28話◆魔女は家で過ごす
ヴィンセントが帰って行ったのを見届けて、私は自室に放り込んだヴィンセントのスカーフを改めて広げた。高級感のある布地は紺色で、四隅にはクリーム色の糸をメインにしたグラデーションの繊細な刺繍が施してある。
「刺繍はいい趣味してるのにね」
そのクリーム色の刺繍と重ねて使ってあるのが、黒い艶のある糸。普通に見ればなんてことない、二色糸を使ったセンスのいい模様だ。私は裁縫道具から針を一本取り出して、布地にしっかり縫いこんである黒い糸の隙間に差し込んだ。クイっと力を入れると、ぷつんと切れる。このもろさは間違いない。手口からして前回の犯人と一緒。
この黒い糸は全部、髪の毛だ。
ビッシリと縫い込まれてある、人毛。
細く長い黒髪を使った呪いは私の手元にあるだけで三種類。ヴィンセントから取り上げたスカーフが二つに、黒いドレスから出てきた針付きの糸。ヴィンセントの近くにいる人間であることは間違いないと思う。プレゼントを贈る間柄、あるいは衣類に手を加えることができる人間。贔屓にしている衣服店ならスカーフにもドレスにも仕込むことは可能なようにも思える。……どのみち、動機がさっぱり理解ができない。犯人はこの刺繍をする為に、いったい何本の髪を使ったのか。どういう気持ちで針を刺したのか。分かりたくもない。ただ伝わってくるのは強い想い。恋しいのか憎たらしいのかその想いの種類は分からないが、強い念が糸を伝って私に届く。どうしたらここまで執着できるのだろう。
まあ犯人がどれだけ好きかはどうでもいいか。
不思議なのはただの髪の毛にどうしてこんなことが出来るのかだ。不謹慎にも私の中でジワジワと探究心が湧くのが分かる。実際、彼には被害が出ていた。実感しているもので頭痛などの体調不良があるけど、他に症状があってもおかしくない。髪になにか細工するのかしら。魔草からまじないの糸を作るように、これにもなにか工程が必要なのかしら。わからないことだらけだわ。危険だけどいくつか試してみようか。……まずはフィリップに会って話をしてからにしよう。彼ならなにか知っているかもしれない。それにいろいろと協力を取り付ける必要があるだろう。いざという時には彼を助けてほしい。私では彼の家に近づくことすら出来ないもの。
◇
気持ちの悪いスカーフをしまい、頭を切り替えることにした。夕飯の準備をしよう。昨日は豆のスープだったから、今日は豆のスープかな。昨日と一緒じゃないって? 豆の種類が違うから大丈夫よ。麦も入れるし。台所の収納棚にある麻袋から赤い豆と麦の実をカップ1杯分ずつ鍋に移し、水を入れてあとはひたすらグツグツ。おいしいもの食べるのは大好きなんだけど、料理はそんなにしないのよね。後片付けのことを考えたらつい簡単にすむものにしてしまう。手の込んだ料理ってなんだと思い浮かべて、ヴィンセントと一緒に食べたお肉の入った赤いシチューを思い出した。どうやって作るのか見当もつかない。ああ、美味しかったなぁ。あれもこれも食べろってヴィンセントがえらく気にかけてくれたっけ。
火鉢で豆のスープを炊く途中、しおしおになった走り茸を思い出して追加投入してみた。旨味もなにも全て絞り出したあとだろうから全然期待はしていないけど。足と石づきは落として、あとはナイフでこそぎ落としながら直接お鍋へ。食べたことはないけど毒はないと知っている。あとは塩で味付けすれば良い。煮ている間に洗濯物を取り込めば、すっかり豆が柔らかくなった。可もなく不可もない具沢山スープをもりもり食べてお腹を満たす。
早めの夕飯を終えれば、あとはぼんやり夜まで過ごした。普段であれば繕いものや、書き物、読み物など実益を兼ねた趣味の時間なんだけど、ただお茶を飲みながら空を見つめる。明日はなにしようかな。そんなことを考えながらその日の夜は更けていった。
翌朝、起きて同じルーチンで午前中の仕事をこなしていく。イレギュラーがあったとすればヤギのアルバートが柵から出て伸び放題の雑草をたくさん食べてくれたので嬉しかったこと。オブシディアンもクライブ達も今日は来なかったので、久しぶりにゆっくり一人で過ごした。刺しかけの刺繍を終わらせれば、ヴィンセントからもらった黒いドレスのレースの研究をして、エリザベスの腕輪を考える。
今まで何十回も何百回も過ごしてきた一人の時間。慣れたものでなんとも思わない。その日の夜は夢も見なかった。
◇
「よぉマリア。注文分の品物持ってきたぜ」
「もってきたぜ!」
次の日は午後にクライブとトーマスが来た。ヒゲもじゃ男と可愛い少年というほほ笑ましい光景に思わず笑みがこぼれる。
「いらっしゃい」
クライブは勝手知ったる我が家のように、食品棚や倉庫に品物をいれてくれる。パンや卵の入った籠を見て心がはずんだ。
「いつもありがとう。クライブが来てくれなくなったら、あたし空腹で死んじゃうわね」
「そうだぞ、俺に感謝しろよ?」
冗談まじりでそういう彼は、ニカっと笑って目尻のシワを深くさせた。男前じゃないけど、親しみやすい顔のクライブ。これでもけっこう感謝してるのよ?
「マリア、ぼくに会えてうれしい?」
トーマスがきらきらした笑顔で覗き込んできた。クライブと同じ鳶色の髪がふわふわしている。あーーもうかわいらしいわ、食べちゃいたいわ。
「とってもとっても嬉しいわ。しかも、パパのお手伝いもするなんてえらいのね」
「えへへ」
わしわしと頭を撫でるとトーマスは嬉しそうに目を細めた。こうしてると本当にクライブの小さい頃を思い出す。年月が過ぎるのって早い。すると当のクライブが台所からひょこっと顔をのぞかせた。
「おいマリア、どうせロクなもん食ってないだろうから俺が夕飯作ってやるよ。材料勝手に使うぞ」
「やった!」
クライブはこうして時々ご飯を作ってくれる。なんでも私があまりに適当なご飯を食べているからあきれているらしい。嬉しい限りだわ。しかも子どもを育てる親だけあるのか、料理はおいしい上にバランスもいい。親しみやすい顔で面倒見もいいし、後妻さんが見つかればいいのになぁと勝手に思っているが、こればかりは口を出すことでもない。
「じゃあトーマスはあたしとお風呂に入ろっか。準備するから手伝って。クライブも後から入ってちょうだい」
「おう、ありがたいぜ」
我が家には実はお風呂がある。普通はお風呂屋さんに行くから個人の家にはほとんどないんだけど、あんまり人の多い所に行きたくなかった私は頑張ったのだ。大きな石を組み合わせて隙間をモルタルで埋めた露天風呂は大きくて、トーマスと二人で入るくらいなら余裕だ。毎日入るのはさすがに準備が大変だからしないけど、機会があれば入りたい。まずは石を熱するところから始めなきゃね。火鉢に大量のアルバート産火石を入れて、お風呂用の石も入れる。トーマスに火傷しないよう注意しながら見守ってもらってる間に掃除だ。
お風呂は広い下屋と屋根続きで、脱衣所と一緒に木材の壁で囲っている。私はブラシを片手に赤い鬼灯の実をひとつ、石で作った浴槽に投げ入れた。パシャンと水が弾ける音とともに、みるみると浴槽に水が張る。
この鬼灯は裏庭に埋めた木になる赤い実だ。魔の森の植物で、紙風船のように中は空洞なのだけど、この鬼灯のすごいところはその空洞に溜め込む性質を持っていることだ。見た目以上の質量を、っていうところがポイント。その容量が大きすぎて勝手が悪いくらいで、以前台所一面を水浸しにしたことがある。ちなみに領城で王子とやりあった時にだした暴風はこれ。ちょっとした思いつきで嵐の時に鬼灯に風を溜め込んだものだった。一つの実で三分の一ほど水が溜まったので、ゴシゴシとブラシでホコリや汚れをこそいでいく。栓を抜いて水を抜き、その後に三つほど水の溜まった鬼灯を放り込めば、なみなみとした水が浴槽に溜まった。
熱した石をお風呂の中に入れればジュッと音がして水がお湯になる。加減を見ながら石を入れれば、熱めのお風呂ができあがりだ。
「ふあー、気持ちいいねぇトーマス」
「きもちいいー」
私は大きめの布を、トーマスは小さい布を身体に巻きつけて湯船に浸かる。肩までお湯につければ疲れがお湯に溶けていきそうだ。
お風呂から上がって、クライブの作ってくれたおいしい夕飯を食べて、トーマスと二人で食器を片づける。その間にクライブはお風呂に入り、全てが終わる頃には陽はとっぷり暮れてしまった。
「気をつけてね」
「月明かりがあるから平気さ」
おやすみ、と挨拶を交わして二人は帰って行った。トーマスは私と一緒に寝たいとだだをこねるが、クライブがそれを許すことはない。彼は私達の間に引かれた線を誰よりも理解している。だからこそ気にかけてくれるし、踏み込んでこない。彼の存在に何度助けられたことか。
クライブの優しさやトーマスのかわいさに、とても癒された日だった。





