75話◇騎士は療養する
「坊っちゃま。サムがマリアさんよりお手紙を預かっております、どうなされますか」
グスクーニア家の家令であるセブが何食わぬ顔で申し入れてきた。手紙という単語を聞くだけでとび跳ねるこの軟弱な心臓をどうにかしたい。平常心を装いながらコホンと小さく咳をした。
「手紙だけ預かってくれないか。サムには疲れているだろうから休むよう言っておいてくれ」
「かしこまりました。手紙は私が預かっておりのでこちらにございます。どうぞ」
「う、うむ」
セブは一礼の後に部屋を出ていった。私はそそくさとソファに移動し、マリアからの手紙をすぐさま開封する。チラリと見えた彼女の字は丸っこく、意外とかわいい。ああもう心臓がうるさい。おちつけ。いったん深呼吸をしたあと、私はマリアからの手紙に目を通した。
◇
復啓 暑気厳しき折柄、ヴィンセント様におかれましてはご無事にお過ごしのことと推察いたします。過日は格別のご配慮を……あー、ごめんなさいね、かた苦しい挨拶文しか知らないのよ。手紙と贈りものちゃんと受け取ったわ。ありがとう、とってもうれしい。手紙なんてずいぶん前に書きかたを習って以来だから、これでも一生懸命書いているのよ、笑わないでね。
ヴィンセントがちゃんと回復しているのを知ってホッとしたわ。ちゃんと療養して早く元気になりなってね。
あたしは変わりないけど、変わったことと言えばセシルがうちへ来たことね。彼女、旦那さんと離れて護衛として今一緒にあたしの家で暮らしているの。だから心配しなくても大丈夫。
夏バテには気をつけて。あなたと会えないのは少しさみしいけど、がんばるわ。あなたもしっかりね。
敬具
——マリア・ガルブレース
◇
短くてすぐに読み終わってしまった。それでもなんだかうれしくて口元がにやけてしまう。特に『会えなくてさみしい』という言葉が私の気分を落ち着かなくさせた。あいつも私と会えなくてそう思っているんだな。ゆるむ頰を隠すように片手で口元を抑えた。何度も何度も読み返してから文箱にしまう。それにしても文頭の挨拶もだが、今時「復敬、敬具」で返信するとは珍しい。だいぶ上の世代が使う頭語・結語だと思うが、マリアは祖母から習ったのだろか。
主治医の許可が降りたので私はベッド生活とはおさらばした。熱はもう下がったので屋敷内では普通に生活している。領主様からは向こう三ヶ月間は屋敷で特別休暇をとれと言われているので、どんなに仕事に復帰したくてもできない。しかし謹慎というわけでもないのでどこに行ってもそれは休暇中の外出だから自由だ。そう、私がカルバートンへ行こうが、マリアと食事に出かけようが、領主様にとがめられることは一切ない。……ないが、今すぐに行ったところでまた厄介事が起きるだろう。まず私がしないといけないのは周囲の沈静化だ。
「そのためにはどうすればいいか……」
長子としての後継問題はセブの言う通り、母上たちをけしかけて弟ないし妹の誕生を望んでみよう。社交の世界から離れられるのなら願ってもないチャンスだ。あとは見た目をもっとどうにかできないかな。不潔にするのは抵抗があるし……野暮ったい格好をするとか、モルツみたいに女言葉をしゃべってみるとか……でもそれでマリアに引かれたらいやだな。
私は彼女がくれた左手の小指にはまる指輪を見た。マリアと別れて以来、なんだか周囲の反応がいつもと違う。皆一様に戸惑うのだ。不思議そうな顔をして、『若様……ですよね?』と私と認識しているのに見間違いであるかのように言う。なぜそんなことを聞くのか問うても、みな言葉をにごして答えてくれない。ただ一人、セブが「親しみやすくなった」と言っただけだ。両親は私を見てもなんの反応も示さなかったのだが、これがこの指輪の効果なのだろか。だいたい、まじないを施せるのは糸だけじゃないのか?
金属にもそれが可能だとは聞いたことがないが、あいつが相手だとその不可能を全てひっくり返してくるからな。これは他言しない方がいいと判断した私は、この指輪は気に入って買ったことにした。
「まずはモルツの所に行ってみるか。カカオの進捗状況を聞いてみないとな」
私は部屋を出ると近くにいた侍従に声をかけ、今から厨房へ行く旨を告げた。
◇
「坊ちゃん! もうすっかりお元気そうでよかったわ!」
厨房に顔を出すと、コック服をきた筋肉漢がドスドスと足音を響かせやってきた。女言葉を使うこのモルツは料理の腕はピカイチでセンスもある。くねくねと身体をしならせながらモルツはニコニコと上機嫌だ。
「心配かけたな、もう大丈夫だ。それで、前に渡したカカオはどうにかできそうか?」
「よくぞ聞いてくださったわ! ちょっとお待ちください、今お持ちしますからね!」
そう言うと近くにいた助手になにか言付け、モルツは手早く小さなミルクパンを取り出した。助手はあちこち忙しく動きながらモルツに小さな容器を渡し、さらに私に椅子を勧めてくれる。
モルツはかまどの中を火かき棒でかき混ぜ、熱の具合を確認しながらそこへ鍋をかけた。その中に牛乳を注ぎ、容器から黒くねっとりしたものをスプーンで一杯分とりだすとそれでそのまま鍋の牛乳をかき混ぜ始めた。
「坊ちゃんが言っていた、ペースト状のカカオを温かい牛乳で溶かしたものよ。このカカオってやつは香りが強くて、深みのある味わいが抜群だわ」
ほどなくしてテーブルに置かれたのは、ティーカップに入れられたカカオの飲み物だった。モルツが言った通り、カカオの甘く華やかな香りが辺りにただよっている。それに温めたミルクのコクのある柔らかな香りも相まって、まるでこれだけで高級なデザートのようだ。
「材料はカカオとお砂糖と牛乳。シンプルだけど、ぜひご賞味あれよ」
ひと口飲めば、想像以上のおいしさに驚いた。カカオというのはこうも風味豊かなのか。香りだけでなく、味もしっかりとしている。ローストの具合なのか、ほんの少しの苦味がただ甘いだけのデザートよりも好ましい。そして少しだが鼻にツンとして血がめぐる感覚がする。刺激が強いと言っていたのはこれのことだろうか。
「これは……おいしいな」
「そうなの、あたしもビックリよ。坊ちゃん、このカカオってまだ手に入らないかしら」
「それは……」
「このカカオってばローストして水分を飛ばすから長期保存が可能なの。固形にも液体にもなるし、こんなに使い勝手のいい菓子の材料は滅多にないわ!
もっといろんなレシピを研究してみたい!!」
その分厚い背中から湯気が出そうなくらいに興奮したモルツは、これまた分厚い両手で私の手を握った。とたんに「ヤダ、坊ちゃんにお触りしちゃったぁー♡」とくねくねしだす。
「マリアに頼めばどうにかなるかもしれんが、どうだろうか……」
私がマリアに贈るのはまったく抵抗がないのだが、マリアに頼んでこちらに送ってもらうのはどうにも気がすすまない。きっと彼女のことだから何かと引き換えに受けてくれるのだろうが……。
「——マリアって言えば、あの子が坊ちゃんの言ってた魔女なのよね?
こないだお屋敷にきた威勢がよくて高飛車な、あの子」
その表現を苦々しく思いながらもそうだと答えるとモルツは目をらんらんと輝かせた。
「坊ちゃんはもう聞いたかもしれないけれど、あの子カッコよかったわよ!
わがまま言って坊ちゃんを掻っ攫うようなイヤな女だと思っていたけど、違ったわ! しかも敢えて憎まれ役をかうようなあの豪胆さはきらいじゃないわね」
うんうん、と一人で納得して頷くモルツ。だけどなぜか嬉しかった。こういうふうに彼女を肯定的に言ってくれたのは初めてだ。
「私が言うのもおかしいが、ありがとうモルツ。どうにかカカオの実を手に入れられないか、マリアに聞いてみる」
「いやーん! ありがと坊ちゃん!!」
モルツはいまだに握られた両手をブンブン振り回した。正直痛い。ちょっと力強くないか。少し寝込んだ間に私の筋肉が衰えてしまったのか。元に戻さないといけないな。
「使用人の中にはこっちに戻ってから坊ちゃんのキラキラオーラが半減したって言う奴らもいたんだけど、なんのこっちゃって感じね。坊ちゃんはいつでも坊ちゃんなのに!」
聞き流しそうになったモルツの言葉が脳をかすめる。離された左手に鈍く輝くのは、マリアからもらった細い指輪だった。





