68話◇騎士は領都へ帰る
入るわよ、とひと声かけるとマリアは部屋に入ってきた。そのまま私がいるベッドに腰掛ける。私も枕を背もたれにして上半身を起こしているので、思いのほか至近距離で向かい合ってしまった。なんだか恥ずかしい。
「お加減いかが?」
「……悪くない」
マリアが手を伸ばして私のおでこに触れた。「まだちょっと高いわね」と言った彼女の手は冷たくて気持ちがいい。
「あなたももうすぐ帰っちゃうわね」
「本当に世話になった。礼がしたい」
「うーん、ロイにもあなたのお母さまにも同じように言われたのよ。あんまりお礼ばっかりされても困るわ」
「母上にもか」
「晩餐に誘われたけどつつしんでお断りしたわ。代わりにお菓子くださいって言っちゃった」
「……うちに来るのはいやか?」
「あなたの家がいやってわけじゃないんだけど、あんまり良いイメージがないのよ、貴族っていうのに」
その言葉に領主様が言っていたアドリアナ・マリア・ガルブレースの名前を思い出した。あの時の彼女の様子からして無関係じゃない。そうするとマリアが嫌がるのもわかる気がする。アドリアナは貴族に翻弄されて捨てられたようなものなのだから。
「なら母には私からも言っておこう。だが食事に誘いたいんだ。今回のお礼に。落ち着いた場所で料理がおいしくて……ドレスはあっただろう? その、深緑の、イブニングドレスが」
贈ったのが私だと彼女が気づいているかどうかは分からない。けど私はあの姿をもう一度見てみたい。マリアのために贈ったドレスだけあって、とても似合っていたし、それにもう少し飾り立てていけば絶対にキレイだと思う。
「それを着て二人で食事はどうだ。騒ぎにならないようにちゃんと個室にするから」
「……まあ、それならいいわ。あたしもあのドレスちゃんと着てみたいし。ただしあなたの体調がよくなるのが絶対だし、状況が少し落ち着いてからだからね。また騒ぎになったら離れる意味がないんだから。あとあなたはおめかしし過ぎないでよ」
「わかった」
了承の返事をもらえてホッと胸をなで下ろす。私もこれまで食事だ観劇だと誘われてきたが、みな断られたらどうしようと不安に思っていたんだろうか。そしたら悪いことをしたなと思う。思うだけでこれからも断るが。そして同時に言いようのない嬉しさが込み上げてきた。仕事ではなくプライベートで会う。お礼とは言え、逢瀬のようではないか?
「あと着替えるところがいるわ。ここからドレスで行くわけにはいかないもの」
「じゃあこの前の宿をとっておこうか」
「……そうねぇ。どうせ泊まるならそっちがラクだけど、でも——」
「決まりだな。楽しみだ」
マリアは少し腰が引けているが気にしない。嫌がってはいないと思う。もしそうだったらキッパリ断っているだろうから。領都の宿で過ごしたあの数日は思い出深い。それもあって頰がゆるむ。そんな私を見てマリアが苦笑しながら息をひとつ吐いた。
「……もう、仕方ないわね」
そう言ってにこりとする彼女がかわいかった。どんどん熱くなる顔を両手で抑える。見られたくない。ついでにドクドクうるさい心臓も静まればいいし、ニヤける口元ももとに戻ってしまえ。大きく息を吐いて両手でぐにぐにと表情筋をもめば、いつもの表情に戻れた。
「そうそう、ずっと聞こうと思ってたのよ。このハンカチ、騎士服から出てきたんだけど、どうしてあなたが持ってるの?」
そう言って彼女が差し出したのは、以前カルバートンの民芸品店で買った一枚のハンカチだった。その経緯を告げるとマリアは「そうなの」と納得する。
「これ、あたしが刺繍したのよ。あそこのお店に買い取ってもらったの。実はこれ来幸のまじないがかかってるのよ」
「そうなのか」
「ええ。なんだか不思議ね」
「……じゃあ私がおまえに会えたのは、このまじないのおかげかもしれないな」
「出会いのきっかけが叫び草ってよりは全然そっちがいいわね」
森の淵であざやかな赤い髪を風になびかせるその姿は、今でもありありと思い出せる。捨てられた村で一人ひっそりと暮らしていたマリア。孤独にくるしむくせに人とつながりを持とうとしない、不器用な魔女。笑ったり泣いたり怒ったり、いたって普通の女性なのに。
「なあマリア」
「なぁに?」
「おまえを一人にするのが嫌だ。私の手の届かないところで泣くのが嫌だ」
その笑顔を守りたいと思ったら、勝手に言葉が出ていた。
「私はしばらくおまえのそばにいられない。味方になってくれる人を、おまえを守ってくれる人を増やしてくれ。お願いだ」
「ヴィンセント……」
「おまえは弱いくせに強がろうとする。誰かが守ってやらないと、おまえは傷つくばかりだ。それは嫌なんだ。頼む」
私の言うことを聞くとは思えない。だけれども伝わってほしい。
◇
セブの看病のおかげか翌朝には熱もだいぶ落ち着いたため、私はその日の午後に馬車に揺られて領都へ帰ることになった。私は比較的ゆっくり過ごしていたが、セブは荷物を運び出したり私を着替えさせたりと大変だ。
「魔女さまにご用意いただいたこの服はどうしましょうか」
「よければ持って帰りたい。マリアにそう伝えてくれないか」
「かしこまりました」
私は貴族仕様の服を着ていた。白くて長めのチュニックは袖口にかけてたっぷり布を使ってある。マリアが準備してくれた服もわりと気に入っていたのだが、あのまま帰るわけにはいかなかった。なのでせめて手元に残しておきたい。また、イブニングドレスもこちらで預かることになり、荷物と一緒に丁寧に積んでいく。私はその様子をマリアの家の居間からながめていた。テーブルには小さい花が活けてあり、これもマリアの心づかいかと思うと嬉しく思う。
「気をつけてね」
そう聞こえて振り返れば、彼女がいた。
「世話になった。……いろいろと迷惑をかけてすまなかったな」
「あなたが元気になってくれたからいいわ」
へらっと笑ったマリア。本当に迷惑ばかりをかけてしまった。
「私がおまえの護衛に戻れたらひとつお願いがある。聞いてくれるか?」
「お願いにもよるけど、なにかしら」
「それは戻ってから言う」
「なにそれズルいわ」
今は言えない願いを飲み込んだ。彼女と出会ってからまだひと月も立っていない。これからはそれ以上に長い月日を離れて過ごさなければならない。
「坊っちゃま、準備が整いました。参りましょう」
彼女の元へ騎士として戻る。この決意を胸に、私は領都へ帰るための馬車に乗り込んだ。見送ってくれるマリアの姿が小さくなるまで私は窓に張りつく。どちらも手を振ったりはしない。私は窓に手を添え、マリアは両手を前でそろえて立っている。互いの左手の小指には小さな指輪がキラリと光っていた。
第三部 騎士の厄難 完





