謀略(たばかり)
「トマノヒメはどうしたの?」
サヒの問いかけに、はじめてその名を思い出したかのようにタケヒトは目をしばたたいた。
「え、知らん。……マキムクにいる」
「マキムクに置いてきたの!?」
「そうだよ?」
タケヒトには、急に怒りだしたサヒの気持ちはわからない。
「あの方は、足が萎えてひとりで立てもしないのに……そんなことあなたにだってわかるでしょ!」
食ってかかるサヒにタケヒトはムッとした表情をした。
「そんなこと、しらねえ」
本心である。
サヒが無事であれば、ほかの女がどうなろうと気にはならない。
「しらねえじゃないわよ!」
サヒの直感が騒いだ。
足萎えた女をひねり殺すことなど、わけもないことに違いなかった。
「鎮まれ、サヒ!」
タケヒトはいまにも駆けだしそうなサヒの腕を掴み、おしとどめた。
(これが鎮まってなどいられるか!)
サヒはその手を振りほどこうとした。
………そのとき。
サヒの耳のすぐそばで、ひゅんっと風が唸った。
ヤマヒコの家先に立てかけてあった石斧……その刃先がこちらめがけて飛んできたのだ。
いや正確には、サヒの腕を掴んでいるタケヒトめがけて……という方が正しいか。
「あ……っぶねえ!」
すんでのところで身をかわすタケヒト。
フツは、顔色ひとつ変えず、飛んでいった石斧を拾いあげた。
「お前、なにをする!」
タケヒトは怒鳴りつけた。
ひろった石斧をだらりとさげ、無言で睨みつけるフツ。
「フツ?」
サヒは思わず進みでて、フツとタケヒトのあいだに割って入った。
フツは目をそらす。
しかしサヒは彼の目が、一瞬、鋭く光ったのを見た。
……なにか憎悪に近い、昏い光。まるで狼のごとき鋭い目だった。
「……サヒ、行くのか?」
フツが問うた。
(怒っている?)
フツの声はどこか怒りを含み、いつも以上にぶっきらぼうだった。
「…………―」
サヒは答えあぐねていた。
どうする?
マキムクに戻らねばトマノヒメの命が危うい。
(いや、もはや手遅れかもしれぬ……)
一瞬、いつか見た吊るされた遺骸が脳裏をよぎり、その不吉な想像を振り捨てるように首をふった。
だがサヒの腕の中には、古布に包まれた鈍玉がある。
ヤマヒコのいうようにこれを春日の社に持っていくべきだという気もした。
いますぐにでも。
なぜなら。
(この鈍玉が、母の御霊の依代となるようなものに形を変えることができれば……)
その力をして、あの荒れ果てたマキムクを、ふたたび巫覡が集う斎庭へと生まれ変わらせることができるかもしれない……
そんな思惑も、サヒの中には生まれていた。
(どうしたらいいの………!?)
敵同士のごとく対峙した二人に挟まれ、サヒは頭を抱えた。
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板戸のすきまから薄日がさしているのを、綾垣のこちらからぼんやりと見ていた。
外は雲が立ちこめ、いまにも雨がふりはじめようとしている。
(雨が降る前には戻って、湯で身体を流したいけど、まだ湯が残っているかしら)
「ん………っ!」
ミオツヒメは白い背中を弓なりにし、下につきでた男根を思いきり奥まで押し込みながら、頭の片側ではそんなことを考えていた。
雨の日には、だれもが湯を使いたがるからだ。
「ぐっ!」
突然突き上げられ、カギロイオキミは迸りそうになる気を堪えた。
ミオツヒメの白い腕を掴んでひきよせ、身体を反転させて床に押し付ける。そして雄犬のような素早さで腰を振り、ひといきに頂点まで登りつめた。
波打つ男根、空白の時間、そして脱力。
ずるりと抜け落ちるしぼんだ「それ」を女陰で感じつつ、ミオツヒメはただ「退屈だな」と思った。
◆ ◆ ◆
「吊るして」
見るのも汚らわしいといったふうに死んだ女に背を向けて、ミオツヒメは駆けつけたカギロイオキミにそう命じた。
血まみれの、無惨な死体が転がっている。
その死体はなにかにすがりつくように、うつ伏せに手を伸ばし、息絶えていた。
もう動かなかった。
「お前が殺ったのか?」
「いいえ、自分で死んだのよ」
カギロイオキミの問いに、ミオツヒメは早すぎるほど早く、そう答えた。
足で蹴り転がし、顔を見ると、どこかで見た巫女の顔だった。
「追い詰められて自ら喉を突いて死んだ。小刀を隠し持っていた。どこぞの豪族の間者だったのかもしれないわね。みせしめにちょうどよい。手足を斬り落としてから、吊るして」
ミオツヒメは童顔に似合わず、容赦なくそう言い放った。
(女はわけがわからない。……わかりたくもないが)
カギロイオキミは肩をすくめるようにしてそう思ったが、女のいうとおりにした。
血を見たあと、血がざわつくのは女も同じなのか、先にさそってきたのはミオツヒメの方だった。
(いや、いつだってこの女のほうから仕掛けてきた)
有無を言わさず藁小屋に連れこんで、下帯の紐を解くのももどかしく、ミオツヒメは『ふぐり』にしゃぶりついた。
◆ ◆ ◆
吹きこむ風が、綾垣をゆらしていた。
「寒い」
粟だった肩を両手で抱くようにして、ミオツヒメは呟いた。
急に、しおらしいのである。
「着ろ」
そのむきだしの素肌に、カギロイビコが襲を投げてよこす。
しかしそれは襲などではなく、苧麻でできた粗衾だったので、ミオツヒメはそれを思いっきり相手に投げ返した。
かわりにカギロイビコのウサギ皮の肩当てをふんだくって裸体にまきつける。
「寒いっていってるでしょ?」
この男は、共寝の相手になぜこんな仕打ちができるのか。
(それでなくたって………)
なんの取り柄もないただの匹夫に、黒鉄造りのよろいを着せ、太刀を佩かせ、ありもしない戦績で飾りたて、将軍としての体裁を繕ってやったのは、誰の努力だと思っているのか。
むろんすべての指示は、トミノフツクミから発せられたものではある…、が。
(私だ。実際に手をかけ、かしづいてやったのは)
そういう腹が、ミオツヒメの中にはある。
もっと私をうやまえ、と思っている。
「ね、え」
ミオツヒメはウサギの肩当てをたくし上げるようにしながら、肩を内に入れ、わずかに白い胸元をのぞかせる。
「これからどうするか、あなた、もう決めてるんでしょ?」
……―これから、どうするか?
果てたばかりのカギロイオキミには、けだるい質問であった。
「知るか」
カギロイオキミに答える気がないことを見て取って、ミオツヒメは鼻をならしてそっぽを向いた。
このまま。
いつまでもこのままこうして遊んでいることなど、できない。できるはずもないことはカギロイオキミ自身がよくわかっていた。
ここから目と鼻の先まで、敵軍は迫っている。
「白庭から報せは届かぬのか」
カギロイビコは、ミオツヒメに尋ねた。
シラニワとは、ニギハヤヒの大王が政治を執るところである。
ニギハヤヒはマキムクに駐留する軍にどうせよと命じているのか。引くのか、もしくは圧すのか。
「圧すに決まっているじゃない」
ミオツヒメはにべもなく言った。
つまり、退却はゆるさない。敵にむけて進軍しろということだった。
「その代わり、戦に勝てば左大臣の腹心に取り立ててやるって、そう言っているそうよ」
「誰が?」
「ニギハヤヒの大王に決まっているでしょ」
「………………」
カギロイビコは沈黙する。
本当だろうか、という疑いが頭をもたげる。そもそもなぜこんな小娘がそんな大切なことを伝言してくるというのか。
「勝てば」とたやすく言うが、はたして勝算があるかどうか。
マキムクの辺境に差し向けられたこの軍は、箱を開ければ罪人や食いつめ者の集まりで、みなものの役に立ちそうもない輩ばかりだった。
もう、三月にもなるか。敵軍の将軍は堂々たるヤマト入りを果たした。
聞けば、船でやってきて、あの険しいクマノの深山を幾日もかけて越え、さらに宇陀のウカチをほろぼし、電光石火、葛城の土蜘蛛をほろぼし、磯城のシキヒコの息の根を止めた。
我が物顔で磐余邑の砦を占拠し、みずからイワレビコを名乗り、そのうえ大胆不敵にも単身乗りこんできて、マキムクのウマシマジ王と内々に面会したというウワサさえあった。
このとき酒に酔わせれば、いくらでも敵将を討ち取る機会はあっただろうに、ウマシマジはそうしなかった。
「ウマシマジのジジイがイワレビコ側に味方た、とすると?」
………どうなるのだ?
もともと将軍でもなんでもなく、その素養もないカギロイビコには、これからどうなるのか皆目見当もつかない。
「めんどうくせえな。いっそ、ウマシマジのジジイを殺して、オレがウマシマジに成り代わるか?」
「え?」
独り言を聞きとがめ、ミオツヒメが眉をひそめる。
いや、まてよ。妙案かもしれぬ。
オレとウマシマジでは、歳も外見も全く違う。
だがウマシマジを弑した後、臣や奴婢を皆殺しにするか、目玉をくり抜いて放逐せしめれば、だれもオレがウマシマジでないなどと言う者はいなくなるではないか。
イワレビコなどという他所者を始末するのはその後でも遅くはない。いや、むしろその後のほうが謀略を巡らせやすいというものだ。
むくむくと雲が湧きたつように、絶えかけていた野心が勢いづきはじめた。
「こっちへこい、もう一度抱いてやろう」
そういうなり嫌がるミオツヒメを組みしき、もういちど姦した。




