崩壊
「どういうことなの!? セバス!」
「王女様……どうか、落ち着いてくださいませ」
城に戻った私は、セバスを問い詰めた。
秘密裏に平民街へ降りたことを咎められるかもしれない。しかし、そんなことは、もはやどうでもよかった。
私がこれまで学んできたことと、実際に目にした光景は、あまりにもかけ離れていたのだ。
平和で豊かなアルセリオ王国。
民の安寧を第一に考える、偉大な王族たち。
それらは、私が信じてきたものだった。
しかし、平民街で目にした現実は、そのすべてを否定していた。
セバスはしばらく沈黙していたが、やがて、もう隠し通すことはできないと悟ったのだろう。
彼は私に、アルセリオ王国の現状をすべて話してくれた。
「……おとう……さま、が……?」
聞かされた話は、平民街で出会った男の言葉と、ほとんど同じだった。
父は税を引き上げ、民から容赦なく富を搾り取っていた。
その結果、国民は疲弊し、各地で貧困や治安の悪化が深刻化しているという。
父は民の暮らしを顧みることなく、王としての責務を放棄していたのだ。
今までの歴代の王たちと同じように、父もまた、素晴らしい治世を行っているものだと信じて疑わなかった。
けれど、現実は真逆だった。
私が誇りに思っていたアルセリオ王国は、父によって、その名を汚されていたのだ。
「…………」
目の前が、真っ暗になった。
これ以上の絶望が、この世にあるのだろうか。
それからというもの、私は父や上層部に対し、民への重税を撤廃するよう何度も進言した。
「お父様! 民は、我々が課した重税によって苦しんでいます! どうか、どうか税の緩和をご検討ください!」
しかし、私の訴えに対し、父は心底興味がなさそうに息を吐いただけだった。
その瞳を見た瞬間、私は悟った。
今まで父が私に構ってくれなかったのは、執務が忙しいからだと思っていた。
王として、国民のことを第一に考えているからこそ、私に構う余裕がないのだと。
けれど、違った。
父が関心を寄せていたのは、自分自身の利益だけだった。
私のことも、民のことも、どうでもよかったのだ。
「お前が普段着ている服も、食べている物も、そのすべては民の税によって賄われている。税を取るのをやめろと申すなら、まずはお前が民の税を使うのをやめたらどうだ?」
「そ、そんな……! で、でも、あまりにも取り立てる税が多すぎます! 民衆の不満は高まり、巷では反王国の旗を掲げる者まで出ているのです!」
「安心せい。そのような輩は軍の者どもが殲滅している。二度と王族に楯突かぬよう、多少荒っぽく教育しているだろうさ」
「……っ! なにを、言っているのですか……?」
民から税を搾り取るだけでは飽き足らず、反抗する者たちを武力でねじ伏せる。
それが、国を治める王のすることなのだろうか。
このような統治が、いつまでも続くはずがない。
「アリナ。どれだけお前が声を上げようと、所詮お前はまだ10歳の子どもだ。政治に口を出すには、5年早いわ」
「そんな……! お父様! どうか、どうか私の言葉に耳を……!」
父は、私の訴えに耳を貸そうとはしなかった。
私がどれだけ言葉を尽くしても、父の心には届かない。
父の目には、民の苦しみなど映っていなかった。
それは、父の周囲にいる人間も同じだった。
祖父の代から仕えていた優秀な貴族たちや、父の政策に異を唱えた者たちは、次々と権限を剥奪され、城から追い払われたという。
今や父の周囲に残っているのは、父と同じように、自分の利益しか考えない者たちばかりだった。
「……なんて、ことなの……」
ここまで王族の腐敗が進んでいたなんて。
私は、何も知らなかった。
いや、知らされていなかったのだ。
けれど、現実を知ったところで、私にできることはほとんどなかった。
周囲には権力を持つ者が大勢いる。
そして、その大半が敵だった。
まだ10歳の私には、彼らに対抗する術などなかった。
平民街へ降りたことが父の耳に入って以来、私に対する監視はさらに厳しくなった。
私は城の外へ出ることすら許されなくなった。
それでも、父への抗議をやめるつもりはなかった。
いつか、自分が国を治める立場になったとき。
そのときこそ、父によって変わり果てた国を、苦しんでいる国民を救ってみせる。
そのために、何をすべきなのか。
どのような政策を打ち出せばよいのか。
私は必死に考え続けた。
いつか訪れる、その日のために。
私は毎日のように、国を立て直すための手立てを模索していた。
***
それから2年が経った。
私が12歳になり、平民街から反王族の声が、圧政によって次々と消されていった頃。
父は、正気を疑うような政策を決定した。
「お父様! 軍を縮小なさるとは、本気ですか!?」
あまりにも愚かな決定だった。
私は会議に乱入し、父に詰め寄った。
「民から重税を徴収するだけに飽き足らず、なぜ軍まで縮小しようとするのです!!」
私の叫びにも似た抗議に、父はまるで関心を示さなかった。
それどころか、周囲の貴族たちは、私に下卑た笑みを向けていた。
「私の一存ではない。ここにいる貴族全員の取り決めとして決定したのだ」
「甘言に惑わされたのですか! 軍を縮小し、隣国のセシュリア王国が攻め込んできたら、誰が国を守ると言うのですか!」
「同盟を組んでいるのだ。奴らも同盟期間が終わらぬ限り、攻めては来られぬ。攻めてくれば、他国からの信用も失うことになるからな」
「……っ!」
あまりにも浅はかな考えに、私は言葉を失った。
なんと愚かなのだろう。
同盟など、破られればそれまでだ。
相手が約束を守るという保証はどこにもない。
ましてや、こちらが一方的に軍備を縮小すれば、同盟が破棄されたときに困るのはアルセリオ王国の方ではないか。
他国からの信用を失うことなど、セシュリア王国が気にしなければ何の意味もない。
「民にまで危害が及んでからでは遅いのです!! 我々は王族として、民の平穏を守る義務があります! それこそが、王族の務めでしょう!!」
「それでは、王女様はセシュリア王国が同盟を破ってまで攻めてくる理由があると?」
側近の貴族が、私の言葉を遮るように問いかけた。
その口調には、私の意見を聞き入れるつもりなど微塵も感じられなかった。
この場にいる者たちは、誰一人として、王女である私に敬意を払っていなかった。
「……そんなの、我々の広大な大地に眠る鉱脈などの資源を狙われるかもしれません! それだけでも、セシュリア王国の富は倍以上に膨れ上がることでしょう! それに、我が国に住む10を超える珍しい種族が目的かもしれません! 攻め込む理由など、いくらでもあるのです!! そうなれば、あなた方の命も危険にさらされるのですよ!?」
彼ら自身の身に危険が及ぶと伝えれば、少しは考えを改めてくれるかもしれない。
そんな期待が、心のどこかにあった。
けれど、私の言葉は嘲笑によって打ち砕かれた。
「奴らが資源目当てに同盟を破り、国を攻め、民を傷つけにくるとでも? ハッハッハ! 奴らも、そこまで悪逆非道ではあるまい!」
「逆に、奴らが我々を守ってくれるのよ! 同盟国としてな!」
「我が国に、今や軍など不要! 最低限の治安維持ができる兵だけでよい!」
「…………」
私は、目の前に座る人々を見渡した。
この国の中枢を担う者たち。
国を守るべき王と、国を支えるべき貴族たち。
その誰もが、国の未来よりも目先の利益を優先していた。
自分たちの判断が、どれほど危険なものなのか。
考えようとすらしていない。
彼らの醜悪な姿を目の当たりにして、私の脳裏には、最悪の未来がありありと浮かんだ。
このままでは、国は滅びる。
父たちは、自分たちの手で国を壊そうとしている。
そして、誰もそれに気づいていない。
いや、気づいていても、止めようとしないのだ。
──この国は、崩壊してしまう。
その確信が、私の胸に重くのしかかった。
けれど、私にできることは何もなかった。
私は、まだ幼い。
政治に介入する権限もなければ、父や貴族たちを止める力もない。
あと3年。
あと3年経てば、私も成人し、政治に関わるための発言権を得られる。
そのときこそ、私がこの国を変えてみせる。
それまで、どうか。
どうか、何事も起こりませんように。
私はただ、祈ることしかできなかった。




