38話◆魔女は仕返しをする
「離れて」
「いやだ」
「離れて」
「いやだ」
彼が「いやだ」と言う度に顔がじわりと近くなっている気がする。いいかげんしつこいので「きらいになるわよ」と言ったらすぐさま離れてくれた。一歩後ろに下がって降参するように両手をあげる。はじめからそうしなさいよ、まったく。
ふん、と鼻を鳴らして彼の横をすり抜けると、悲しそうに眉を下げるヴィンセントの顔が目に入った。そしてバツが悪いのか私の後ろを歩いている。まあ護衛らしくていいんじゃないかしらね。暗い顔に私の良心がズキズキと痛むけど、別に私は悪いことしてないわよね? そうは思うけどなんとなく居心地が悪かった。
「そうだわ。お土産採っていかない?」
苦し紛れに出した案にヴィンセントはこくりと頷いてくれた。これで気が紛れるかしら。広場まで戻り、『薬指』方面に向かった。ここは奥まで行かなくても、そこそこいろんな魔草が生えている。んーとどれがいいかな。どうせなにをとっても後で詳しく追求されるんだろうけど。ヴィンセントがじっと見ていたのは勝手にカカオと呼んでいるオレンジ色のかなり大きい実だった。背の高い木の幹にボコボコとたくさん実っている。夏に実るものなので旬って言ったらそうね。手を伸ばせば五つくらいは採れそう。
「それは食べられるけど、まじないの材料にはならないわよ」
「どうやって食べる?」
「種をね、すーっごい面倒な作業をするとおいしく食べることができるわ。主にお菓子の材料ね。用途によっては惚れ薬の材料にもなるわね」
「これがいい」
その即答っぷりになにを考えているか不安になったけど、おいしいお菓子になってくれるよう願おう。むしむしとカカオの実をもいでいるヴィンセントを横目に、私はいいものを発見した。
「あらこんなところに」
そこに行ってしゃがみ込むと、後ろからヴィンセントがなにかと覗き込む。
「……目玉?」
「そうそう、眼球に見えるわよね」
私の視線の先には、人間の眼球がぼとりと落ちているように見えるキノコがあった。半球型の笠は白くぬめっていて、中心には黒目のような虹彩の模様がある。大きさもちょうどそれぐらいで、初めて見たときはだいぶ驚いたものだ。
「これフィリップにあるだけ持って行ってあげて。なんのまじないができるか当ててみなさいって。そしたらしばらくは研究室にこもってくれるわ」
「わかった」
これくらいでいいかなぁーと辺りを見回していたら、大きい木の奥に揺らめく白い花の塊が見えた。
おお、あれは……。
目玉茸の収集をヴィンセントに任せ、私は生い茂る草をかき分けて木の奥へ入り込む。お目当ての白い花の茎を手にとると、小ぶりのナイフで根元から切り取った。
「お、おい……なにを……」
様子を見に来たヴィンセントがギョッとした顔でこちらを見ていた。視線は私の手にある白く変わった形をした花に注がれている。
「珍しい花があって、つい」
「い、いや、そういうことではなくて」
分かるわよ、あなたの言いたいこと。ちょっと口には出せない形状よね。それを嬉々として摘んでる女がいたらドン引きよね。
「これはね、聖人君子と私は呼んでいるの。これもまじないじゃ使えないんだけど」
ぶっちゃけて言うなら、その白い花は猛った男根のような形をしていた。筒状の花で、ひとつの茎からいくつも花を咲かせている。花を1つ摘んで私はヴィンセントの元へ戻り、ポケットからハンカチを取り出すと彼の鼻と口元を覆った。突然のことで驚いている彼を放って、反対の手でその花の膨らみをぽふっと潰す。すると黄色く細かな花粉がぱあーっと辺りに散った。
「この花粉を吸うとしばらくの間、男性機能が著しく低下するわ」
つまりは不能になる。見た目に反したこの効果はすごいのよ。ビクっと肩が揺れるヴィンセントの反応に、私の嗜虐心がむくむくと膨れていくのが分かった。
「しかも花粉を吸った直後は精神にも作用して、子供のような清らかな心になるの。不埒な男子にはぴったりよね?」
本当はひとつの花ならそんな大ごとにはならない。もしも悪漢に襲われたら七、八個花が付いている一本の枝を相手に叩きつければいい。さぁーっと青ざめるヴィンセントがあまりに可愛かったので、私の小さな仕返しはこれで終わりにしてあげた。花粉が散ったのを確認してから口元を覆っていたハンカチをとってあげると、彼はぎこちなく私から離れる。
そうして私は聖人君子の花を、ヴィンセントは目玉茸とカカオの実をお土産に森を出ることにした。もちろん本命は女王蜘蛛の糸なんだけどね。帰りも念のため手を繋いだが、ヴィンセントが極力距離をとっていたのがもうおかしくて、道中ニヤニヤが止まらなかった。
私は本当に運がよかったんだと思う。思い付きで摘んだこの一本に後で助けられるとは、この時は思いもしなかった。
◇
無事に自宅に戻るともう午後を回っていた。忘れていたけど明日は領都に行かないといけない。聖人君子を花瓶に活けて自室の枕元においた後、家を空けるための準備を慌ただしくした。
「そういえばヴィンセントは今日帰ってまた明日来るの?」
だとしたらエリザベスが大変だ。いくらまじないを掛けていても無理はいけない。え、ヴィンセント? 彼は大丈夫よ、多分。馬を替えたりするのかしら。
「……いや、ここに泊まる」
「はあ?」
あたしの聞き間違いかしら。今ここに泊まるって聞こえたけど。こめかみのあたりがピキリと波立つ。
「ご、誤解するな。この家にではない。調査の結果一軒先の家がいくらか使えそうで、すでに大工に整えてもらってある。寝泊まりはそこでする」
「…………」
「お前が心細いのだったら、別に私はこの家でも——」
「分かったわおとなりね。まったく、ロイったらなに考えてるのかしら」
ぷりぷりと腹を立てつつ、ヴィンセントに畑の雑草取りをお願いして、その間にヤギのアルバートにたっぷりご飯をあげたり、洗濯物を取り込んだりと動き回った。家を開けるならそれなりに準備が必要なんだから。そして気付けば夕方4時頃。そろそろ夕飯の支度をしないといけない。
「ヴィンセント、夕飯はどうするの?」
「材料は持ってきた。よければお前の分まで私が作ろう」
「じゃあお言葉に甘えようかしら」
人の作るご飯って美味しいのよね。決して食事の用意が面倒ってわけじゃないのよ。本当よ。じゃあ私はお風呂の用意でもしようかしら。森に入って汚れちゃったし、ちょうどいい。ヴィンセントに台所を明け渡して、私は石を加熱しつつ石風呂の掃除にとりかかった。あー、もう水入り鬼灯は残りが少ないな。今日泉まで行けばよかったと考えながらゴシゴシとたわしで汚れや埃を洗い落とす。
「うーんヴィンセントをお風呂に誘うか迷う」
トーマスやクライブにはお風呂入ってと勧めるのはなんとも思わない。だけどなー。ヴィンセントはなー。お貴族さまだし、年若い男だし、家に二人きりだし……別になにかあるとは思わないけど、なんかなぁ。狩人の目をしたヴィンセントはちょっと苦手だ。さっき森で見せた一面を思い出してまたうーんと頭を抱える。
しばらく悩んでから台所へ行き、ヴィンセントに声をかけた。
「お風呂用意するけど、入る?」
「ここには風呂があるのか。そうだな、よければ借りたい」
「わかったわ。あとで入っていいわよ」
そうよね、やっぱり入りたいわよね。ていうか私気にしすぎかしら。 「一緒に入る?」ってからかうくらいが私らしくない? そこでむんむん悩んでいると「もうすぐできるぞ」と声をかけられた。
「じゃあお皿用意するわね」
ひとまず空腹を満たすために、ヴィンセントお手製のお夕飯を頂きましょうか。とってもいい匂いがするわ。やっぱり美味しいご飯を食べるって幸せね。
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