第36話 聖騎士教会の塔級騎士①
――灼熱。
容赦なく降り注ぐ太陽光が、黒く敷き詰められたアスファルトを焼き切るように照り付けている。
じり、じり、と音がしそうなほどの熱が地表から立ち上り、空気そのものが悲鳴を上げるかのように揺らめいていた。
陽炎がゆらゆらと昇り、街の輪郭は溶解した絵画のように歪み、遠景のビル群は蜃気楼めいて、実体を疑わせるほど不確かに揺れて見える。
8車線にも及ぶ幹線道路では、自動車が呻くように詰まり、数珠繋ぎとなった車列からは、低く濁ったエンジン音が幾重にも重なっていた。
むわり、と熱気を孕んだ排気ガスが漂い、肺の奥にまでまとわりつく。
等間隔に植えられた街路樹でさえ、葉をだらりと垂らし、生命力を根こそぎ削がれているかのようだった。
スーツ姿の社会人たちは額に玉のような汗を浮かべ、歩幅を狭めながらも、それでも歯車として噛み合うことをやめない。
都市という巨大な機構は、熱に喘ぎながらも回転を止めないのだ。
この街に存在するすべてのものが、真夏の圧倒的な熱量に疲弊している――そう言ってしまっても、決して誇張ではないだろう。
ビル群が山脈のように連なり、空を切り取る都市の中央部。
その一角に、ガラス張りで洒落た外観をしたカフェがあった。
白いパラソルが直射日光を遮り、その下には木目の美しいテーブルが据えられている。
そこに、二人の少女が向かい合って腰を下ろし、涼やかな顔でティーカップを手にしていた。
一人は――
『6』という数字に愛された魔女。
名を、六惺。
艶やかな黒髪は陽光を吸い込むように深く、透き通る肌は白磁のごとく滑らかだ。
清楚、可憐――そんな形容が自然と浮かぶ容姿。
とはいうものの、その本質は外見から著しく乖離している。
彼女は、“史上最も頭のおかしいサイコパス”とまで評された使い魔――烏を従える、純血の魔女であった。
ほんの数分前のことだ。
六惺はこの洒落たカフェの席に腰掛けたまま、八十郎の肉体に仕込んでいた秘術、《運命の戦車》を静かに起動させている。
遠隔地にいた黒魔術士の一人は、抵抗する間すら与えられなかった。
空間がぐにゃりと歪み、次元回廊が口を開き、存在そのものをずるり、と引きずり込む。
断末魔も、痕跡も残さず、その命は完全に消失したのである。
とはいうものの。
六惺の表情は、まったく変わらなかった。
カフェグラスの中で氷が、カラン、と軽やかな音を立てる。
それと同じ感覚で、命が一つ処理された――ただ、それだけの出来事だったのだ。
そして、もう一人。
北欧からやって来た、聖騎士教会の騎士。
名を、Astrid。
騎士のクラスは兵士級。
まだ16歳という若さながら、指どおりの良さそうな金髪はさらさらと揺れ、太陽光を反射して眩い。
背丈はおよそ165cmほど。
六惺と並ぶと、わずかに低いか。
この異国の都市へ足を踏み入れた目的は一つ。
世界で“要注意人物”とされる者たちが、なぜこの街へ集結しているのか――その理由を探るためだった。
伝説の殺し屋。
最強種族と謳われる人狼。
黒魔術士教会の枢機卿。
錬金術師。
その他、名を挙げれば切りがないほどの異端と狂気。
その中でも、同じテーブルでタブレット端末に何事かを書き連ねている黒髪の少女――純血の魔女が、群を抜いて危険な存在であることを、Astridはまだ知らない。
誘導されるがまま席に座ったものの、どう振る舞えばいいのか分からず、視線は落ち着きなく彷徨っていた。
沈黙が、じりじりと神経を焼いてくる。
耐えきれなくなったのだろう。
Astridが、向かいに座る黒髪の美少女へ声をかけようとした――その瞬間。
――そこに、黄色い髪の女が立っていた。
いつから、そこにいたのか。
気配は、なかった。
身長は180cm。
タンクトップから露出した腕や肩は、無駄を削ぎ落とした筋肉で引き締まり、鋼のような張りを帯びている。
膨張するだけの筋肉ではない。
研ぎ澄まされ、戦うためだけに最適化された肉体だ。
最強種族、人狼。
そして、最強職の一角――拳闘士。
繁華街の喧騒の只中にあっても、その存在感は圧倒的だった。
ピリ、と空気が一段冷える。
人々の視線は無意識に逸らされ、歩行者の流れが微妙に歪む。
名を、九重。
彼女はつい先ほど、黒魔術士教会の枢機卿から“真の天才”と称された存在――
『絶対なる支配者』、通称キモデブの神父を、何の躊躇もなくぶち殺してきたばかりである。
そして六惺から、ここへ来るよう告げられていた。
九重は、カフェの前で違和感を覚えていた。
魔女と一緒にいるはずの八十郎の姿が、どこにもない。
まるでUFOにでも攫われたかのように、存在だけが綺麗さっぱり消えている。
気配は、ある。
にもかかわらず、実体がない。
ぞわり、と背筋を不安が撫でた。
さらにもう一つ。
魔女と同じテーブルに座る、金髪の少女騎士。
その存在が、人狼の神経を逆撫でしていた。
戦闘力をレア度で表すなら、『N+』。
決して強者ではない。
ものの、それでも――知らない者と同席するには、十分すぎる不安要素だった。
≪誰なんだ、この北欧の少女は。
そもそも、魔女が近くにいるだけで気が重くなるっていうのに。
剣豪はいないし、知らない女もいる。
こんなテーブルに同席するなんて、気まず過ぎるだろ。
来いと言われて来てしまったが……何の意味があるんだ。
これはもう、ギルド会館へ帰った方がいいのかもしれない≫
九重は狂暴な性格をしている。
とはいうものの、実のところ――かなりの人見知りだった。
不安げにこちらを見つめる金髪の少女騎士と、極力かかわり合いになりたくない。
その感情は、隠そうとしても隠しきれず、表情に滲み出ていた。
六惺は、それを読み取ったのだろう。
タブレットを操作する指を止めることなく、背を向けかけた人狼の女へ、淡々と声を投げる。
「拳闘士さん。もうまもなく剣豪さんが戻ってくるはずです。空いている席へ座って、少しお待ちください」
「魔女。お前から言われたとおり、キモデブの黒魔術士は仕留めてきたぞ。もう私には用件も無いようだし、ギルド会館の方へ帰らせてもらおうと思っているが、べつに問題ないだろ?」
「とりあえず、こちらに座っている少女をご紹介させてもらいます。彼女は聖騎士教会の騎士、Astridさんです」
「Astridです。よろしくお願いします」
「……私は九重だ。そこの魔女が管理している『ギルド会館』で働いている者だ」
カフェを出るつもりだった拳闘士の足は、魔女から放たれる無言の圧に縫い止められた。
そこへ、Astridの丁寧な挨拶。
反射的に、言葉が口をついて出てしまったのだ。
一方、紹介された金髪の少女騎士は――
ガチガチに緊張しながら、ぎこちない動きで立ち上がり、深く頭を下げていた。
白い肌が、ふわりと朱に染まる。
六惺とは、ほとんど会話を交わしていない。
それなのに、なぜ自分の名前を知っているのか。
疑問が胸中で渦を巻く。
そして、もう一つ。
Astridは、目の前の黄色い髪の女を、当然のように認識していた。
彼女こそが――
世界で最も危険とされる拳闘士。
絶対に出会ってはいけない存在。
その人狼の女が、見知らぬ黒髪の少女に対して、わずかに萎縮している。
そう見えた、その光景が、あまりにも現実離れしていて。
Astridは、強烈な違和感を覚えずにはいられなかったのだった。
≪……ちょっと、待って。
二人は……いったい、何の話をしているの?
ギルド会館?
なにそれ。
そこで人狼の女が働いている? どういう理屈なの、それ。
しかも“魔女”と呼ばれている女の子までいるって……。
情報量、多すぎでしょう。脳が処理を拒否しているんだけど。
剣豪が帰ってくるって言っていたけど、それって――
あの、覇気のない、くたびれた殺し屋の親父のことよね。
それに……魔女と呼ばれている女。
どう見ても、人狼の女と殺し屋の親父に対して、態度が軽すぎる。
舐めてる。完全に。
気のせい……なのかしら。
……いや、違う。
これは、マジでヤバい。
理屈はさっぱり分からない。
だけど、“ヤバい”という感覚だけは、やけに鮮明に分かる。
本能が、全力で警鐘を鳴らしている。
とはいうものの。
逃げようにも、身体が言うことを聞かない。
今更だけど、思い返してみれば――
タブレットで、お洒落カフェに誘導された時点で、何かがおかしかった。
最初から、全部おかしかったのだ。
……というか。
そもそも、なんで私は、ここにいるのよ!?≫
金髪の少女騎士――Astridは、完全に固まっていた。
恐怖、緊張、混乱。
そのすべてが絡み合い、全身を石像のように縛りつけている。
指先ひとつ、動かない。
呼吸は浅く、喉の奥で空気が引っかかる。
それでも、心臓だけは異様なほど元気で、ドクン、ドクンと自己主張を続けていた。
その鼓動は、耳の奥を直接叩くように響いてくる。
一方で。
この異常な空間を、あまりにも自然なものとして受け入れている者もいる。
九重は、どこか諦めを含んだ、仕方なさそうな表情のまま、Astridへ軽く会釈をすると、
まるで日常の延長であるかのように店員を呼び止め、飲み物を注文した。
その仕草に、一切の迷いはない。
そして六惺に促されるがまま、空いている席へ腰を下ろそうとする。
その――ほんの一瞬だった。
気が付くと。
そこには、しがない40過ぎの、どこにでもいそうな親父が立っていた。
いや。
「立っていた」という表現ですら、どこかズレている。
ついさっきまで、確かに“別の場所”にいたはずの男が、
まるで最初からそこに存在していたかのように、空間へ溶け込んでいたのだ。
妖刀・村正の使い手。
剣豪、八十郎。
六惺によって送り込まれた『次元回廊』にて、黒魔術士を惨殺し、
血と呪詛の残滓を振り払う暇すらなく――
たった今、この世界へ帰還したばかりだった。
目立つことを、何よりも嫌う男である。
八十郎は、自分が座っていたはずの椅子に、
いつの間にか拳闘士の女が堂々と陣取っている光景を目にした瞬間、悟った。
――これは、ダメなやつだ。
空気が、重い。
視線が、集まる。
そして何より、この場に漂う人間関係が、“面倒くさい”匂いしかしない。
ピリ……と、肌の表面をなぞるような緊張が走る。
戦闘のそれとは違う。
もっと厄介で、避けようのない類の気配だ。
八十郎は、静かに。
しかし、確実に――撤退を決意した。
≪……なんだよ、この状況。
人だかりこそ出来ていないが、女子3人が揃って、目立ちすぎだろ。
動物園のパンダかよ。
しかも、魔女に誘導されて来たらしい金髪の少女騎士が、
こっちをガン見してやがる。
関わっちゃいけない。
絶対に関わっちゃいけないタイプだ。
あの席に座った瞬間、
俺1人に対して女子3人……。
知らない奴が見たら、ハーレム王と勘違いされかねん。
冗談じゃない。
地獄だろ、こんなの。
俺には、ここに留まる胆力なんて、これっぽっちもない。
絶対に、ギルド会館へ帰らせてもらう≫
八十郎は、金髪の少女騎士――Astridそのものに、害意は感じていなかった。
むしろ。
自分と同じ、“巻き込まれた側”なのではないかと、直感していた。
類は友を呼ぶ。
被害者が、別の被害者を引き寄せてしまう。
そんな、救いのない構図が、脳裏に浮かんでいた。
しかし――
空気を読まないのか。
あるいは、そもそも読む気がないのか。
背を向け、立ち去ろうとした八十郎へ、六惺が声を投げる。
こうして。
微妙に噛み合わない会話が、ゆっくりと始まった。
「剣豪さん。店員さんに言って、席を用意してもらってください」
「いや。俺は魔女さんから言われた仕事は、もう終わりましたし……
そろそろ、ギルド会館に帰ろうかと」
「どうして帰ろうとするのですか。親父1人に対して女子が3人。剣豪さんが大好きなはずの、ハーレム状態ではありませんか?」
「まー……そうですね。魔女さんがいなければ、ハーレムになるかもしれませんね」
「すいません。言っている意味が分からないのですが。私がいると、ハーレムが成立しないように聞こえますが、気のせいでしょうか?」
「魔女さん。俺は人に説教できるような人間じゃありませんが……
ここは、言わせてもらいます!」
一拍。
空気が、わずかに張る。
「男も女も――『内面が大事』なんですよ!」
「つまり、私の心が真っ黒だとおっしゃっているのですか?」
「……そこまでは、俺の口から言えません」
「なるほど。では、私の心が真っ黒ではない、と否定されたわけですね」
「否定はしてませんが……。まー、そういうことでいいです」
「剣豪さん。話を戻しますが――
もうまもなく、ここへ聖騎士教会の騎士がやってきます」
「いや、“話を戻す”ってのは――」
「剣豪さん。話を戻してもいいですか?」
「……はい。無駄なことを言いました。戻してください。で、その聖騎士教会の騎士が、お洒落カフェに来る目的は?」
「剣豪さんと、拳闘士さんを倒すためではないかと推測します」
「俺たちを……倒す?」
「はい。治安と秩序を守る使命を持つ聖騎士教会からすれば、剣豪さん達は、討伐対象です」
淡々と。
あまりにも当然のように。
「もう少し、ご自身が凶悪であるという自覚を持つべきではないでしょうか?」
「凶悪犯である自覚はありますよ。ただ……俺たちより凶悪で、しかも『残念』な魔女さんに言われると、どうなんだろうなって思います」
「私が、残念ですか?」
「はい。凶悪かつ、とても残念です!
九重は、無言のまま、
“無駄な抵抗はやめて座れ”とでも言いたげな視線を、八十郎へ向けている。
金髪の少女騎士は、その一連のやり取りを目の当たりにし、
混乱の底へ、さらに深く沈んでいった。
――最強の殺し屋。
対峙した者に、生存の可能性はない。
そんな噂で語られる相手が、
戦闘力が低そうにしか見えない女子を、
拳闘士と同列に恐れている。
その事実が、Astridの常識を、静かに、しかし確実に崩していく。
そして。
戦闘力がゼロにしか見えない六惺こそが、
この場で最も“ヤバい”存在なのではないか。
その確信が、胸の奥で、はっきりと形を成し始めた――
その瞬間。
カラン。
乾いた、軽い音。
お洒落カフェの扉が、ゆっくりと開く。
一人の男が、姿を現した。
聖騎士教会の騎士。
階級は、白色塔級。
六惺の言葉どおり。
金髪の少女騎士の上司が、そこに立っていた。
その手には――
『魔を狩る槍』と呼ばれる、神具。
空気が、張り詰める。
ピン、と張った糸のような緊張が、店内を満たしていく。
戦闘の気配が。
静かに。
しかし、確実に――広がっていた。




