15話 ◆魔女は挑む
使用人さんは帰っていた。時間があまりないからと馬車を手配してくれたので、今はちょっとした待ち時間だ。黒いドレスに身を包んだ私は上機嫌にふんふん鼻歌をうたっていた。
「いつまでニヤニヤしている」
「だってうれしいんだもの」
見てよこのレース、こんな繊細なの初めて見たわ。エレガントでセクシーで、女性美をこれでもかって引き立てている。このドレスの形も素敵。もう少し丈を短くして普段使い用にできないかしら。
……その為にも今日の招集をちゃんと終わらせなきゃね。なんにもまじないが無いのは心もとないから、私はポーチから髪用の飾りひもを取りだしてお坊ちゃんにずいっと差し出す。
「ねえ、簡単なやつでいいの。髪を結って」
「…………」
あら、絶句しちゃってるわ。なになに、髪に触れるのは夫だけとかそんなおじいちゃんみたいな真面目なこと言っちゃうの? もーこの金髪の王子様は融通がきかないんだから。
「この飾りひも、まじないがかかっているの。今のあたしってばまる裸も同然だから、ちょっと着けておきたいの」
「……んな、まる、はぁっ!? 」
どこに反応してんのよ、エッチ。昨日のかわいさはどこに行ったのかしらねー。
ぐいっと近づきお坊ちゃんの顔を両手ではさむと、彼の緑色の目が大きく見開かれる。深い森のようなきれいな色。私は懇願するようにおねだりをしてみた。
「自分でやるより人にしてもらった方が効果があるの。おねがい」
「わ、わかったから近づくな!」
肩をつかんで思いっきり離された。あらあら、お顔が真っ赤よ、騎士さま。この姿でも意外に効くもんね。これからお願いする時にはこの手でいこうかしら、なんて考えながら私は椅子に座って髪を触りやすいように背を向けた。長くて赤い髪は細くてふわふわしている。しっとりしたストレートヘアもいいけど、私はこれを気に入ってる。編み込みもしやすいし、華やかだもの。
「いいことがありますように、悪いことが起きませんように、って思いながらやってね。大事なんだから」
「……わかった」
お坊ちゃんは諦めたのか、おずおずと髪を触り始めた。髪をすくう感覚が心地いい。
「……クライブ・カルマンは、お前の恋人か?」
髪を櫛ですきながら彼が話しかけてきた。声は小さく自信もなさそうで、独り言のようだ。
「違うわ。頼りにしているし、彼もあたしのこと気にかけてくれるけど、そんな関係じゃない。どうして?」
「……そうだったら悪いと思っただけだ」
まじめ。昨夜だって寝室に送るだけでなにもしてはこなかった。不器用なくらいいい人だ。彼は器用に髪をまとめ、紐でくくってくれる。シンプルにハーフアップのようだ。意外と手際がいいことを褒めると、微妙な顔をされた。
「まだ従騎士だった時に先輩騎士の世話を散々させられた。料理も洗濯も人の世話も、ひと通りできる。……女性に慣れているわけじゃない」
「あらそうなの? でもあなたが結ってくれたから、まじないもよく効きそうよ。ありがと」
礼を言って席を立つ。
とたんに鋭い痛みが太もも辺りに走った。
「——つっ!」
痛みが走った辺りをまさぐってみると、なぜかそこには裁縫用の針。これは……
「どうした。大丈夫か」
これは彼に知らせるべきではないと判断した私は、そのまま与えられた自室へ入った。ドレスの裾をまくり上げ確認すると、生地のあちこちに針が仕込んであるのを見つける。……裁縫中の針を取り忘れっていうレベルじゃない。だいたいまち針ではないし、ご丁寧に針には禍々しい糸がつながっている。犯人は時間がなかったから針に糸を通しただけのお粗末な呪いを私に送りつけたんだろう。
これは彼の使用人が用意して着せてくれたドレス。彼に呪いをかけていた人物と無関係ではないだろう。犯人の目的は不明だけど、この私にケンカ売ろうなんていい度胸よ。……それにしてもお坊ちゃんは隣にいる人ももれなく呪われるのね。かわいそうに。
トントン、と控えめにドアがノックされた。お坊ちゃんのくぐもった声が聞こえる。どうやら心配かけてしまったようだ。部屋に行く前にひとこと声をかけるべきだったわ。
「大丈夫。ちょっと足がつっただけ。今行くわ」
◇
馬車に揺られてお城を目指している。これまでなんだかんだとあったから忘れてたけど、今から私、魔女裁判なのよね。本当に憂鬱。なんだか身売りに出される農村の娘な気分だわ。着てるものは立派なんだけど。……はぁ、どうしてこんなことになっちゃったのかしらねぇ。お菓子につられたのがやっぱり間違いだったかしら。開いた窓から流れる景色を頬杖しながら見送る。ドナドナドーナー……
むぐ、と唇になにか押し当てられた。あまい匂いがするそれを反射的に食べたあと、これは小さいマドレーヌだとわかった。あまい。しっとりホロホロでおいしい。
むぐっ。ぱくっ。
もぐもぐもぐ。
むぐっ。ぱくっ。
もぐもぐもぐ。
「もういいわよ」
危うくまた押し付けられそうだったので、お坊ちゃんの手が動く前に制した。おいしいけどこんな流れ作業で食べるとか間違っている。尊いお菓子は崇め奉らないとダメよ。
「お前、様子が変だぞ。いつも変だが」
「ひとこと余計よ」
森に引きこもっていた女をこんな大舞台に引っ張り出すなんて、楽しいわけないじゃない。誰も味方なんていない。相手はどうやって私を利用しようか色々と考えているはずだわ。不安になるなっていうのが無理でしょ。
「……あたし、どうなると思う?」
思ったよりか細い声になってしまった。窓の外をずっと見ているから目の前の騎士さまの顔なんてわからない。わからなくていい。彼は私をここに引っ張り出した張本人だもの。
「いい。忘れて」
言ったところで誰も助けてくれない。こうなったら逆境フルパワーで乗り切るしかないか。なんでもかかって来いってのよ。呪いもなんもかんもボコボコにしてやるわ。そう思っていたら、大きな影が視界を横切り、とすんと座席が揺れた。騎士さまが私のとなりに移動してきたようだ。私は見ない。窓の外しか見ない。
無意識に垂らしていた指先を取られた。彼は人差し指同士を絡めたらしい。そこから注がれる少しばかりの安心感。いったいどういうつもりかしら。そう思っていた矢先、騎士さまがぽつりと漏らした。
「……いやか?」
昨日の仕返しだろうか。思わず小さく笑ってしまい、返事の代わりに彼の指をすりっとさする。きっと私たちは互いにそっぽを向いている。言葉も交わさない。互いに想ってもいない。だけど小さな温もりにすがり合っている。
お城に到着するまでの短い間、私たちはずっと指を絡めていた。指ひとつ分の温もりを、誰に見られるわけでもないのに、ひっそりと隠すように。





