16-2、エルフと短剣2
つとめて、笑顔を作る。
「……」
アコルテは痛々しいものを見てるみたいに辛い表情を作った。
(どうも笑顔が足りないらしい。鏡でも見て練習しないといけないのかもしれない)
冒険者とは言ってしまえば結局のところ自営業だ。自営業なら、そりゃ、コミュニケーション力は必須だろう。高校生だった頃は良かった。クラスメートに向ける笑顔が多少不器用でも、彼らは何も気にしなかった。いや、コミュニケーションでミスればひどい目にあうのは変わらない。中学からは気のいい奴らに囲まれたが、場所によっては集団リンチされたかもしれないし、自殺に追い込まれたかもしれない。だが、取引を切られ飢えて死ぬことはない。
にこーっと笑って、もう一度言ってみる。
「私、強くなりたいんです。強くなりたいんです。アコルテさんお願いします。協力して下さい」
やはり、ダメだ。アコルテは俯いて視線をそらしてしまった。
辛さに耐えきれなくなったというように。
仕方がない、それでは――。
「あの、アコルテさんって相当強いですよね」
アコルテは視線をそらしたまま、しかし、答える。こっちの話の振り方のほうが正しいらしい。
「……何のことかわかりません」
「いや。だって、アコルテさんは受付嬢なら誰でも冒険者の実力がわかるとか言ってたけど、リーフレッタさんは分かってなかった。あれは適当な嘘か、冗談でしょう。アコルテさん本人の鑑識眼なんだ。……対面した相手の強さがわかるって、やばいですよ。アコルテさんって、相当な強さなんじゃないですか?」
そして、宿の紹介を頼んだ時の言葉によれば、「かつて冒険者をやっていた」という。
どう考えても只者ではない。
アコルテはしばらくの無言の後、口を開いた。
「それなら、どうするおつもりですか?」
「私と戦ってくれませんか?」
ノータイムで言葉を発して、ルトナは椅子から立ち上がって、アコルテを見た。歩いて、机から距離を取る。
受付の机に阻まれているため、すぐに戦いにはならないだろうが、魔力をまわし始めて、臨戦態勢にする。
時間がない。
ルトナには決定的なまでに時間がないのだ。
ルトナの中には、焦りのような覚悟のような何かだけがあった。
「ルトナさんと、戦う?」
「はい。戦って下さい。ほら、受付の机の中から出て、私に戦闘を教えて下さい! ユノを守るための力を、教えて、下さい」
そして、魔力を向ける。
「さもなくば、このギルドごと、アコルテさんをぶっ飛ばします」
「そうですか、私を……」
アコルテは、俯いたまま、ルトナに返事を返す。
呆然としたままだった。何かを後悔しているようでもある。
戦いが始まったのは次の瞬間だった。
そして、戦いが終わったのも次の瞬間だった。
超巨大な剣を首筋にぴったりつけられている感覚。
「……はっ、っ、……」
呼吸もできない。殺意などと生ぬるい。死そのものが背後にあった。
二度似た技術を見たからわかる。赤髪の男の瞬間移動は、魔力の予兆と痕跡があった。移動する前に移動する場所に魔力が出現し、糸がつながるように移動位置に微かな痕跡が残る。あれはそういう魔法なのだ。次見た時は、その場から跳ね退くくらいはできそうだ。
だが、アコルテの移動には、そんなものは存在しない。本物の瞬間移動だ。何をしたかもわからない。魔力の痕跡、なし。魔法を使っていないのではないかとすら思われた。化物みたいな男を、さらに超えるアコルテの技能。
そして、背中に柔らかい感触が当たる。アコルテの胸の感覚だ。背後から抱きしめられている。そして、耳をすりすりと撫でられる。落ち着けようとしているらしい。
「申し訳ありませんでした。お詫びになるかはわかりませんが、簡易宿泊室の安全性については、私が責任を取って改善させて頂きます。……そして、ルトナさんが強くなりたい話についても、……これで、ルトナさんの助けになったでしょうか」
耳元でささやき声がする。息の感触を感じる。
以前ユノが寝ぼけてルトナの耳に吸い付いた時があったが、その時は「あびゃああああああ!」と叫んでベッドから跳ね起きてしまった。おそらくエルフにとって特別に耳は敏感な器官なのだろう。けれど、今のルトナは声を上げるどころか、恐怖で体が完全に硬くなって、身動き一つ取れない。
大型の肉食獣と対面した瞬間の恐怖が、ずっと重苦しくのしかかるような感覚。これが本物の殺気というものなのだろうか。
次にアコルテはその細い指で、ルトナの首、かつて喉仏があった辺りを優しく撫でる。
「お詫びのついでで恐縮ですが、これで多少懲りてほしいです。ケンカを売ってまわるなんて危ないことして。冒険者同士の情報の伝達は早いんです。職員の朝礼で話題に出た時はひやひやしました。かばうにも、限度がありますよ」
「……参りました」
ルトナは白旗をあげた。だが、アコルテはその返事では満足できないようで、耳かきの際に耳をつまむみたいにして、首の頸動脈をちまっとつまむ。ささやき声が耳にぞわぞわ侵入してくる。
「参った、って、何にですか? 手だからこうやってこりこりしてても生きてますが、ナイフだったら死んでますが」
「大丈夫です懲りました。……容赦ないっすね、アコルテさん」
「うちの部族では、やんちゃな子供は一族総出で半殺しにするのが基本でした。やんちゃなルトナさんには、こうやって指で半分死んでもらいますから」
「そりゃどうも……」
返事を確認し、アコルテは殺気を解いて離れた。
明らかに尋常の出自ではないと思われる彼女の言葉に、ルトナは苦笑いするしかできなかった。
「目、覚めましたか?」
距離を離して一度落ち着いてから、アコルテが聞いてきた。
酒場の騒ぎは一段落したらしい、どう決着したかはわからないし、興味もないが。
「目なら覚めてます。ずっと。ただ、改めて気合が入りました。迷惑も、かけないようにします」
これ以上はめちゃくちゃをやるのはやめたほうがいいだろう。
変に遠慮をする必要はないし、アコルテに何かを言う筋合いはもともとないのだから、選択肢が何もなければまた考えるけれど……。それでも、好き放題暴走するだけが、「やるべきことをやる」ことではない。
「それはよかった。お話ししたとおり、私も、ルトナさんをひどい目に合わせた責任は取りますし、そこの車椅子に乗ってた方の件についても、あとのことはお任せ下さい。少なくとも、ルトナさんがどうこう言われる話ではないようにします。ちゃんと動きます」
アコルテは微笑んだ。
心強いかはわからない。味方になってくれるからといって、無条件に信頼することはできない。
「裏を取らず、私を全面的に信用してもいいんですか?」
「? 裏、取りますよ。キリエラさんに」
だが、今はこれでいいようだ。
ひとまず、お礼を言っておいた。
「それで、強くなりたいという件の続きですが、背中を触ってみてください」
続きがあるとは思わなかった。意外に思って一瞬タイムラグを作ってしまったが、
「背中?」
言われた通り、背中を触ってみる。
すると、弱い糊で何か紙が貼り付けられていたらしく、くしゃっとした音と、紙の感触がした。バカと書いて背中に貼り付ける小学生のいたずらみたいなやつだ。
紙には、こう書いてある。何かのチラシのようだ。
第一冒険者学校。来たれ、冒険者の卵。
ルトナは呆気にとられてアコルテの顔を見た。
「……冒険者学校?」
「はい。きっと、今のルトナさんが必要としているものだと思うのです」
チラシによれば、冒険者学校とは、冒険者になりたい人間が行くところで、魔物との戦い方や素材の採取方法など、基礎の基礎を教える場所らしい。
年中新規生を受け入れているようだ。
かかるコストに関しては、入学金だけが記載されている。
(授業料について、記載がねえな……?)
そう思いながら裏を見ると、カリキュラム例が複数簡単に記載されている。最短が一ヶ月、最長が数ヶ月だ。学校というより塾のような感じか。授業料は取らず、来ない奴はそれでいいという形にしてあるようだ。それで経営が持つのかは不明だったが、この辺りの領主の家のお墨付きがあるらしいことが書いてあり、補助金の類が出ているとも思われた。
入学金は、ちょうどシャルドリアビーの蜂蜜で稼いだ金の三分の二くらいだ。全く問題なく支払うことができる。
なるほど、ルトナは納得した。冒険者の初心者向けの本のようなものが図書館になかった理由は、これがあるからだ。こっちの商売を邪魔しないようにしたのか、それとも単純に不要だと判断したのかはわからないが。
「私、急いでるんだけど……」
だが、これは求めている回答ではない。
一ヶ月では次の敵に間に合わないのだ。
「申し訳ありません。ですが、強くなりたい冒険者にとって、そこ以上のものはきっとありませんよ。そこ出身の冒険者の方々からお話を伺った限りは、ですが」
ルトナは脳裏のそろばんを弾く。アコルテの勧めで、かつ太鼓判。少なくとも、強くなるにはどうすればいいかという問いに対する、アコルテの答えはこれなわけで。学校。選択肢としてどうなのだろうか。メリット、デメリットは。
もう一度考える。何か見落としはないか。
(……考えてみれば、マトモに付き合う義務はねえか)
学校といえばバカ正直に入学し受講するものとばかり思っていたが、思えばここはもう異世界であるし、テキストの類だけ受け取って、さっさと逃げることができる。
ユノと相談するつもりはあるが、ルトナはひとまずここから先しばらくの動き方を決めた。
「ありがとうございます、アコルテさん。ちょっと様子見てみようと思います」
「それはよかった。いつでもここにいらしてください。私は貴方の受付嬢なのですから。特に、問題起こすより前に」
やんわりと念を押されてしまった。
ちなみに、結局この学校は三日でやめることになる。