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最終到達死点 〜『純血の魔女』は、地獄の街で最強を蹂躙し、悪を無双する〜  作者: ヨシムラ


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第37話 聖騎士教会の塔級騎士②

アスファルトから立ち上る熱気が、じわり、じわりと街全体を包み込んでいた。まるで地表そのものが肺を持ち、灼けた息をゆっくりと吐き出しているかのようだ。

気温は優に35度を超えている。いや、数字以上の重みが肌にのしかかってくる。照り返しは白く、強く、視界を微かに揺らし、舗道の向こう側は蜃気楼のように、ゆらり、ゆらりと歪んで見えていた。熱の層が幾重にも重なり、空気そのものが粘ついている。


その灼熱の海を、まるで刃で一直線に割るかのように、ひとりの男が歩いている。

褐色の肌を持つ、入国したばかりの男――聖騎士教会に所属する、紛れもない聖騎士である。


階級は白色塔(ルーク)級。

金髪の少女騎士よりも、制度上も実力上も、明確に格上に位置する存在だった。


年齢は20代後半。

身長は200㎝をゆうに超え、広い肩幅と分厚い胸板を備えた体躯は、アメフト選手を思わせる圧倒的な量感を持つ。とはいうものの、無骨さ一辺倒ではない。刈り上げを利かせた髪型には、どこかNBA選手を連想させる洗練があり、粗暴と知性が奇妙な均衡を保っていた。

露出した腕や首筋には、無数の刺青が刻まれている。線は太く、色は濃く、宗教的象徴と部族的意匠が混ざり合ったそれらは、見る者に無言の圧を与えていた。


場所は繁華街。

人の密度は高く、昼下がり特有の喧騒が満ちている。話し声、笑い声、ヒールの音、車のクラクション――雑多な音が渦を巻く。ものの、男の進行方向だけは、奇妙なほど静かだった。


人波が、左右へと、すうっと割れていく。

誰も声を上げない。視線を合わせない。無言のまま、半歩、また半歩と距離を取る。


まるで――

旧約聖書、モーゼの十戒に描かれた、あの海割り。

乾いた道が現れ、人々が本能的に道を譲る、あの光景の再現だったのだろうか。そう錯覚するほど、自然で、そして不気味な現象だった。


男は、2mを超える細長いバッグを肩に掛けている。

布で覆われ、外見からは中身を推し量れない。だが、その内部を知る者は、聖騎士教会の中でもごく一部に限られていた。


特定の任務においてのみ携行を許される武装。

“魔を狩る槍”の異名を持つ神器、《ブリューナクの槍》。


それが、今まさに、この男の背中にあった。歩みに合わせ、カツ、カツ、とわずかに硬質な音を立てながら。


彼が魔女の住まう都市へ足を踏み入れた理由は、ただ一つ。

この街に集結しているとされる、黒魔術士たちを狩ること。禁忌に手を染め、悪逆非道を尽くす者ども。その情報を掴むため、先行して入国していた金髪の少女騎士――Astridと合流する必要があった。


待ち合わせ場所は、お洒落なカフェ。

そう、指定されている。


誘導は、あまりにも丁寧だった。

丁寧すぎて、逆に違和感を覚えるほど。六惺が金髪の少女騎士に行ったものと同種――いや、それ以上に周到な「なりすましメール」。文面は自然で、時間指定も曖昧さがなく、逃げ道を用意しない作りになっている。

男は疑念を抱きながらも、結果として、その案内に従っていた。疑いを捨てたわけではない。ただ、捨てる必要がないと判断しただけだったのかもしれない。


少女の立場は、この先輩騎士の補佐役。

しかし、状況次第では捨て駒となる可能性もある。聖騎士教会において、それは決して珍しい話ではない。命の重さは平等ではなく、役割の重さが優先される――そういう組織なのだ。


魔女がカフェ内部に結界を張っていたせいだろうか。

背丈2mを超える褐色の騎士は、すでに入店していたにもかかわらず、オープンテラスで談笑する六惺たちの存在に、まったく気付いていなかった。人の気配は感じている。音も、視界もある。ものの、それらが“そこにある”と認識されない。そんな歪みが、この空間には漂っていた。


だが――

このあと、彼は否応なく“異常”を理解することになる。


店員に促され、オープンテラスへ。

ガタ、と椅子を引く音。太い脚が床を踏み、椅子が軋む。

そして、席へ腰を下ろした、その瞬間。


空気が、わずかに沈んだ。

温度が変わったのか、それとも感覚が研ぎ澄まされたのか。理由は定かではない。ただ、胸の奥で、何かがチリ、と鳴った。


隣席にいたAstrid(アストリッド)が、こちらの存在に気付いていない様子の先輩騎士へ、喉を絞るように、かすれた声を掛けた。


「白色塔級騎士様……私です。Astridです」


声は、かすかに、しかし確実に震えていた。

それは寒さのせいではない。恐怖だ。

胸の奥から込み上げるそれを、必死に噛み殺し、どうにか“形”に整えた声だった。


――このあと、絶対に良くないことが起きる。

根拠などない。だが、彼女は確信していた。

背中を伝う嫌な汗。指先がじわりと冷え、心臓の鼓動だけがやけに大きく感じられる。


褐色の騎士が、ようやく“異常”に気付く。

遅れて、だが確実に。


空気の密度が違う。

肌を撫でるはずの空気が、ぬめりを帯びた圧となって押し返してくる。

見えない何かが、幾重にも張り巡らされている感覚――結界。

それを察知した、その瞬間。


ぱちり、と。

まるで瞼の裏で何かが弾けたかのように、視界が一気に“開けた”。


超至近距離。

視界の正面には、後輩である兵士級の少女騎士。

そして、そのすぐ傍らに立つ――要注意人物。


伝説の殺し屋。

最強種族と謳われる人狼。

さらに、この街に住まう魔女。


三者の視線が、寸分のズレもなく、同時に塔級騎士へと突き刺さる。


間合いは、3mもない。

近接戦を主戦場とする者にとって、そこは“デスエリア”。

一歩。

たった一歩踏み込まれただけで、首が落ちても不思議ではない距離だった。


理解した瞬間――

男の思考は、文字通り、完全に停止する。


ぞわり、と。

氷水を流し込まれたかのような感覚が背骨を這い上がり、首筋を撫でた。

ドクン、ドクン、と心拍が跳ね上がり、その音が耳の奥で暴れ回る。

呼吸が浅く、速くなり、肺が空気を拒むように軋む。


命の危険。

それを察知した脳が、未知の状況を処理しきれず、強制的にフリーズしたのだ。


――そうなるだろうと、予測していたAstridは、胸を締め付けられるような痛みに襲われていた。

ごくり、と喉を鳴らす。

その小さな音が、自分の耳にだけ、やけに大きく、やけに生々しく響く。


やがて。

ほんの刹那ののち。


褐色の騎士の瞳に、理性の光が戻る。

散乱していた思考が、少しずつ、少しずつ秩序を取り戻していく。


≪……これは、一体どういう状況なんだ。

Astridと同じテーブル席にいたのは、『殺し屋』と『人狼』、それにこの街に住む『魔女』だったはず。

この4人に、どんな繋がりがある。

まさか、Astridが俺を罠に嵌めた……のか。

いや、それとも、別の何か。

何故、俺は奴等の存在に気付かなかった。

結界……か。

ここで最も警戒すべきは、やはり『殺し屋』と『人狼』。

だが――妙だ。

2人から、敵意のようなものを感じない≫


2mを優に超える巨躯を誇る褐色の騎士は、無言のまま八十郎と九重を視界の端に捉えていた。

意識しているわけではない。

それでも、無意識の領域で、彼はすでに二人を“自分と同格、あるいはそれに近い存在”として認識している。


敵意は、確かに感じ取れない。

とはいうものの、空気の密度がじわじわと増していく感覚があった。

皮膚の表面に、重たい膜が貼り付いたかのようだ。

息を吸うたび、肺の奥へと鈍い重みが沈み込む。


まるで、この場そのものが、戦闘の予兆を孕んでいるかのようだった。


(……あの二人に対して、魔女は何かを企んでいるのか)


騎士は、そう推測していたのだろう。

だが実際には、彼自身も説明のつかない違和感に囚われていた。

心臓の奥に、鉛の塊を押し込まれたような沈下感。

知らぬ間に顎が強張り、頬の筋肉がぴくりと引き攣る。


経験豊富な戦士の勘が、かすかな警鐘を鳴らしていたのだ。


一方で、金髪の少女――Astridは、ほとんど思考停止に近い状態だった。

事態を整理する余裕など、どこにもない。

自分の一言が引き金となり、この異様な対峙を招いてしまった――その自責の念だけが、重く、重く胸にのしかかる。


ほんの数秒。

だが、その沈黙は異様なほど長く、張り詰め、圧縮された時間として感じられた。


――その静寂を、何の前触れもなく、ぱきりと打ち砕いたのは。

場の空気を読むという概念が、どこか決定的に欠落しているかのような六惺だった。


「はじめまして。私はこの都市で暮らしている魔女です」


穏やかな声音。

それが逆に、この場の緊張を際立たせる。


「聖堂騎士教会の騎士さんですね。世界平和のため尽力いただき、有難うございます」


声はどこまでも丁寧で、角の取れた柔らかさを帯びていた。過剰なほどに整えられた敬語。だが、その言葉に込められるはずの“感謝”の温度は、どこにも見当たらない。

ぱしゃり。

まるで乾いた床に水滴を一つ落としたような、鈍く軽い音だけが空間に残る。感情という名の波紋は一切広がらず、言葉はそのまま床に染み込むこともなく、霧散していった。


神妙な面持ちで沈黙を保つ八十郎と九重は、六惺の口から「世界平和」という単語が放たれた、その瞬間――ほぼ同時に、心の奥で絶叫していた。


――どの口が、世界平和なんて言ってやがるんだよ。


一方、Astridは依然として混乱の渦中にいた。

視線の先に立つ男。聖堂騎士教会において“塔級”と位置づけられる精鋭中の精鋭。

六惺が『純血の魔女』であることは、事前情報として把握していた。とはいうものの、剣豪や拳闘士といった、見るからに危険な異能の猛者たちと比べれば、魔女という存在はどこか抽象的で、掴みどころがない。結果として、脅威度は低い――そんな油断が、男の判断を確実に鈍らせていた。


――――――否。

本来であれば、その認識そのものが致命的な誤りだった。


この男は、『魔』に対抗するための力――『神聖力』を行使する、聖堂騎士教会の騎士である。

さらに、その神聖力を極限まで引き上げる神具、『ブリューナクの槍』を携えた存在。魔を狩るために選ばれ、鍛え上げられた、正真正銘の“対魔特化”兵器だった。


とはいうものの。

井の中の蛙、大海を知らず、という言葉があるように、彼は六惺を所詮、辺境の都市に棲む一介の魔女程度にしか見ていなかったのである。

加えて、苦労というものを知らなさそうな、柔らかく整った六惺の風貌が、その誤解をさらに後押ししていた。


(世界を股にかけて戦ってきた俺とは、見ている景色が違う)

そう、疑う余地すらなく信じ込んでいたのだろう。


へりくだった言葉を選び続ける六惺を前に、褐色の騎士は自然と顎を持ち上げていた。

ぐ、と首を反らし、わずかに胸を張る。見下ろす視線。空気が、じわりと歪む。

舐め切った口調で、言葉を吐き捨てた。


「いかにもだ。俺は聖騎士教会に名を連ねる、由緒正しき塔級騎士だ」


「こちらにいらっしゃるAstridさんの、先輩にあたる騎士様……そう理解して差し支えありませんね?」


六惺の声は、相変わらず穏やかだった。

だが、その柔らかさの裏に、薄く鋭い刃のような何かが潜んでいることに、騎士は気づけない。


「聖騎士教会の階級は、チェスの駒になぞらえられている。塔級騎士である俺と、兵士級にすぎないAstridを――一色単にするな!」


「一色単、ですか。しかし塔級と兵士級、どちらも“聖騎士”であることに変わりはありませんよね?」


「魔女……お前の目は節穴か。この俺と、兵士級風情との実力差が、まさか本当に分からないとでも言うつもりか?」


「外見の話でしょうか。ええ、確かに」


六惺は、わずかに首を傾げる。その動作すら、どこか計算されているように見えた。


「無駄に威圧的な姿を取り繕おうとしている先輩騎士様を拝見していると……徒党を組まなければ何もできない街の悪党たちと、驚くほどよく似た空気を感じます」


ピキリ。

乾いた音が鳴ったかのように、騎士の額に青筋が浮かび上がる。

空気が一段、重く沈む。


「……俺を愚弄しているのか。いい加減にしろ。このちっぽけな都市で“魔女”を名乗っている程度の者には理解できまいが、塔級騎士である俺は、兵士級の十倍以上の力を持つ」


「十倍以上、ですか」


「そうだ。――お前に、本物の騎士の強さというものを、骨の髄まで教えてやろう」


「私に“本当の騎士の強さ”を教える……それは、具体的にはどういう行為を指すのでしょうか」


騎士の目が、獲物を捉えた捕食者のそれへと変わる。


「魔女。お前は、これまでに多くの者を殺してきただろう?」


「はい」


六惺は、即答した。ためらいも、躊躇もない。


「私は弱い者虐めが大好きですから。ただし、生かしておく価値のない外道だけを選んで殺してきました。言ってしまえば、街の清掃活動のようなものですね」


くすり、と微笑む。


「そう考えると、ずいぶん善行を積んできたのではないかと、自分では思っているのですが」


「いいか」


騎士は低く、重々しく言い放つ。


「人が人を裁くことは許されない。人を裁くのは、法だけだ」


「その“法”も」


六惺は、静かに問い返す。


「結局は、人の手で作られたものではありませんか?」


「なるほど……」


騎士の口元が歪む。

理解した、というよりも、断罪の理由を見つけた表情だった。


「実に利己的だ。いかにも悪党らしい思考だな。お前は、俺に裁かれる運命にあったというわけだ」


ぐ、と一歩踏み出す。


「――この俺に出会ったことを、存分に後悔するがいい」


褐色の騎士は、勝利を疑っていなかった。

口元には、歪んだ自信に満ちた笑み。いわゆる“ドヤ顔”という言葉が、これ以上なく似合う表情である。


(『魔』に対抗できる『神聖力』を持ち、それを最大限に引き出す『魔を狩る槍』を携えた俺こそ――最強の『魔女キラー』だ)

そう、信じて疑わなかった。


九重は会話を聞き流しながら、『神聖力』に関する最低限の知識を脳裏でなぞっていた。

とはいうものの、結論は変わらない。

圧倒的な力を持つ魔女が、人間ごときにどうこうできる相手ではない。どう考えても、そうだった。


一方の八十郎は、ただひたすら現実的だった。


(……はやくギルド会館に帰りたい)


それだけが、頭の中を占めている。


金髪の少女は、緊張が限界を超えた結果、引き攣った笑みを浮かべていた。

ひくり。

頬が小さく痙攣する。その微細な動きが、場の空気の異常さを雄弁に物語っていた。


――そして、この後。

聖堂騎士教会の塔級騎士には、誰一人として予想し得なかった――

いや、本当は予想すべきだったのかもしれない。


あまりにも、あまりにも悲惨な末路が、静かに、しかし確実に訪れるのであった。

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