22.わたくしのウルバン(後編)
「辺境王殿下がちょっとおかしいって聞いたけど、どうしたんだい!?」
顔色の悪いツァハリアスが、集まっている者たちのところへと歩いてきた。
「総大将様より、ご自分の心配をしなされ! 横になっててくだされ!」
ボドが必死で言っているが、ツァハリアスはまっすぐにウルバンのところまでやって来た。
「ツァハリアス護衛兵長、心配をかけてすまない」
「たしかにコリーナはそういう感じの君の方が好きみたいだけど、ずっとそんな汚い格好をしているつもりなのかい? 返り血が固まってひどい有様じゃないか」
ツァハリアスにも好みが知られていたとわかり、コリーナは頬を赤く染めた。
「俺にも考えがあったのだが、この作戦は失敗だったようだ」
「そんなことをして気を引かなくたって、コリーナは君を好きだと思うよ」
ツァハリアスがどこか寂し気にウルバンに笑いかけた。
コリーナには、ツァハリアスも他の者たちも、ウルバンがコリーナを好きであることを当然のように思っているのが不思議だった。
今の自分がウルバンに好かれる要素など、なにもないように思っていたからだ。
前世のウルバンも、一目見てコリーナを気に入ってくれた。だが、それは、彼の人生が終わりかけていて、自分の他には彼のまわりに女性がいなかったからだろうと思っていた。
『人生の最後に、こんなに愛らしい女性と出会えるとは……。俺がかつて傭兵をしていたパンデアージェン男爵領は、北方民族との交易の要でな。山賊狩りの最中に、山賊どもが、奪った『ナバ海の真珠』をばら撒いて逃げようとしたことがあったが……。貴女はどこもかしこもあの真珠のようだ』
コリーナのいる牢に連れてこられたウルバンは、牢の隅でうずくまって泣いていたコリーナの頬にそっと触れた。
あの澄んだ空色の瞳が、最初は恐ろしかった。
コリーナが知っていたのは、戦況と共に伝えられる『怒れる魔獣』の凶悪さ。皇帝の命に逆らったホーラン男爵の部下らしい、この国を裏切り敵国ウッタイと組んだ卑劣な男だということ。
コリーナが手を払いのけると、ウルバンは少し離れた場所に座った。
『花でもあれば贈りたいところだが、あいにくとここにはないのでな。代わりに、話をしよう。貴女の心が少しでも安らいでくれると良いのだが』
コリーナの知っているウルバンという男は、陽気で楽しくて、一緒にいると処刑される恐怖すら忘れさせてくれた。
「あの……、ごめんなさい。わたくしにはもう、心を寄せている方が……」
コリーナはウルバンと他の者たちに詫びた。ウルバンは間違いなく、前世のウルバンと同一人物だ。コリーナにもそれはわかっているが、それでも、コリーナにとっては別人としか思えなかった。
コリーナには、自分がウルバンや他の者たちの期待に応えられるとは思えなかった。
「そうだったな。みんなにその話をしなければならなかった」
ウルバンは主要な者たちに山頂への移動を提案し、フォルカーに警備と人払いの手配を命じた。
ウルバンとコリーナ、それに、この婚礼行列の旅で中心的な役割を担う者たちが山頂に到着すると、豪華な幕舎にいたイグナーツとグリゼルダに声がかけられた。
イグナーツとグリゼルダが散策に出ると、豪華な幕舎は辺境軍の兵士たちによって、すぐに撤去された。
なにもなくなった山頂には、ザーランド公爵家の護衛兵によって椅子の代わりの丸太が円型に配置され、即席の会議場が設けられた。
集められた者たちは、それぞれが適当な場所に座った。
ウルバンは集まった者たちに、コリーナから聞いた話を簡潔に説明した。
「それじゃあ、妃殿下の『わたくしのウルバン』ってのは、軍法会議で分岐した人生を歩んだウルバンのことだったってことだろ?」
フォルカーがコリーナを見た。
「そうなるな」
返事をしたのは、ウルバンだった。
「それでは、殿下のなにがお気に召さないのです!?」
ギーゼラもコリーナに訊ねた。
「わたくしが愛しているのは『怒れる魔獣』ウルバン・レミッシュ。そちらの辺境王殿下ではないわ」
「どう違うのです!? 同じ方ではないですか!」
ギーゼラがコリーナとウルバンを見比べた。
「妃殿下、オレにはわかります。なにかを知る前と知った後とでは、別人になっちまうってことがある。そういうことですよね」
ヨストが静かに理解を示した。
ヨストは貴族に仕える半獣半人の私兵、つまり奴隷として生きてきた。その立場で、見たくもないものを見て、聞きたくもないものを聞いたことがあるのだろう。
陰りを帯びたヨストの目が、ウルバンに向けられる。実の娘のように思っているコリーナが愛し、夜ごとその名を呼んでいた『わたくしのウルバン』の姿を、彼に重ねようとするかのように。
血こそ繋がっていないが兄弟として共に生きてきたディートマーを自分の代わりに殺され、怒り狂って国を滅ぼし敵討ちを成した、コリーナに『悲しい魔獣』と心の内で呼ばれた男……。
ヨストは黙って目を伏せた。
「コリーナは辺境王殿下を受け入れた方がいい。言われてできるものなのか、ちょっとわからないけど……。皇帝陛下の勅命による婚姻だし、この世で一番、コリーナの『わたくしのウルバン』に近い男は彼だよ」
ツァハリアスに諭されても、コリーナは返す言葉を持たなかった。
「この国にとっては『軍法会議の結果』が分岐点となったようだが、王妃にとっては『軍法会議の日の朝』が人生の分岐点となっている」
ウルバンが話を続けた。
「ええ、そうですよ。妃殿下がおかしくなったのは、あの朝からですよ」
ギーゼラはコリーナを心配そうに見た。
「そう、朝だ。前夜、眠って、翌朝、起きた。そして、王妃が言うには『火炙りの刑で死んだはずが、時が戻っていた』のだ」
「ああ、そういうことだったのかい……」
ツァハリアスもコリーナを気遣わしげに見た。
「殿下は妃殿下が奇妙な夢を見ちまったと、そう言いたいんでしょう?」
ヨストが確認し、ウルバンが「ああ」とうなずいた。
「夢に匂いなんざ、あるもんなのかね? オレには臭いとしか思えねぇその小汚い軍服に、妃殿下はうっとりとなさってたが」
「国を滅ぼすほど戦った後、身なりも整えないで牢に入ったなら、『前世のウルバン』は、今のウルバンよりずっと汚かったかもしれないけどさ……」
フォルカーが隣に座っているウルバンの匂いを嗅いで、顔をしかめた。
「俺は王妃が予知夢を見たのではないかと思うのだ。予知夢ならば、普通の夢とは違う。匂いや痛みがあるということも、あるのではないだろうか」
「妃殿下は夢で未来をご覧になったのですね! まるで物語の主人公のようです!」
シシーが興奮した様子で目を輝かせた。
「王妃は軍法会議で、俺の身代わりのディートマーを救ってくれた。これにより、俺が怒り狂ってこの国を滅ぼすこともなくなった。これだけでもすごいことだが、さらに王妃は、辺境王との結婚祝いとして、皇帝陛下から『半獣半人の統治権』を貰い受けている」
「だからか……。だから、天馬騎兵が襲ってきたんだね。妃殿下が無事にカーマレッキスに到着して、辺境王殿下と婚姻したら、辺境王領カーマレッキスは半獣半人のための自治領になることができる」
ツァハリアスが大きく息を吐いた。
「あまり興奮しなさるな。また熱が高くなる」
隣に座るボドが、ツァハリアスの背中をさすった。
「王妃は『半獣半人の統治権』を持って、どうしてもカーマレッキスに行かなくてはならないと考えた。そこで、『金杯王城の宝』ツァハリアス殿に婚礼行列の護衛兵長を頼んだ」
ウルバンがそう説明すると、ツァハリアスが「そうだったのか……」とつぶやいた。
「王太子派は皇帝が僕を襲おうとしていると思ったのか……。皇帝がわざわざ、純潔を失って狂って、皇太子との婚約を破棄した令嬢を襲おうとするなんて思わない……」
「なるほどな。騎士殿は皇帝領対策だったってわけか。天馬騎兵とザーランド侯爵は襲ってきたのに、あちらこちらにある皇帝領からは一兵も来てねぇのはおかしい」
ヨストの言葉に、ウルバンがうなずいた。
「そのあたりについては、俺よりヨスト殿の方が詳しいのではないか?」
「そうだな。皇帝領駐屯兵が婚礼行列を襲うには、ポーリ家やグリッシュロップ家、ポーリ子爵の嫁さんのベファレ家、グリッシュロップ公爵の嫁さんのリフォルニア家の一族の領地を通るしかねぇ。あいつらの頭の中じゃあ、騎士殿は金杯王太子を経て帝位について、あいつらの意のままに操られる予定だからな。絶対に死なれるわけにはいかねぇ。たとえ皇帝領駐屯兵を、自分たちの私兵で迎え撃ってでもな」
ヨストが説明すると、ツァハリアスが苦し気に大きなため息をついた。
ボドが心配そうにツァハリアスの顔をのぞき込んだ。
「利用してごめんなさい、ツァハリアス……」
コリーナが小さな声で謝ると、ツァハリアスもまた小さな声で「いいよ……」とだけ答えた。
「貴族の婚礼行列の護衛兵長ってのは、見栄えの良い男が花嫁を先導するってだけで、実際は護衛なんて荒事はやらねぇもんなのに」
「そんなこと忘れてたよ……」
ツァハリアスが力なく笑った。
「皇帝陛下は妃殿下に『半獣半人の統治権』をお与えになる前から、妃殿下を殺めるおつもりだったはずですよ。この国で唯一の、兵権だの皇家の血筋だのをお気になさる立場のお方ですからね」
ギーゼラが吐き捨てるように言った。
「なるほどな。どうせ殺すつもりの相手だから与えた、というわけか……」
ウルバンはうつむいているコリーナを見つめた。
即席の会議場に沈黙が落ちた。
野営地では朝食の準備が進められているのだろう。風に乗って野菜や肉が煮込まれている良い香りが漂ってきた。
「貴女が『わたくしのウルバン』と呼ぶ俺は、貴女になにを教えたのだ……」
ウルバンに問いかけられ、コリーナはびくりと身体を揺らした。
「いや、違うか……。貴女は自ら学んだのだ。愛する相手の願いを叶えるために」
ウルバンは静かに言った。
伝令兵のロミーが朝食の用意ができたことを知らせに来て、この朝の会議はここでお開きとなった。
他の兵士たちには、辺境王と辺境王妃について、近いうちに説明会が開かれるという通達が出された。




