35話 ◇騎士は心休まらない
魔女に甘い軽食を作ってみた。かれこれ六年ぶりの調理で若干不安もあったが、意外とこなせたので上々だ。感無量といった感じでフレンチトーストを食べる魔女は、いつぞやの食事時のようだ。……本当に普段こいつは何を食べているんだかと魔女にあきれながらも、まあ作ってよかったと思った。
私は誇りある騎士で貴族紳士でもあるから、淑女に節操なく触れることを良しとしていない。目の前で私の作ったものを口いっぱい頬張る女が淑女なのかは別途協議が必要だが、妙齢の女性であることは間違いないので、おいそれと触るわけにはいかないのだ。……あの宿での時間が特殊すぎた。きっと非日常的な雰囲気に流されたのだと思いたい。うっかり伸びそうになる手を止める度に自分にそう言い聞かせる。
『あたしにドキドキする?』
先ほど言われた言葉がふと思い起こされた。こちらを覗く空のような青い瞳が脳裏に浮かぶ。
しない、しない。
お前を見て鼓動が早くなるなんてない。時々苦しくなるだけだ。
『キスしたいとか、抱きしめたいとか、思わない?』
その言葉が脳に響いてまたぎゅっと心臓がきしむ。お前はなんの実験をしていたんだ。私がお前に惚れるようなまじないを作ったのか? 時々私が不本意にもそのように思ってしまったのは、そのせいなのか?
「——ヴィンセントってば。もう、そんなに見つめられたら穴があいちゃうわ」
皿を平らげた魔女が文句を言ってきた。今まで私の周りにいた女性は『自分を見て』と言っていたのだがな。
「……ああ、すまん。お前がそんなに甘味に飢えていたのかと思うと憐れでな」
「差し入れはいつでも歓迎よ」
「今度、色々持ってきてやる」
片付けをしたり、他愛のない話をしていたらあっという間に帰る時間となった。後ろ髪を引かれているエリザベスに跨り、帰路に着く。行く時間は長く感じるのに、帰る時間はあっという間だった。気づけば領城のいつもの執務室にいて報告書を書いていた。厩舎の承諾以外には特に特筆すべき事柄はないので、わりと素早く書き終えた。
「よう、ヴィンセント。帰ってきたか」
「ディーバか」
野生の熊をも思わせる大きな背丈と肉厚な身体を持つディーバ・ウィルソンは、騎士団の副団長でもあり私の友人でもある。この筋肉至上主義の脳筋は、全て強いか否かで判断するのでその点はありがたい。以前魔女が強そうだからとディーバを指名した上で私のことを小うるさいと評した件については一切気にしていない。本当だ。
「お前最近、合同鍛錬に参加していないだろう。そんなことじゃ筋肉が弱るぞ」
「すまん」
「今からやるなら付き合うぞ」
「いいのか? 助かる」
カルバートンの往復で疲労を感じてはいるのだが、やはり鍛錬をしないと身体が鈍る。ディーバはニカっと豪快に笑って「おう」と言ってくれた。気安いやり取りができる貴重な友人だ。日が暮れてもずっと鍛錬していた。ディーバが走り込みから付き合うと言って思わず笑ってしまったり、剣の素振りをしていたのにいつのまにか試合のようになったりと、いかにもな内容だった。肩で息をしながら汗を拭うと、手首に着けているお守りが目に入る。魔女がしれっとくれたやつだ。練習中での攻撃にも反応するんだろうか。今のところディーバ相手に勝ちはできずとも一発ももらっていない。もらうつもりもないので検証は無理そうだ。
「こんなに遅くなって奥方は怒らんのか?」
「むしろ早いと怒るんだ」
宿舎にあるサウナで一緒に汗を流している時にそうたずねれば、またディーバらしい答えが帰ってきた。ディーバは並々ならん男だが、奥方もまた特殊らしい。
彼と別れたあとは自分に当てられた部屋に帰る。屋敷と比べるとだいぶ質素だが、別に寝られればいいので気にはならない。久々の鍛錬で動かした身体は所々筋肉痛となって痛みはじめ、心地よい疲労感に包まれながらその日はぐっすりと眠った。
この宿舎で唯一困るのが食堂だ。なるだけ人のいない時間を選ぶのだが、それでも毎回居心地が悪い。ディーバ以外の騎士仲間は嫉妬や僻みからなのかあまり私のことをよく思っておらず、他のやつらは遠巻きに見てヒソヒソと話す。かと思えば食堂で働くご婦人方は私にあからさまな贔屓をしてくるので困る。今だってプレートに乗せられた朝食は私一人だけ豪華だ。それがまた他の者たちの目に入ってヒソヒソ話に花が咲く。
ああ、目立たなくていい。
埋没したい。
「これはこれはヴィンセント。相変わらず綺麗な顔だな。どのように魔女を凋落したのかぜひ指南してほしいよ」
無視だな。名前も知らんこいつは、いつもなにかと突っかかってくるから鬱陶しい。
「あのような僻地に通っていったい何が楽しいのか。……もしや、魔女との蜜事に溺れてらっしゃるとか」
楽しいもなにも任務だ。馬鹿なのかこいつ。腹立たしさに眉根を寄せると、どこからか横槍が入ってきた。
「おい貴様、今のは聞き捨てならん。 我らがヴィンセント様があのような魔女に誑かされる訳がなかろう!」
「またお前か。親衛隊かなんか知らんが、男の尻を追いかけて何が楽しいんだか」
「ふん。我々は神の寵愛を受けたかのような麗しさと高潔さを持つ奇跡の御仁、ヴィンセント様を陰ながら見守っておるのだ。貴様のような朴念仁には一生理解できんだろうな」
着いて行ききれん。勝手にやってくれ。私は手早く朝食を食べて食堂を後にした。ギャーギャー聞こえてくる口論は当事者抜きでも盛り上がっていそうだ。
◇
敷地内とは言え、宿舎から領城へ至るまで距離がある。早足で歩を進めるも時間がかかることがままある。
「ああっあの! これ差し入れですぅっ! 受け取ってください!」
腰を九十度に折ってバスケットを差し出す女性がいた。こうやって物をもらうのも少なくないが、このあと大抵次のトラブルに発展する。そう思っていると、ピピーッ! という笛の音が辺りに響いた。ほら来たぞ厄介ごとが。なんで笛を常時持っているんだというツッコミはしてはならない。
「ちょっとあなた! ヴィンセント様は今お仕事中なのよ、どうしてわきまえないのかしら。私達だって差し入れを受け取って欲しいのを耐えているのよ。あなただけ抜けがけだなんてダメよ」
「あの、私ぜんぜん、そんなつもりじゃ……」
「ヴィンセント様の迷惑も考えなさいよ!」
ヒートアップしてきたと思ったら、今度はまたどこからかご婦人が現れた。
「ちょっとあなた、さっきから聞いてたけどなに? あなたこそヴィンセント様のなんなのよ。……あ、ヴィンセント様、ご、ご機嫌よう」
会釈で返すと後ろでまた「ずるい!」と声が上がる。その間にもわらわらと女性達が集まってきて、次第に差し入れしたい派と許さない派の口合戦が始まった。
女性たちが剣呑な雰囲気で盛り上がっているところ申し訳ないが私は先へ行かせてもらう。付き合っていたらキリがない。バスケットは受け取らないままだったのが心苦しいが、首を突っ込むとロクなことにならないのは嫌というほど経験済みだ。嫌味を言われては誰かが助けに入り、親切を受けそうになれば誰かがそれを阻む。当事者そっちのけで盛り上がる周囲に私は何度疎外感を感じたことか。毎度のような深いため息を吐きながら、私は領主様のいる執務室へ向かった。





