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数日後。ルードルフとテレサの婚約は正式に破棄された。
その日テレサは、暗闇に包まれる自室で一人、眠れぬ夜を過ごしていた。
にやつきが抑えられない。
ルードルフとの婚約を破棄できた事が嬉しくてたまらない。狙い通り彼の評判も落ちていた。学園ではルードルフは婚約破棄するためにテレサを貶めたのではないかという噂が流れている。
ルードルフは非難され、テレサは同情的な目で見られていた。
偉そうにふんぞり返っていた彼が、今では周囲の視線に肩身が狭そうにしている。
死ぬほど痛い思いをした甲斐があったというものだ。
嬉しくてたまらないのだが、テレサはその喜びを表には出せない。人前では可哀想な被害者を演じなくてはならないからだ。外でも家でも、常に深い悲しみを帯びた表情で過ごしている。
正直、もう限界だった。湧き上がる感情は爆発寸前だ。
テレサは隠密の魔法を使い、こっそり屋敷を抜け出した。
月明かりの中、人のいない森へと向かう。
そしてテレサは木々の間を軽やかに身を翻し、踊った。
ひゃっほーうと叫び、大声で歌いたい気分だったが唇が切れて痛いのでそれはやめておく。
鼻歌にとどめ、テレサは一人、喜びの舞を踊る。
魔法を使っているので誰かに見られる事はないだろうが、もし見られていたら真夜中に森の中で鼻歌を歌い狂ったように一人で踊り回るテレサの姿はさぞ不気味に映っただろう。
散々飛び跳ねて踊り疲れ、満足したテレサは草の上に転がり乱れた呼吸を整える。
これで随分スッキリした……と晴れやかな気持ちで空を見上げていると、ふと耳に届く音に気づいた。
テレサは息を詰め、体を起こして耳を澄ませる。
よくよく聞いてみると、それは小さな泣き声だった。
立ち上がり、そっと声の聞こえる方へと向かう。
木々に囲まれるように湖がある。その湖の近くから泣きじゃくる声が聞こえる。
声の主をすぐに見つける事はできなかった。じっと目を凝らし、そして漸くその姿を発見する。
四枚の羽を生やした、手のひらサイズの小さな生き物。あれは妖精だ。
テレサははじめて妖精を見た。
妖精の存在は知っていた。妖精は人間が暮らす人間界とは別の、妖精界の生き物だ。
大半の人間は妖精を神聖視し彼らを敬うが、一部の人間は妖精を悪用するために捕まえようと企む者もいる。なので妖精は、あまり人間に姿を見せようとはしない。
声をかけたら怖がらせてしまうかもしれない。けれど、あんなに泣いている妖精を放ってはおけない。
「妖精さん、どうしたの?」
テレサは充分な距離を開けた状態で妖精に優しく問いかける。
妖精は「ひゃっ!?」と小さな悲鳴を上げた。
「に、に、人間……!?」
小さな妖精の顔はよく見えないが、テレサの存在に気づいたようだ。
妖精には人間の魔法は効かない。なので隠密の魔法を使っていても、妖精には人間であるテレサの姿は見えている。
「驚かせてごめんなさい。私はテレサ。妖精さんが泣いているから心配で、声をかけたの。迷惑でなければ、何があったのか聞かせてくれる?」
「……っ……」
妖精はひくりとしゃくり上げる。
それほど人間への警戒心が強い妖精ではないのか、今は藁にも縋る思いなのか。逃げ出す事もなく、事情を話しはじめた。
「じ、実は、大切なものを……湖に落としてしまって……っ」
「大切なもの?」
「金色の、糸です……。もうすぐ、妖精の王子の結婚式があるんです。その衣装を金色の糸で縫わなきゃいけないのに……なのに僕は糸を落として……すぐに持って行かなきゃ、間に合わないのに……っ」
ひくひくと喉を震わせ妖精は泣く。
「つまり、今すぐ金色の糸が必要なのね……」
テレサは湖に近づき覗き込む。深すぎるし広すぎる。中に入って探しだし拾ってくるのは無理だろう。
こんな時間では、店で探して買ってくるというのも難しい。
一か八か潜ってみようか……と地面に膝と手をついて湖の中の様子を窺っていると、妖精が何かに気づいたように声を上げた。
「あっ、あ、あ……!」
「どうしたの?」
「あなたの……テレサの、髪……とても綺麗な金色です……」
顔を向ければ、妖精はすぐ近くにいた。はじめて目が合う。妖精は愛らしい少年の姿だった。
「もし、よければ……髪をわけてもらえませんか……?」
「え? いいの、私の髪で? 代わりになる?」
「はい! とても艶やかで、滑らかで、僕が落とした糸と遜色ありません!」
「私の髪でいいならいくらでもあげるわよ。丸坊主にしてくれてもいいから」
言いながら、髪を切るというのはいい考えなのではないかと思った。
今テレサが丸坊主になれば、更に注目され、勝手に憶測を呼び、噂は助長される事だろう。テレサにとっては好都合だ。
しかし妖精はぶんぶんと首を横に振る。
「さ、さすがにそこまでは……っ」
「そう? 遠慮しなくていいのに」
テレサは念のため持っていた護身用のナイフを取り出し、自分の髪を掴んで刃を当てる。
「これくらい?」
「はい、充分です!」
腰まで伸びていた髪を、肩の辺りで切っていく。
「どうぞ、妖精さん」
切り落とした髪の束をリボンで結んで差し出す。妖精はそれを両手で大事そうに抱えた。
「ありがとう! 本当に、ありがとうございます!」
「気にしないで。お役に立てて良かったわ」
「是非、お礼をさせてください!」
「お礼?」
「はい! お礼にあなたの顔のその傷、治させてください」
「……ちょっと待ったぁ!!」
満面の笑みと共に告げられた言葉の意味を理解し、テレサは大声を上げて飛び退る。
妖精は目を丸くして驚いている。
「ど、どうしました……?」
妖精は純粋な親切心で言ってくれたのだ。わかってはいるが、テレサは自然に完治するまでこのままの顔でいたいのだ。
少しでも長くルードルフの罪悪感を長引かせたい。傷だらけの顔でいる事で周りの同情を引き、テレサがそうして目立てば目立つほど、ルードルフへの非難が高まる。
それがテレサの狙いなので、あっさり治されては困る。
「あのね、妖精さん……」
テレサはふ……と、慈愛に満ちた笑みを浮かべた。
「私はね、見返りがほしくてあなたに声をかけたわけじゃないわ。ただ、あなたを助けたかっただけなの。泣いているあなたを、笑顔にしたい。それが私の望みよ」
「テレサ……」
「そして、あなたの笑顔はもう見られた。だから充分なの。これ以上は何もいらない。笑顔というお礼をもらったんだもの」
そんな風に言えば、妖精は感動したように瞳を潤ませた。
「僕……僕、勘違いしていました……。人間はいやしい生き物だと、そう思っていました……。あなたもきっと、絶対見返りを求めてくるんだろうと……。まさか、あなたみたいな心の優しい人間がいるなんて……。ごめんなさい……。どうか、お詫びも兼ねて、やっぱりお礼を……!」
「いいの! いいのよ、妖精さん! それよりも、早く帰らなくてはならないんじゃないかしら!? 遅くなったら大変よ! さあ、早く帰って! 素敵な衣装を作って! 私ももう帰らないとならないし!」
「うう……こんなにも僕を気遣ってくれて……。ありがとうございます、テレサ……。このご恩は一生忘れません……!」
感極まったように体を震わせ、妖精は両腕に抱いた髪をぎゅっと抱き締め、そして羽を羽ばたかせ飛んでいった。
危機が去り、テレサは深く息を吐く。
「ふー、危なかった……」
ひやひやしたが、無事に乗り切れてよかった。
妖精に出会うという貴重な体験もできた。もう二度と会う事はないだろうが、一生に一度出会えただけでも奇跡のようなものだ。
怪我を治すと言われた時はどうなるかと思ったが、何だかんだいい夜だった。家に帰ってよく眠れそうだ。
テレサはスキップしながら帰路に就いた。




