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♂転性してもエアラインパイロット♀  作者: 月隠優
第一章 パイロット復帰

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3話 奏とパイロット

風呂から上がって病室へ戻ると、入り口のところで看護師が大きな袋を抱えて立っていた。

 奏の姿を見るなり、ほっとしたように表情を緩める。


「奏さん、これを」


「……なんですか、これ?」


 差し出された紙袋は、見覚えのあるサイズだった。

 服がいくつか入る程度の大きさ。だが、それだけじゃない気がする。


「たしか、なんとか春樹さん? って方が、あなたにって」


「……っ!!」


 思わず袋をひったくるように受け取ってしまった。

 看護師が少しだけ目を丸くする。


「一応、あなた今は精神的に不安定ってことで面会禁止なんですよ。だから断ろうと思ったんですけど、服くらい渡させろって聞かなくて」


 精神的に不安定。

 何その雑な評価。いや、否定はしづらいけど。


 ……それよりも。


 春樹から、だと。


 胸の奥が一気にざわつく。

 あの事故のあと、春樹はどうなったのか。会社はどう処理したのか。俺はどういう扱いになっているのか。

 知りたいことは山ほどある。


「それじゃ、渡しましたからね。何かあったら呼んでください」


 看護師が去っていくのを待つのももどかしく、奏はすぐに袋の中身をベッドの上へぶちまけた。

 Tシャツ、下着、適当に突っ込まれたらしい衣類、タオル。

 その中に見慣れたジーンズがあった。


「……あった!」


「何があったの?」


 晴美が隣のベッドから顔を覗かせる。

 奏はジーンズのポケットから取り出したものを、これ見よがしに掲げてみせた。


「スマホです」


 有馬奏のスマホだった。

 見慣れたケース。見慣れた小傷。

 間違いない、自分のだ。


 少しドヤ顔で見せたのだが、晴美はいまいちピンと来ていない顔をしている。

 そりゃそうだ。スマホを見つけたところで、事情を知らない人には感動のしどころがわからない。


「ここって、ネット使っても大丈夫ですよね?」


「大丈夫なはずやけど、何するとね?」


「これといって決まってるわけじゃないですけど……とりあえず、知り合いに連絡取ります」


 当然ながらFace IDは反応しない。

 まあ、今の顔は有馬奏じゃないのだから当然だ。少し腹が立つ。

 パスコードを打ち込むと、あっさりホーム画面が開いた。

 バッテリーも満タンに近い。

 春樹、気が利くじゃないか。


 それから二日後。

 最後の血液検査に問題がなければ、退院していいと看護師に告げられた。

 医師は相変わらず無愛想で、カルテを閉じながら一言だけ残した。


「半年に一回はこの病院に来い。診てやる」


 それだけ言って、さっさと部屋を出ていく。

 診てやる、って言い方はどうなんだ。もう少しこう、患者の不安を和らげる言い回しとかないのか。

 だが、この病院の中ではあの医師が一番、今の異常を異常として認識している気もした。


「退院おめでとう。また寂しくなっちゃうねぇ」


 晴美が病院の庭先に立ちながら言った。

 視線の先には、葉桜になった桜の木がある。

 病院の正面と横には緑が多く、簡単な散歩コースのようになっていた。その一角に小さな広場があり、ベンチが置いてある。

 奏たちはそこに並んで座っていた。


「ありがとうございます。亜由美さんも、服ありがとうございました」


「いいのいいの。それよりプリン持ってきたの。食べる?」


「食べます」


「即答ね」


 亜由美が笑いながら、コンビニのスプーンと一緒にプリンを渡してくる。

 三人で並んで食べるプリンは、病院食の薄味に慣れた舌には衝撃的なうまさだった。


「うま……」


「でしょ?」


「これ、退院祝いって感じしますね」


「プリンで?」


「プリンでです」


 晴美がくすくす笑う。

 たった数日なのに、この二人と一緒にいる時間は妙に居心地がよかった。


「奏ちゃん、いつまでいるの?」


「昼に結果が出て、問題なければ夕方には知り合いに迎えに来てもらうつもりです」


「そう。ほんとに寂しくなっちゃうわねぇ」


 晴美の言葉は冗談めいていたが、本気でもあった。

 奏も少しだけ視線を落とす。

 数日前まで他人だった相手と、こんなに自然に話せるようになるとは思わなかった。


「そういえば晴美さんって、どうして入院してるんですか? ぱっと見、そんなに悪そうに見えないですけど」


「ああ、膝がちょっとね。歩けないわけじゃないんだけど、手術しないとこの先だんだん痛みが強くなるらしいの」


 晴美は自分の膝を軽く叩いた。


「実は明日が手術の日でね。今日は亜由美にも来てもらってるの」


「そうなんですね」


 奏は少し考えて、それから頭を下げるように言った。


「その……頑張ってください。そしたら、やっぱりパリに行ってほしいです」


 晴美は困ったように笑う。


「それはまた難しいお願いねぇ。大丈夫。別にもう、悔いはないわ」


 その言い方が、妙に引っかかった。

 悔いがない、という言葉は、聞く側からすると少し怖い。


 その時だった。

 駐車場のほうに、見慣れた制服が見えた。


 濃紺のジャケット。見慣れた立ち姿。

 荷物を車から下ろしている男。


 春樹だ。


 心臓がどくんと大きく鳴った。

 来た。


「……ちょっと、いいですか?」


 奏はポケットからスマホを取り出し、二人にそう声をかけた。


「いいわよ、どうしたの?」


 返事を聞くより早く、春樹へ電話をかける。

 数コールで繋がった。


『もしもし、春樹?』


『……そうですけど。え? あれ? これ有馬さんの携帯ですよね?』


『そうだよ。私が有馬』


『あ! 分かった。最近流行りの女声ってやつですか。いつの間にそんなの習得してるんすか? で、今どこですか? ちょうど着いたところなんですけど』


『七時の方向』


『……見えますよ。ベンチに座ってる三人組……あ、今手上げましたね』


『そこに来て』


 そのまま通話を切る。

 春樹がスマホを見下ろしたまま、じわじわこちらへ歩いてくる。足取りは明らかに警戒していた。

 そりゃそうだ。知らない女の子が有馬のスマホで電話してきたら、警戒しないほうがおかしい。


「あの人、パイロット……? なんかこっち来てない?」


 亜由美が先に気づいた。


「ほんとね。どうしたのかしら」


 晴美も首を傾げる。

 奏は一度だけ深く息を吸った。


 腹を括る。

 春樹に、自分が有馬奏だと告げること。

 そして、もう一つ。


「晴美さん」


「ん?」


「この前、私が飛ばす飛行機なら乗ってみたいって言いましたよね」


「ええ。運転手があなたじゃない飛行機には、正直あんまり乗りたくないわ」


 だいぶ物騒な信頼の置き方である。

 でも、今はそれでいい。


「半年後後」


 奏ははっきりと言った。


「晴美さんが退院したら……パリに行きませんか?」


「こんにちは、あの、すみません。有馬……さん?」


 ちょうど春樹がベンチの近くまで来ていた。

 右手で引いているのは、奏のフライトバッグだ。

 あのバッグには財布や社員証も入っている。

 つまり、今ここで自分を証明できる。


 奏はバッグから社員証

 そして晴美へ差し出す。


「黙っててすみません」


 声が少し震えた。

 だが最後まで言い切る。


「私、日本AIRでパイロットをしています。有馬奏――いや、今は有馬奏ありまかなでです」


挿絵(By みてみん)


 名刺には、以前のままこう書かれている。

 787運航本部 機長 有馬奏


 春樹と亜由美の顔が、見事なくらい固まっていた。

 晴美だけがきょとんとしている。


「いつか私の訓練が終わって、晴美さんが問題なく歩けるようになったら」


 奏はまっすぐ晴美を見た。


「私がパリまで飛ばします。無理にとは言いません。でも、乗ってくれませんか?」


 しばし沈黙。

 風が吹いて、葉桜がかすかに揺れた。


 最初に口を開いたのは、春樹だった。


「……いやちょっと待ってください」


 顔色が悪い。

 声も裏返っている。


「話の順番がおかしいです。パリとか訓練とか、その前に確認することあるでしょう」


「あるな」


「先輩なんですか?」


「そうだよ」


「嘘でしょ」


「俺もそう思ってる」


「口調だけ先輩そのまんまなの、余計に怖いんですけど」


 亜由美が奏と春樹を見比べる。


「え、ほんとに? ほんとにパイロットさんなの? ていうかその人が?」


「名刺は本物っぽいわねぇ」


 晴美だけは妙に落ち着いていた。

 そして名刺を見て、ふっと笑う。


「じゃあ、約束ね」


 奏が顔を上げる。


「手術がうまくいって、あなたの訓練も終わって、私がちゃんと歩けるようになったら」


 晴美は名刺を胸元で大事そうに持った。


「パリまで連れて行ってちょうだい」


「……はい」


 奏は強く頷いた。

 その返事だけは、迷わなかった。


 その後、荷物をまとめて、奏は春樹の車へ乗り込んだ。

 助手席に座った途端、春樹がハンドルに両手を置いたまま、ぶつぶつ言い始める。


「先輩が女の子なんて笑えない……いや、でも本人なんだよな……笑えない……」


「ずっと言ってるな、それ」


「だって笑えないじゃないですか」


「俺だって笑えないよ」


「そのテンションで返されると、ほんとに先輩っぽくて混乱するんですよ」


 車は静かに病院を出た。

 見慣れた街並みが流れていく。

 たった数日の入院だったはずなのに、外の景色がやけに久しぶりに見えた。


 春樹によると、本当は明日、会社の人たちが奏のもとへ来る予定だったらしい。


「明日、自分から顔出すよ」


「その口調、先輩そのまんまなんすよね」


「そうか?」


「はい。その『そうか?』も先輩です。ていうか、ほんとに先輩なのか……」


 春樹はそれ以上、何も聞いてこなかった。

 聞きたいことは山ほどあるはずなのに、あえて聞かないでいてくれているのがわかった。

 その不器用な気遣いが、ありがたかった。


 翌朝。

 奏は自宅のベッドで目を覚ました。


 ……広い。


 今の身体にはベッドが大きすぎる。

 以前はちょうどよかったはずなのに、今は半分以上余っている気がする。

 見慣れた天井。見慣れたカレンダー。見慣れたデスク。

 病院ではない。ちゃんと自分の家だ。


 その時、スマホが鳴った。

 画面には晴美の名前。


『奏ちゃん、おはよう。無事に帰れた?』


『おはようございます、晴美さん。ええ、お陰さまで。その……手術、これからですか?』


『そうよ』


 電話の向こうで、晴美が小さく息を吸う音がした。

 深呼吸だとすぐにわかった。


『それでね、奏ちゃん』


『はい』


『あの後、亜由美とも話したんだけど……その……手術が成功したら、私たちをパリまで連れて行ってもらえるかしら』


「……っ!」


 声には出なかったが、胸が一気に熱くなった。


『確かに飛行機は怖いわ。でも、それを乗り越えて、今までずっと行ってみたかった母の故郷に行けるのは、たぶん今しかないと思うの』


 晴美の声は静かだった。

 でも、昨日までとは違う強さがあった。


『だからね。お願い』


 奏はベッドの上で背筋を伸ばした。

 自然と表情も引き締まる。


『約束します』


 一言ずつ、噛みしめるように言う。


『正直、訓練がどう進むかはまだわかりません。でも、必ず晴美さんをパリまで送ります。約束です』


『ありがとう』


 電話の向こうで、看護師の声が聞こえた。


『晴美さん、そろそろお願いします』


 いよいよ手術なのだろう。


『晴美さん。頑張ってくださいね。私も、これから久々に出社してきます』


『ええ、頑張るわ。奏ちゃんも、お仕事頑張って』


 通話が切れる。

 しばらくスマホを見つめてから、奏は大きく息を吐いた。


「さてと」


 ベッドから立ち上がる。


「行くか!」


 会社に――ではない。

 まずはもっと切実な場所がある。


「ユニ〇ロに……」


 今の身体で会社へ行く前に、最低限まともな服を揃える必要があった。


 機長復帰への道のりは、どうやら想像以上に地に足のついたところから始まるらしい。

ありがとうございました。

次回は閑話です。

小難しいコックピット内の会話がただひたすら書かれていて、物語の進行とは全く関係がないため、

そこまで航空機に興味が無いという方は次に進んでください。

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