23.コリーナ・ザーランド(前編)
レミアムアウトの峡谷とカセキハの町の間にある草地に、武装した兵士たちが並ばされていた。
その数、約五百人。
元は金杯軍であったザーランド公爵家の私兵、辺境軍の兵士、元は一軍馬公の私兵であった辺境王妃の私兵である。
それぞれの隊列の先頭には、婚礼行列の護衛兵長を務めるツァハリアス、辺境王の副官のフォルカー、辺境王妃の私兵長のヨストが立っていた。
彼らの後ろには、彼らの乗ってきた馬が集められていた。辺境王妃の私兵で馬を扱うことに長けた者たち数人が、馬が逃げ出さないよう牧羊犬のように愛馬で駆けまわり、馬たちを一つ所に集めていた。
整然と並ぶ兵士たちの前には、空の木箱が逆さまにして並べられていた。その即席の台の後ろには、辺境王の紋章旗が二流れ。
ウルバンが下手から歩いて来て、台の中央に立った。
ウルバンは編み込みの髪に、清潔な辺境軍の軍服を着ていた。
乗馬服姿のコリーナは台の横に立ち、シシーとギーゼラを従えて、兵士たちを見ていた。
「これより、辺境王殿下による閲兵式を行う!」
辺境王妃の輸送兵長であるアイケが高らかに宣言した。
兵士たちが直立して右手のひらを胸に当て、武人の礼をとった。
「楽にせよ」
ウルバンが命じると、兵士たちは右手を下した。
「すでに知っている者も多かろうが、私が辺境王アロイス・ホーランだ。平民名はウルバン・レミッシュであり、訳あって、この婚礼行列では平民名を使っていた」
ウルバンが言葉を切ると、アイケが「辺境王殿下!」と叫ぶ。続けて兵士たちが「辺境王殿下!」と唱和した。
「アイケよ……。俺はこんな堅苦しいものではなく、気楽な集まりと伝えたはずだが……」
ウルバンのつぶやきは、二度目の唱和にかき消された。
「ここに集う者たちは、我が王妃となるザーランド公爵令嬢の醜聞を耳にしていることだろう。私は数日前に、レミアムアウトの峡谷、三の尾根にて、王妃よりこの醜聞の真相を聞かされた」
冷たい風が強く吹き、ウルバンの背後の紋章旗を揺らした。
兵士たちは微動だにせず、ウルバンの話を聞いていた。
(そうね、醜聞だわ……)
コリーナが皇太子との婚約を破棄したのは、純潔を失った上に狂ったからだという噂に、ここでまた新しい名前がつけられた。
ウルバンはコリーナの噂について説明したくなかったのだろうが、醜聞という言葉はコリーナの心を暗くした。
「私が皇都に行ったのは、軍法会議に出頭するためだった。私は半獣半人に拾われて育てられたため、人間ながら半獣半人の兄が二人いる。その兄の一人が私に睡眠薬を盛り、私の代わりに軍法会議に出た。コリーナ嬢が美しいと褒め称え、婚約したのは、私の兄だ」
人間が半獣半人に育てられるなど、この国の常識では考えられなかった。
軍法会議に身代わりの半獣半人が出席するというのもありえなかった。下手をするとウルバンも身代わりの者も死罪だ。
しかも、皇太子の元許嫁の新しい婚約者は、本当はその身代わりの半獣半人だという。
聞いている者たちも、情報が多すぎて理解が追いついていかないだろう。
「コリーナ嬢が皇帝に助命嘆願をしなかったら、我が兄は処刑されていただろう。私は……、自分の身代わりとして兄が死んでいたら、己とこの国を許さなかっただろう」
ウルバンが言葉を切ると、フォルカーが「ウルバン……」と心配そうに小さな声で呼んだ。
ウルバンはもう一人の兄であるフォルカーを安心させるように、小さくうなずいてみせた。
「この軍法会議の日の朝、コリーナ嬢の身に……、コリーナ嬢が前世と呼び、私が予知夢だと思っている不思議な出来事が起こった。コリーナ嬢は、兄を殺された私が、併合国家ウッタイと組んでこの国を滅ぼし、自ら死を選ぶ未来を見たのだ」
兵士たちの口から、抑えきれなかった驚きの声がもれた。
コリーナは彼らの声を聞きながら、台の上に立つウルバンを見上げた。
(間違ってはいないわ。彼は公平に話している……。でも……)
ウルバンはコリーナの身に起きたことを、前世の出来事だと信じてくれてはいなかった。
「この不思議な出来事の中で、コリーナ嬢はこの国の皇太子の許嫁として、火炙りの刑に処せられるため投獄された。私は私で、これまで辺境で戦ってきたウッタイの兵士たちの憎しみをこの身で引き受けるため、自ら牢に入ったそうだ。コリーナ嬢は、そこで私と出会った」
コリーナの背後で、シシーが「あぁっ!」と小さな声をもらした。
「シシー」
ギーゼラが名を呼ぶことでたしなめた。
「コリーナ嬢は、ウルバンと名乗り、『怒れる魔獣』と呼ばれていた私を半獣半人だと思った。おそらく、他の者たちも『怒れる魔獣』などと呼ばれていたウルバンが、本当は人間のホーラン男爵だとは思わなかっただろう」
コリーナの目にうっすらと涙が浮かんだ。
コリーナが前世のウルバンを半獣半人だと思ったのは、無知故だったが、ウルバンはそこをうまく隠して話をしてくれていた。
コリーナはそんなウルバンのやさしさの中に、前世のウルバンの姿を見ていた。
「心やさしく純粋なコリーナ嬢は、この『怒れる魔獣』とこの牢で恋に落ち、婚姻したそうだ。コリーナ嬢が悪夢にうなされその名を呼んでいた『わたくしのウルバン』とは、この私のことだったのだ」
兵士たちの多くは、近くの者たちの様子を伺ったり、考え込むような表情をしたり、どこか納得していないようだった。
それも当然だろう。『辺境王が自分の王妃となる女の名誉を回復しようとしている』にしても、話が突飛すぎた。
「あの、殿下……」
ヨストがウルバンに声をかけた。
「なんだ?」
「オレはそいつが本当の話だってわかってますがね。他の連中に話すのは、もうちょっと、こう……。普通な感じの話……。例えば、妃殿下はお忍びで街に出て結婚詐欺師に騙された、とか、なんとか……。こう……、もうちょっとばかり、そこらへんに転がっていそうな話にしといた方がよかったんじゃねぇかと……」
ヨストは申し訳なさそうに意見した。
「ヨスト殿の言い分ももっともだ。心に留めておこう」
ウルバンは大きくうなずいた。その様は、寛大な貴族そのものだった。
「なんかちょっと違うような気もするが……、感謝いたします……」
ヨストはウルバンを説得しきれないまま退いた。




