耳に残った言葉
私がこの屋敷の主人に買われてから、もう2週間の時間が過ぎた。
私たちは、基本的に自由に過ごすことができる。
起床時間、ご飯の時間、就寝時間は決めているが、それ以外は好きにしていいと、アイから伝えられた。
安全上外に出ることは禁止されているが、娯楽となるように本やボードゲームなどを与えられ、家の中にいても退屈しないように配慮されている。
私は自分に割り当てられた部屋で、窓から差し込む夕陽を、ただただ眺めていた。
「……なにも、してきませんね」
この2週間、私は彼が何かしらのアクションを起こしてくるだろうと、気を張り詰めていた。
私だけではない。他の少女たちもそうだろう。
気まぐれに電流を流されるのか?
夜に部屋へと連れ込まれるのか?
食事を抜かれるのか?
暴力は?
暴言は?
少なくとも何かしらの本性が見れるものだと思っていた。
しかし、彼は何もしてこない。
というか、彼は基本、自身の部屋から出てこない。
執務室に引きこもって、一日中何かをやっている様子だ。
いざとなったら私があの子達の身代わりになることも考えていたけれど、そのような様子もない。
ただ、私たちは美味しいご飯を食べて、上質な洋服を着て、ふかふかなベッドで寝て、1日を終えている。
健康に過ごせてはいるが、私たちからしてみたら困惑しかない。
「……」
わからない。
本当に、私たちを助けるために、私たちを買ったとでも言いたいのか?
「……いや、そんなことはありえない」
金貨40万枚。
国家予算の10%だ。
正義感で払える値段にしては、あまりにも馬鹿げている。
今は、ただ彼が不気味だ。
コンコン
「アリナ様」
2週間で何度も聞いたノックの音に私は返事をする。
「なんでしょうか」
「お食事の時間です。どうぞ、食堂までお越しください」
「わかりました。ありがとうございます」
時計を見ると、もうお昼の時間となっていた。
ここにいると、前までの王族としての過密なスケジュールと比べてやることがなく、気がつくと時間が過ぎ去る。
「……っ」
立ち上がろうとした瞬間、頭の奥を鋭い痛みが駆け抜けた。
「…………」
私は眉をひそめ、こめかみに手を当てる。
まただ。
ここ最近、何の前触れもなく頭痛に襲われることがあった。
痛みはいつも突然やってくる。そして、しばらくすると何事もなかったかのように消えてしまう。
「…………」
私は目を閉じ、ゆっくりと息を吐いた。
考えても仕方がない。
今は、そんなことを気にしている場合ではないのだから。
そう自分に言い聞かせ、私は鏡台へと向かった。
少しだけ、化粧が薄くなっていた。
ここに来た初日に、メイドの方に無理を言って貸していただいた、化粧品をテーブルに広げる。
私はパウダーファンデーションを手に取った。
***
化粧を終えた私は食堂へ行き、席へ着く。
食堂での食事は、常に静かだ。
会話もなく、ただ食器の音が静かになっているだけの場。
私たち奴隷が全員揃うことはない。
常に自室で食べている方も何人かいる。
「……どう、思う……?」
1人の女の子が、そう話を切り出した。
「……なにが?」
その言葉に、その隣に座っていた女の子が反応した。
彼女の名前は、マリノといった。
奴隷オークションの舞台裏で、私に襲いかかってきた子だ。
マリノは彼女の言葉に眉毛がピクッと動いて、いかにも機嫌が悪そうだ。
琥珀色の髪の毛を左右で束ね、オレンジ色の洋服に身を包んでいる。
普段から吊り気味の目で、女の子の方を睨んだ。
「それは、えっと……」
話しかけた女の子はチラッと食堂の入り口に目をやる。
そこにはメイドが1人待機していた。
「……」
私はサッとメイドに対して手を挙げる。
メイドは入り口から離れ、私に近づく。
「はい、何かお困りでしょうか?」
「申し訳ありませんが、フォークを落としてしまって……新しいものを持ってきていただけませんか?」
「承知いたしました」
メイドが私からフォーク受け取り、食堂を後にする。
これで、食堂にいるのは私たちだけとなった。
そのことを確認して、女の子が話を続ける。
「ご主人様のこと……」
「ご主人様なんて呼ぶんじゃないわよ!」
マリノが叫んだ。
もしかしたらメイドに聞かれるかもしれないというのに、それもお構いなしに。
何人かの少女はその声にビクッと体を震わす。
「で、でもさ、この家に来てしばらく経つけど何もしてこないし……なんか変じゃない?」
「そんなの油断させようとしてるに決まってるでしょ!?」
マリノの意見も尤もだ。
何か裏があるのではないかと疑うのも仕方がないだろう。
私だってそうだ。
「信じられるわけないでしょ……! 奴隷を買うような奴のことなんて……!!」
マリノはそう言って、彼に対する怒りを露わにする。
私たちには、彼がどんな人間かもわからないのだ。
アイがどのような人間か、もっと知りたい。
向こうからアクションがないのであれば……こちらから、仕掛けてみても良いか?
「彼のことが気になるようでしたら、私が探りを入れて参ります」
「……!」
「アリナ……王女……」
ほぼ全員が私に目を向け、目を逸らす。
いや、マリノだけは睨みつけるように私を見た。
「……なんで貴方が?」
「私も、あの方について何も分かっていないので」
「あっそ。せいぜい、機嫌を損ねて殺されないようにね」
「……ご忠告痛み入ります。ありがとうございます」
そう言って私は最後の一口を食べ終え、席を立った。
「お待たせいたしました。新しいフォークを……あら?」
「スプーンで食べることができました。ご足労をおかけして、申し訳ありません」
「は、はぁ……」
メイドに謝罪をして、1人食堂を後にしようとするが……
「自分1人だけ化粧をして、奴隷に落ちても随分と優雅なのね、元王女様は」
マリノの口から、皮肉が飛んでくる。
彼女の目は私に対しての憎悪で満ちていた。
「私たちがこんな目にあっているのも、あんた達のせいだって事忘れないでよね」
マリノの放った言葉が、私の耳に響いた。
***
「……ここが、彼の執務室」
目の前に佇む、重厚な木製の扉。
アイは、基本的に毎日この部屋から出てこない。
食事も執務室の中で済ませているらしく、私たちが彼と顔を合わせるのは、入浴やトイレなどの用事で廊下ですれ違うときくらいだった。
「いったい、この中で何を……」
私は扉に手を伸ばし、そっと触れた。
指先が、わずかに震えている。
……大丈夫。
きっと、何かをされることはない。
彼にその気があったのなら、私たちはこの2週間のうちに、とっくに酷い目に遭わされていたはずだ。
……それに、もし何かをされたとしても、それを交渉材料にすることはできる。
あの子たちを守るために。
私はゆっくりと息を吸い、吐いた。
そして、意を決して扉を叩く。
コン、コン、コン。
ノックの音が廊下に響いた。
「どうぞー」
返事は、すぐに返ってきた。
「……?」
どこか気の抜けたような声だった。
思わず首を傾げたものの、私はすぐに気を取り直す。
「失礼いたします」
扉を開く。
その先に広がっていたのは、私が想像していたものとはまるで違う光景だった。




