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腕輪なんてものは、腕ごと切り落とせばいい

「本人の前で堂々と言うな。だいたい、僕は側室を持つ気は」

「ですから、その気を変えてみせます、と私は最初から言っているではございませんか」

「…………正室を目指す、とは言わないんだな」

「ジョアンナ様が、いらっしゃいますから」


 そのジョアンナは、リタのことが好きみたいだけど。

 私もよくわからなかった。ライバルがいないなら、正室になれるなら、それなら目指せばいいだろうと囁く私がいる。でも同時に、正室なんて、王妃なんて、私になれるわけないとも思ってしまう。

 大勢の側室の一人。それが私の目指していた場所だったはずだ。

 でも、蓋を開けてみれば殿下は側室なんてそもそも持つ気がないという。

 王は女性を囲むものだ。数多の女を侍らせて、たまに気まぐれに臣下に下賜する。あるいは外交のために他国に献上する。そんな中で、殿下……未来の陛下の手元に残り続けられたなら。それが私の夢見た場所。

 正室と側室の間には、途方もない壁がある。王の寵愛を受けることだけが求められる側室に対して、王妃とは国の顔となる人間だ。そこには相応の責務がある。一介の平民娘なんかには、逆立ちしたって背負えない責務が。


「……ふ。律儀だな。恋敵に勝とうという気概はないのか?」


 ルキウス殿下は、まるで煽るように言う。


「ジョアンナ様は、恋敵ではございませんわ。それに、正室になることが恋敵に勝つことではないと思います」


 その時、ロレンスが吹き出すように笑った。


「ッ……ふふ、そうだね。エリンちゃんの言ってることは正しいよ。ルキウスがロマンチストなんだ。1番に好きな人と結婚したいんでしょ? 珍しい価値観だよね」

「別に珍しくはないだろ。俺だってそうしたい」


 レオンが不満そうに言い返す。

 恋愛結婚というのは、実のところ珍しい。私もフィリップとレジーナくらいしか見たことがない。結婚とは政治のためや家のためにする、というのが主流だ。特に貴族や伝統ある家ほど、その傾向が強い。


「なんだその顔は。エリン嬢とて、僕と恋愛結婚がしたいんだろう」

「ええと……まあ、そうなるんですかね」


 少し違う気もするけど。上手く言語化できずにいると、ロレンスが代弁するように口を開いた。


「エリンちゃんはルキウスのそばにいて、愛されたいんでしょう? そして、そうなるには側室になるのが1番都合がいい。何より可能性もある。側室であれば、過去に平民がなった例もなくはないからね」

「ロレンス様の仰る通りです。私も……幼い頃は、御伽噺みたいな恋愛結婚には憧れておりました。ですが……家族や友人には鼻で笑われました。それが悔しくて、悲しくて、泣いていた時に、シン兄……シン先生に言われたんです。どうしても譲れない夢なら、現実的な可能性に賭けて死にものぐるいで努力すればいい、と」


 シンはその時、努力の仕方も教えてくれた。何を優先的に学べば武器になるか。具体的にどの立場を目指せばいいか。平民から成り上がる方法を。きっとそれは、シン自身が成り上がるために考え尽くしてきたもので、それを惜しげもなく私にも贈ってくれた。


「ッ……構えろ!」


 突然、殿下が鋭く叫んだ。同時に足元の魔法陣が光る。

 ガキィン! と、鋭い金属音が響く。

 刹那、目の前の透明な壁にびしりと亀裂が走った。

 あらかじめ描いておいた防御用の魔法陣。それが発動すると同時、現れた壁に刃物が叩きつけられたのだ。


「……さすがの反応速度ですね。殿下」


 私以外の3人がサッと立ち上がって、私も慌てて立つ。

 攻撃してきたのは、工学の先生だ。男性にも負けない長身。肩上で切り揃えられた短い髪は暗めの赤。引き締まった体は力強く、対照的に豊満な胸元が妖艶さを纏う。


「いきなり物騒だな。僕に、刃物を向けるとは」


 笑い混じりに殿下が言う。さすが王族。教師相手にタメ口。


「私が狙ったのは、そこの小娘です。殿下にお怪我などさせられません」


 そういえば亀裂は私の目の前に走っていた。私を狙ったからだったのか。


「この面子がいてエリンから狙いますか」

「レオンの言う通りですよ。まだ1年生の女の子じゃないですか」


 レオンとロレンスが責めるような調子で言う。だが、答える言葉はにべもない。


「当然です。この面子であれば、万が一怪我をさせても問題ないのが、その小娘ですからね」


 それはそう。

 王族である殿下は言わずもがな。宰相子息と騎士団長子息など、怪我させた日には下手したら物理的に首が飛ぶ。多少は許容範囲としても、おそらく骨折以上の怪我をさせたらアウトだ。良くて失職、悪くて失命といったところか。

 いや、そうだとしても。


「……なんでいきなり攻撃なんですか。先生の目的は腕輪を奪うことですよね」


 これはあくまでも鬼ごっこだ。別にデスゲームとかやってるわけじゃない。


「ただの鬼ごっこじゃ、つまらないだろう。腕輪なんてものは、腕ごと切り落とせばいいのよ」


 絶対よくない!


「に、逃げましょう今すぐに!」

「落ち着け、エリン嬢。さすがに冗談だ。だいたい潰れた刃で切り落とせるか」


 ルキウス殿下が淡々と言う。


「どうでしょうね。切り落とされる覚悟で逃げなさい。でなければ、今すぐに腕輪を差し出すのが賢明よ」


 本気としか思えない口調と視線で、先生は私を見据える。


「…………私もう差し出したいです」


 冗談だとしても怖すぎる。この先生から逃げるとか絶対無理。


「まあ、そう急ぐな。とりあえず逃げてから考えよう。レオ、ロレンス。準備はいいか?」

「おうよ」

「いつでも」


 頼もしすぎる先輩に囲まれながら、私も足に力を入れる。

 これは鬼ごっこだ。教師に挑むなど愚の骨頂。あらゆる手段を使って逃げるしかない。


「逃がすと思いますか?」

「逃がすんだよ!」


 レオンが地を蹴って飛び出した。スラリと引き抜いた剣で、先生に切り掛かっていく。

 同時に、私たちも地を蹴って駆け出した。脚に仕込んでおいた強化魔法で速度をブーストさせて、瞬く間にレオンと先生を引き離す。駆けながらもロレンスが隠密魔法をかけてくれる。

 はぐれないように基本的に直線で走りつつ、隠れられる場所がないか目を走らせる。といっても、私にそんな余裕はほぼないが。


「ッ……そこで曲がる!」

「了解」


 殿下の声にロレンスが短く返答する。


「ッ……りょうかっ、いです……!」


 2人とも少しも息が上がっていない。私にはとてもでないが、そんな余裕はなかった。ズザザッと急制動をかけつつ角を曲がったところで強化魔法を解く。

 一直線に逃げてきた、ここは中央校舎の西側だ。隠れるには少しばかり近すぎる気もするが、一度撒いてしまえば距離は問題ではない。もう一度隠密魔法で隠れるだけだ。


「……撒けたな」

「うん。エリンちゃん、大丈夫?」

「は、はい……、はっ……はあ……っ」


 なんとか息を整えながら返事をする。今日までに時間を見つけては特訓して、これでもマシになった方なのだ。最初は力を持て余してしまって、ろくに角を曲がることもできなかった。

 ちなみに、私はルーウェンが完成させてくれた魔道具で魔力濃度を増幅している。でなければ殿下やロレンスについていけない。

 手首や足首につけて魔法陣発動前に魔力を圧縮させているのだが……よくぞこの性能でここまで小型化してくれたものだ。


「レオンは上手く逃げたかな」

「まあ、大丈夫だろう。あの女教諭に遅れを取ることはないはずだ」


 ロレンスは壁際に防御用の魔法陣を描き始める。また誰かに発見されるまではここで隠密だ。


「レオン様と合流できるといいですね。まだ序盤ですし」

「そうだな。しかし、思った以上に上手くいった」

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