41話◇騎士は連行する
どうやってこの男を連れて行こうか。縄で縛って馬で引き回してもいいが、死体になっても困る。ふむと考え込んでいると、がさりと庭木が揺れて黒く大きな馬が現れた。オブシディアンか。落ち着かなさそうにソワソワと私のもとに近づいてきた。どうやらこいつもマリアの異変に気づいたらしい。あのヤギといい、オブシディアンといい、聡いことだ。
「……オブシディアン。マリアを襲った不届き者を番所に連れて行きたい。お前の背に乗せてくれんか。ああ、優しく運ぶ必要はないぞ」
ふるると鼻を鳴らしているが、私の話がわかったとでも言うのだろうか。オブシディアンは寝転がる男の前に行くとすぐ近くで脚を踏み降ろした。ダンダンダンッと目の前で巨大な馬から何度も踏まれそうになり「ひぎゃっ! 殺される!」と男が喚いていた。少しだけ胸がすく思いだ。
結局男の両手両足を縄でくくったまま、鞍のないオブシディアンの背に乗せた。裸馬はキツイからな、覚悟しておけ。さらに跨がらせるわけではなく、うつ伏せにして荷物のように乗せているだけだ。落馬しないようにロープで固定してから、私達は全速力でカルバートンまで向かった。男は胃の中身をぶちまけながらオブシディアンに揺られている。顔は真っ青で、舌を噛まないようにと必死に食いしばっていた。
町に入って適当な人に番所を聞こうとしたところ、以前見かけたことのある御仁に出会った。カルバートンでまじない関係を統括するギルド、そのギルド長であるローマン・アオル氏だった。出勤途中なのか、私達の姿を見るなり大きく目を見開いた。
「これはこれは……ヴィンセント様、どうなされました」
「ギルド長か、久しいな。——若い婦女の家に無断侵入し、暴行を加えようとしていた男を捉えた。番所に連れて行きたい」
「なんと……そのご様子だと、被害に遭われたのはもしや橋向かいの村の方でしょうか?」
なぜそのことを知っているのだろうか。まあ三日に一度姿を表しているのだから誰に見つかってもおかしくないか。そうだと私が答えると、ギルド長の表情が険しくなった。歳とはいえ、背筋が伸び威風堂々としているローマン氏の眼光は鋭く、威厳がある。彼は凄みのある顔でこちらに申し入れた。
「その男、こちらで預かりましょう。番所できっちり話を聞き、然るべき罰を取らせます」
「助かる」
ローマン氏は一緒にいた部下を使いに出し人を呼んだ。オブシディアンから吐瀉物まみれで失神している例の男を降ろし、ローマン氏達に引き渡す。
「……その、襲われそうになった婦人は、大丈夫でしたか?」
「暴行自体は未遂だ。ただこいつに手首を掴まれた跡がアザになっている。ショックも大きい」
「そうですか……」
そう言ったローマン氏は険しさが増した。その様子を奇妙に思う。自分の住む町から不届き者を出したのが心苦しいのか、誰と知らぬご婦人を案じているのか。……それともそこに住む者を知っていて様子を聞いたのか。気になりはしたものの、私はすぐその場を後にした。やはり家に一人は心配だ。エリザベスに乗って彼女の家に戻りながら、どうか無事でありますようにとずっと心で願っていた。
◇
彼女の家に着くとすぐに寝室の方へ向かう。コンコンとノックした後に声をかけるが返事はない。ゆっくりとドアを開けるとさっきと変わらずにマリアとヤギがいた。ヤギは耳をピクピクさせて私を注視している。敵かどうか見定めているのだろうか。
「……大丈夫だ、彼女に危害は加えない」
その勇ましい姿につい頰を緩ませる。これから夜はこいつと寝たら安心そうだ。私は音を立てないようにベッドに近づきヤギを避けると、眠っているマリアの姿を確認した。その表情を見た瞬間、心臓が凍りつく。
マリアは悲しそうに眉を寄せて涙を流していた。
あの男のことがショックだったのか、それとも嫌な夢を見ているのか。とにかく私はハンカチを取り出して彼女の涙をそっと拭った。
「マリア、大丈夫か」
頭を撫でながらそう声をかけると、青い瞳がゆっくりと開く。悲しみに濡れた青い両眼は私をしっかり捉え、彼女の口が小さな言葉を紡ぐ。
「……あたしを、捨てるの? ロアニス」
ぽろ、と青い瞳から涙が流れる。ロアニスとは男の名前なのか。その知らない名前にひどく動揺してしまう。彼女は夢と現実が曖昧になっているのかもしれない。彼女が私に気づくのを辛抱強く待っていると、次第にマリアの意識はしっかりしてきた。上半身を起こすと、申し訳なさそうにうなだれた。
「……ごめんなさい。ちょっと、寝ぼけてたわ」
「かまわん」
「着替えるから、出て待ってて」
「分かった」
少し元気のない彼女が気になりつつも、女性の身支度を邪魔する無粋さも持ち合わせていない私は即座に部屋を出た。例の男もじっくり痛めつけた上に番所に突き出せた。彼女も無事だったし、ひとまず安心していいだろう。緊張の糸がぷつりと切れ、私は力なくソファに座り込んだ。最低限の考えごとをする為に脳だけは動かす。懐中時計は朝の8時をいくらか過ぎたぐらいだった。もともと9時出発で予定していたが、領都へは魔女の体調を見ながら少し遅めに出発しよう。そういえば朝食も食べてないな。昨日のアップルタルトと温かい飲み物を用意しておくか。パンも少し余っていたから軽く表面を炙れば……
つらつらと考えながらソファから立ち上がって準備を始める。そうする間に魔女も支度を整えてヤギとともに部屋から出てきた。
「アルバートはお庭に戻ろうか。ありがとうね、一緒にいてくれて嬉しかったわ」
そう言うと魔女は玄関から出て行き、しばらくすると裏口から戻ってきた。朝日を浴びた彼女の髪はいつもより艶を増していた。昨日の香油のせいだろうか。そうだったら嬉しく思う。
「台所借りているぞ」
「うん。朝ごはんの準備してくれてるのね」
「体調はどうだ」
「平気よ」
私から温かいお茶を受け取った魔女は、ひと口飲んだ後にはぁーっと深く息を吐いた。
「もー、あんなふうに寝込みを襲われるっていつぶりかしら。なんで男ってあんなことするのかしらね」
「前にもあったのか?」
「ずっと前の話よ」
「大丈夫だったのか」
「ええ。今回と同じよ。暴行されそうになったけどなんとか撃退できた」
魔女の話に動揺しつつ、身体は皿にアップルタルトを移して魔女に差し出す。受け取った魔女はタルトにぶすりとフォークを刺した。
「……あなたが居てくれて心強かったわ。ありがとう。迷惑かけてごめんなさいね」
「私はお前の護衛だ。むしろ守れなくて申し訳なく思っている」
「四六時中一緒に居るわけにはいかないもの。仕方ないわよ」
「警備体制の見直しを提案する。お前を一人にしたくない」
とりあえず鍵を取り付けたい。もう危険な目には合わせたくない。
「あたしにそんな守る価値があるかしら」
「いつもの強気はどうした」
「いやな夢見ちゃったから調子出ないのよ」
どきりと心臓が跳ねる。ロアニスという名前と、悲しそうな瞳を思い出す。そいつはいったい誰だ。お前にあんな顔をさせるほど深い仲だったのか? ところが魔女がぽつりと漏らした言葉に、思考が全部かき消された。
「——あなたのこと、なんにもできない子犬だと思ってたの」
……聞き捨てならないことを言ったな、こいつ。私がなにもできない子犬だと? さっきまで心を占めていた不安が一気に吹き飛んだ。ムッとして思わず眉がつり上がる。魔女は私の機嫌などつゆ知らず、切りとったタルトをぱくりと口に入れていた。
「でも、ちょっとだけ頼りになる子犬だったわね」
ぴき、と血管が浮き出る。こいつ、よっぽど私に怒鳴られたいらしい。言いたいことが色々ありすぎて言葉にならないでいると、口元にフォークに刺したアップルタルトが差し出された。
「まあまあそう怒らないで。これでも褒めてるのよ。はい、あーん」
ぐぅっと息を呑み、腹がたつやら悔しいやらの気持ちを押し込めて、タルトに食いついた。くそ、覚えていろ魔女め! 心の中で悪態を吐きながら、口の中に広がった甘酸っぱいリンゴとコクのあるタルト生地の絶妙さを味わった。
「おいしいわね。あなたの家のコックはすごいわ。もちろんあなたも。はい、もっかいあーん」
柔らかな笑顔とともに差し出されたタルト。はらりはらりと怒気が霧散していくのを感じ、なんだかこいつに勝てる気がしなくなっていた。口に含んだリンゴは、やっぱり甘酸っぱい。





