10話◆魔女はひと息つく
「はぁー、疲れたわぁー」
あの不機嫌な騎士が帰ったあと、私は机にぐたっと伸びた。今日も精神的にかなり消耗したわ。いったいなんなのよ、あの男。
「……だけど、あの人の持ってくるお菓子は絶品だわ」
ひと口サイズの小さいお菓子たち。食べきるのがもったいなくて、紙の包みに大事にとっている。つい食べた時の幸福感を思い出して顔がほころんだ。しばらくそれに浸っていたけど、いつの間にかクライブが苦々しい顔で私を見下ろしていた。
「気をつけろよマリア。騎士か貴族かしらんが、行けば絶対に厄介ごとになるぞ」
「仕方ないわ。目をつけられた以上、あっちは絶対に放って置いてくれない。貴族って陰険で傲慢で意地悪でしつこいのよ? だったら少しでも有利な条件を引き出す方がいいわ」
はあ、気は進まない。……けど、旅費持ちで観光ついでに話をするんだったらまあいいわ。あのお坊ちゃんもお菓子くれるって言ったし。注意しとかないといけないのは都にずっと引き止められることね。
窓がガタガタと揺れる。夕方になってかなり風が強くなってきた。きっと夜は嵐になるだろう。明日の昼出発ならまあ問題ないだろうから、色々と準備しなきゃいけない。
私は畑に出て、一本の樹の元へ向かった。魔の森から移植した木で、この実がなかなか使い勝手が良い。つい『鬼灯』と名付けてしまった。赤く中が空洞になっている紙風船のような小さな実を数個もいで、皮袋の中へいれた。
強い風がビュービューと吹いて私の赤い髪をなびかせる。庭で一番風が強い場所を探すと、皮袋からさっきの『鬼灯』を取り出した。
「うん、良い感じだわ。ものは試しってことで、これでやっちゃいましょ」
ちょっとした装置に鬼灯をセットして私は家の中に戻った。
◇
クライブは家へ帰り、私は自分の部屋で悩んでいた。もちろん、どの服を着ていくかで。いえいえ、そんな乙女チックな内容じゃないのよ? 私の服はどれも色々とまじないがかけてあるから、どの組み合わせにしようって悩みなの。
うーん、あのお坊ちゃんの言い方からすると、まだ自分たちで新たなまじないは作り出せてないみたい。という事は……
効果は『上昇』『下降』。
対象は『護り』『腕力』『幸運』『悪運』ね。
まあこれだけでも8種類のまじないができるわけだけど。
騎士と言ったら武官の最高峰。実力と家柄と教養がそろっていなければいけないわ。そしてまじないが普及しているのだから、彼らにはそれ相応のお守りが与えてあるはず。もののついでに引っぺがした彼の胸当てや籠手はそれぞれ『護身』と『豪腕』があった。装飾美も効果もさすがに一流だったわ。
だけどそれだけ。
騎士服には申し訳程度の『厄除け』、胸ポケットに入ってたスカーフにはアレ。町の様子を見る限り幸運の材料は栽培に成功していないし悪運の材料は質が悪い。
「これは目立っちゃうかしらねぇ……」
そう呟いて広げたのはいつも町に行くときに羽織る薄いマントだ。その裾にはひと針ひと針丁寧に刺した『来幸』と『厄除け』の刺繍がたっぷりとある。魔の森に入るときに使うマントなんてもっての外だ。服はまじないの入ってないものにして、ブレスレットや髪紐にまじないを仕込む? うーん、もうブレスレットの存在がバレているなら突っ込まれるかしら。
「困ったわぁ」
だいたい、まじないの入ったお守りは本来特別なもの。勇気を持って魔の森に近づき、魔草を持って帰ったあとは、それで丁寧に糸を染め、願いを込めて衣服に縫い付ける。夫婦や親子、恋人や友達など特別な関係で贈り合う。大事な人がケガをしませんように、息災でありますようにと優しい気持ちをたっぷり込めて。
——ずっと前はそうだったのに。
あんなふうに見知らぬ誰かのために大量生産する事に少々疑問を抱く。いえ、誰かを守りたいという気持ちは一緒なのかしら。マイナス効果のまじないの扱いも気になる。右手の小指にはめている細い指輪を撫でながら、はぁ、と大きく息を吐いた。
それでも。
この森に囲まれた家から出て、華やかな都へ行けることに、今は少しだけ心おどらせている。
それがなんだか普通の女の子のようで、暖かくもあり、滑稽でもあった。
◇
一泊を想定して準備をした。足りないものはお坊ちゃんに言って現地調達にしよう。予想通り夜中はひどい嵐だったが、朝にはすっかり凪いで太陽が顔を出す。外の様子を見に行こうと外へ行くと、すでにオブシディアンが来ていた。
「おはよう、今日は早いわね。さてはエリザベスに早く会いたいのね?」
オブシディアンとは黒曜石の意。その実は巨体の黒馬である。真っ黒な毛並みは闇夜の化身のようで、長いタテガミがさらさらと顔にかかっている。エリザベスはしなやかな体躯を持った白馬で、身体は大きいが顔も手足もほっそりした美馬だけど、オブシディアンは彼女よりも大きく逞しく、その脚も雄らしく筋肉質で太い。なによりその悠然の美は圧倒的なものだった。
昨日の帰りがけ、二頭仲良く並んでいる姿に、騎士のお坊ちゃんが酷く驚いていたのがそれはもう面白かった。小さく笑いをこらえているとまた睨まれた。キレイなお顔してるのにそんなに不機嫌な顔しちゃって。初めてあった時は優しそうに笑ってくれたのになぁ。
エリザベスはそれはもうオブシディアンにべったりだった。もう好きで好きでたまらないって感じ。その熱量がとってもまぶしかった。
「あなたに恋のお守りを作ってあげなきゃかしら」
ぱちん、とウインクするとオブシディアンは嬉しそうに鼻をふんふんさせて擦り付けてきた。かわいいなあ。こういうお願いならよろこんで聞いてあげるのにね。
オブシディアンは賢くて立派な黒馬。だけど普通の馬とは違う点がひとつある。それはオブシディアンの額部分にある黒く小さな石。水晶のように透明感があり、ともすると額に装飾を着けているように見える。近くによると決して飾りではなく、身体の一部であることが分かるのだが、普段はタテガミで隠れて分からない。
オブシディアンは魔の森で生まれた馬だった。
「あなたも一緒に都へ行く? 来てくれたら私も心強いわ」
ぶるるっと返事をするように鼻を鳴らす。きっと了承ということで良いのだろう。なら私は彼の身の安全を守るために必要なまじないを贈ろう。
彼の美しさはそのままで、印象をごく薄くするまじないを。
これがあればその美しく力強いオブシディアンにどれだけ惚れ込んだとしても、次の瞬間にはその印象が薄く儚くなる。執着をなくすまじないを優しく賢い貴方に。
私は部屋に戻って棚の中から美しい艶のある銀色の糸を取り出した。とても細い糸なので30本程の束にして根本をキツく縛る。出来上がったのは長さは約1メートルの銀糸の束。在庫いっぱい使ったから、帰ってきたらまた染めないと。オブシディアンの元へ戻り、彼の長い前髪の根元に銀糸を結びつける。そしてタテガミと糸を編み込んで1本の三つ編みにすれば完成だ。手間がかけられない分、糸の質と量を最大限に上げて。これでオブシディアンの美しさに見惚れたとしても、後になれば「そういえばカッコいい黒馬にあったような……」くらいに抑えられる。
その間オブシディアンは私が作業しやすいように頭を下げてくれていた。やっぱり彼は優しくて賢い子だわ。





