鬨の声
こみあげる笑いをこらえることができなかった。
兵士らに担がせた輿に揺られながら、ミオツヒメ……否、トミノフツクミの使役であるアケネクラは、たまらず、弾けるような笑い声を上げた。
「なんだ?」
狂気じみた哄笑に、先を歩くカギロイオキミが眉をしかめる。
「気が違ったか、あの女」
(莫迦め! 気が違ってなどいられるか!)
だが、アケネクラは笑いを止められない。
これが、笑わずにいられるか、という気持ちである。
待ちに待った、待ちに待ったこのときである。
目障りだった高慢なあの女……タノウエヒメを、とうとう黄泉送りにしてやった。それも首を飛ばし、その首を踏みつけ、鼻が潰れるほどさんざんいたぶってやった。
それだけじゃない。
あの女も、あの女の周りの目障りな取り巻きどもも、みんな死んだ。殺してやった。
イスズヒメとかいうあの物知らずな女も、いまごろ兵士に嬲られ、殺されているに違いなかった。
目のぎょろぎょろした、とりわけ粗暴なあの男の耳に「あの気取った女を隙をついて奪ってしまえ、姦したあとは埋めてしまえばいい」と囁くだけでよかった。
(みんな死んだ! なんということだ、こんなにも早く……)
アケネクラは腹を抱えて笑い転げた。
(………私がマキムクの大巫女になる日がこようとは!)
こんなことならもっと早く、カギロイオキミを焚きつけて、皆殺しにせしめればよかった。
ひとりひとり、確実に命を奪うために毒草をまぜた餉であらかじめ弱らせ、新月の夜を選んで縊り殺し、血を抜くために手足を斬り落として吊るす。
なぜ、このような手のかかることをするかというと、確実に命を奪うためであり……トミノフツクミの命であるからなのだが———……
しかし、もう知ったことではない。
これまで正体を知られぬために、姿形も、言動もつつしんできた。怪しまれぬために細心の注意を払ってきた。だが、それももうオシマイだ。
新月の晩に一人ずつ殺す、というトミノフツクミの命を違えることにはなるが、しかし、もうどうしようもあるまい。
(なぜならもう、殺す巫女がいないからだ……!)
アケネクラは、叫び出したいような開放感に酔いしれた。
……兵士らがこの出兵を知らされたのは、今朝早く。
昨夜は夜更けまで酒盛りしていたため、深酒した者は行軍どころではなかった。
それに加え、士気はどんよりと下がりぎみである。
それというのも。
将軍カギロイオキミによる、唐突に発せられた命令である。
『ヒメの宮の巫女らを皆殺しにせよ。巫女だろうが、奴婢だろうが赦すな。一人残らずすべて戮しつくせ』と。
この命令は、兵士らにとってみれば、まさに寝耳に水であった。
この荒唐無稽な下命に戸惑った。巫女を皆殺しにするなど正気の沙汰とは思われなかった。しかし考えている暇はない。つづけざまに次の命令がくだった。
『この命に怯むものも、同様に殺す』と。
あまりの妄言に、ある兵士は将軍をさして「ご乱心か」と笑った。
とたんに将軍は剣を抜き、手ずからその兵士の喉をまっすぐ刺し貫いた。
その兵士が血を噴きあげながら仰向けに斃れると、それっきり、ほかにだれも命令に背く者も、軽口を叩く者も、いなくなった。
———そして敢行された、ヒメの宮の殺戮。
ヒメの宮の巫女、従婢、下仕え……みな、問答無用で殺した。
いくら将軍の命とはいえ、いくら無法者ぞろいの兵士らとはいえ、この殺戮はあまりに……惨かった。
その流れからの、今である。
兵士の間には、巫女を皆殺しにしてしまった罪の意識と、身体にしみついて取れない血の飛沫の匂い、そして二日酔いの胸苦しさとで、なんともいえない空気が漂っていた。
愉快そうに笑っているのはアケネクラのみであり、それは真に、気味の悪い光景だった。
ヒメの宮の巫女らを殺し、その後、兵士らは「どこへ向かう」とも知らされぬまま、将軍の命じるままにマキムクの宮を出、行軍をはじめた。
しかし次第に、兵士らの心の内にざわざわした戸惑いが浮かび始める。
この道の先には、マキムクの王、ウマシマジの宮殿があるのだ……
「これより敵の首を討ち取りにゆく! わが軍に与せぬ者はすべて殺せ! 女も子どももことごとく殺し尽くせ!」
マキムクの宮を出るまえ、将軍はそう言挙げしたのだが、『敵』とはもしや、ウマシマジ王のことではあるまいか……———
しかし兵士らにそれを確かめる術は、ない。
わずかな問いでもさしはさめば、どのような『勘気』を被るかわからない。
勘気を被るだけならばよい。下手をすると首が飛ぶことになるやもしれぬからだ。
そもそもカギロイオキミは、口数の少ない男であった。
裏を返せば、何を考えているかわからない性格であり、それゆえに近くに侍る者もまれであった。
いや、カギロイオキミ自身が他者を遠ざけていた。
下臣もおかず、側人もつけず、身の回りの世話をする仕丁すら近づけぬ。
軽口を叩いて、とるに足らない自分の出自を周囲に悟られたくないためであったが、次席の者をむやみに置けば、そやつに己の地位を奪われるのではないかと危ぶんだためだ。
それゆえ、カギロイオキミは人を遠ざけた。そして、カギロイオキミの近くには人が寄り付かない。
そう、ときどき気まぐれのように交合うミオツヒメよりほかは。
しかしいまは、それが奏功した。
カギロイオキミのこの異様な行軍に、いまや誰一人、異論を挟むものがいなかった。
いや、異論を挟もうにも挟むすべがない、といえる状況であった。
マキムクの宮と、ウマシマジの宮殿はさほど遠く離れてはいない。
どんなにのろのろと行軍しても、日が中天に達するころには垣根に聯ねた青竹の美しいウマシマジの宮殿に到達してしまった。
「みよ! あの豪奢な宮殿を。われら下積みには鄙びた破れ宮をあてがい、王は玉を散りばめたきらぎらしき宮に住み、肉を食い、酒を飲み、女を抱いている!」
カギロイオキミは、王を糾弾した。
たしかに、ウマシマジの宮殿はマキムクの宮とは比べ物にならぬほど美しく、堂々としていた。
「……——そうだ!」
カギロイオキミの糾弾に、味方から小さく、賛同の声があがった。
実際に、兵士らの装いは破れた衣褌をひきずり、擦りきれた沓をはき、武具さえ揃わず、折れた石斧や鍬を持つ者もいた。
「我らを軽んじ、腹がひもじいまま戦へ征かせる王などいらない。そんな王はいらない! そんな王は討ち取ってしまえ! くさぐさの財宝はすべて奪い尽くせ!」
「そうだ!」
賛同の声が大きくなった。
これまでの低調だった士気が、あきらかに変容した。
「王の首をとれ! 王を殺せ! 鬨の声を上げろ!」
思惑があたった。カギロイオキミはうっすらとほくそ笑んでいた。
割れんばかりの鬨の声が、ウマシマジの宮殿を取り囲み、圧迫したのだ。
「まてー! やめろー!」
そこに飛び込んでくる声。
すさまじい勢いで駈けてくるフツ……——その背に負われ、叫びながら手を振っているのは、サヒであった。
もぬけの殻だったマキムクの宮から、兵士たちがどこへ向かったのか、フツの野生の嗅覚でもって匂いをたどれば行き先はすぐにわかることであった。
しかし、サヒの声では届かない。
士気があがり、矛を打ち鳴らし、怒号をあげつづけている野太い男どもの声にかきけされ、こちらに目を向ける者などひとりもいない。
「サヒ、あれだ。《《あれ》》、狙うぞ。振り落とされるなよ」
フツが言った。
サヒにはフツがなにを指して言っているのか、すぐにわかった。
サヒは、ひたすらに走り続けるフツの背から振り落とされないよう、しっかりとその首にしがみついた。
フツの手には、鮑貝ほどの大きさの石塊が握られている。
フツはサヒを背中に負ったまま、ひた走る足を弱めることなく狙いをさだめ、目にもとまらぬ速さでその石を投げた。
……狙いは、兵士らの頭上に立つ松の巨木。その上つ枝にぶら下がる大蜂の巣——
その一点。
息詰まる無音のあと。
ざんっ!
小気味よい音とともに、大蜂の巣にみごと命中した。巣のまんなかにぼっそりと大きな穴が空いた。
驚いた大蜂が、つぎつぎに巣から飛びだしてくる。
「もう一度だ!」
手の上で石塊を跳ねさせながら、愉しげに、フツが言った。
そして次は、はるか上空を狙って石を放り投げる。
大きく弧を描いた石は上空で向きをかえ、まっすぐに落下し、大蜂の巣の根本に命中した。
巣は支えを失い、崩れながらごっそりと下に落ちていった。
松の木の下にいる兵士らは、突然の大蜂の来襲にあわてふためいた。
落ちた巣から次から次へとでるわでるわ……蜂たちは煙が立ちのぼるように宙を舞い、兵士らの目といわず鼻といわずさんざんに刺し懲らしめた。
フツは立ち止まり背からサヒをおろすと、その痛快な光景に、たまらず腹を抱えて笑った。




