40話◇騎士は怒る
見慣れない光景に一瞬ここがどこだったかわからなかった。そうだ、今日は領都に朝イチで出発するために泊まりがけだった。屋根付きなだけ野営よりマシな寝床から抜け出すと、あちこち体が痛い。白け始めた空を確認してから、身なりを整え、魔女の家に向かう。かなりはやい時間だがまあよかろう。軒先につないであったエリザベスに挨拶をし、ゆっくりと引いて歩く。魔女の家に近づいて来るに従って、なぜか妙に胸騒ぎがした。家の前の木の下に、なにかいる。心臓が嫌な音をたてるのを聞きながら、エリザベスを引っ張るように歩を早めた。
木のそばまで来て血の気が引く。
地面にうずくまっているのは人間の男で、縄で拘束され、置き捨てられているようだった。
「——マリアッ!」
この家に鍵は付いていない。入ろうと思えばドアでも窓でもすんなり入れる。ノックもせずに力いっぱいドアを開けると、毛布を羽織りいつものテーブルにうつ伏しているマリアの姿があった。慌てて駆け寄り肩をゆする。
「マリア、大丈夫か」
その間にも鼓動は加速し、背中には嫌な汗をかく。いったいなにがあった。外の男はなんだ。
「マリア……」
彼女の頭がゆっくり上げられたが、意識が覚醒するやいなや、恐怖に怯えた顔をした。
「……い、いや、来ないで」
とっさに両手で私を押しのけようとする力は、森の時の比ではない。だんだんと察する状況に、殺意が湧いてきた。彼女の左手首についているアザは、おそらく成人男性が強く握った跡だろう。つまり、外に捨てられている男がやったのだ。
「マリア落ち着け、私だ。私はお前を傷つけたりしない」
下手に触れると恐怖心を煽る恐れがある。ゆっくりとした動作で、私を押しのけようとする彼女の手を握った。
「もう大丈夫だ、マリア」
だんだんと彼女の身体の力が抜けていくのがわかる。
「触れていいか?」
「……いいわ」
私は椅子に座っている彼女を抱き上げた。首元に顔を埋めるマリアの頭を優しくゆっくりと撫でる。暖炉前にあるソファにゆっくり向かいながらマリアに声をかけた。
「なにがあったか話せるか」
「……夜中に、知らない男が、私のベッドに、」
彼女をソファに下ろす。殺してやる、と男に対して一瞬で殺意が沸いた。今すぐにでもそうしやりたいが、今はマリアの側にいることが大事だと自分に言い聞かせる。座った彼女の前に跪き、下から彼女の様子を伺う。
「でも、大丈夫よ。なんにもなかったわ。腕は掴まれて痛かったけど、枕元に飾っていた花を、思いっきりぶつけてやったから」
花とは昨日見つけた聖人君子だろう。私が寝室へ運んだ時も枕元にあった。とっさに手に届く位置に飾ってあったのは本当に運がよかった。もしかすると身体を暴かれていたかもしれない。心深い傷を負ったかもしれない。独りで泣いている彼女を想像して胸が痛くなった。
「無事でよかった」
「……ごめんなさい、ちょっと取り乱していたみたい。だいぶ落ち着いたわ」
苦笑するマリアは、本人の言う通り調子を戻しているようだ。しかし顔色はまだ悪い。無理もない。不安と緊張で眠れなかったのもあるだろう。
「なにか温かい飲み物を作ってくる。ここで待っていてくれ」
「いや。一緒に連れてって」
彼女のワガママに身体中が痺れを起こした。でも不思議と不快ではない。仕方ないので横抱きで台所まで連れて行った。作業台にマリアを乗せてからミルクパンに牛乳と蜂蜜を入れて火鉢にかける。出来上がったホットミルクを渡すと、ちびちびと舐めるように飲んだ。
「少し落ち着いたか」
「うん。ありがとう」
空っぽになったカップを受け取ると、マリアは「ヴィンセント」と甘えるような声を出した。
「なんだ」
「ちょっとだけ寝たいわ」
「ああ。起こしてやるから少し寝るといい。寝室が怖いならソファで寝るか?」
「ううん。寝室、連れて行って」
ぐっとのんだ息を吐き出して、私はまた彼女を抱き上げて寝室へ向かう。部屋にはいるとツンとした花の匂いがした。聖人君子だろうか。自分で片付けたのか、花はすでに片付けてあり、ベッドも綺麗に整えてある。きっと眠れない時間でやったのだろう。マリアをベッドに下ろして部屋を出ようとすると、服を掴まれた。
「あたしが眠るまで一緒にいて」
「……しかし、」
「おねがい。この部屋は怖くないって記憶を上書きしないと、次に寝る時が怖い。一緒にいて」
声にならない声でうめき、心を決めた。こうなったら満足するまで付き合ってやる。
「わかった。お前が寝るまでここにいる」
ころんと横になった彼女の頭を撫でると、ふいにマリアは頰を染めてへらりと笑った。ベッドの端に座り、毛布をかけ直してやる。
「……私の両親がしてくれた、よく眠れるおまじないをしてやろう。特別だからな」
私は彼女に近づき、ゆっくり覆いかぶさる。右のまぶたに小さくキスをした。続いて反対のまぶた、そしておでこにそっとキスを降らせる。そして顔を少しだけ離し、小さな声で耳元でささやいた。
「——『愛しているよ、リウ。いい夢を』」
「リウ?」
「私の真名だ。……さあ少し眠れ。このおまじないはよく効くんだ」
頭を撫でるとマリアは気持ちよさそうに目をつぶった。しだいに呼吸が深くなり、眠りにつき始めたようだった。
「……リウ」
寝言だろうか。掠れた声で呼ぶその名は、私の心臓を絡め取ってしまいそうだった。
◇
——さあて、お楽しみの時間だ。
彼女が寝入ったのを確認したあと、音を立てないように私は外へ出た。あれから一時間くらい立っているが、木の下に捨てられた男は変わりなく寝転がっている。年はぱっと見た感じ三十代か……庶民はくたびれた格好をしていることが多いからもう少し若いかもしれない。土埃にまみれているが、目立った外傷はなし。両手首と足にきつく巻かれた縄は彼女の仕業だろう。押し込めていた怒りがふつふつと湧き上がる。このまま感情に任せて腹を蹴り上げたいところだが。
「おい、大丈夫か」
バシッと頰を叩き覚醒を促す。容赦なくもう二発ほど叩いたところで男が目を覚ます。
「どうしてこんなところで寝転がっている」
「……へ? あ、あんた誰だ?」
「いいから答えろ」
乱暴に胸ぐらを掴みあげて男の怯えた顔を見下ろす。間抜けな顔構えにぐっと苛立ちが募るが、我慢だ。
「こ、ここにいる女は好きモンだからよぉ、いけば喜んで足開いてくれるって聞いたんだ!」
「どこで誰が言っていた」
「……知らねえよぉ。酒場で気前よく奢ってくれたやつが言ってたんだ。だから仲間とつるんで……」
う、と苦しげに呻き、男はみるみる血の気を無くしていった。冷静にと心掛けているつもりが無意識に力いっぱい締め上げていたようだ。どさりと地面に投げ捨てると、男は咳込みながら大きく息を吸っていた。その後もヤサシク話を聞いた結果、さらに胸糞が悪くなった。こんな辺鄙な所に住むなんてよっぽどの醜女なんだろう、だから男だったら誰でも良いんだ、どれどんなに醜い女なのか笑ってやろうぜ。こんなノリで仲間数人でここに来ようとしたが、橋を渡った辺りから霧が立ち込めて仲間とははぐれたそうだ。不安に思いながらも足を進めると一軒の家があり、これ幸いと思って中に入ったら若い女が寝ていた。
「……下衆が」
涙と鼻水で顔をぐちゃぐちゃにした男は「助けてくれ」「俺が悪かった」とずっと懇願している。そんなもの知るか、と私は男を置き去りにしたままマリアの家の中に入って行った。カルバートンの番所に連れて行かなければならない。個人的には五回はこの手で殺してやりたいが、あいにく騎士という立場なのでそれは控えなければ。一人彼女を家に置いていくことになるのでひと言告げておこう。
すると台所の奥にある裏口の扉がカリカリと音がした。なにかで扉を引っ掻いているようだ。猫か何かだろうか。用心しながら扉を開けると、そこに居たのはマリアが飼っている大きなヤギだった。勝手を知っているかのように、開けたドアの隙間をぬって家の中に上がっていく。ついにはマリアの寝室の前まで行って、ここを開けろと言わんばかりに私の方を見た。
「……お前もマリアが心配なのか」
ヤギなりに異変を感じ取ったのかもしれない。早く早く、とヤギが頭を振るので私がドアを開けてやると、カツカツと蹄を鳴らしてマリアが寝るベッドの横へ行き、どさりと床に丸まった。こいつ、番犬ならぬ番ヤギのつもりなんだろうか。私はヤギを避けてマリアのそばに行くと、頭を撫でながら小さくささやく。
「マリア。ちょっと不届き者を番所に連れていってくる。すぐ戻ってくるからそれまで寝ていろ」
「……ん、」
「大丈夫だ。お前のヤギが騎士になってくれる」
私はそう声をかけると、彼女の部屋を後にした。





