優しさの溢れた瞳の中で
彼は青ざめた顔でうなだれ、ついにすべてを話した。
私たちを購入したことで、この家にはもう金貨が200枚ほどしか残っていないという。
ベッドの上に、証拠を示すかのように並べられた金貨200枚。それを目の当たりにした私は、開いた口が塞がらなかった。
「……どうして、こんな馬鹿なことを……?」
「……だ、だから、ずっと言ってるでしょ……。君たちを助けたかったんだ。それ以上の理由はないよ」
先ほど、思わず口を滑らせたときの彼の青ざめた様子を思い返せば、嘘をついているとは思えなかった。
これで嘘をついているのなら、セバスにも引けを取らない大嘘つきだ。
それに、彼が慣れない投資を始めた理由も、これなら納得できる。
――お金に余裕がなくなったから、少しでも増やそうとした。
そして、ほぼ全財産を使い果たしたという話が事実なら、この人は本当に……。
「貴方は……本当に、私たちを助けるために……? ただ、それだけのために、全財産を使ったというのですか?」
「うん……」
脳が、理解することを拒んでいた。
「なぜ……? こんなことをして、貴方に何の得があるのですか?」
「と、得って……そんなこと、考えてなかったよ……。あのときは、ただ夢中で……」
彼は言葉を探すように視線をさまよわせ、それから、静かに口を開いた。
「僕には、君たちを救う力があったから……」
「……っ!」
その言葉を聞いた瞬間、ようやくわかった。
なぜ、私はこの人に、これほどまでの苛立ちを覚えていたのか。
『私には、本当に何もできなかったのだろうか……』
『あの王国で、民を救うことができたのは、私だけだった』
『それなのに、私は年齢を理由に、ただ祈っていただけだった。何もできないと決めつけて、何かをしようとさえしなかった』
『もっと、ほかにやりようがあったのではないか?』
『私がもっと頑張っていれば、あんな結末を避けられたのではないか?』
この人は、私にはできなかったことを、やってのけたのだ。
自分のすべてを賭けてでも、見ず知らずの人間を救った。
一方の私は、救う力があったはずなのに、何かしらの理由をつけて行動せず、結局、誰ひとり救えなかった。
そんな私が、この人を認められるはずがなかった。
認めてしまえば、自分が何もできなかったという事実を、改めて突きつけられる気がしたから。
「じ、じゃあ、なぜ……私たちを利用しないのですか……?」
それでも、まだ納得できなかった。
どうしても、この人を否定したかった。
「り、利用って……そんなことするわけないじゃないか」
「よくわかりませんッ!!!」
胸が痛くて、思わず叫んでいた。
私の剣幕に、彼は目を丸くする。
「貴方が私たちのせいで窮地に陥っているというのなら、せめて私たちを利用するべきですッ!!」
頼むから、悪人であってほしい。
そうでなければ、耐えられなかった。
だって――。
『もし、私ではなく、この人が王子の立場だったら、アルセリオは滅びなかったかもしれない』
そんな考えが脳裏をよぎる。
そして、その可能性を想像した自分自身が、どうしようもなく許せなかった。
「私のことなど、いくらでも政治に利用できるはずです! 連れ歩くだけでも、貴族とのコネクションを築けるでしょう! それなのに、なぜ、それをしないのですかッ!?」
「だ、だって、そんなこと、君だってしたくないだろう?」
「私のことなど、無視すればいいでしょう!! 私が苦しもうが、どうなろうが、貴方には関係のないことなのだからッ!!!」
いったい、何なのだ、この男は。
なぜ、こうも私の心をかき乱してくるのだろう。
「何なんですか、貴方は……! 意味がわからない!」
――なぜ、こうも他人のことばかり考えられるのだッ!
「貴方という人間がッ!! 私は理解できなくてたまらないッッ!!」
叫び声が部屋に響き、静寂が戻った。
「……」
彼は私の顔を見つめたまま、しばらく考え込んでいた。
やがて、何かに納得したように、小さく頷く。
「そっか……」
そして、まるで幼い子どもに言い聞かせるような、穏やかな声で口を開いた。
「君は、罰してほしかったんだね」
「……は……?」
その言葉が、胸の奥深くに突き刺さった。
「ずっと、ずっと、自分を責め続けてきたんだね。民を助けることができなかったから……。だから、何の見返りも求めずに君たちを助けた僕が、どうしようもなく腹立たしいんだね」
心の奥底を、見透かされた。
「でも、それは君のような子どもが負うべき責任じゃない」
「違うッ!! 子どもの前に、私は王女で……!!」
「違う。王女の前に、君は子どもだ」
「……っ!」
「何度だって言うよ。君は子どもであり、今回の殺戮……そして、国王の圧政の被害者なんだ」
優しくも、揺るぎない言葉。
それなのに、私は何も言い返せなかった。
「君たちは、あの殺戮で地獄を見てきた。故郷を燃やされ、大切なものを何もかも奪われた子どもたちだ。その被害者の中には、もちろん君も入っているんだよ、アリナ」
――そんな、ことない。
私の、せいで……。
みんなは……。
「僕は、子どもだけは、守られる立場にいなきゃいけないと思ってる」
――違う……。
私は、守る側で……。
守らなければならなかったのに、守れなかった。
「だから、僕は君たちを利用したり、傷つけたりするつもりはない。僕が助けたみんなには、幸せになってほしい。それが、僕の望みだよ」
否定したかった。
彼の言葉を、すべて否定してしまいたかった。
けれど、声が出なかった。
傷つき、固く閉ざされていた心に、彼の言葉が染み込んでいく。
まるで、傷口に直接薬を塗り込まれるように、痛くて、苦しくて、それなのに、どこか温かかった。
「ねえ、アリナ」
彼の瞳が、まっすぐに私を見つめていた。
「ここでは、無理をしなくていいんだよ?」
「……っ!」
彼の瞳には、信じられないほどの優しさで溢れていた。
――どうして、そんな目ができるの……?
「王女としての威厳を保つために、いつも凜としているけれど、君はまだ12歳で、子どもなんだ」
その言葉が、心の奥に触れた。
張り詰めていたものが、少しずつ溶かされていく。
じんわりと広がる温もりが、私を包み込む。
すべてを投げ出して、身を委ねてしまいたくなるような温かさだった。
「心を押し殺さなくていい。泣きたいときは、泣いていいんだよ」
やめて。
そんな、凶器にも似た優しさを、私に向けないで。
「ここには、僕しかいないから」
嫌だ。
「アリナ」
や……。
「今まで、よく頑張ったね」
その一言で。
私の心の中で、張り詰めていたものが、一気にほどけた。
「う、うぁああああああああああああああああ――っ!!」
私は、椅子に座る彼に縋りついた。
恥も、尊厳も、何もかも投げ捨てて。
胸の奥に溜まり、濁り、渦巻き続けていたものを、すべて吐き出した。
「わ、わたし、わたしが、ぜ、ぜんぶ、わるかっ……わるかったんです……!! なにっ、なにも……! なにも、しなかったからぁ……!!」
「そんなことないよ。君のせいじゃない」
彼は、うまく言葉を紡げない私を安心させるように、そっと背中を撫でてくれた。
「ずっと、ずっと……あの日から……っ! 夢に出てくるんです……!! 『お前のせいだ』ってぇ……!」
「そうやって、ずっと自分を責めてきたんだね」
「いまさら、こんなに後悔したって……! もう、わたしには……なんの力もなくてぇ! ほんとうに、祈ることしか、できなくて……!」
「一生懸命、願っていたんだね。自分の国の人たちのことを、ここまで心が壊れてしまうほど、ずっと想い続けていたんだね」
彼の腕が、優しく私を包み込んだ。
「もう、大丈夫。僕がここにいるから」
――温かい……。
彼の腕には、太陽の光のような温もりがあった。
すべての不安から、私を守ってくれるような温かさ。
その温もりに身を委ねるように、私は少しずつ力を抜いていった。
「君が自分自身を許せるようになる日まで、僕はずっとそばにいるよ」
その言葉を最後に、抗いようのない眠気が私を襲った。
眠ることが、あれほど怖かったはずなのに。
彼の腕の中では、不思議と恐怖を感じなかった。
何もかも預けてしまいたくなるような、温かな光の中で。
私の意識は、ゆっくりと沈んでいった。




