第二十七話 苦い酒
炉予定地の整備が始まってから、村の動きはさらに忙しくなっていた。
建築班は木材を運び、鍛冶班は石組みを確認する。見張り班は巡回範囲を広げ、水路班は新しく増えた使用量を調整していた。
人が増え、役割が増え、やることも増えている。
だが以前と違うのは、“全部を一人で抱えていない”ことだった。
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夕方。
クロノは加工小屋の外で板を確認していた。
「炭焼き、次は明日か……」
数字を書き直し、小さく息を吐く。
そこへ、ルナが近づいてきた。
両腕には木材。
普通の人間なら二人がかりの量だった。
「また一人で運んでるの?」
「効率がいい」
真顔で返される。
クロノは少しだけ呆れた。
「ブラックかよ……」
「ぶらっく?」
「気にしなくていい言葉だね」
ルナは少し首を傾げたが、それ以上は聞かなかった。
木材を下ろす。
地面が少し沈む。
クロノはその様子を見ながら苦笑した。
(もう誰も驚かなくなってるな)
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少し前まで、ルナは村の中で浮いていた。
強すぎる力。
龍人という種族。
近寄りがたい空気。
だが今は違う。
「ルナー! その後こっち頼めるか!」
遠くから建築班の男が叫ぶ。
「分かった」
ルナは普通に返事をした。
クロノは、そのやり取りを少し不思議な気持ちで見ていた。
(……村に馴染んだね)
本人は多分、自覚していない。
だが、村人達の方はもう自然にルナを頼っている。
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その日の作業終わり。
建築班の男達が、また例の酒を持ち出していた。
「今日こそ少しはマシになってるぞ!」
「毎回言ってるだろそれ」
カインが笑う。
ドグが木杯を受け取り、一口飲んだ。
数秒止まる。
「……不味ぇ」
「なんでだよ!?」
村人達が悲鳴を上げる。
ガルムも飲む。
「前より苦味増えてねぇか?」
「改善失敗してるじゃねえか!」
笑いが起きる。
以前のローデン村には、こんな空気は無かった。
疲れて、黙って寝るだけだった。
今は違う。
少しだけ、余裕がある。
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ルナにも木杯が渡される。
クロノは何となく気になって見ていた。
ルナは匂いを嗅ぐ。
少し考える。
そして飲んだ。
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「…………」
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止まった。
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「ルナ?」
クロノが声をかける。
ルナはゆっくり顔を上げた。
「熱い」
「熱い?」
「顔が」
数秒沈黙。
カインが目を丸くする。
「……お前、まさか酔ってる?」
「酔う?」
ルナは真顔だった。
だが、耳が少し赤い。
クロノは思わず吹き出しかける。
(嘘だろ。あの酒で?)
度数なんてほとんど無い。前よりほんの少しあるくらい。
ただ苦いだけの水みたいな酒だ。
なのにルナは、じっと木杯を見ている。
「……変な感じがする」
少しだけ声が遅い。
カインが腹を抱えた。
「弱っ! お前めちゃくちゃ弱いのかよ!」
「弱くない」
「いや弱ぇだろ!」
ルナは少し不満そうにクロノを見る。
「笑うな」
「ごめん、無理」
クロノは肩を震わせた。
ルナが酔う。
しかも、こんな酒で。
完全に予想外だった。
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少しして、ルナは静かになった。
怒っているわけではない。
ただ、ぼんやり火を見ている。
クロノは隣へ座った。
「大丈夫?」
「分からない」
珍しい返事だった。
「ふわふわする」
「飲まなきゃよかったね」
「うん」
素直だった。
クロノは少し笑う。
火が揺れる。
夜の空気は冷たかった。
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「……クロノ」
「なに?」
「村、変わったな」
ルナは火を見たまま言った。
クロノも周囲を見る。
笑い声。
木材を運ぶ音。
炭の匂い。
見張り交代の声。
前とは、確かに違う。
「そうだね」
クロノは頷いた。
「前より、ちゃんと回ってる」
「嫌じゃ、ない」
ルナが小さく言う。
クロノは少しだけ目を瞬かせた。
ルナはそのまま続ける。
「……前は、どこへ行っても、壊れるだけだった」
火を見る目が、少しとろんとしている。
「……でも、ここ、は、増え、てる」
クロノはすぐには返事をしなかった。
ルナが自分から、こういう話をするのは珍しい。
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「……壊したくない?」
クロノが聞く。
ルナは少し黙った。
それから、小さく頷く。
「……ん」
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短い返事だった。
でも、それだけで十分だった。
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クロノは少しだけ空を見上げる。
(守る理由、増えてるな)
そう思った。
少し前の自分なら、“効率がいいから”で済ませていたかもしれない。
だが今は違う。
この村が壊れるのは、嫌だった。
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その時。
ふらついたルナの頭が、クロノの肩へ寄りかかった。
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クロノが固まる。
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「……ルナ?」
返事が無い。
寝ていた。
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カインが遠くで吹き出す。
「酔い潰れてんじゃねぇか!」
「声大きいって!」
クロノは慌てて言う。
だが、ルナは起きない。
少しだけ体温が高い。
クロノは困ったように息を吐いた。
(……本当に酒弱いんだね)
火の向こうでは、村人達が笑っていた。
ローデン村の夜は、少しずつ賑やかになり始めていた。




