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ある日の学園からの帰り道。テレサは馬車の中から流れる景色を見ていた。外は大雨だ。
「すごい雨……。雷も落ちそうね」
「ええ。これから夜にかけてもっと激しくなるようです」
迎えの侍女と他愛もない会話をしていると、膝の上で寝ていたポンが急に体を起こした。そして膝から飛び降りる。
「ポンちゃん? どうしたの?」
ポンは馬車のドアを内側からカリカリと引っ掻いた。
「馬車を停めて。外に出たがってる。きっと何かあるんだわ」
テレサの言葉に従い、侍女が御者に声をかけて馬車を停める。
ドアを開ければ、ポンは外へ飛び出した。テレサも後を追う。
「お嬢様……!」
「大丈夫よ。ポンちゃんが雨から守ってくれるから。ここで待っていて」
ついてこようとする侍女を止め、テレサは雨の降りしきる街中を駆ける。眷属である聖獣の力のお陰で、体は全く濡れなかった。
ポンは路地裏へと入っていく。薄暗く狭いその場所にテレサも足を踏み入れた。
通路の隅っこに小さな塊がある。ポンはそこに近づきふんふんと鼻を鳴らした。
「ポンちゃん、何があるの?」
しゃがみこみ覗き込めば、体を丸めて倒れているヘルンセアラがいた。小さな体はぐっしょりと濡れて泥で汚れている。
「大変……!!」
テレサは慌ててハンカチを取り出し、ヘルンセアラの小さな体を包み込む。震える体を掌の上に寝かせ、立ち上がった。
「急いで戻りましょう」
ポンと一緒に馬車へ戻る。
走り出した馬車の中で、ヘルンセアラに声をかける。
「セア、セア、大丈夫……?」
「う……んん……テレサ……?」
掌の上で、ヘルンセアラは目を覚ます。テレサは胸を撫で下ろした。
「ああ、よかった……」
「テレサ……? ここは……」
「馬車の中よ。うちの屋敷に向かってるわ」
ヘルンセアラは疲弊している。何があったのかは帰って、彼をしっかりと休ませた後に尋ねた方がいいだろう。
ほどなくして、馬車はヴィンクヴィスト家の屋敷に辿り着いた。
テレサはヘルンセアラを自室へと運んだ。桶にお湯を汲み、テーブルに置く。そしてヘルンセアラに服を脱いで浸かるように促す。
お湯に浸かっている間に、テレサは彼の服を洗面所で手洗いする。洗剤をつけて軽く擦れば、泥汚れは綺麗に落ちた。
小さな服を丁寧に洗い、ドライヤーで乾かしたあと部屋へ戻った。
「はい、洗い終わったわ」
「あ、ありがとうございます……」
ヘルンセアラが入っている桶のすぐ傍に、ハンドタオルと洗ってきた服を置く。
彼が体を拭いて着替えている間に、テレサは厨房へ行って牛乳を沸かしてもらった。ミニチュアのおもちゃのコップを洗い、それに牛乳を注ぐ。
再び部屋に戻り、着替え終わったヘルンセアラにコップを渡した。
「ミルクをいれてきたわ。別の飲み物の方がよかったかしら?」
「いいえ。ありがとうございます、いただきます」
ヘルンセアラはゆっくりと牛乳を飲む。
頬に赤みがさし、気持ちも大分落ち着いたようだ。彼の様子を見てテレサはほっとした。
「セア、よかったら今日はうちに泊まっていって」
「え、でも……」
「今日はもう雨はやまないでしょうし、こんな大雨の中帰るのは大変でしょう。折角だから、うちでしっかり体力を回復させていって」
「あ、ありがとうございます」
テレサはヘルンセアラを連れてリビングへ向かった。父と母がソファでくつろいでいる。
「お父様、お母様。今日は妖精のヘルンセアラをうちに泊める事になったから」
両親には既に妖精を連れて帰ってきた事は伝えてある。髪の毛を渡して妖精を助け、その縁で妖精王子達にお礼をされた事も家族には全部説明しているので、ヘルンセアラがテレサと顔見知りの妖精だという事も彼らはわかっている。
「あら、そうなの? 是非ゆっくりしていってね」
「夕飯は私達と一緒で大丈夫だろうか? 何かリクエストはあるかな? 体が温まるようなものがいいだろうか」
母が微笑みかけ、父も穏やかに声をかける。
するとヘルンセアラは泣きそうな顔で体を震わせた。
「う、うぅ……っ」
「まあ、どうしたの!?」
「夕飯は一緒じゃない方がよかっただろうか……っ?」
おろおろするテレサの両親に、ヘルンセアラは大きくかぶりを振る。
「違っ……違うんです……! ただ、優しくされて、感動してしまって……っ」
ヘルンセアラは滲む涙を拭いながら言葉を紡ぐ。
「今日は、仕事で人間界へ来たんです……。そしたら悪い人間に見つかって、追いかけ回されて……その後、野良猫にも目をつけられて追いかけ回されて……その内雨が降ってきて……逃げ回っていたせいで体力がなくなって……ふらふらしていたら、羽に泥水がかかって、うまく飛べなくなって……動けなくなってしまって……」
どうやら彼が路地裏で倒れていたのはそういう経緯だったようだ。
ぐすぐすと鼻を鳴らすヘルンセアラに、テレサの両親は同情し瞳を潤ませる。
「何て事……そんな大変な目に遭っていたのね……」
「とても辛い思いをしたのだな……。同じ人間として、妖精である君に酷い真似をした事を謝らせてくれ……。すまない、ヘルンセアラ君」
「いいえ、謝らないでください……。確かに僕らに酷い事をしようとする人間はいますが、僕を助けてくれたのもまた人間のステラです。悪い人間もいますが、でもステラのように心の綺麗な優しい人間もいる事をちゃんとわかっていますから」
相変わらず、ヘルンセアラの中でステラのイメージはいい方に突き抜けている。清廉潔白な人間だと思われているのだろう。
実際は嘘をついて人を貶め、相手が打ちひしがれる姿を見て心の底から喜んでいるような人間なのだが。
否定しても謙遜だと思われるので、テレサはもう何も言わなかった。
それから皆でご飯を食べた。ヘルンセアラから妖精界の話を聞いたり、人間界と妖精界の暮らしぶりの違いを話したり、和やかな時間を過ごした。
食後のデザートを食べ終わる頃、ヘルンセアラは疲れ果てて眠ってしまった。
籠にふかふかのタオルを敷き、その上に彼を寝かせた。ヘルンセアラ用の即席ベッドは、テレサの寝室のナイトテーブルの上に置く。
それからテレサはお風呂に入り、準備を整えてからベッドに上がった。ポンも飛び乗ってきて、足元で丸くなる。ポンはすぐに寝息をたてはじめた。
ふと視線を向けると、即席ベッドの上でヘルンセアラは体を起こしていた。いつの間にか目を覚ましていたようだ。
彼はぼんやりと雨の降りしきる窓の外を見ている。
テレサはそっと声をかけた。
「セア? 眠れない?」
「え、あ、いえ……」
「私と同じ部屋じゃ落ち着かないかしら……。客室に行く?」
人間用の広い客室に一人にしたら心細い思いをさせてしまうかと思いテレサの寝室に連れてきたが、一人の方が気が楽だったのかもしれない。
ヘルンセアラはぶんぶんと首を横に振る。
「違います、違うんです! ただ、考え事をしていて……」
「考え事?」
「はい……。どうすればテレサに、このご恩を返す事ができるのか……。それを考えていました」
「え!? いいのよそんな事考えなくて! 何度も言ってるでしょう? 見返りがほしくて助けたんじゃないのよ」
既にお返しはもらい過ぎているくらいなのだ。テレサがこの先一生妖精の為に尽くしても足りないほどに。それなのに、これ以上お返しされては困る。
「でも、それでは僕の気が済みません……。テレサは何度も僕を助けてくれたのに、僕がテレサの為にできる事が何もないなんて……」
「ホントにいいんだってば! セアが健やかでいてくれれば、私はそれで充分だから!」
必死になって言うテレサに、ヘルンセアラはうっとりと微笑む。
「テレサは本当に、無欲で清らかな人なのですね。そんなあなただからこそ、僕は役に立ちたいと思うのです」
「その気持ちだけで嬉しいわ」
「でも…………じゃあ、何かほしいものはないですか?」
「ほしいもの?」
「はい!」
ヘルンセアラは真剣な顔でテレサを見ている。
何か答えなければ納得してもらえない雰囲気だ。
適当に答えてしまおうかとも思うが、下手な事を言えばとんでもない事になりそうだ。「ハンカチ」とか言えば、ハンカチを百枚や千枚贈られてしまうかもしれない。
ここはヘルンセアラが用意できないものを答えるのがいいだろう。
「そうね……結婚相手がほしいわ」
「え……!?」
「実は私、色々あって、結婚相手が見つかりにくい状況なのよ」
それは嘘ではない。
第三王子の元婚約者であり、恐らく暴漢に襲われている。テレサは周りからそう認識されている。そんなテレサを結婚相手に、と望む者はほぼいない
妖精の恩恵と加護、聖獣というプラス要素もあるのだが、強力過ぎて敬遠されがちだ。妖精という後ろ楯は魅力的だが、逆に妖精の機嫌を損ねるような真似をしてしまえば手酷い報復を受ける事になるだろう。
「貴族の娘として生まれた以上、身分の釣り合う相手と結婚してお父様とお母様を安心させてあげたいのだけど、ちょっと今のままだと難しくて……」
その気持ちも嘘ではない。
結婚相手が見つかりにくくなってしまったのは、テレサがルードルフとの婚約を破棄するために行った事が原因ではあるのだが。
しかし、テレサが先に行動していなければ、ルードルフの企てで無実の罪を着せられ、今よりも酷い状況になっていたはずだ。
「結婚相手……ですか……」
ヘルンセアラは呟き、考え込むように顎に手を当てる。
さすがに結婚相手なんて用意できないだろう。これでお返しをされずに済む。
テレサは密かに安堵した。
「気にしなくていいのよ、セア。それよりもう寝ましょう。色々あって疲れてるでしょ。しっかり体を休めなきゃ」
「あ、は、はい……」
ヘルンセアラはふかふかのタオルに横たわる。
「おやすみなさい、セア」
「おやすみなさい、テレサ」
お返しされる心配もなくなり、安心したテレサはそのままぐっすりと眠った。




