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祖国、万歳

 クイトの前世の■■■は、偉大な勇者だった。最大の功績は、魔族との戦争だった。幾つもの国を破って、破竹の勢いで襲ってきた魔族の軍勢と戦わなければならなくなった。国民も将兵も悲観的になったが、作戦責任者に任命された■■■は、コツコツと手を打っていた。

 ■■■は戦場から逃げ出した他国の軍隊の敗走兵を受け入れた。他の国は敗走兵を軽蔑し、食い扶持を増やしたくないので、入国を拒否した。だが■■■は大勢の敗走兵を保護し、負傷者は治療した。その一方、参謀たちに敗走兵から情報を集めるように指示した。だが敗走兵の話は大げさで、当てにならなかった。若い参謀が痺れを切らして、■■■に進言した。


「閣下、彼らの話は信用できません。時間の無駄です」

「全員から話を聞いたか?」

「はい」

「確かに時間の無駄だな。今日でやめよう。彼らの話は参考程度にとどめておけ」


 そう言うと、敗走兵を集めて、彼らのために椅子を用意するように指示した。


 翌日、■■■は敗走兵たちの前で話を始めた。


「諸君、君たちが戦場から持ち帰った貴重な情報により、我が軍は最善の準備を整えることができた。軍を代表して、感謝する」


 この言葉は全員を驚かせた。敗走兵たちは逃げたことに感謝されるとは思っていなかったし、参謀たちは彼らの話を信用していなかった。それは■■■も同じはずだ。


「魔族の軍は、山岳地帯の街道を進軍している。我が国を襲うのは時間の問題だ。だが我が国は負けることが許されない。我が国の後方は広い平野だ」


 ■■■の国は、北の四分の一が山岳地帯、南の四分の三が平野になっている。南の三つの隣国は、ほとんどが平野部だ。魔族の軍は北から侵攻してきた。


「平野では地の利を使った戦闘はほとんどできない。魔族との正面対決になれば、人間に勝ち目はない。それは諸君が一番よく知っているだろう。我が国を突破されたら、全ての人間は魔族に支配されるだろう。しかも最善と万全は違う。すでに三つの隣国から援軍を送ってもらったが、勝ち目は多くない。今は一人でも多くの味方が必要なのだ。魔族を知っている者なら、なおさらだ」


 参謀たちも■■■の狙いに気づいた。


「諸君から義勇兵を募る。だがこれは強制ではない。諸君の自由意志を尊重する。戦わないことを選んでも軽蔑などしない。私はまだ魔族と戦っていない。一回も戦わない者が、一度でも戦った者を軽蔑するなど許されない。これは私の、一武人としての信念だ」


 ■■■は少し間を置いて、敗走兵たちに自分の言葉が染み込むのを待った。


「諸君、私とともに戦ってくれる者がいれば、起立してくれ」


 およそ七割の者が即座に起立した。残りの三割も周囲を見て、起立した。全員に向かって■■■は言った。


「我が軍は勇敢にも志願してくれた戦友を歓迎する」


 この逸話(エピソード)は瞬く間に世間に広がった。他国に避難していた敗走兵の中からも、■■■の元に馳せ参じる者が多数現れた。みじめなお荷物の落ち武者たちは、戦意あふれる戦闘集団に化けた。その数は正規軍の一割にも達した。■■■はたった一回の弁舌で、戦力を一割も増やした。



 魔族の軍は狭い最後の峠道を進軍してきた。防御がしやすく、進撃が難しい地形の代表だ。道が狭いゆえ、大軍は長い列になって進むしかない。正面に立って同時に戦闘に参加できる兵力は限られる。不利になっても後ろに味方がいるため後退できない。弓矢は高い方から低い方へ射る方が、その逆より射程距離が長くなる。それは魔族の軍の総大将の魔王もわかっていた。だが気にしなかった。その理由は二つあった。一つはワイバーンなどによって編成された飛行部隊を擁していたこと。地形は空を飛ぶ軍勢には関係ないと考えていた。もう一つは人間を侮(あなど)っていたこと。魔族は勝ちすぎていたのだ。失敗から戦訓を学んでいなかった。

 魔王は人間が防御陣地を必ず峠(ここ)に作ると確信していた。どう考えてもここより防御に適した地形はないからだ。また人間は奇襲を多用したゲリラ戦を仕掛けてくると確信していた。少数が多数に勝つ方法はそれしかないからだ。

 序盤は魔王の予想通りになった。人間は峠道の途中に陣地を作り、道の両脇の森の中から攻撃を仕掛けてきた。ここまでは予想通りだったが、予想していなかったこともあった。人間の攻撃の主力は弓兵だった。弓兵は猛毒の毒矢を使った。地上だけでなく、飛行部隊への迎撃を徹底して行った。高い位置の方が有利というのは、空も同じだ。弓兵は山腹の森に隠れていた。目のよい魔族でも、高高度では迷彩で隠れた敵を発見できない。やむを得ず高度を落として山腹に接近すると、こちらが敵を発見するより早く、敵から毒矢が飛んできた。しかも一回攻撃するたびに、弓兵は森の中を移動した。飛行部隊は初めて大きな損害を被(こうむ)った。たまらず部隊長が魔王に報告した。


「陛下、これは由々しき事態です。今日はワイバーンとキメラを五頭も失いました」

「飛行部隊は百頭ほどいたはずだな? 五パーセントではないか」

「最初はそうでしたが、この三日間で十二頭も失いました。これまでの損害は合計でも三頭だったのです」

「なぜ急に増えたのだ?」

「この国は、山岳地帯の森の中に弓兵を潜ませています。毒矢を使っています」

「それは知っている。地上部隊の前衛から報告を受けている。ゲリラ戦術だ。想定の範囲内ではないか」

「飛行部隊は地上部隊より、二桁も数が少ないのです。損害が同数でも、飛行部隊のダメージは百倍以上になるのです」

「だが飛行部隊は必要だ。地上部隊は思うように動きがとれないのだ」

「戦果より損害の方が大きいのです。敵は森に潜んでいるのに、空は隠れることができません。毒矢で先制攻撃を受けたら、当然そうなります」


 魔王はイライラし始めた。


「ではどうしろというのだ?」

「戦力の補充が必要です。ドラゴン族を説得して、味方につけるのです。彼らなら固いうろこに覆われて、矢は効きません。炎を吐いて森ごと敵を焼き払えます」


 魔王は更に不機嫌になった。


「おまえは馬鹿か? ドラゴンを説得できるのなら、とうにやっておる。成功する見込みがないドラゴンの説得のためだけに、俺に本国まで使い走りをしろというのか?」


 飛行部隊長は空気が読めた。だが部下の命が懸かっているのだ。簡単には引き下がれない。


「では森を焼き払って、人間どもが待ち伏せをできないようにしたらどうでしょうか」

「焦土作戦か? それも却下だ。焦土作戦は防御側の戦術だ。俺たちは攻撃側なのだ。俺がなぜ遠征をしているのか、知らないのか?」

「人間どもから豊かな土地を奪い、領土を拡げるためです」

「その土地を自ら不毛の地にするのか。それでは遠征した意味がないではないか。それに補給をどうするつもりだ? ここまで遠征したら、魔界からの輸送だけでは追いつかない。ある程度、現地調達をしなければならない。森は食料となる動植物の宝庫だ。自分の兵糧を燃やすのか?」


 補給ができなくなる前に遠征をやめて、支配を固めるべきだった。飛行部隊長はそう思ったが、反論はしなかった。彼は空気が読めた。部下の命より、自分の命の方が惜しい。

 地上の方では、魔族が迫ってくると、人間は弓兵を槍兵に護衛させて、陣地を放棄して後退した。魔王はこれを軟弱と思った。魔王は完全に人間を侮っていた。行軍速度が大きく落ち込んでいることも、大して気にしなかった。本来は気にすべきだった。行軍速度が遅くなると、人間が奇襲を仕掛けてくる機会が多くなる。味方に損害が出る。塵も積もれば山になるのだ。



 魔族の軍の先頭が峠を越えた。後は下り坂だ。前衛は登りで苦労した分、一気に駆け下りて敵を蹴散らそうと、魔王の命令を待たず突撃を開始した。だが下りでも人間はゲリラ戦を仕掛けてきた。下り道には陣地の代わりに罠を仕掛けていた。前衛が罠につかまると、すかさず毒矢が飛んできた。敵を蹴散らすどころか、逆に損害を出した。これを知った魔王は前衛の指揮官を厳しく罰した。軍の秩序を維持するための当然の処罰だが、前衛を萎縮させる結果になった。



 魔族の前衛が狭い山道を抜けて、扇状地に進んだ。


「何だ、あれは?」


 新しい前衛の指揮官は驚いた。人間が扇形に、塹壕や柵(バリケード)による四重の防衛線を敷いていた。本来は城を攻めるときに使う重装備の投石機(カタパルト)まで用意していた。魔族たちは魔王から、人間は陣地は必ず峠に作ると聞かされていたのだ。経験が浅い指揮官は、魔王の話を鵜呑みにしていた。どう対応すべきか迷った。


「弓兵隊と魔法隊は攻撃を開始せよ」


 ■■■の命令と同時に、全ての防衛線が魔族の前衛に集中攻撃を浴びせた。幅が狭い峠道は、自分だけではなく、相手も戦闘に同時に参加できる人数が限られる。だが扇形に展開した防衛線なら、ほぼ全ての人数が戦闘に同時に参加できた。魔族の前衛は大きな損害を出した。


「いかん、退(ひ)け!」


 萎縮していた前衛の指揮官は後退しようとしたが、できなかった。後続の部隊が次々と扇状地に押しかけてきたのだ。新米の指揮官は後続部隊と部下の両方から揉みくちゃにされた。


「『退け』? そんなこと言った臆病者はどいつだ!」


 後続部隊から野次が飛んだ。前衛の未熟な指揮官はやけくそになった。


「前衛は突撃せよ!」


 無謀な突撃によって、前衛は全滅した。



 人間が扇状地に防衛線を敷いているとの報告を受けた魔王は、飛行部隊を差し向けた。それで安心してしまった。自分が山道を抜けるときには、人間の防衛線はズタズタになっているだろうと予想した。

 その予想は見事に裏切られた。魔王が扇状地を見たとき、防衛線は半分の二つしか突破できていなかった。差し向けた飛行部隊は全滅していた。山道を進撃しているとき、飛行部隊は大きな損害を出していた。そのことを忘れていた。命令を出したとき、飛行部隊長は反論も忠告もしなかった。空気を読んだ結果だった。

 魔王の本陣も後続の味方によって扇状地に押し出された。本陣の後ろにいた後衛にはフラストレーションが溜まっていた。山道を進むとき、自分たちは何もしていないのに、何度も前進を止められた。前衛の奴らは不甲斐ないと、イライラさせられた。ようやくそのうっぷんが晴らせると意気込んでいた。それが魔王の本陣を敵の正面にさらすことになるとは想像すらできなかった。


「魔王がいました!」


 陣地の本部には、六メートルぐらいの高さの塔が作られていた。そこで偵察をしていた斥候が報告した。報告を受けた■■■は、次の命令を斥候に出した。


「魔王が扇状地の中央に来るまで待て」


 そのときはすぐにやってきた。


「魔王が扇状地の中心に来ました!」


 ■■■はすかさず次の命令を出した。


「投石機(カタパルト)隊は第一次攻撃を開始せよ」


 投石機(カタパルト)は岩を投げた。その岩は魔王の頭上を越えて、山道の出口に落ちた。その場にいた魔族は押しつぶされた。岩は一つだけではなかった。幾つもの岩が、山道の出口に落ちた。いくら身体能力が高い魔族でも、容易に突破できない障害物(バリケード)が作られた。


「敵の後方の遮断に成功しました!」


 斥候の報告を聞いて、■■■は次の命令を出した。


「投石機(カタパルト)隊は第二次攻撃に切り替えろ。魔王の頭上に岩を落としてやれ。弓兵隊と魔法隊は攻撃を敵の本陣の正面に集中させろ。本陣にくさびを撃ち込め。突撃隊は用意しろ。くさびを撃ち込んだら突撃を開始する」


 ■■■は一メートル半もある長剣を振り上げた。このような長い剣を使うのは初めてだった。あまりに重くて振るのもままならない。だが剣士と槍兵を主力とした突撃隊の戦意高揚にはなった。義勇兵のほとんどが突撃隊に参加していた。彼らは長剣が敵に向かって振り下ろされるのを待った。

 岩は魔王とその護衛によって、魔法で粉砕された。投石機(カタパルト)の攻撃は通用しなかった。それでも弓兵と魔法使いの活躍で、魔王本陣の正面に突破口が開き始めた。だが攻撃を集中したため、他の敵に対する攻撃が不充分になった。貴重な弓兵と魔法使いにも損害が出始めた。■■■はぎりぎりのタイミングを見極めた。


「投石機(カタパルト)隊は第三次攻撃に切り替えろ。防衛線の維持を助けろ。弓兵隊と魔法隊は自衛に務めろ。突撃隊は前進せよ。我に続け!」


 ■■■は長剣を前に振り降ろした。それと同時に敵の本陣に突撃した。その後ろを剣士たちが追ってきた。義勇兵たちが剣士たちの先頭に進み出た。それどころか■■■を追い越して、真っ先に斬り込んだ。


「祖国、万歳!」


 義勇兵たちは自分を奮い立たせるため、少しでも敵をひるませるため、大声で叫んだ。多国籍部隊の義勇兵の間では、特定の国名を入れない「祖国、万歳」が合い言葉になっていた。だが本陣を守る魔族は強力だった。襲いかかってきた義勇兵を片手ではね飛ばした。だが次々と恐れを知らない義勇兵たちが群がってきた。

 義勇兵たちは敗北と逃走を経験していた。人としての尊厳を傷つけられた。それがいかにみじめなものか、いやというほどわかっていた。そんな自分たちに、■■■は救いの手をさしのべてくれた。保護したばかりか、汚名返上、名誉挽回の機会を与えてくれた。作戦の説明で、突撃隊に編成されたことを知ったときは武者震いした。頭の片隅では、自分たちは捨て駒にされるのではないかと、不安を感じていた。だがそうではなかった。突撃隊は最も危険だが、最も重要な任務だ。義勇兵たちは、同じ轍を踏むまいと、全員が自分に誓っていた。彼らは迷わず、弓兵と魔法使いが命を落として開いてくれた、文字通りの血路を突き進んだ。

 くさびを撃ち込まれ、そこから攻められた魔王の本陣は、脆くも崩れた。魔族は統率がとれなくなった。狭い扇状地は敵味方入り乱れての乱戦になった。戦場は混乱に支配されて、誰にも戦況がわからなくなった。その場にいた全員が、とにかく目の前の敵を倒すことしかできなくなった。

 投石機(カタパルト)は使えなくなった。使ったら、誰を潰すかわからない。投石機(カタパルト)隊の隊長は独自の判断で行動することにした。


「全隊員集合」


 投石機(カタパルト)を操作していた兵たちが集まってきた。


「剣を抜け」


 兵たちは護身用のショートソードを鞘から抜いた。


「我が隊は防衛線の部隊に加勢する。私に続け!」


 彼らは貧弱な武装で、地獄に飛び込んだ。

 参謀たちはそれを見ていた。

 ■■■に進言した若い参謀は、参謀長に願い出た。


「閣下、小官も前線で戦わせてください」

「ならん。おまえは若い。明日の祖国を背負う者だ。失うわけにはいかない」

「ですが……」

「ここは老いた者に任せろ。生き残っても先はたかがしれている。この戦場で死んだとしても、それはそれで武人の本望だ。四十歳以上の者は剣を抜き、私に続け。後は先任に任せる」


 高級将校たちはわずかでも勝率を上げるため、無謀にも地獄に飛び込んだ。

 残された参謀の中で、最も階級が高い者が命令を出した。


「ここからは先任の私が指揮をとる。全員、剣を抜け」


 若い参謀は驚いた。


「先任、それでは参謀長の……」

「今の指揮官は私だ」


 先任参謀がぴしゃりと言った。


「目の前の戦場が見えないのか? 作戦も何もあったものではない。今必要なものは作戦じゃない。兵士だ。明日の心配をしても、目の前の戦いが有利になるわけがない。今日負けたら、明日はない。優先順位を考えろ。自分なりに最善を尽くせ。祖国を守るということは、そういうことではないか?」

「はっ、その通りです」

「では最善を尽くせ」


 階級や兵科に関わらず、全ての将兵が戦った。



 ■■■は長剣を背中に背負い、慣れた剣で戦っていた。何人目かわからないが、魔族を切り殺したら、魔王の姿が見えた。魔王には四、五人の剣士が同時に挑んでいたが、敵わなかった。剣だけで倒すのは無理だと思った■■■は、声をかけた。


「魔王と戦っている者、退いて間合いをとれ」


 急に声をかけられた剣士たちは驚いたが、すぐにそれに従った。■■■は火炎魔法の呪文を唱えた。魔王を狙ってピンポイントの火炎攻撃を加えた。魔王が火達磨になった。


「今だ、かかれ」


 剣士たちは再び魔王に挑んだ。だが魔王はすぐに火を振り払い、剣士たちの攻撃を受け止めた。


「また間合いをとれ」


 剣士たちは従った。再び魔王は火達磨になった。


「今だ、かかれ」


 剣士たちは再び魔王に斬りかかった。だが魔王は再び攻撃を跳ね返した。

 魔王はキレる寸前だった。今度間合いをとったら、広範囲攻撃魔法で自分を取り囲んでいる剣士たちを攻撃してやろうと思った。巻き添えを食らって、味方に損害が出るかもしれないが、そこまで遠慮するつもりはなかった。このときも、魔王は人間を侮っていた。


「魔王は傷を負った。今こそ攻めろ。私も加勢する」


 ■■■は同じ手が三度も通用するとは思っていなかった。今まで使っていた剣を鞘に納め、背中の長剣を手にした。その剣先を魔王に向けて突撃した。重すぎて振り回すのには向かない剣だが、長いので突きには向いている。目の前の剣士が魔王にはね飛ばされた。剣士一人分の隙間ができた。すかさずそこを突いた。長剣が魔王の胸に刺さった。

 魔王は口から血を吐いた。傷口からも血が吹き出した。人間なら即死だっただろう。だが魔族の生命力は人間よりはるかに強い。


「おのれ、よくも俺に傷をつけたな!」


 魔王は■■■をにらみ、長剣をつかんだ。


「魔王から離れろ」


 返り血を浴びた■■■はそう指示を出すと、自分も剣を手放して離れ、呪文を唱えた。


「ふん! 貴様の魔法など、痛くも痒くもないわ!」


 まだ魔王は人間を侮っていた。今度は火ではなく雷(いかずち)の呪文だった。晴天に雷鳴がとどろき、一条の稲妻が空から降ってきた。そして魔王に刺さった剣に落雷した。

 剣に落雷した稲妻は、剣を通って魔王の体内に入った。神経と内臓を焼かれた魔王は、断末魔の悲鳴を上げた。この世のものとは思えない悲鳴だった。文字で表現することもできない、おぞましい悲鳴だった。戦場にいた者たちは全員悲鳴を聞いた。そして黒こげになった魔王が地面に崩れ落ちるのを見た。

 この瞬間、勝敗は決した。

 総大将を失った魔族は、戦う意志を失って逃げ出した。だが自分たちが通ってきた山道は、岩のバリケードで塞がれていた。必死に岩をよじ登る魔族に、仲間を殺された弓兵と魔法使いの生き残りが攻撃を加えた。背中を撃たれた魔族は転落した。地面に落ちた魔族に剣士や槍兵が群がり、何度も串刺しにした。岩を乗り越えることができた魔族は数人だけだった。 斥候が報告を持ってきた。


「魔族は全て退却しています!」

「伏兵はいないか、確認したか」

「確認しました。同僚が今でも魔族を見張っています」

「そうか。よく報せてくれた」


 勝ったのだ。全員が勝利を実感した。■■■が勝鬨(かちどき)の合図を出すのを期待した。

 返り血で真っ赤に染まった■■■は周囲を見回した。数えきれない死体が転がって、大地が真っ赤に染まっていた。その大地に立っている、数少ない味方を見た。義勇兵は一人もいなかった。それを見て、予想外の言葉を口にした。


「これだけか? これだけしか救えなかったのか、俺は!」


 ■■■は勝利を誇る前に、犠牲となった部下たちの死を悼んだ。だがすぐに、いつもの調子に戻った。


「動ける者は周囲を調べろ。まだ息がある味方がいたら、最優先で救助しろ。魔族は念のため、とどめをさせ」



 魔族は長距離の遠征を行った。それと同じ距離を敗走しなければならなかった。魔王が成敗されたという話は、たちまち世間に広まった。魔族に蹂躙(じゅうりん)された国々にも伝わった。だが蹂躙された国々の国民は、簡単には信用しなかった。しかし魔族たちが退却する姿を見て、本当だと信じた。義勇兵の話も伝わった。国内に身を潜めていた兵士たちは決起し、退却する魔族たちに追い打ちをかけた。魔界に生還できた魔族の数は一割だけだった。

 この戦争で■■■は自国だけでなく、他国の国民からも英雄と讃えられることになった。全滅した義勇兵たちも英雄になった。魔族に蹂躙された国々の国民は、彼らを自国の英雄と誇り、国の再建にとりかかった。このときの合い言葉は「祖国、万歳」になった。



 大損害を出したものの、劣勢な戦力で魔族に勝利した■■■は、首都へ凱旋(がいせん)した。首都の大通りを馬車に乗ってパレードをする、政治的なパフォーマンスだ。多数の将兵が戦死した。そのことを国民に忘れさせるための、パフォーマンスだ。■■■は気が進まなかったが、凱旋パレードは軍の命令だ。拒否できない。儀礼用の軍服に着替え、奴隷を伴って馬車に乗り込んだ。自分が中央の席に座り、奴隷を左後ろの席に座らせた。

 ■■■はパレードをするとき、必ず奴隷を一緒に馬車に乗せる。■■■はその理由を語ることはなかった。色々な憶測や噂が流れた。この国で奴隷を買えるのは、王族と貴族と将官だけだ。口が悪い者たちは、奴隷を見せて自慢しているのだと言った。好意的な者は、奴隷を護衛に使っていると言った。だが好意的な意見は、軍の部下たちを怒らせるものだった。護衛なら自分たちに任せるはずだ。部下たちはそう考えた。空気が読めない士官が、護衛を自分に任せて欲しいと言ったことがあった。


「護衛なら通りに配置させているではないか。それで充分だ。あれは護衛とは関係ない」


 ■■■はそう言った。だが士官は相当空気が読めなかったらしい。


「では、なぜ奴隷を乗せているのですか」


 ビーンボールな質問を、■■■は避けただけで怒らなかった。


「あれにしかできない仕事があるのだ。諸君には命じられないような仕事だ」


 ■■■はそれ以上を語らなかった。

 馬車が首都の門をくぐろうとしたとき、■■■は奴隷に命じた。


「レイ、例のやつを頼む」

「はい」


 大通りでは、大勢の国民が待ち構えていた。国民は馬車に乗った■■■を見ると、国旗や軍旗を振り、歓声を上げた。■■■の名前を連呼した。

 ■■■は熱狂的に自分を讃える国民に、威厳を保ちながらも笑みを浮かべた表情で、右手を振ってこたえた。

 だが左手は振らなかった。左半身は耳に神経を集中させていた。

 奴隷が■■■の左の耳元で、同じ言葉を何度も何度も繰り返しささやいていた。


「勘違いするな、■■■。おまえもただの人間なんだぞ」

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