37話◆魔女は採取する
はぐれないよう念のためにと繋いだ手はあたたかかった。魔の森はどこから入っても真っ白な霧におおわれていて、多くの場所は森の外にも霧が立ち込めている。幸運にもうちの裏は霧が少なく、森の木々の間を漂っているだけだ。それでもまじないのマントを着ていないと中には入れない。方向感覚を狂わされ、幻聴に幻覚を繰り出してくるこの森の霧を舐めてはいけない。
今日の目的は女王蜘蛛から糸をもらうことだ。別に一人で来てもよかったんだけど、私以外でも森に入れるかの検証もかねている。今のところヴィンセントは私に手を引かれるまま着いてきているから問題なく行けるだろう。目の前は真っ白で三歩先はもう見えない。茂った木の葉で陽は当たらず、視界は最悪だ。ザクザクと落ち葉や小枝を踏みながら歩いていると、次第にその音が小さくなっていく。さあ、森の内部に入ってきた。
「大丈夫? 」
「問題ない」
「もうすぐしたら霧が晴れてくるわ。きっと見たら驚くわよ」
すっと霧が引いていく。視界が開け、不気味な森が姿を表した。普通の森とはなにかが違う。その原因はまず異様な植物だろう。この森でしか見ない花や樹木、きのこたちが所狭しと生えている。霧は全部晴れたわけではなくあちこちにうっすらと漂っていて、陽がさしてないように思えるが、不思議と森の中は明るい。
「地面から手が生えてきているような樹だな」
ヴィンセントが指した方向には確かにそのような樹があった。五本の指を天に向けていて、指先の部分には葉っぱが茂っている。
「ほら見て、指の付け根のところ。小さくて白いのが動いてるでしょ」
たたた、と素早く幹の間を通り抜ける白いやつ。ネズミのようにちょろまかと動いて、ああやって森中を駆けられると絶対に捕まえられない。
「……まさか走り茸か」
「ピンポーン」
もうここまで来たら大丈夫だろうと手を離す。……と思ったらヴィンセントは離してくれなかった。逃がさないとばかりにしっかり掴まれている。置いていかれると思ってるのかしらね、そんなことしないのに。仕方ないのでヴィンセントの好きにさせたまま歩いていく。先ほどまでは私が一歩先を歩いていたけど、その必要もないので今は横に並んでいた。
うちの裏庭から森に入って霧を抜けた先は、木々が避けたかのようにちょっとした広場になっている。もちろん草も花も苔もキノコもお構いなしに生えているけど。その広場の真ん中にあるのがさっきの『右手の樹』だ。手の平の方を私達に向けていて、それぞれ五本の指を道しるべにしている。それぞれの方向に私や動物達が歩き慣らした獣道ができているのだ。
「今日は『親指』の方向に行くわ。でもその前に休憩しましょ。ほら、手も離して」
やっと自由になった右手を活用して、広場の端にある平べったい岩に敷布を広げる。そんなに大きくない。私とヴィンセントが並んで座ってちょうどなくらいだ。よいしょと腰掛けると、彼も隣に座った。
「想像していたより、ずっと奇妙だ」
「ここって変なの多いわよね」
ヴィンセントは自分の持ってきていたバッグを漁ると、皮袋の水筒と紙包みを取り出した。美味しいものが出てくるのかしらと期待していたら、やっぱりお菓子が出てきた。卵の白身をひたすら泡だてたものを焼いたお菓子らしい。包みごと差し出してきたので、ひとつ摘んで口の中にいれてみると、じゅわっとした食感とともにすぐなくなってしまった。だけど甘味だけはしっかり口の中に残っている。
「うわー、おもしろい食感だわー」
「気に入ったか」
「うん。あなたの家のコックは有能ね。料理もお菓子もとってもおいしい」
「……私もできるぞ」
「ふふ、そうね、あなたも料理上手だわ」
ふつう貴族って使用人を褒めると喜ぶものだけど、この人張り合ってきたわ。それが面白くてくすくす笑っていると、ヴィンセントに袖を引っ張られてアレはなんだ、コレはなんだと森の植物や生き物のことを聞いてくる。あたしが勝手につけた名前だから本当の名前じゃないと前置きしつつ、わかる範囲で答えていった。
「さあ、そろそろ行きましょうか」
敷布を片付けて、『親指』の方向へ二人で向かった。しばらく歩くと濃厚な花の匂いがしてくる。この辺りは美しい花が咲き乱れ、甘い蜜を出し、虫たちをおびき寄せていた。カーテンのように連なる花や、真っ赤な花弁は唇のように見える花、とてつもなく大きなバラの花など、見ていてとても美しいものばかりだ。ぐんぐん花の道を進んでいくと急に花が途切れ、洞窟のようなところへ出た。足場は岩がゴツゴツとしていて、つる植物があちこちに這っている。転ばないように気をつけながら、ゆっくり洞窟の方へ近づいていった。
「この中に何がある」
「大きな蜘蛛の住処よ。そこに用があるの」
洞窟はヴィンセントの背丈より一回り大きなくらいだ。入口の手前まで来たら、これ以上進まないようにヴィンセントを手で制する。
「もし蜘蛛が大っきらいでも、大声はあげないでね。今からこの綱を引っ張るの。その振動を察知してクイーンが出てくるかもしれない。でもこちらを襲うわけじゃないから大丈夫」
私は近くの木に結んでおいた細い綱をゆっくりと引っ張っていく。抵抗があっても構わず引く。しばらくすると真っ白い塊が、ずずずと地面をはってこちらへ近づいてきた。
「これは……?」
「女王蜘蛛の糸玉よ。二日前にここに来て仕込んでおいたの」
「は?」
「ちょっとかわいそうだけど、絞めたウサギと一緒に棍棒を洞窟の中に置くのよ。そしたらクイーンは獲物と思ってウサギも棍棒も糸でグルグル巻きにする。ウサギはクイーンへのお土産。そしてあたしは糸玉にされた棍棒をいただくってわけよ」
手元まできた糸玉は立派なものだった。これだけあればしばらく糸には困らないだろう。その時だった。洞窟の中からゴソゴソと動く音がする。私達は洞窟から離れて様子を見ていたら、子牛ぐらいの大きさの茶色い蜘蛛が洞窟から顔を覗かせた。ヴィンセントが素早く私の前に出た。あらステキ、護衛の鏡ね。すると八つある赤い瞳が私たちをとらえる。その身体の大きさといい、赤い瞳といい、彼女は迫力が桁違いだ。
「こんにちはクイーン。糸を頂いていくわね。また来るわ、ありがとう」
一方的に言葉を投げかけているだけで、通じていないかもしれない。だけど毎回言ってしまう。巣に戻るクイーンを見届けてから私達はまた花の道へ戻った。糸玉はバッグに仕舞い、しばらく無言で歩いているけど、なにやらヴィンセントの雰囲気が重たい。カーテンのように連なった小さな白い花の前で、急にヴィンセントが足を止める。不思議に思って振り返ると、そこには美しい花々に囲まれた彼の姿があった。……ほんと、黙っていれば乙女が思い描く王子様そのものね。
「あの巨大な蜘蛛が襲ってきたらどうするつもりだ。お前なんかひとたまりもないんだぞ」
どうやら私の心配をしてくれているらしい。
「……平気よ。もっと近づいたこともあるけど、クイーンはなにもしなかったわ」
「今までは大丈夫でも、これからもそうだという保証はない!」
この人が声を荒げるのは久しぶりだ。どこか冷めている脳はそれに呼応することなく、私は淡々と返事をしていた。
「クイーンは獲物がかかるのを待つわ。自ら狩りに行くハンターじゃない。それに……別に私はどうなってもいいもの」
誰かが私の命を終わらせるのなら、それでもいいと思っている。生きることに執着はない。ただ自分で死ぬ勇気がないから生きているだけだ。
「なぜそんなことを言う……」
ヴィンセントはとても痛そうな顔をしていた。なぜかそれを見ると心が苦しい。自虐的な気持ちはどこかに行ってしまい、私は近寄って彼の顔に手を添えた。
「そんな顔しないで、ヴィンセント」
彼の緑色の瞳は深い。まるでこの森のよう。その両眼がまっすぐに私を見て、心の中まで見透かされちゃいそう。顔を包んでいる手に彼の手が添えられた。すり、と指先を撫でられると落ち着かない気分になる。
「今度あそこへ行くときは私も一緒に行く」
「私が行きたい時にあなたがいればね」
「どうしてお前はいつも私を困らせる」
「……さあ。あたしが魔女だから?」
するりと手が離れたかと思うと、彼はぐいっと顔を近づけた。びっくりして思わず一歩下がるも、ちょうど大きな木の幹があってすぐ距離を詰められる。とっさに彼の両肩を掴んで押し返したけど、その努力むなしく、至近距離から覗き込まれた。
「魔女に言うことを聞かせるにはどうしたらいい」
目を合わせ、鼻と鼻が触れあうような距離で囁かれると背筋がぞくりと震えた。彼の吐息が唇に触れているようでジンジンしてくる。妙に迫力のあるヴィンセントにこれ以上ペースを持っていかれたらたまらないわ。物語では悪い魔女は大抵、白馬に乗った王子様に倒されるんだから。
「知らないわよそんなこと。さ、もういいでしょ。離れて」
彼の肩をパシパシと叩いて訴えた。ぐいぐい来られるのは苦手なのよ。





