、はい……」
サフィアがコクリと頷く。
私たちは場所を変えるべく、再び跳躍魔法を発動させた。
⭐⭐⭐⭐⭐
一方その頃。
レジーナはフィリップに抱かれながら、遠目にエリンたちの戦いを眺めていた。とある寮の屋根の上。見通しも良く、爽やかな風が吹き抜ける。教師陣もまずは地上を殲滅するつもりなのか、屋根の上まで登って来ている人はほとんどいない。
屋根の上に登れるのは跳躍魔法が使える者だけだ。それも足場が悪い中で自在に飛び回れる人間はさらに限られる。
かくいうレジーナも、跳躍こそできるが屋根の上で自由に移動できるほどの練度はなかった。
「エリィも、リタという方もすごかったですわね。フィルも見えました?」
「うん。見てたよ」
フィリップは興味も薄そうに、腕の中のレジーナの髪を弄ぶ。
「それにしても……エリィはさすがですわね。あのマルティン家のご兄妹を相手に一歩も引かれないなんて」
「……なんでジーナは、そんなにあの子のことを買ってるの?」
フィリップに問われて、レジーナは何かを懐かしむように笑った。
「憧れですわ。一人でも、真っ直ぐに、懸命に、エリィが頑張っていたから、私も頑張れました。エリィの努力は、ずっとそばで見て来ました。どうしてそんなに頑張れるの、って一度聞いたことがございますの。なんて答えたと思います?」
「……ルキウスのことが好きだから?」
「ふふっ、もちろんそれもでしょうけど。『後になって、あの時もっと頑張っていたら、なんて思いたくないから』と言われました。そんな負け惜しみみたいなことを考えるのは悔しいから、と。だから、言い訳のしようもないくらい頑張るんだそうですわ」
「それだけ?」
「それだけですわ。それより……フィルこそ、エリィのことを随分と気に入っておりますわよね? どうしてですの?」
腕の中で、ちょっと振り返ってレジーナはフィリップを見上げる。フィリップはスイと目を逸らして答えた。
「別に気に入ってるわけじゃない」
「嘘。だって、フィルはエリィに甘いですもの。学生会の推薦だってされてましたわ」
フィリップは視線をレジーナに戻して、しばらくじっと見つめあってから、口を開いた。
「気に入ってるとかじゃないよ。ただ、実力があると思っているだけ。ルキウスの役に立つなら、推薦くらいする」
「フィルの言う実力って」
「あ。移動しよう。こっちを見られた」
フィリップはしっかりとレジーナを抱き直すと、空間転移魔法を発動させた。
⭐⭐⭐⭐⭐
私はリタとサフィアと共に、先程とは別の寮の裏手で座り込んでいた。
一切の会話がなくて、なんとなく気まずい。
「……ねえ、リタ」
「うん?」
「……ジョアンナ様は、魔法が使えないの?」
なんとなく予想していたことを手持ち無沙汰に尋ねる。ジョアンナは戦いの時、一切魔法を使おうとしなかったから。それに、リタがジョアンナを抱えて移動していたのも、彼女が跳躍魔法を使えないなら説明がつく。
「うん、そう。魔力がない。その割に、使い方のコツだとかは説明上手いのが不思議だけど」
「そうなんだ」
それで、格闘術なのだろうか。それだって私に負けるくらいなのだから、然程極めているわけでもなさそうだけれど。まあ、ご令嬢なんて戦う必要自体ないのだから当然といえば当然か。




