27話◆魔女は切に願う
「するとこの強脚のまじないは脚力の強化になるのか。すごいな」
「そうよ。馬たちに着けてあげれば疲れ知らずで駆けてくれる。……オブシディアンはきっとエリザベスが心配だったのね。片道三時間は馬にもかなり負担がかかるもの。ほんとに優しい子だわ」
「そうか……」
下屋で使った道具を後片付けしながら話していると、彼が感心したように言った。さて、糸が出来あがったら次はなにか形にしないとね。
「ねえ、エリザベスにあれでなにか作ってあげたいんだけど、どうしたらいいと思う?」
「うーん、ハミか鞍か、とは思うが。脚力だったら脚に着けたいな」
「じゃあブレスレットみたいに編むから、エリザベスの前脚にどう? 肘の関節の少し上に結べば邪魔にならないし、動いても取れないわ」
「ああ、オブシディアンとお前からなら喜んでもらおう」
珍しく穏やかな表情をしていた彼は、なにかにハッと気付き、私に改めて向き合った。そよそよと気持ちいい初夏の風が私たちの間を通り抜ける。
「……これ、なんだが」
そう言ってヴィンセントが左腕を掲げた。その手首には私がこっそり結んだお守りが着いている。
「フィリップが言っていた。これはすごいまじないなんだろう? ……感謝する」
私だって感謝の気持ちでつけたのに、それが言葉で返ってくるって少し不思議ね。心がぽかぽかしてくるわ。そこで終わりかと思えば、まだヴィンセントは続きを言いたそうにしていた。よく見ると彼は目尻を少し赤くしていて、どう切り出そうかモジモジしているようだ。
「お礼が、したい。なにか欲しいものはないか」
……もう、律儀な人ね。私が勝手にしたことなのに。ヴィンセントの気持ちが嬉しくて思わず顔がほころんでしまった私は、目を閉じて少し考える。
「……じゃあ」
こんなことをお願いしようなんて、我ながらかわいげがない。お礼はいらないわ、って言えればよかったんだけど。
「今日のこと、ロイに報告しないでくれる?」
言った瞬間にヴィンセントの顔が険しくなった。ほんとこんなこと言う女ってかわいくないわよね。でも、別に走り茸のことや新しいまじないを隠したい訳じゃない。そんなのは知られたところで痛くも痒くもない。むしろ走り茸なんて捕まえれるもんならしてみなさいって感じね。……まあ、彼らはまずは森に入る所からでしょうけど。うふふ。
私が言って欲しくないのはオブシディアンの存在だ。新たなまじないの材料を持ってきたのがオブシディアンで、それも脚力に影響を及ぼすもの。できるだけ彼を目立たせたくない私としては、ヴィンセントが黙っていてくれるならそれが嬉しい。
彼は遊びに来ている訳じゃない。仕事である以上、なにかあれば報告は義務なのだ。彼はそばに居てくれる。危険から守ってくれる。だけどそこにも一線はある。
「しかし……こんな使い勝手の良いまじないを黙っておくなど」
「強脚のまじないは別に秘密にしなくていい。だけどオブシディアンのことは言わないで」
吹いた風が私の赤い髪をなびかせる。片手で抑えながら、視線を落とした。
「オブシディアンは強くて美しくて賢い子だわ。もし誰かの目にとまって連れてでも行かれたら……」
普通の馬ではないオブシディアン。あの森の中で出会って以来、私たちは友だちだった。お互いの孤独を感じとり、それを埋めるように会いに行った。少なくない日々を共に過ごしたからこそわかる。オブシディアンが今、どれだけ幸せか。
「あの子を守りたいの。せっかくエリザベスと出会えたんだもの」
行く先が幸せかは分からない。でも幸せな「今」を守ってあげたい。私の訴えが届いたのか、ヴィンセントの険しい顔が少しだけゆるんだ。
「……分かった。オブシディアンの件は言わない。みんなお前がやらかしたと言えば誰もが納得するだろうからな。問題なかろう」
私に対する信用がなんかおかしい気がするけど、オブシディアンの為なら甘んじてあげるわ。
「エリザベスもだいぶアイツに懐いている。彼女はモテるんだが、どうも他の馬は気に入らんようでな。お見合いでもさせようもんなら相手を蹴り上げる始末だった。オブシディアンほど興味のある奴が他にいないし、今さら離ればなれは辛かろうな。……私も、いくらか気持ちが分かる気がする」
ヴィンセントの緑色の瞳が私を見下ろした。無表情だけど相変わらずきれいな顔だ。領都にもブロンドはいたけど、彼ほど明るく輝く黄金の髪色はいなかった。それに緑色の瞳は深い森のようでとても神秘的。顔の造形はあちこち完璧に美しいし、この見た目に心を奪われても仕方ないと思う。
「……エリザベスって何才?」
「11歳だ」
「若いわね」
「そうでもないぞ」
家の中に戻り、私はフィリップに返事を書くためにペンを取り出す。読むのは良いけど書くのは苦手なのよね。そんなことを思いながら手を動かした。最後に「字が下手でごめんなさい」と付け加え、ヴィンセントの待つ居間へ戻る。手紙を渡すと彼は快く引き受けてくれたのでひと安心だ。それから間もなくして彼とエリザベスが領都ルキースへと帰ることとなり、オブシディアンと共に見送る為に外へ出た。
太陽はまだ上の方で煌々としているが、なんせ移動に時間がかかる。この時間がギリギリだろう。真夏には及ばないが日差しは強く、これも体力を奪う原因にもなる。日差しから身を守るためにもマントは必須だ。
「エリザベス、今度来る時には私とオブシディアンからプレゼントがあるから楽しみにしていてね」
言ったもののエリザベスはそれどころではないらしく、別れ間近のオブシディアンにぴったりくっ付いていた。本当に彼のことが好きなのね。
「すまんが色々と体制が整うまでは頻繁にこちらに来れない」
出発の準備を整え、申し訳なさそうに彼は言う。でもそれはもっともだろう。領都とここは遠すぎる。むしろ昨日の今日で来てくれた事がすごいと思う。
「別にいいわ。今まで一人で暮らしてたもの」
「……三日後にまた来る」
「ええ、気を付けてね」
そうしてエリザベスとヴィンセントは領都ルキースへ帰って行った。少しだけ込み上げてる寂しさに負けてオブシディアンに寄りかかる。
「行っちゃったわね」
都で過ごしたあの時間は特別なものだったと、改めて感じる。適切な男女の距離はふれあいを許さない。手を伸ばせば届いていたあの距離感は、もう今日はなかった。熱々の走り茸を絞ろうとしたのを見かねた彼がそれを取り上げた時に、少し手が触れただけだ。
目を閉じて彼の温もりを思い出す。
寄りかかって眠った夜。
馬車の中で絡めた指。
優しく触れられた髪。
苦しいくらいに抱き締められた体。
……最後のは簀巻きだからノーカンか、とふと思い出して口元がニヤける。突拍子もない彼の行動には時々驚かされる。お菓子を口に突っ込まれたり、腕を動かすことを拒否したり、簀巻きにしてもののように扱ったり。まあ私も人のこと言えないけど。
「思い返すと、あたしってはしたないわね」
気付かないうちにひと肌が恋しくなっていたようだ。気をつけないといけない。もたれかかったオブシディアンの体温は彼よりも高かった。きっとオブシディアンもエリザベスの温かさを思い出しているだろう。
「次は三日後だって。楽しみね」
ふるる、と返事をしたオブシディアンと、もうしばらくそこに立っていた。





