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親も国も人権も、全てを失った私たちが、ご主人様に救われるまで  作者: 平元桜央
役立たずの王女

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謝罪


「ごめん……なさい……」


自分の口からこぼれた謝罪の言葉で、私は目を覚ました。


見慣れた自分のベッドの上。上半身を起こすと、額に載せられていた濡れたタオルが、膝の上へと滑り落ちた。


触れてみると、驚くほど冷たい。つい先ほどまで氷水に浸されていたかのようだった。


おかげで、いつもよりは頭痛が和らいでいる気がする。


体にはまだ鉛のような重さが残っていたが、それでも、今までの最悪な目覚めに比べれば随分とましだった。


キィ……。


廊下の向こうは薄暗い。静寂の中、ゆっくりと扉が開いた。


「あ、起きた?」


「……!」


彼だ。


いったい、何をしに来たのだろう。


こんな夜中に、わざわざ私の部屋へ……。


警戒する私を見て、彼はどこか寂しそうに笑った。


「何もしてないよ……僕は看病してただけ」


「……看病?」


彼の手元に目を向ける。


そこには、氷水の入った洗面器があった。


「……っ!」


洗面器を持つ彼の手は、長時間水に浸していたせいか、白くふやけていた。指先には赤みが差し、ところどころ血が滲んでいる。


何度も何度も、タオルを絞ったのだろう。


私が眠っている間、ずっと……。


「熱はどうかな? 少しは下がったと思うけど……」


「……だいぶ、下がったと思います」


まだ頭は重いものの、先ほどまでの苦痛はない。


私は額に載せられていたタオルを拾い、彼に差し出した。


「看病してくださって、ありがとうございます……ですが、どうして貴方が看病を?」


「え? だって、君たちを引き取った以上、僕は君たちの親代わりみたいなものだし……そんなに変なことじゃないでしょ?」


「……ふっ……親、ですか?」


思わず、嘲笑が漏れた。


彼の言葉が、あまりにもおかしかったのだ。


けれど、私の反応を気にした様子もなく、彼はあっけらかんと笑った。


「汗もかいたよね? 着替えたほうがいい。ここにタオルがあるから、自分で体を拭いてね。歩けるかい?」


「……はい」


「よかった。喉も渇いたでしょう? 水を持ってくるよ。僕は扉の外で待っているから、着替えが終わったら呼んでね」


そう言い残すと、彼は部屋を出ていった。


『僕は君たちの親代わりみたいなものだし……そんなに変なことじゃないでしょ?』


……なんなのだ、彼は。


あの言葉が本心だというのなら、いったいなぜ、わざわざ苦労を背負い込んでまで、私たちの親代わりになろうとするのだろう。


──親なんて……そんなもの……。


脳裏に浮かんだ、もうこの世にはいないあの男の顔。


私は、それを振り払うように目を伏せた。


思い出すだけで、また気分が悪くなりそうだった。


着替えを済ませると、彼が水を持って戻ってきた。


私は差し出された水を受け取り、一気に飲み干した。汗をかいたせいか、喉がひどく渇いていた。


彼はベッドの横に置かれた椅子に腰を下ろす。


しばらくの間、沈黙が続いた。


彼は気まずそうに視線をさまよわせ、何か話題を探しているようだった。


……交渉や取引の駆け引きには、まるで向いていない人間らしい。


「あ、お腹すいたよね? 何か作ってこようか?」


思いついたように言うと、彼は椅子から立ち上がろうとした。


「リクエストはあるかな? 昔は自炊していたから、料理にはちょっと自信があるんだよ」


「待ってください。そんなことより、1つだけ聞かせてください」


私は彼を引き止めた。


料理など、どうでもいい。


今、私が知りたいのは、そんなことではない。


「……? うん、何かな? 何でも聞いて」


「貴方の目的を教えてください」


私は単刀直入に尋ねた。


駆け引きをするのも、遠回しな質問を重ねるのも、もう面倒だった。


これ以上、この男のことで頭を悩ませるのはごめんだ。


今ここで、彼の思惑を聞き出す。


私の問いに、彼は目を丸くした。


「……目的?」


「私たち奴隷を全員買って……いったい、何をしようとしているんですか?」


質問の意図を察したのか、彼は少し考え込んだあと、困ったように頬をかいた。


「別に、何もないよ」


「……は?」


「目的なんて、何もない。君たちを買ったのは、ただ助けたかっただけだよ」


「……」


私は思わず、ため息をついた。


そんなお人好しが存在するはずがない。


まだ、鑑賞目的で買ったと言われたほうが納得できる。


「誤魔化さないでください。金貨40万枚という大金を払ってまで、見ず知らずの人間を助けるなんて、馬鹿のすることです」


「ば、馬鹿って……」


「……よくわからないのです。貴方のことが」


私は俯き、これまで胸の内に溜め込んできた疑問を吐き出した。


「私たちがオークションで売られている奴隷だと知ったとき、貴方は私たちに酷いことをするつもりなのだと思っていました。でも、もうすぐ1ヶ月になるというのに、貴方は何もしてこない」


私たちは、この男に逆らえないのだから。


それなのに、彼はそうしなかった。


「私が貴方の投資を手伝おうと申し出たときも、貴方は私を利用しようとはしませんでした」


「あ、あの申し出って、そういうことを確かめようとしていたんだ……」


……やはり、私の思惑には気づいていなかったらしい。


「それに、貴方には私たちのような高額な奴隷を全員買い取れるだけの財力がある。それなのに、投資の仕方も知らず、貴族とのコネクションを利用することすら思いつかない。到底、貴族とは思えない行動ばかりです」


私は顔を上げ、彼を見つめた。


無害そうな顔。


人を騙そうなどとは、微塵も考えていなさそうな顔。


それが、かえって不気味だった。


「貴方は、いったい何者なんですか? 私たちを買って、何がしたいんですか?」


それさえわかれば、今はもう、ほかのことはどうでもよかった。


ただ、貴方のことを知りたい。


それは、純粋な気持ちだった。


「な、何者か……うーん……」


答えないことは許さない。


そう目で訴えても、彼は気まずそうに視線を逸らした。


「もし答えないのであれば、ここで叫び声を上げます」


「へっ!?」


「そうすれば、他の少女たちからの信頼は地に落ちるでしょう。それが嫌なら、正直に話してください」


我ながら、無茶な脅しだとは思う。


けれど、もうなりふり構ってはいられなかった。


「ちょ、ちょっと! そ、そんな横暴な!」


「いいんですか? 叫びますよ? 3、2、1……」


「わ、わかったよ! 話すから、やめて!!」


私が息を吸い込んだところで、彼はとうとう観念した。


「僕が隠していても、君のストレスになってしまうだろうし……話せることは話すよ」


「とりあえず、それで構いません。ただし、私が納得するかどうかはわかりませんが」


「そ、そうだな……。とはいっても、何から話せばいいのやら……」


彼は腕を組み、しばらく考え込んだあと、ゆっくりと口を開いた。


「まず、1つ勘違いしているのは、僕は貴族じゃなくて平民だってこと」


「……え?」


最初に飛び出してきた言葉は、私の予想を大きく裏切るものだった。


「ただの……平民?」


「う、うん」


確かに、この1ヶ月ほど、彼を訪ねてくる客は1人もいなかった。


彼自身も、屋敷ではほとんど書斎にこもり、新聞を読んでいるばかりだった。


平民だというのなら、貴族とのつながりがないことも、投資に詳しくないことも説明はつく。


しかし、それでは、私たちを買い取った大金はどこから来たというのだろう。


「では、私たちを買い取るほどの大金は、いったいどこから湧いて出てきたのですか?」


「えーっと、それは……故郷で貯めたお金、なんだ」


「故郷……?」


それもまた、意外な言葉だった。


私はずっと、彼はセシュリア王国の人間だと思っていた。


「故郷で、平民の貴方が、あれほどの大金を貯めたというのですか?」


「そ、そうなんだ。でも、僕の故郷はこの国とは物価が違って……そこそこの大金が、こっちでは2000倍くらいに膨れ上がっちゃって……」


「……」


この男は、いったい何を言っているのだろう。


セシュリア王国とは物価が2000倍も違う国?


そんな国が存在するなど、聞いたこともない。


私が疑わしげな目を向けると、彼は慌てて両手を振った。


「いや、本当なんだ! これだけは信じて!」


「では、その国の通貨は何ですか? 両替をしてもらったということは、両替所の人間は、その通貨を知っていたということですね? それなら、私にもわかるはずです」


「う……」


彼は言葉に詰まった。


けれど、嘘をついているようには思えない。


ということは……。


「……まだ、何かを隠していますね」


言い当てられた彼の肩が、ぴくりと跳ねた。


「……よほど、叫ばれたいようですね」


「ご、ごめん! 悪気はないんだ! ただ、君を信用していないとか、そういうことじゃなくて……信じてもらえないと思って、黙っていたんだ!」


腹を括ったのか、彼は一度深呼吸をしてから口を開いた。


そして、次に告げられた言葉は、これまでの話をはるかに超える、突拍子もないものだった。


「僕は……違う世界から来たんだ」

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