4
翌朝。制服に着替えたテレサは自分の顔を鏡で見る。あちこち腫れ上がりでこぼこで、赤黒くなっていたり赤紫になっていたり、自分で言うのも何だが化け物じみている。
だからこそ、完璧な仕上がりだ。テレサは心の中でほくそ笑む。
学校へ行こうとすると両親は全力で止めてきた。顔の怪我が直るまで休むべきだと説得してくるが、テレサは休む気はなかった。
ルードルフ殿下にどうしても話さなければならない事があるから、と引き止める両親を振り切って馬車に乗り込み学園へ向かった。
学園の敷地内に着き、馬車を降りる。周りには登校中の生徒が沢山いる。彼らはテレサの顔を見ては息を呑み、ヒソヒソと憶測を話し合う。
テレサは当然休むと思っていたであろうルードルフも、登校してきた事に愕然としている。
何か言いたそうな彼を誘導するように、テレサは人のいない空き教室に入った。案の定、ルードルフはついてきた。
二人きりになり、彼は詰め寄ってくる。
「テレサ、お前、どうして登校してきた!?」
「すみません、こんなお見苦しい顔を見せてしまい……」
瞳を伏せて悲しげに微笑めば、ルードルフはハッとしたように身を引く。
「べ、別にそういうつもりで言ったんじゃない! ただ、怪我をしているんだから休んでいた方がいいだろうと思って……っ」
テレサを見下し疎んでいたあのルードルフが、今はテレサを気遣いこちらの顔色を窺っている。
テレサは醜く歪んだ顔をまっすぐに彼に向けて笑みを浮かべる。そして彼の罪悪感を煽るように言った。
「お気遣いありがとうございます、ルードルフ殿下。私なんかにそんなお言葉をかけてくださるなんて、お優しいですね」
「そ、そんな……僕は……」
「でも、無理に私に優しい言葉をかけてくださる必要はありません……。殿下のその優しさは、メルセさんに向けてあげてください。私には、殿下に優しくしていただく権利などありませんから……」
「そんな……事は……」
テレサの思惑通り、彼は罪悪感にうちひしがれるように俯いた。そんな彼にテレサは改めて声をかける。
「それよりも、ルードルフ殿下にお話があるのです。私達の婚約破棄について」
「え……?」
「私は昨日、学園の帰り道、たまたま一人になったところを運悪く暴漢に襲われた、という事にしましょう。この顔を見れば、誰もそれを疑いません。私は暴力しか振るわれていませんが、暴漢に襲われたとなれば純潔も奪われたのではと疑う者も多いでしょう。そんな女を第三王子であるルードルフ殿下の婚約者にしてはおけません。それならば、国王陛下も婚約破棄の理由として納得していただけるのではないでしょうか」
「そ、それは……そうかもしれないが……」
「ただ、その理由は公にはしないでほしいのです。私の両親にも、婚約破棄の理由は伏せていただきたく思います……。無理に、とは申しませんがどうかお願いいたします……」
「わ、わかった……」
「国王陛下に受理されれば、私達の婚約が破棄された事が正式に発表されます」
「ああ……」
「こうして傷を負った私の姿を見れば、きっと周りは勝手に理由を推測するでしょう。きっと暴漢に襲われてルードルフ殿下の婚約者ではいられなくなったのだろう、と。あまり、余計な詮索はされたくありませんから。私のこんな姿を見れば、きっと誰も婚約破棄の理由を尋ねたりしないでしょう」
テレサの言葉に、ルードルフはハッと目を見開く。
「まさか、だから休まなかったのか……? 婚約破棄される理由となる何かが自分に起きたのだと、周りに勘繰らせる為に……?」
「はい」
「だ、だが、それではお前は……。周囲に自分は暴漢に襲われたのだと言って回っているようなものではないか……!」
「私はそれでいいのです。殿下も私の事はお気になさらず、メルセさんとのこれからの事をお考えください」
「そ、そんな……僕のせいなのに……。お前を辛い目に遭わせて……その上、更に苦しめるような真似を……っ」
ルードルフは青ざめた顔で震える自分の肩を抱き締める。
「やはり、婚約破棄なんてやめた方が……」
「いいえ、ルードルフ殿下」
テレサはきっぱりと彼に言う。
「ルードルフ殿下に相応しいのはメルセさんです。彼女は殿下を傍で励まし支え、殿下のお心を癒してきました。私にはできなかった事です」
「テレサ……」
「ですからルードルフ殿下。どうか彼女とお幸せに……」
テレサは彼に深く頭を下げた。
それからテレサは休み時間の度に無駄に学園内を歩き回り、周囲に自分のボコボコに殴られた顔を見せつけた。生徒達の間では、すっかりテレサの話題で持ちきりだ。既に色んな憶測が飛び交っている。
テレサは腫れ物扱いで、噂はしても直接本人に何があったのか尋ねてくる者はいない。
早ければ数日後には、ルードルフとの婚約が破棄された事も知れ渡るだろう。
ルードルフが婚約者であるテレサを冷たくあしらい、疎ましく思っていた事を学園の生徒達は知っている。
だから、テレサのこの状態をルードルフの仕業だと疑う者も出てくるだろう。婚約を破棄する為に、彼が仕組んでテレサを傷物にしたのだと。
それがテレサの狙いだった。ルードルフの悪い噂が流れれば、更に彼を精神的に苦しめる事ができる。
その下準備として、テレサは憂いを帯びた表情を浮かべ、人目につくように廊下をひたすら歩いた。
その日の放課後。偶然テレサはオスカーと出くわした。何となく、そのまま二人きりで話す流れになった。
「オスカー様、ルードルフ殿下に何か言われませんでしたか? 責められていませんか?」
「私もその覚悟でいたんですがね。どうやらあなたが殴られている光景が相当ショックだったようで、私に矛先が向く事はなくずっとご自分を責めていらっしゃいますよ。まあ、あんな場面を見せつけられたら無理もありません」
オスカーはやれやれと息を吐く。
自分の顔面がぐちゃぐちゃに崩れる事も厭わないテレサの行いに、彼は引いているようだ。
昨日の一件が全て仕込みだった事を彼が暴露すれば、テレサは終わる。
「オスカー様に、例の写真をお渡しする事はできません。あなたが私の秘密を握っている以上、私もあなたの秘密を握っていなくてはなりませんから」
テレサはそう言ったが、実のところオスカーの浮気現場写真は既に処分している。
いつまでも保管していて、もしうっかりそれが露見してしまったら。協力してくれたら浮気の事は誰にもバラさないという彼との約束を破ってしまう事になる。
「わかっていますよ、もちろん。……写真を渡してほしくて言うわけではないですが、私はテレサ様の秘密を誰にも言うつもりはありませんよ」
「あら……それはどうしてですか?」
「私は、あなたはルードルフ殿下と結婚したいのだと思っていました」
オスカーの言葉に、テレサは冷笑を漏らす。
「おほほ……ご冗談を。ルードルフ殿下と結婚だなんて、想像しただけで虫酸が走りますわ」
「そうでしょうね。テレサ様はご自分の顔を犠牲にしてまで婚約を破棄したのですから」
「ええ、そうです」
とは言うものの、ルードルフがテレサに無実の罪を着せて貶めるという計画を立てていなければ。テレサが婚約を破棄しようと行動する事はなかった。きっと彼と結婚するという未来が待っていただろう。
そう考えると、彼が婚約破棄するための計画を立ててくれたのはとても有難い事だったのだ。
「ルードルフ殿下はいつもおっしゃっていました。テレサ様はルードルフ殿下の事など考えず、自分の意見を押し付けてくると。ルードルフ殿下のなす事全てに文句を言ってくるのだと。だからてっきり、テレサ様はルードルフ殿下を自分の思いのままにコントロールしたいのかと、私は思っていました。でも、今回の件でそれは私の勘違いだとわかりました」
彼がルードルフと一緒になってテレサを敵視していたのは、単にルードルフに同調していたわけではなかったようだ。テレサはルードルフに害をなす存在だと判断し、婚約破棄の計画にも賛成したのだ。
「テレサ様との婚約破棄はルードルフ殿下が望んでいた事ですし。殿下のお考えとは全く違うやり方にはなってしまいましたが、これで殿下の望みは果たされるのです。ならば、わざわざ真実を明るみに出す必要はないと考えてます。まあ、信じてはもらえないでしょうが」
「いいえ、ありがとうございます、オスカー様。心から感謝いたします」
それからテレサはオスカーと別れ、家に帰った。




