59話◆魔女は着替えてお茶を飲む
グスクーニア家で用意されたドレスは至って普通のアフタヌーンドレスだった。肌をすっぽり覆い隠すドレスは私の眼の色を少し濃ゆくしたような紺色。袖を通すとどこからともなく現れた家令さんにアクセサリーをぽいぽい取られて化粧も落とされる。赤い髪はサイドでふんわり三つ編みにして、うっすら化粧をされると悪女モードの私から普通の私モードに。劇的なビフォアアフターになんということでしょうだ。
「こっちも素敵」
「ありがとうセシル」
フィリップとセシルと共に通された部屋は豪華な調度品がならんだ客間で、落ち着きを取りもどした奥さまが笑顔で迎えてくれる。
「あらためてご挨拶するわ。ヴィンセントの母、ナターシャ・グスクーニアです。まだ私も少し混乱しているの。少しお話を聞かせていただけるかしら」
「ローゼから参りましたマリア・ガルブレースですわ。騒動を起こして申し訳ありません」
「うふふ、ずいぶん雰囲気が変わったのね」
「素敵なドレスのおかげです」
お茶が運ばれなごやかな雰囲気だったが、まずは奥さまが使用人の一連の非礼を詫びた。
「サム、出ていらっしゃい」
「……はっ」
ヴィンセント至上主義すぎて暴走したこの使用人はいま何を思っているだろうか。敬愛する主人からの叱責に怯えているのか、嫌いでたまらない私に頭を下げることに怒り震えているのか。
「誠に、申し訳、ありませんでした」
「……許します。わたくしも言動がよくありませんでしたし、侍女もあなたに刃を向けました。お互いさまです」
問題はあのメイドだ。彼女は今拘束した状態で話を聞いているが、先ほどと同じ主張を繰り返しているらしい。少し迷ったが、私はヴィンセントと初めて会った時からの呪いの状況を伝えた。屋敷には気をつけろと言ったことも、そして騎士服にびっしり刺された刺繍のことも。私はフィリップに合図をして、持ってきていた騎士服を出してもらった。すかさず家令がそれを受け取り、確認している。その表情は険しかった。
「彼が倒れたのはあのメイドだけのせいではありません。わたくしは彼の異変に気づくことができなかった。彼が疲労を溜めていることには気づいていたのに……申し訳ありません」
「マリアさんが謝ることはありませんわ。体調管理は騎士の仕事の一環です。辛いのなら辛いと異変を早々に訴えていればよかったのです。そしたらここまであなたに迷惑をかけることはなかったでしょう」
確かにそうなんだけど、彼のことだから責任感ゆえに言えなかったのだと思う。私も護衛は増やしたくないと言ったし。彼の負担を思うとその辺りも考えなくちゃいけない。……だんだんと事が大きくなっていく。その中心にいるのが私だなんて考えたくもないわ。
あのメイドが言っていたヴィンセントと相思相愛説はにわかには信じられない、というのは両者一貫の意見だった。前に話した時は結婚の予定はないって言ってたもの。ヴィンセント本人にも聞きたいけど今すぐは無理ね。でもお腹に子どもがいるとも言っていたし、確認は大事だ。
「ひとまずあのメイドは軟禁しておきます。ごめんなさいね。苦しかったでしょう?」
「いえ、もうなんともありません」
「……今でも少し信じられないのです。大人しくてよく仕事をしてくれたわ。あんな事を考えていたなんて」
意外とね、人は見かけによらないものなのよ。でも不思議に思うのは、こんなヴィンセント大好き集団の中でよく隠し通せていたことだ。それに呪具をしれっと混ぜ込むなんて。特にあの騎士服は気持ち悪すぎる。
「あのメイドはどうやってあの呪いを堂々とこしらえていたんでしょう」
私が疑問を口にすると、小さくなって存在感を消していた侍従が一歩前へ出た。
「発言をお許しください。……コゼットが言ってたんです。これは若様を守るまじないだと。魔女……様が関わる前から彼女はああやって屋敷の物にまじないを施していました。まさか彼女のあれだとは思いもせず。まじないには疎かったのでそういうものなのだと皆信じ込んでいました。誠に申し訳ありません。処分はいかようにも受けます」
深く腰を折って謝罪する侍従。それと同時にその場にいた使用人も同様に謝罪の意をしめす。謝っているのは私にではなく奥さまにだ。彼らへの処分は私が関知するところではない。
「それについてはヴィンセント本人に考えさせます。無事に戻って来るまでは今まで通りにしていなさい」
ヴィンセント本人に、という所で侍従の肩がびくりと震えた。若様大好きな使用人達にはそれが一番こたえるでしょうね。ナイス奥さま、とエールを送っていると、夫人はにこりと一笑して改めて私に向かい合った。
「あなたに礼と詫びをしなければいけませんね。望むものがあれば用意するけど、いかが? あ、ヴィンセントが欲しいは無しよ」
いやいや、いりませんから。そして欲しいものと言われてもパッと思いつかない。そもそも何かが欲しくて来たわけじゃないもの。私がやりたくてやった事にお礼と言われてもむず痒いだけだ。
「領主様にもよくしていただいたので、特に欲しいものはないのです。お気持ちだけで充分ですわ」
「そういう訳にはいきません。じゃあこちらの方で考えておくわね。主人と相談するわ。そうね、あとヴィンセントの体調が回復してこの一件が落ち着いたら、晩餐に招待させてちょうだい。主人と息子も踏まえてお礼が言いたいわ。いいでしょう?」
「あ、あの、奥さま、わたくしこんなに太々(ふてぶて)しくしておりますが、貴族でもないのです。この二人も無理やりついて来てもらっただけで……そんな晩餐だなんて恐れ多いですわ。お礼をぜひにと仰るなら、わたくし焼き菓子がよいです」
なにが悲しゅうて田舎の庶民がお貴族さまの晩餐に出なきゃいけないの! 居心地も悪いし絶対あちこちから目をつけられるって! 回避のために口走ったのは、彼がよく食べさせてくれた甘いお菓子。やっぱり感謝の品と言えば消えモノよ。たくさんもらえたら今回お世話になった人達にも配れるわ。
「焼き菓子?」
「はい、以前ヴィンセント様がくださったのがとても美味しくて。聞くとお屋敷の料理人が作ったのだと聞きました。よければわたくし、甘いお菓子を頂きたいです」
「まあ……」
なんて欲のない子、みたいな顔しないでくださいな奥さま。自分の保身の為なんです。お礼の話をうやむやにした後は、体調を崩しているヴィンセントをどうするかの話だった。ある程度回復したら馬車で帰るが、高熱がひくまではうちで看病することになった。ただし世話はグスクーニア家の使用人にさせてほしいとのこと。そうしてくれるとクライブ達の負担が減るので非常にうれしい。ただよく知らない人が家にいることになるんだけどね。そうなったらヴィンセント共々、客間に押し込めよう。
「セブ。信用のおける者を一人ローゼへ行かせて。馬車で向かい回復次第ヴィンセントと共に帰って来るように」
「かしこまりました。では私めが行ってもよろしいでしょうか。仕事は振り分けておきますので」
奥さまが見るからに嫌な顔をした。こらこら貴族の仮面が剥がれてますよ。もしかして奥さまったら本当は感情表現が豊かな人なのかしら。少ししぶっていたが、やりとりの結果、家令さんが勝利をもぎ取っていた。いろいろと準備があるため、ローゼへ向かうのは明日の朝。馬車で行くため到着は午後過ぎになるだろう。それまでは私達で看病しなくっちゃ。
もしかしたら今頃はもうすっかり元気になっているかもしれない。そんな能天気な事を私はこの時思っていた。
彼がこの後どんな目にあうかも知らずに。





