氷の魔女
今日の作戦は、ひたすら隠密だ。見つかれば逃げてまた隠れる。少なくともロレンスの魔力が尽きるまではこの戦法でいくつもりだった。
レオンだけは魔力がないから強化魔法が使えない。だから彼は最初から足止め役だ。もし捕まった時には、フィリップに解放してもらう。彼はそのための別行動だ。
そう、この鬼ごっこには、敗者復活のシステムがある。即ち、他尞から奪った腕輪で自尞の生徒を復帰させられる。
「……ごきげんよう。婚約者様?」
つまり敵は、教師だけじゃない。
突然響いた声に全員が振り返った。濃い金の髪に褐色の肌をした女生徒。そこには、ジョアンナが立っていた。
防御用の魔法陣を描いていたロレンスが即座に臨戦体制を取る。
立っているのはジョアンナ一人。奇襲するでもなく、姿を現した。なら。
視線を頭上に走らせる。
「ッ上です!」
ロレンスの真上。空中に飛び出してきたリタの姿を見止めて叫んだ。
「ッ……ち」
小さな舌打ちはリタ。
ロレンスが飛びすさる。
ルキウス殿下が開いた魔道書でリタに向かって魔法を放った。
リタは空中で身を捩って避けると、壁を蹴って着地する。
そちらに気を取られている間に、ジョアンナが私に迫っていた。
「ッ……!」
反射的に仰け反った私の眼前を、高い蹴りが掠める。
格闘術とは予想外だったが、長身のジョアンナはリーチが長い分有利だ。
間髪入れずに来た右手の掌底を左腕で防御。息つく間もなく今度は左手。
だが、真っ直ぐに素直な軌道は読みやすい。
今度は防御せずに体をズラすことで回避。私の真横を空振った左手首を掴むと、そのまま捻り上げた。
「いっ……!?」
左手首には、腕輪がついている。奪おうとしたところで、背後に殺気を感じた。
慌てて飛び退いた直後、リタの短剣が先程までいた場所を薙ぎ払う。
「ッ……ほら! だから無茶って言ったじゃないっすか!」
リタがジョアンナを背後に庇う位置に立つ。
だが、二人が固まったことで殿下とロレンスが完全に二人を挟み込んだ。
負けを悟ったか、ジョアンナが悔しげに私を睨む。
「女の子相手に負けたことないのに……! なんで、この子こんなに強いのよ!」
「エリィは俺といい勝負するくらいには強いんですって」
「そういうことは先に言いなさいよ!」
「聞く耳持たなかったのはそっちでしょう!」
話からして、リタが二人を足止めしている間にジョアンナが私の腕輪を奪う算段だったらしい。
「……もう終わりか? 二人で三人に勝てると?」
ルキウス殿下が構えを解かないままで尋ねる。彼の横に浮かぶ魔道書は、もういつでも発動できる状態だ。
「……リタ。勝てる?」
ジョアンナの短い問いに、リタは首を横に振って短剣を下ろした。
「無理です。経験値が違いすぎる」
「二人ってことは、他の寮員は捕まりました?」
今度はロレンスだ。戦意なしと判断したのか、魔道書を制服の内ポケットにしまいながら尋ねる。ちなみに、割と薄めの魔道書は制服の内ポケットにちょうどよく収まるようになっている。
「その通りよ。だから腕輪が欲しかったんだけど……ちょっと甘く見てしまったわ」
ジョアンナがくすりと笑う。
「ここは、見逃していただけますか? 殿下」
リタの問いに、殿下は少し驚いた顔をして笑った。
「ああ。構わない。派手にやって鬼に見つかるのも面倒だ。それにしても……僅か数ヶ月で随分と言葉遣いが流暢になったな」
「え……俺のこと、覚えてたんですか」
「歓迎会の日のことか? 覚えているとも」
私を庇って、リタが飛び出して来た時だ。言葉を交わしたと言えるかも微妙な、ひと時の邂逅。ただそれだけの出会いを覚えている。それが、ルキウス殿下という人だ。
「……ジョアンナ様、ここは逃げましょう」
リタは短剣を腰の鞘に収めてジョアンナを振り返る。
「ッ……待ってリタ。敵よ」
ジョアンナがリタを制して、視線を振る。その視線を追って、私もジョアンナと同じ方を見た。刹那、視界が白く煙った。ヒヤリとした冷気が肌を撫ぜる。
まずい。
そう直感した時には、遅かった。
次の瞬間、私たちの足は突如として現れた氷塊によって地面に縫い留められていた。
「あッ……ぶね!?」
反応できたのは僅かに二人。リタと殿下だ。瞬時に跳躍魔法を発動させて地面を離れている。
だが、そんな二人を視認できたのも一瞬のこと。一層濃くなった白に視界が塗り潰される。凍えるような冷気が肌を撫でる。
「リタ!」
冷えた空気を切り裂いて聞こえたのは、ジョアンナの声。
「わかってます!」
答えるリタの声。同時に、ザリッと氷を踏む音が二つ。跳んでいた二人が着地したのだ。
直後。突如として突風が吹き抜けた。冷気が吹き飛ばされて視界が晴れる。一気に広がった視界の中心。探すまでもなく、この攻撃を仕掛けた張本人が立っていた。
「……サフィア」
長い白銀を三つ編みに束ねた女生徒は、少し申し訳なさそうな、赤い瞳で私を見て、フイと逸らす。
彼女の瞳の色は、こんな鮮烈な赤ではなかったはずだ。隠していたのだろうか。
「……氷の魔女、か」
ぽつりとロレンスが呟く。その小さな声に、サフィアは僅かに目を伏せた。
おそらくそれは、触れられたくはない私事のはずだ。けれど、瞬時にこの範囲を凍らせる魔力特性は、自ら喧伝しているようなもの。
どうしてそんなことを、という私の疑問の答えは、すぐに出た。
サフィアの背後から、五人の男子生徒が現れたからだ。
「おいおい、しっかりしてくれよ。二人も逃してるじゃないか」
「……ったく、なんてタイミングの悪い風だ」
「けど、これだけ固めてれば充分だろ」
「ああ。終わったらご褒美だな。サフィア」
ねっとりと言った四人目が、サフィアの肩を抱く。ゾワリと背筋が粟立った。
「殿下、取引と致しませんか? 我々としても貴方様と戦うのは本意ではない。そうですね……お二人をこちらに引き渡すのであれば、他の方々は逃がして差し上げますよ」
そう、余裕たっぷりに出てきた最後の男が、どうやら一番偉いらしい。取引がどうとか言っているが、それ以前に見ていられなくて私は口を挟んでいた。
「サフィア。その方々は、同寮の方たちですか?」
サフィアが居た堪れなさそうに頷く。
「……はい」
「ッ……ははっ、サフィア。あの子平民だろ。平民の子にまで呼び捨てにされてるのか? 氷の魔女が落ちたもんだなあ!」
サフィアは萎縮したように体を縮める。
「ッ私は」
「おい」
言い返そうとした時、割り込んだのはリタだった。私を制するように前に出る。
「うん? ああ、貴方も避けたんですね。さすがは、殿下のご友人だ」
口ぶりからして、リタやジョアンナも私たちの仲間だと思っているらしい。一応戦闘していたはずだが、友人だから矛を納めたとでも思っているのか。
「さっきから余裕こきやがって。殿下相手じゃキツかったけど、お前ら相手なら負ける気がしねえな。二人置いてけ、だっけ? 調子に乗るなよ。置いてくのはお前ら五人の腕輪だ」
リタの言葉遣いに、男たちが苛立ったように笑う。
「はあ? その雑な言葉遣い、もしかして平民か?」
「よく避けられたな。野生の勘ってやつか」
「だいたい、五人じゃなくて六人だろ。数も数えられないのか?」
煽るような声を無視して、リタはサフィアに視線を向けた。
「そこの……サフィアって言ったっけ。そこの五人氷漬けにしてこっちに来なよ」
「…………え?」
サフィアが驚いたように微かに声を漏らす。だが、動こうとはしない。
当然だ。
尞というのは、帰るところ。そこに、あの五人の男が待っているのなら、裏切れるわけがない。どんな報復をされるかわからないのだから。




