13-2、スター・リスタート・エルフズライフ2
(……?)
外は少し肌寒い。今の季節が何かは知らないが、というかこのあたりに季節があるのかさえ知らないが、多少着込む必要があった。町の外に出るのだから、簡単に装備もしたい。自分の奴隷を迎えに行くための支度である。
そういうわけで鏡で軽く身嗜みを見ていると、一瞬、扉の向こうから、ことん、という音がした。そして三回程度の物音がそれに続く。
一度は無視したが、今の精神状態だと、確かめずにはいられない。
(なんだ……?)
扉の向こうには、二人分の食事が、小さな台の上に置いてあった。見覚えがない台で、これは食事を地面に直接置かないための配慮だろう。
そこにはメッセージが書いたメモが置かれている。
食べたら廊下に出しておいてくださいね ピコ 従業員一同
(……)
それは、明確な気づかいだった。
(……なら、ユノを迎えに行かないと)
食事を一応部屋の中に運び込んでおく。
そして食器の蓋を開けてスープを一口だけ呷ると、腹にほのかな温かさが灯った。
☆
「お前に戦う力はないだろ。なのに、なんで街の外に出てる。こんな夜に」
「こんな夜だからです。せめて、傍にいてあげたくて」
ユノは、案の定街の外、墓のある木のふもとにいた。
初級の魔物の死体が数体転がっていて、ユノの着ている普段着も返り血に染まっている。外なのだから、当然魔物が出る。はぐれがユノに寄ってきて、ユノは防具もないのに魔法と自分の短剣でなんとか撃退したのだろう。墓を作っている時に寄ってこなかったのは、強大な魔力を持つルトナがいたからだ。
「その死体。血の臭いが多分もう広がってる。私が来てなかったらどうするつもりだったの?」
「もう帰るつもりでした。門が閉まってしまいますから。無断で脱走して申し訳ありませんでした。いかなる罰もお受けします」
別にそれは構わない、とルトナは言葉を返す。
そして、手を差し伸べた。
「じゃあ、帰ろう。ご飯が、冷めるから」
けれど、もう帰るという言葉にも関わらず、ユノは全く動こうとしない。
しばらくの間差し出した手を引っ込めて、やけに死を悼むな、とルトナは思った。
付き合いの長さでいえば、ユノは自分と同じようなもののはず。
けれど、その考えはすぐに自分で打ち消した。
少しばかり、考えが足りていなかった。
本人はハーフだから不完全な能力であると主張するが、それでもユノと竜が言葉や意思を交わせるという事実に変わりはない。
そして、同じ奴隷という立場で、出身、隣同士の檻。
「まるで友人のような間柄」ではない、彼女たち一人と一体は、そのまま友人関係だったのだ。
用意してきた、死を見せた事に関する軽い謝罪や、一緒に飼っていた家畜がなくなったことに対する慰めは無意味になった。
友人を殺した相手に、それをそのまま言っていたら、一体どうなっていただろうか。
(無知とは正義だ、いっそ死ね、か……)
キリエラの言葉が、頭のなかで反響した。
☆
ルトナは、その後ずっと、墓の前で祈りを捧げるユノに付き添った。
用意してきた言葉は全て無になって、酷くばつの悪い感情と状況だけが残り、率直な話、何も言葉が浮かばなかったのだ。
物語の主人公みたいに説教でもするか?
わざと怒らせて言葉を引き出し、それを肯定するか?
その資格はない。
あるいは、順当に慰めてみるか?
抱きしめたりしたら、話が進むのだろうか。
……どの口で?
もともとルトナは言葉があまり得意なほうではない。
そして、ここまで状況が進展してしまえば、かなりの手札が消えてなくなる。
門はもう、閉まっているだろう。夜は深まり、行き着く先の出口が見えない。
けれど、ルトナは戦うと決めた。だから、何かをする必要がある。
言葉を紡ぎ出そうとしたルトナに、ユノがぽつりと言葉を漏らした。
「ご主人様は、もう立ち直られたんですね」
後の先を取られ、少しどもってからルトナは肯定した。
「……ご主人様は、凄いです。私は、……私は……」
凄いはずがない。
ユノは勘違いをしているように思われた。自分の感じている感情と、全く同じものを、主人も感じていると誤解している。考えてみれば、目の前で誰かが死んだことがないのだろう。親しい相手の死と、ちょっと数日飼っただけのペットの死が、同列のもののはずがない。
……だが、それを伝えてどうなるのか。
「……私は、どうすればよかったのでしょうか?」
問いかけだった。
ルトナは、肚をくくった。
これも一つの戦いだ。
人との会話が戦いでない場面など存在するだろうか?
すべての会話は利益を奪い合う戦いであり、間合いを削り合う格闘である。他の何物でもない。
そうしなくてもいい相手は、たとえば親友とか家族とかいうのだろう。けれど、親友や家族にだって、失敗し続ければ捨てられる。逆の立場でも、捨てなくてはいけない。どんなに酷い会話をされても捨てられない相手は、親交の対象ではなく依存の対象というのだから。
「……私かユノが、一瞬で反応して、グドリシアをかかえて飛べばよかった」
「そんなこと、私には無理です。私なんかのフェアリーの羽は、他人を持ち上げる力なんてきっと持ちません。『私は』、どうすればよかったのか教えてください」
「なら……」
治療魔法だ。言外にそのニュアンスをねじこんだ。
すると、それをすぐに感じ取り、ユノは行動に出た。
「ちょっ、何やってんだ」
ガジッと肘から先の腕を噛みちぎり、血をだらだらと流す。
そして、繰り返し繰り返し、治療の魔法の呪文と思われる言葉を叫んだ。
「“ラト・キュレア”! “ラト・キュレア”! “ラト・キュレア”“ラト・キュレア”“ラト・キュレア”!!!! なんで! ッざけんな!!!!」
技術が伴っていないのだろう、たった数発の「ラト」の呪文で――ユノが戦闘で使っていた魔法に接頭詞はなく、手本で見せた時の弱い魔法には「ラト」の接頭詞がついていた――ユノが身に纏う魔力は底をついた。気持ちが収まらないのか、ブチギレて癇癪を起こし、傷のついた腕をガンガン木にぶつけている。髪を振り乱し、残った僅かな魔力の渦巻く金色の瞳は、夜の闇のなか煌々と光っている。傷口は力いっぱい広がり続け、痛々しさだけが増した。
止めることも考えたが、ルトナにはその権利はない。
手首でも食いちぎりそうになったら止めるつもりでいたが、静観することを選んだ。
やがて、息をついて一旦落ち着いたユノは、ささやき声で呟いた。
「……命令して下さい」
「命令?」
「はい」
「何のだよ」
「わかりませんッ」
「わからないんならわからないよ、ユノ」
「なんでもいいです!! 命令して下さい!!!」
悲鳴じみた声で、ユノは叫んだ。
「命令しないなら、グドリシアを……いや、『彼女』を、返して下さいッ!!!」
☆
奴隷の檻の中で接する相手には、名前は不要だった。
もともと名前は剥奪されていたし、隣同士で会話する際に、名前もくそもない。
ユノは奴隷になる以前の自分自身なんて持っていなかったし、相手方だって一度奴隷になってしまった以上、奴隷になる以前の自分自身について語りたがる者など一人もいない。
私、僕、俺、あなた、君、ハーフフェアリーさん。全ては、それだけで済んだ。
☆
ユノは、お前が彼女に名前なんて、つけるべきじゃなかったといっている。
ルトナはそのことを察し、受け止めた。
それらの思いをすべて受け止めて、受け止めたからこそ、その言葉に、ルトナは心底から違和感を覚えた。
なぜ、ユノは。
なぜ、この期に及んで「奴隷である私に、主人であるあなたが命令をしろ」としか言えないのか。
「なんで、この期に及んで、自分に命令しろとか言うんだ?」
ルトナの質問だ。
「……??? 何を言ってるんですか」
「何をって。私はユノの友達を殺したんだ。お前なんて知ったこっちゃねーよ、とか、罵ってもいいと思わないか。お前の奴隷なんてやめたるぜ、とか言えないのか。奴隷契約って、洗脳とかじゃないんだろ。縛りは主人を殺せない程度だってイザニが言ってたし」
「????? 何を……?? 意味がわからないです。奴隷は、命令がなければ動けません」
ユノは、ルトナによって少し鮮やかな表情がついた(ように少なくともルトナは思っていた)はずの、虚ろな瞳で、ルトナをじっと見つめた。
「私は奴隷です。生まれついての奴隷でした。そして、これからもずっとそのつもりでした。奴隷は自分で考えることをよしとされません。最初の奴隷商人から、奴隷としての思考法についてはしっかりと指導を受けています。奴隷はご主人様に喜んで肌を見せます。ご主人様に愛してもらうためです。愛してもらえなければ殺されます。奴隷は何も考えません。ご主人様に撫でてもらえば喜びます。微笑みかけられれば喜びます。命じられた行動に対してたったひとつの『正しい』回答を追い求め、その回答を『正しいね』と褒めてもらう。そしてご主人様の全ての行動は優れており、自分のものは何も欲しがらない――。それが優れた奴隷なのです」
「……よしとされないって、誰にだよ」
「優れた奴隷という理想の概念にです」
ルトナは、別の世界の常識を、改めて突きつけられた。
言われてみればそうだ。これまでのユノの言動は、全てが全て、そういうものだった。
彼女を買った初日のカーテシー。あれで、打ち解けられたとルトナは勝手に思っていた。信頼を貰えたと勝手に思っていた。それは正しく、奴隷としての信頼は得られていた。ただし、その信頼は奴隷からのもの以上の何物でもなく。
奴隷として、ご主人様に愛してもらうために動く。
彼女は、物心ついた頃からのその立場を、喜ばしいことにこれ以上ないほどぎっちりと内面化している。
そしてユノの常識は一つの事実を指し示す。そもそも、「奴隷は、決死の旅に付き合わせるような相手ではない」。
奴隷と主人には、力関係の差がありすぎる。
力の差のある相手と、健全な関係は成立しない。
高校生が中学生と恋人関係になれば、賭けてもいい、必ず搾取関係になる。仮に搾取関係じゃないようにしても、どこかで何かの資源を搾取している。これでわかりにくければ、大学生と小学生でもいいか。サラリーマンと怠け者の専業主婦やら、キャリアウーマンとヒモでもいい。彼ら彼女らの関係は、全てが「健全ではない」。「間違っている」。奴隷と一緒に旅をするというのは、そういうことだったのだ。
ルトナは、黙りこくった。
人間から人間性を剥奪し、名前を剥奪し、自由を剥奪し、それを商品として買うということの意味を噛み締めた。
奴隷契約。その重みを、お茶の約束か何かと勘違いしていたのか。
そして、結論を出す。
まだ、分かり合えたわけではない。
いずれ、もっともっときっちりした答えを出す必要があるだろう。
けれど。
「……わかった。命令する」
「はい」
「まず、考えろ」
「……? あの……?」
ユノは戸惑った。頭の中を疑問が渦巻いているようだ。
「まず考えろ。次に、私の命令を検討し、悪いものは拒否しろ」
「だから、それは無理なんです。そんなのは……」
「優れた奴隷じゃない、から?」
ルトナが言葉を引き取ると、ユノは頷いた。見返す瞳は虚ろだが、虚ろなゆえに力がある。
けれど、彼女の発言は自己矛盾を起こしている。
「優れた奴隷はご主人様の言うことに黙って従うんだよね。なら、今の俺の命令に、なぜ従えない?」
「……それは」
たった今起こした矛盾だけじゃない。率直に言って、ユノの理想な奴隷像は矛盾を起こしている。「考えない人間が優れている」、この一文は酷くルトナにとって違和感があるのだ。本当に奴隷商人がこう教えているのだろうか。嘘をついているようには見えないから、そうなのかもしれない。
(ユノの言い方だと、労働奴隷や、酷い待遇の戦闘奴隷とかは、こっちの考えのほうがいいのかもしれない。「売れ筋」から離れてるユノには、こういった指導が与えられたのかも)
ルトナは考えを進める。この理想像は間違いではないのだろう。うまく噛み合えば、それも一つの形だ。そういったことがうまくいく世界では、奴隷と主人とが幸せな主従生活を送っているのだろう。
だが、今ルトナが本当に求めているのは、そういった奴隷ではない。
魔力大龍と戦うために、必要なのは自分で動ける仲間だ。
「自分で考えろ。自分の性を大切にしろ。自分を大事にしろ。私とスキンシップを取って喜ぶのは別にいいけど……えーっと後はユノはなんてったっけ……? とにかく、自分で考えろ。私の行動は間違いだらけだ。ユノが訂正しろ。……で、たったひとつの神がかった回答なんざ、ねえよ!!! そんなもんあったら、私は、俺は! 全部治って、大学だって仕事だって、……」
冷静に言っていくつもりが、自分でも予想外に熱が入ってしまい、一旦呼吸して、自分を落ち着かせる。
「悪い、落ち着いた。だが、そういうことだ。悪いが、ホントはもう解放でもなんでもしてやりたい。奴隷を購入したのは間違っていた。こっちの世界に来て、大きな間違いは複数個思い当たるけど、ユノを買ったのはその一つだ。グドリシアだって、正直、そうだ。けど、もうユノを逃がす気はない。それは無責任であり、俺がやりたくないことの一つでもあり、次の魔力大龍に向けて不可能なことでもある。だから、命令だ」
一歩踏み込んで、ユノに言葉をかけた。
「考えろ」
「そうやって、私に従え」
「少なくとも、しばらくの間は!!」
風もない。水の流れの音もない。自然というには不自然なほどに音のない草原で。
沈黙が続く。
長い沈黙が。
やがて、ユノは口を開いた。
「間違えろ、ということですか」
「ぁ?」
「優れた奴隷から、間違えろということですか」
「……そうなるな」
「ご主人様は、戦うんですか」
「戦う。最後まで。そうやって、お前や、大切な人を、守る」
「そうすれば、私も、この子を守れましたか?」
……。
「これも自分で考えろってことですか。じゃあご主人様のご用事が終わったら、この子のぶんを、ぶん殴って、いいですか。アースイーターって、ちょっと強いだけのなんでもない魔物ですよね。まさかアレが世界を救うために不可欠な敵だったわけじゃないでしょう。この子は犬死にしたんです、あなたのせいで」
「来い。そうだ、全く無関係だよ。その指摘は全部事実だ」
「…………………………………………………………ご主人様の近くで、ご主人様の背中を追っていってもいいですか。敵がいるんですよね。私は、戦いたい。私も、戦いたい!!!! ご主人様はこんなにも速く立ち直っているのに、私だけ、友達が死んだだけで戦う気をなくすザコみたいに見られるのが、我慢ならない!!!!!!」
ルトナは踏み込んで、絶叫する奴隷の黒い髪と細い肩を抱いて、引き寄せた。
口づけができそうなほどの至近距離で、説得のための言葉を紡ぐ。
「来て。逃がさない。ユノの力が、必要なんだ」
この言葉を見返す金色の瞳に、恐ろしいほどの魔力が揺らめいている。
そしてその全身を覆う水色の魔力も、膨れ上がるように轟く。
きっと、この目に写るルトナも、ユノと同じ表情をしているのだろう。
それが、答えだった。
宿に帰り、ユノに、話をした。
神。神からの支援の魔力塊。魔力大龍。獣型魔力大龍。
街の門は閉まっていたが、ユノを抱き上げ、ジャンプして、足りないぶんはよじ登って、壁から侵入した。
そして、かねてからの考えもあわせて、全て話した。
「神様が今回の事態を『人間の手では対処できない』って言った。私のイメージだと、それはちょっと困難なだけだと思っていた。私みたいなヤツらが何人か死ぬとか、そのレベル。困ったね、だから助けてね、みたいな。でも、冷静に考えれば、神の話のスケールが人間と同じってことがあるとは思えない。あはは、ノリが軽いから誤解してたけど。大陸の形が変わるような怪物。それを手引きする謎の黒幕。人間の手では対処できないって言葉は、――人族の全滅って意味でもおかしくない、かも」
すべてを聞いたユノは、すべてに対して了承をした。
最初の魔力大龍に、ルトナは事実上敗北している。
そして二体目以降の魔力大龍は、これまでの魔力大龍の「怨念」を「引き継ぐ」。
眠りに落ちる寸前に、ルトナは視界いっぱいの文字を見た。
日本語の、特徴のない字体。
……“神のお告げ”。
近辺 で
魔力残滓の胎動を感知
新たな魔力大龍発生 まで
あと 1 3 日