未来
特務課の仕事は撤収でも迅速だった。アジトはすでに引き払い、七四式も出張所に転送していた。最後に残っていたのは、宮殿の中にいる者だけだった。彼らは皇帝の部屋に集合していた。
クイトは黒刀、自動小銃、拳銃を異空間にしまった。着ている物はそのままにした。着替えは戻ってからでもできる。
「みんな、ご苦労さん」
紫音が現れた。意外だったのは、バージェロを連れてきたことだった。
「どうしても自分の目で見届けたいと言うのでね」
紫音は周囲の視線の質問に答えた。そのバージェロはいきなりクイトを殴った。
「なんてことをしたんだ! いったい何人殺したんだ! これが人間のすることか!」
クイトは殴られたことを無視し、紫音に確認した。
「味方の損害は?」
「重傷一名、軽傷三名いや四名、戦死者なし。重傷者も命に別状ない。六ヶ月で完治する」
紫音はクイトが殴られたことを、カウントに入れた。
「そうか」
クイトもナノマシンで知っていたが、実際に会って確認がとれたので安心した。
「味方さえ助かれば、他はどうでもいいのか? 奴隷に武器を渡して兵士と戦わせたんだぞ! 彼らは何人死んでもいいのか!」
バージェロは非難を続けた。
「そんなことはありません。降伏した者を殺さないように呼びかけたのは知っているでしょう。犠牲者を減らし、復讐という負の連鎖を生まないように努力しました。それに一刻も早く奴隷を解放すべきだという点では、意見が一致したはずです。あなた方ができないから、我々がやったんです」
紫音に自分の無力を指摘されたバージェロは反論できなかった。そこで皇帝を見た。出血死しないように手当てを受けていた。日本では始まったばかりの再生医療は、協会ではかなり以前から使われていた。出血死しなければ元通りに治せた。
「彼をどうするんだ?」
「彼はこの世界の人間ではありません。元の世界に戻して、罪を償わせます」
「どうやって償わせるんだ?」
「それは我々にもわかりません。我々の仕事は彼を元の世界に送還することです。彼を裁くのは、別の者の仕事です。その方が中立で公平な裁きができますから」
バージェロは次の言葉が出なかった。
「忘れ物はないか確認したか?」
バージェロより先に紫音が言った。特務課は全員がうなずいた。
「この男がこの世界にいてはいけないように、我々もここにいるべきではありません。後始末のために必要な二名を残して立ち去ります。この世界の未来は、この世界の人間が決めるべきです。後はあなた方次第です」
そう言うと、紫音はメンバーの一人に確認した。
「異世界門は開いたか?」
「開きました」
「よし、撤収する」
メンバーが次々と門を潜った。クイトが潜ろうとしたとき、声が聞こえた。
「殴ってすまなかった」
クイトは一瞬足を止めたが、振り向かずに門を潜った。
一日がかりのメディカルチェックを受けた後、クイトは休憩室でぼんやりしていた。休憩室はあまり広くない。二つの透明なテーブルと八脚の椅子、観葉植物とコーヒーサーバーが置いてあった。クイトは椅子に座り、異世界での体験を思い出していた。行く前はあれほど人を殺すことをためらっていたのに、いざ始めると平気でできた。あのとき、自分は前世の自分に戻っていた。今思い出すと、そんな自分が恐ろしかった。前世と現世、果してどちらが本当の自分なのか。しばらく考えたが、結論など出なかった。しかし、結論が出た問題もあった。
そこに紫音が入ってきた。右脇に丸めた大きな紙を挟んでいる。紫音は丸めた紙をテーブルに置くと、コーヒーサーバーからカップを取り出し、クイトと対面の椅子に座り、コーヒーをすすった。クイトにもコーヒーの香りが届いた。休憩室には二人しかいなかった。
「インターンの感想は?」
紫音の問いに、クイトは正直に答えた。
「色々な意味で大変だった。前世と現世、果たしてどちらが本当の自分なのか、考えさせられた。あの世界に行くまでは、人殺しができるわけがないと思っていた。だがやったら簡単にできた。どこかでスイッチが切り替わるのかな?」
「さあな。俺は前世がない新生人だ。おまえのことが理解できるわけがない」
紫音に突き放される形になったが、クイトは紫音に理解してもらえるとは期待していなかった。愚痴を聞いてもらうだけで充分だと思っていた。
「違う。違いすぎるんだ。二つの世界は。価値観も倫理観も全く違う。前世では俺は勇者だった。戦場で何度も勝った。それが正義だった。単純だった。だが現世はそうじゃない。幾つもの価値観、倫理観がある。どれが正しいのか決めつけられない。平和な日本に生まれた俺は、勇者なんかじゃない。戦争も冒険もない世界じゃ、勇者なんか必要ないし生まれない。英雄もスポーツの世界にいる程度だ。あとはゲームぐらいだな。でもこれはゲームじゃない。現実だ。もしゲームだと勘違いしたら……」
「おまえはチーターになる」
クイトは紫音がそう言うように誘導した。誰かにそう言ってもらわないと、勘違いをするかもしれない。自分に自信がなかった。
「オダダも概ね平和な世界だ。俺は良き夫、良き村人になるだけでよかった。これからは良き父親もだな。それだけでも結構大変そうだ。だがオダダにも、いずれは戦争が起きる。俺のせいで戦争が大規模になるみたいだな。戦争の犠牲者を最小にするための努力が必要になる。俺は現世でも、いずれは世界に責任をとる勇者になりそうだ。今の俺は勇者になる前の現世モードだ。憂鬱だよ」
「それはおまえの人生の問題だ。本来は俺が口を出すべきではないな。だが口を出さなければならない。この後はどうするんだ? 特務課に入って憂鬱な勇者になるのか? それとも凡人として処罰を受けるのか?」
この問題は結論が出ていた。
「前者だ」
「理由を訊いていいか?」
ここまで来たのだ。もはや嘘をつく必要はない。
「ウタタと子供が待っている。俺は帰らなければならない。そのためなら、勇者になれるさ。家族と暮らせる非常勤のパートタイムなら」
「姉貴から聞いた話と違うな。今のが本音か」
「ああ。美登里さんには嘘をついた」
「そんなの姉貴は見抜いているよ。姉貴が試したのは、おまえが嘘をつけるかだ」
クイトには、今の言葉が意外だった。
「嘘?」
紫音はコーヒーを飲み干した。
「体験してわかっただろう。チキラーは清廉潔白な人間には務まらない。例えばこいつだ」
紫音は丸めてあった紙を広げた。それは紙ではなくタブレットだった。タブレットの画面には、バージェロが映っていた。彼は大衆に熱弁を振るっていた。帝国を解体し、占領した国を元通りの独立国に戻す。奴隷から開放された人々は故郷に戻って祖国を再建する。償いとして、祖国再建への協力を惜しまない。そういう内容の演説だった。
その演説をする彼の姿の後ろに、七四式が映っていることに、クイトは気づいた。
「戦車は転送したんじゃないのか?」
「木とペンキで作ったハリボテだ。なかなかよくできているだろう。ディテールと金属の質感を作るのに苦労したらしい」
「そんなことを、なぜわざわざしたんだ?」
「彼は神から予言を授かった予言者という設定にしてある。だから神器が必要なんだ。それに七四式があれば、誰も彼にうかつに手を出せない。なかなか演説が上手いだろう。彼を選んだ理由の一つがこれなんだ」
「でも原稿を書いたのは、おまえじゃないのか? 祖国再建という大目標を与えて、報復を目標にしないように仕向けたんだろう。最初のミーティングでも、そんな内容のことを言ってたな」
「その通りだ。自分で言うのもなんだが、この演説はこの世界の歴史に残るだろう。その程度の名誉はくれてやるさ。近い将来、彼は暗殺される可能性が高いからな」
クイトは暗殺という言葉に反応した。
「暗殺だって?」
「自分の世界の歴史を思い出してみろ。黒人奴隷を解放したリンカーン大統領はどうなった? 公民権運動で人種差別撤廃を訴えたキング牧師はどうなった? これまで平気で奴隷を使っていた、選民思想が染みついた連中には、到底受け入れられない内容だ。七四式のハリボテもいずれはばれる」
「暗殺されるのをわかっていながら、彼を手のひらの上で踊らせたのか?」
紫音が口元を歪めて、意地の悪い笑い顔をした。そういうところは、美登里にそっくりだった。
「おまえも気づいていたんじゃないか? 彼の器量では皇帝は務まらない。だが政治という舞台には、指導者というダンサーが必要だ。ダンサーがいない無政府状態が一番まずい。でも彼を暗殺しても、歴史の流れを戻すことはできない。チートのアドバンテージがなくなったからな。彼が長期政権を続けたら、次々とボロが出るだろう。だが早めに暗殺されれば、悲劇の英雄として歴史に名が残る。おまえの世界なら、ケネディ大統領のようにな」
冷徹だ、クイトはそう思った。あの世界を救うためには必要なのかもしれない。しかし自分はそこまで冷徹になれないと思った。
「おまえはタフだな。俺はそこまで割り切れない。うらやましいよ」
「そうか? 俺はおまえがうらやましい」
クイトには紫音の言葉は意外だった。任務を終えて憂鬱になっていたからだ。
「俺のどこが?」
「おまえには待ってくれる人がいる。帰れる場所がある。俺はあの仕事人間の姉貴だけだ」
「他に家族は?」
「いない。生き残ったのは俺と姉貴だけだ」
紫音の言い回しが、クイトは気になった。
「生き残ったって、何があったんだ?」
「俺の世界の地球は滅亡したんだ」
紫音の言葉は、クイトにはショックだった。
「なぜ滅んだんだ?」
「ガミラスに遊星爆弾を落とされたんだ」
クイトは面食らった。
「おまえの世界に合わせたジョークのつもりだったんだが、滑ったか」
「どこからがジョークなんだ?」
やれやれと思いながら、クイトは確認した。
「ガミラスだ。滅亡したのは本当だ」
なぜ滅んだのか、もう一度訊きそうになったとき、クイトは気づいた。
「悪い。訊いてはいけないことを、訊いたみたいだな」
「いいさ。詮索されるのには慣れている」
紫音は前髪を上げて、生え際を見せた。潜入のために黒く染めた髪だが、毛根の近くは紫色が見えた。
「遺伝学的にはあり得るが、こんな色の髪を持った人間は、並列世界でも珍しい。おまえの世界のパンダみたいなものだ」
そう言われてみると、確かに紫音の部下には一人もいなかった。
「最初はみんなこう訊くんだ。『なぜそんな色に染めてるんだ?』。染めていないと言うと次はこう訊くんだ。『なぜそんな色をしているんだ?』。馬鹿げた質問だろう? パンダに『なぜおまえは白黒なんだ?』と訊くようなものだ。進化と遺伝に決まっているだろう。交渉を担当する七課の姉貴は、パンダを演じて上手く仕事をしているが、特務課の俺には邪魔なだけだ。嫌気が差して染めていたんだ、以前はな」
「今は違うのか?」
紫音はかすかに寂しい笑みを浮かべた。
「この髪は、遺伝子は、両親が俺たちに残してくれた、唯一の遺産なんだ」
クイトは気づいた。協会が、美登里が、紫音が救いたいものは世界だ。個人ではない。世界を救うためには、個人を犠牲にすることもある。その優先順位が正しいか、クイトにはわからなかった。
「おかしいな。他人にこんなことを話すなんて。おまえが初めてだ」
険が消えた紫音の顔を見て、クイトは気づいた。その言動から紫音は自分より年上だと思っていたが、よく見ると自分より年下らしい。それにきれいな顔をしている。中性的で、美青年と言えるが、美少女としても通用する。身長は女性の平均より高いが、自分より低い。むだ毛を処理して女装をしたら、みんな女性と間違えるのではないだろうか。深刻な話の後で不謹慎かとも思ったが、紫音の女装姿を想像したら面白かった。
紫音はクイトが含み笑いをしているのに気づいた。
「何がおかしいんだ?」
「いや、おまえが女装をしたら、似合うんじゃないかと思ったんだ」
「な、何だと!」
「おまえの顔、美少女にも見えるぞ。紫の髪で女装してアキバを歩けば、注目を集めて撮影されまくるぞ。動画サイトで再生回数を大量に稼げるんじゃないかな。胸はないが、それはそれで需要はあるだろう。紫音という名前も、女でも通用するし」
「おまえ、俺を侮辱する気か!」
紫音は顔を真っ赤にしていた。
「何をそんなにムキになって怒るんだ?」
「おまえに俺の気持ちがわかるか! ガキのころ、姉貴は俺に自分のお古を着せて、着せ替え人形にして遊んだんだ。散歩に連れ回されて、近所のおばさん連中に、『可愛い』とか『本物の女の子みたい』とか『本当は女の子じゃない』とか、散々言われたんだ! そのときの気持ちが、おまえにわかるか! そのせいで、同学年の男からも女からも『キモイ』と言われた。ぼっちにされた俺の気持ちがわかるか!」
「へえ、そんなことがあったのか。美登里さんならやりかねないな」
紫音は余計なことを言ったことに気づいた。
「忘れろ! 今の話は忘れろ! 誰にも話すな!」
「わかった。話さない。約束する」
「本当か?」
「男と男の約束だ。そうだろう?」
「あ、ああ、そうだ」
並列世界間の秩序を維持する。そのためには強引な手段も使う。それが並列世界相互扶助協会の特務課だ。クイトと美登里と紫音、三人の腐れ縁は、この後も続く。




