好待遇
「湯浴みがお済みの方から、こちらへどうぞ」
風呂場で身を清めた後、私たちは再びメイドに案内されていた。
清潔な服に着替え、温かい湯で身体の汚れを落とした。しかし、首元に残る冷たい首輪が、その感覚を台無しにしていた。
どれほど身体を綺麗にしたところで、私たちが奴隷であるという事実は変わらない。
「こちらです」
メイドが扉を開く。
その先にあったのは、広々とした食堂だった。
長いテーブルの周囲には椅子が並び、その上には、すでに豪華な料理が用意されていた。
そして、食堂の奥では、アイが私たちを待っていた。
「お腹空いているよね。みんなでご飯を食べよう」
目の前に広がる光景に、私は思わず足を止めた。
暖かそうなコーンスープ。湯気を立てる七面鳥の丸焼き。焼きたてのような香ばしいパン。色鮮やかな野菜が盛りつけられたサラダ。
ほかにも、肉料理や果物など、数え切れないほどの料理が並んでいた。
どれも、私たちのために用意されたものなのだろう。
目の前の料理を見て、何人かの少女が目を輝かせていた。
無理もない。
私たちは、ここへ来るまで昼から何も食べていなかったのだから。
ぐう、と。
誰かのお腹が鳴った。
その音が聞こえたのか、アイが小さく笑う。
「それじゃあみんな、空いている席に自由に座って――あれ?」
そこで、彼は何かに気づいたように私たちを見回した。
「……なんか、少なくないかな?」
食堂に入ってきたのは7人。
10人いるはずなのに、3人足りなかった。
食事を拒んだ少女たちは、先ほどの大広間に残っている。
何が入っているか分からない食事など、口にできるはずがない。
そう考えているのだろう。
「……そっか。仕方ないね。ちょっと僕から声をかけてみるよ」
アイはそう言って席を立った。
「あ、僕は待たずに食べてていいからね。みんなお腹空いてるだろうから、たくさん食べて」
それだけ言い残し、彼は食堂を出ていった。
扉が閉まる。
再び、静寂が訪れた。
誰も、料理に手をつけようとしなかった。
お腹は空いている。
目の前の料理は、どれも美味しそうだった。
けれど、だからこそ警戒してしまう。
毒が入っているのかもしれない。
あるいは、何か別の目的があるのかもしれない。
……いや。
毒を盛る可能性は低いだろう。
あの男は、私たちを買うために金貨40万枚もの大金を支払った。
わざわざ大金を投じて手に入れた奴隷を、食事で殺すとは考えにくい。
それでも、信用する理由にはならなかった。
これまで、私たちは何度も人間の悪意を見てきた。
表向きは優しく接しながら、裏では何を考えているか分からない人間もいる。
甘い言葉を信じた結果、さらに酷い目に遭うことだってある。
だから、私は簡単に信じない。
信じて、裏切られるくらいなら。
最初から、何も期待しない方がいい。
「…………」
このままでは、いつまで経っても食事が始まらない。
私はテーブルへ視線を落とした。
目の前に置かれたコーンスープは、まだ温かそうだった。
……私が、毒味をすればいい。
もし毒が入っていたとしても、被害を受けるのは私だけで済む。
ほかの少女たちに食べさせる前に、確かめればいいのだ。
私はスプーンを手に取った。
少女たちの視線が、一斉に私へと集まる。
スプーンでスープを掬い、ゆっくりと口に運ぶ。
「…………」
毒は、入っていないようだった。
けれど、それ以上に驚いたことがあった。
私はスプーンを置き、少女たちを見回した。
「……大丈夫ですよ。毒などは、入っていないようです」
そう告げると、少女たちは互いに顔を見合わせた。
そして、恐る恐る料理へと手を伸ばす。
最初にスープを口にした少女が、目を見開いた。
「……!」
「美味しい……!」
その声をきっかけに、少女たちは次々と料理を口に運び始めた。
パンを頬張る子。
肉料理を夢中で食べる子。
何度もスープを口に運ぶ子。
先ほどまでの警戒心は、空腹と料理の美味しさに押されるように、少しずつ薄れていった。
「おいしい……おいしいよ……」
そう呟きながら、涙を流している少女もいた。
その姿を見て、胸の奥が締めつけられた。
この子たちは、どれほど辛い思いをしてきたのだろう。
ただ温かい食事を与えられただけで、涙が出るほど追い詰められていたのだろうか。
「…………」
私は、少女たちの姿を黙って見つめていた。
彼女たちが食事を楽しんでいることに、安堵を覚えていた。
けれど、私自身は、ほとんど食べられなかった。
数口だけスープを口に運び、私はそっとスプーンを置いた。
***
「それでは、寝室にご案内いたします」
食事を終えた私たちは、再びメイドに案内され、屋敷の奥へと向かった。
長い廊下を進みながら、私は周囲を見回す。
壁には美しい装飾が施され、足元には柔らかな絨毯が敷かれている。
どこを見ても、贅を尽くした造りだった。
「皆様には、お一人につき一部屋ずつご用意しております。何かございましたら、メイドをお呼びください」
「…………」
1人に、1部屋。
思わず、耳を疑った。
奴隷に個室を与えるというのか。
私たちがどれほど高級な奴隷として扱われていたとしても、ここまでの待遇は想像していなかった。
「アリナ様はこちらです」
メイドに促され、私は1つの扉の前で足を止めた。
扉が開く。
そこには、豪華な客室が広がっていた。
天井には巨大なシャンデリアが吊るされ、壁際には無数の照明が並んでいる。琥珀色の光を放つランプが、部屋全体を柔らかく照らしていた。
黒檀で作られた衣装箪笥。
金銀の細工が施された鏡台。
そして、部屋の中央に置かれた大きなベッド。
純白のシーツには皺ひとつなく、ふっくらとした寝具が整えられていた。
まるで、王族や大貴族が客人を迎えるために用意する部屋のようだった。
「それでは、ごゆるりとお休みください。朝食の時間になりましたら、お呼びいたします」
「……はい」
私が返事をすると、メイドは一礼して部屋を出ていった。
扉が閉まる。
ようやく、1人になった。
「…………」
私はベッドの端に腰を下ろした。
身体が、柔らかな寝具に沈み込む。
その感触に、思わず息が漏れた。
……こんなに柔らかいベッドに寝るのは、いつ以来だろう。
牢獄の冷たい石畳とは、比べるまでもない。
「…………何を考えているのだろう、私は」
いったい、あの男は何者なのだろう。
どうして、奴隷である私たちに、これほどの待遇を与えるのだろう。
豪華な食事。
1人1部屋の寝室。
まるで、私たちが奴隷ではないかのような扱いだった。
まさか、本当に私たちを普通の人間として扱うつもりなのだろうか。
「……いや」
そんなはずはない。
私は小さく首を振った。
これまでの経験が、そう告げている。
どれほど優しい言葉を口にしていても、どれほど親切に振る舞っていても、その本性は別のところにあるのかもしれない。
……でも。
では、あの男はいったい何を望んでいるのだろう。
「…………」
考えても、答えは出なかった。
「……もういい」
今日は、もう何も考えない方がいい。
今の私に分かることなど、ほとんどないのだから。
ここで過ごしていれば、いずれあの男の本性も見えてくるだろう。
そのときこそ、私の出番だ。
私はベッドの上で、そっと拳を握りしめた。
絶対に、あの子たちに手を出させない。
どんな手を使ってでも、私が守る。
絶対に。




