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♂転性してもエアラインパイロット♀  作者: 月隠優
第一章 パイロット復帰

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4話 相棒

「はい! おつかれ様でしたー」


 監査官が、奏の身支度が整うのを待ってから、いつもの軽い調子で声をかけた。

 あまりにも普段どおりの挨拶で、さっきまで片肺火災だの緊急帰投だのをシミュレーターでやっていたことが、少しだけ嘘みたいに思える。


「ありがとうございます。今日はこれだけですか?」


 奏がそう返しながら視線を横へやると、隣のフルフライトシミュレーターの箱体が大きく揺れていた。

 あそこまで振られるのは大抵ろくでもない事態だ。ウインドシアか、着陸やり直しか、それとももっと単純に操縦が追いついていないのか。

 おそらく中の人は半泣きである。


「ええ。特に他に用がなければ、今日はもう帰ってもらって大丈夫です。操作に危ういところもなかったですし……。監査が通るかは身体検査次第でしょう。何か気になることでも?」


「いえ、大丈夫です」


 奏は深々と頭を下げて、監査官を見送った。

 向こうは向こうで忙しいのだろう、振り返りもせず次の業務へ向かっていく。


 静かになった廊下のガラスに、自分の姿がぼんやり映った。

 縮んでしまった体。

 前よりずっと細い肩。

 綺麗で、華奢で、まだ完全には見慣れない手。


 奏はその手をぐっと握りしめる。

 これはガッツポーズなのか、それとも不安を押し込めるための動作なのか、自分でもよく分からなかった。

 ただ、少なくとも今のシミュレーターの中で、自分はまだ飛行機を飛ばせた。

 その事実だけが、じんわり胸の奥に残っていた。


 ロッカーにしまってあったフライトバッグを片づけていると、隣にさっき一緒に監査を受けた後輩がやってきた。


「先輩、お疲れ様です」


「うん、おつかれ。やっぱ場数って大事だね。あんなにもたもたしてた訓練生が、緊急時の対応もこんなに立派になっちゃって」


「いえいえ、先輩がしっかりしてたからこそできることです。やっぱり……“本当に”先輩なんですね?」


 その“本当に”のところだけ、後輩は妙に慎重に発音した。

 気を遣っているのか、まだ半信半疑なのか、その両方なのか。


「そうだよ。まだ信じられない?」


「信じる信じないっていうより、あまりに現実的じゃないというか……」


 後輩がそろそろと奏の顔を覗き込もうとする。

 奏は口角を上げて、自分の頭をトントンと指差した。


「私のここにはちゃんと、君と初めての福岡便の記憶がバッチリ残ってるよー」


「あゎぁゎぁー! その話はオフレコです!」


 後輩は急に姿勢を正した。

 ここまで綺麗に反応してくれると、からかい甲斐がある。


「あははは、忘れないよー」


「お願いですから忘れてください。先輩、仕事いつからなんですか?」


「まだわからない。身体検査通ってるかもわからないし、そっちは?」


「明日は午後スタンバイで、明後日はロスです。先輩、この後一杯どうっすか?」


「シミュが夜だったからか、昨日パリだったからかは知らないけど、今まだ真昼間だよ」


「あれぇ?」


「ごめんね。今日は先約があるの。しばらくこっちフライトないから、そっちの都合がいい時に連絡してよ」


「わかりました。じゃあ四日後まで我慢します」


「奢ってね。私、今無職だから」


「貯金は俺の数倍ありそうですけどね」


「「ははは」」


 笑いながら別れる。

 こういう、どうでもいいようでどうでもよくない会話が、少しだけありがたかった。

 特別扱いしすぎず、でもちゃんと気にかけてくれている。その距離感がちょうどいい。


 荷物をまとめて訓練施設を後にする。

 更衣室で制服から私服に着替え、ロビーへ戻ると、知人がスマホ片手に柱にもたれていた。


 スケジュールの確認でもしているのだろうか。

 奏はわざと声をかけずに近づき、そっとスマホを覗き込む。


 画面は真っ暗で、反射した知人の顔だけが映っていた。


「おお、遅かったな。その、なんだ……一か月ぶり? だよな?」


 気まずそうに振り返る。

 一か月ぶりに見る相棒の変わった姿に、やはりまだ目の焦点が少し合っていない。


 遊馬拓也。

 訓練生の頃からの同期だ。


 同い年ではあるが、見た目はとても若く、四十六歳には見えない。

 髭もちゃんと剃られていて、髪型もきっちり整っている。

 第一印象は“中学の理科の先生かな?”であり、二十五年近く経った今もその面影は残っていた。


 長い時間一緒に過ごしてきただけあって、私の姿を目の前にしても、完全には割り切れない様子だ。

 それは分かる。


 実際、怪我をしてから会うのは三週間ぶりで、連絡はしていたが文字だけだった。

 実物を見ると、それなりにショッキングなのだろう。

 スケジュールが上手い具合に合わなくて、会うのが今日になってしまった。


「この姿で会うのは初めてなのに、なんで俺だってわかったの? 」


「めっちゃうわさになってるしな。しかもやることと目がまんまお前」


「目? てか拓也、普通もっとがっつくよな。覇気がないというか……まさかもう既にやらかした?」


「……」


 その沈黙で察した。


 赤の他人にでも「久しぶり!」と声をかけたのだろう。

 やっちまったな。


 気まずそうなのはそれが原因らしい。

 拓也は音を立てて手帳型ケースを閉じ、スマホをポケットに流し込んだ。


挿絵(By みてみん)


「そういえば今日、なんでわざわざここに? 家集合でよかったじゃん」


「あー、一昨日傘忘れて。結構いいやつだから」


 キャリーケースの上に無造作に置かれた、丈夫そうな折り畳み傘を指差す。

 どうやったら折り畳み傘を忘れるのだろうか。しかも訓練施設に。


「奏こそなんだよ、その格好。もうちょっとマシな服選べなかったのかよ」


「あー、ユニ〇ロで適当に選んだから。時間なかったし。あと一応、知り合い以外には奏かなでで通してるから」


「ふーん。なら、奏の家行く前に時間あるなら服選びに行こ」


「えー、いいよ。めんどくさいし金かかるし」


「はいはい、元気になった祝いで数着なら奢ってやるから、さっさと来い。車の鍵ここかなー」


 拓也は奏のリュックのチャック付きポケットに手を伸ばす。

 さすが腐れ縁。鍵の位置は御明答である。


「拓也、今日何で来たの? バス?」


「いやー、十一時から訓練入ってた知り合いと一緒にタクシー」


「ほんと要領いいな。で? その鍵どうするの?」


「車借りるぜ。どうせ免許の写真も変わってないだろうし、何より俺が運転してた方が外見普通だろ」


「そんな室内ジロジロ見るかなー? まあいいや。めんどくさい事なっても嫌だし」


「どうせ店寄らずに家直行するだろうし。そういえば免許の写真とかどうするんだ?」


「多分、整形した時と同じ手順でなんとかなるんじゃないかな? 多分……」


「多分? まあいいや。とにかくさっさと行くぞ。俺、今日夕方からスタンバイだし」


 拓也は普通に駐車場へ向かって歩いていく。

 こっちは早足じゃないと追いつけない。


 少し前までは俺の方が身長が高かったのに、今では概算二十五センチ差。

 もはや親子である。


「ちょっと待てって。お前いつもそんな歩くの速かったっけ?」


「いや、前からこれくらいだろ」


「絶対違う。今の私の足が短くなっただけだ」


「自分で言うなよ」


「事実だろ」


「事実でも言っていいことと悪いことがある」


「じゃあ親子とか言うなよ」


「見た目だけな」


「余計ひどいわ」


 奏は半分文句を言いながらも、その背中を追いかけた。

 拓也の歩幅に合わせるのは少し腹立たしい。

 でも、その腹立たしさが妙に懐かしくて、少しだけ安心もした。

次回は拓也と買い物です。

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