◆ 最終章 物語のその先へ -3-
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༺ ༒ ༻
しばしその場に静かな余韻が落ちた。誰もすぐには口を開かない。
そんな中、不意にリシャールが小さく息をついた。
「さて、ルクレール」
しかし、そう言いながらも、殿下はなぜか俺の頬を両手でそっと包み込んだ。
「シャー?」
「動くな、セレス」
どこか満足げに口元を緩めながら、殿下は俺の顔をしっかりと固定する。
なんなんだ、一体?
「確認したいことがある」
……え?
距離が近い。というか、近すぎる。
至近距離から覗き込まれ、思わず瞬きをした。
橙玉を溶かし込んだようなオレンジの瞳が、じっと俺の瞳を見つめている。
名を呼ばれたルクレールが、わずかに眉を寄せた。
「……なんだ、リシャール? おい、セレスになにをしている?」
「ああ、お前が魔眼を開放した件についてだが……」
言いながらも、リシャールの視線は俺から外れない。
じ、と凝視されたまま数秒。
やがて、彼は深々とため息をついた。
「なんということだ」わざとらしいほど大仰に嘆く。「春の若葉に朝露を落としたような、澄んだ瞳だというのに」
――…………。
「伏せれば森の奥深くの静かな湖面のごとく憂いを帯びる。この世に二つとない美しさだ」
どうしたんだ、シャー?
「それなのに」
リシャールはなおも俺の瞳を覗き込みながら、わずかに眉をひそめた。
「こんな痕跡を残すとは……」
「あっ……」
俺は内心で小さく息を呑んだ。
「虹彩の奥。瞳孔の縁から、ごく細い赤金の線が広がっている。まるで透明な翠玉の内部に、焼けた針で紋章を刻み込んだようだ。まったく、気分のいいものではないな」
王族であるリシャールには見えている。ルクレールが魔眼を開放した際に残る、痕跡が。
普通ならまず認識できないものでも、始祖の血を継ぐ王族の瞳はそうした干渉の名残を捉えられる。
「だが」
ようやく俺から手を離し、リシャールはゆっくりとルクレールへ向き直った。
「お前が魔眼を開放したのは、私の命令に従った結果だから、激しく文句を言ってやろうと思っても、言いようがない」
空気が、ぴたりと止まった。
「……リシャール」即座にルクレールが切り返す。「俺は、そんな命は受けていない」
殿下は肩をすくめた。
「だが私は、お前が学院へ来ると顔を合わせるたびに口にしていただろう? ナクティスの王に狙われているセレスを守ってほしい、と」
そこで、リシャールは、まっすぐにルクレールを見た。
「私は、お前に頼むと言っただろう」
「……確かに、何度も頼まれはしたが、あれは話しの流れだろうが」
リシャールが片眉を上げる。
「王太子たる私が、繰り返し継続的に特定人物の保護を求めていた。それをお前は、何と解釈する?」
「それは正式な命令ではない」
「では聞くが」
リシャールは一歩前へ出た。
「何をもって正式とする?」
ルクレールが黙る。
「文書か? 封蝋か? 証人か?」
淡々とした声音だった。
だが、その一つひとつが妙に鋭い。
「そんな形式の有無で、本質が変わるわけではないだろう」
リシャールは静かに言い切った。
「私は王族として、セレスの保護をお前に求めた」
「……」
「セレスは私にとって大切な友人だ。だが、それだけではない」
橙の瞳が、まっすぐルクレールを射抜く。
「高位光属性保持者であり、この国にとって極めて重要な戦力。まして、ナクティス王エピンから直接狙われていることが判明していた。そのような人物の保護を、私が優先事項として命じることの何がおかしい?」
淡々とした声音だった。
「ならば、その目的達成のために取った手段もまた、王命の範疇にある」
理屈として、確かに、強い。
ルクレール自身が最も重視する「規律」と「命令体系」の内側から殴っている。
ほんの一瞬、天幕の中が静まり返った。
その沈黙を破ったのは、意外にもアルチュールだった。
「……証人が必要なら、俺がなる」
にわかに、低く落ちた声に全員の視線がそちらへ向いた。
「シャーが、セレスを守ってくれってルクレールに頼んでる場面なら、何度か見てる」
一拍置いてから、アルチュールは薄く笑った。それは、剣筋が綺麗に決まった瞬間みたいな、静かで、妙に余裕のある笑みだった。
「ルクレールが、学院のガルディアン修練場に俺を教えに来てくれていたときにな」
さらにその横から、すっと一歩前へ出る気配。
「私も証言いたします」
ナタンだった。
背筋を伸ばし、いつもの洗練された所作で小さく右手を挙手する。
ルクレールが、こめかみを押さえた。
珍しく、ほんの少しだけ疲れた顔をしている。
「責は問わない」
リシャールは、きっぱりと言った。
「いや、問わせない」
王太子の声音だった。
そこにあるのは純粋な権威と決定。
「それが、王族としての私の判断だ」
沈黙。
数秒後。
ルクレールが、深く息を吐いた。
「……随分と都合よく解釈するな」
「お前だけが規律を解釈する権利を持っているとでも思っているのか」
リシャールは、声をおさえ、わずかに目を細めた。
「それとも何か? 次期最高指揮官と噂されていることで、少しは自分が特別な存在にでもなったつもりか? うぬぼれるなよ、ルクレール。お前がいかに優秀でも、組織も規律も、お前一人のために存在しているわけではない」
その瞬間。
ロジェが肩を震わせた。
「ははっ……」堪えきれなかったらしい。「さすが殿下。真正面からこじ開けにきたか」
「善人のために用意された抜け道ほど、悪意ある者にとって都合のいいものはないのなら、抜け道など作らず、正面突破だ」
あまりにも堂々としている。
「もう一度、言う――私は王族として、セレスの保護をお前に求めた。ならば、その目的達成のために取った手段もまた、王命の範疇だ。責は問わない。問わせない。それが、私の判断だ」
ルクレールはしばらく無言のままだったが、やがて諦めたように小さく息を吐く。
「……本当に、面倒な連中だな」
「褒め言葉として受け取っておこう」
リシャールが、どこか満足げに口元を緩めた。
張り詰めていた空気が、ようやくわずかに緩む。
「さて、このあとは、侯爵が上手くまとめてくれるだろう」
たぶん――、と付け加える彼の声音には少しだけ年相応の悪戯っぽさが混じっていた。
ルクレールの横で、不意にロジェが小さく肩を竦める。
「……助かった」
全員の視線がそちらへ向く。
ロジェは少しだけ苦笑しながら、リシャールへ視線を向けた。
「殿下。礼を言います。この馬鹿は頑固だし、放っておいたら本当に自分だけ勝手に納得して全部抱え込むもので……。今回は正直かなり肝が冷えました。まあ、殿下が真正面から殴りに行ってくれて、本当に助かりました」
「物理的ではないがな」
リシャールがさらりと返す。
「十分痛そうでしたね」
ジュールがぼそりと呟いて、殿下が微かにほほ笑んだ。
「では、私もそろそろ司令部の天幕へ戻らなくてはならない」と言ってから、ふっ、とこちらを見る。「セレスの顔も見られたし、安心した」
どこか名残惜しそうに眉尻を下げ、それから殿下は不意にアルチュールへ向き直った。
「もう一度、セレスを抱き締めてもいいか?」
「駄目に決まってんだろっ。調子に乗るなよ、シャー」
アルチュール、あまりにも迷いがない。
「……即答か。セレスのことになると、言葉まで乱暴になる」
リシャールが、あからさまにむすっとした顔になり、不満げにアルチュールを見つめたあと、すっとルクレールへ視線を移した。
「ルクレール」
「なんだ」
「この二人に、半年後に別れる強い呪いでもかけておけ」
「承知した」
「おい!!」
間髪入れず返ってきたルクレールの返答に、アルチュールが叫んだ。
ロジェとジュールが吹き出し、アルチュールの兄、ロベールまで肩を震わせている。
さっきまでの重苦しさが嘘みたいだった。
――そのとき。
「セレスーーっ」という俺の名を呼ぶ声が天幕の入口付近から響いた。
「……ん?」
全員の視線がそちらへ向いたのと平行して布幕がめくれ、下半身が純白の羽毛に覆われた人型のネージュが俺へ向かって飛び込んできた。
「ぎゃああああああっ、セレスーー!!」
「うわっ!? ネージュっ!」
それを、反射的に受け止める。
「セレスぅぅぅ……! 聞いてくれよぉぉお……!」
天幕内が、しん、と静まり返った。
数秒遅れて、周囲がざわつく。
「……ネー、ジュ?」
「えっ、ネージュなのか……?」
アルチュールも、リシャールも、ナタンも――、室内にいる全員が目を丸くしている。
まあ、当然だろう。俺とシオン以外で、この姿のネージュを見たことがある者は、いない。
「ネージュ、なにがあった? どうしてその姿に?」
俺が問いかけた、まさにその直後だった。
「待ってください!! ネージュさん!」
切羽詰まった声とともに、ばたばたと複数の足音が近づいてくる。
次の瞬間、勢いよく、また布幕がめくれた。
「ネージュさん、まだ検査が……」
そこに現れたのは、一人のヒーラーと数名の魔獣使役士たち――。だが彼らは、室内の面々を視界に入れた瞬間、ぴたりと動きが止まる。
「えっ……」
「殿下……?」
どう考えても、勢いで突入していい空間ではない。彼らの顔から血の気が引いていき、ほぼ同時に全員が背後へ視線を向けた。
入り口に居た王軍の騎士たちに、今になってようやく気付いたようだ。
慌ててその場で膝を折ろうとした彼らを、リシャールが軽く片手を上げ、首を左右に振って制する。
「で? なにがあったんだ、ネージュ?」
俺が問うと、
「セレス、聞いてくれ! 俺、隣の隣の部屋で、治療されてたんだけど」
「ああ、やっぱりな」
気を失う直前に見たネージュは、魔力をほぼ使い切っていて、飛ぶのもやっとという状態だった。
だから、討伐完了の知らせがネージュ本人から来なかった時点で、近くで保護されているか、どこかで寝かされているのだろうとは思っていたが……、
「で……、なんで人型になってるんだよ、お前? というか、身体の具合はどうなんだ? 魔力切れ起こしてたんだろ?」
「それは、ポーションでなんとか乗り切った。怪我もなし、魔力循環も正常、検査結果も良好だ!」
「それはよかった」
「それが、よくなかったんだ!」
ネージュがぶんぶん首を振る。
「どういうことだ?」
「復活したあと、聞き取り調査が始まった」
「聞き取り?」
「ほら、俺、光る氷柱をちょこっと出しただろ?」
ちょこっと、で済ませる規模ではなかったが、まあ本人の認識はそんなものらしい。
「それで魔獣使役士たちが『あの現象は何だ』『どういう術式だ』って、興味津々になって聞いて来て、その後、色々とあれだ。どんなことが出来るのか、となって……」
「なって?」
「冥界で人型になった話をしたら、そしたら『ぜひ見せてほしい』って流れになり……」
「嫌な予感しかしないな」
「やってみたら、できちまったんだよ、これ! こっちでも! どう?」
どや顔だった。
いや、そこはちょっと誇らしげになるなよ。
「そこからだ。ヒーラーまで呼ばれて身体検査。骨格確認、羽毛確認、魔力測定、属性反応確認!」
「ずいぶん本格的だな……」
「だが、それで終わらなかった……」
ネージュが俺の服をぎゅっと掴む。
「『大変貴重な事例なので、少しだけ血をいただきたい』って言われて……、最初は、まあ研究のためならって快諾したんだよ。ほら、俺って協力的だろ?」
「うん。なんとなく察したわ」
「そしたら!? 魔力採血用の導管針を、ぶすっ、と!! ちょっと待って!? 聞いてた話より全然痛い!! ってなって、そのまま逃げてきた、セレスっ、助けて!!」
「逃げたのかよ」
「無理無理無理っ!! あれ絶対まだ追加で抜く流れだった!!」
「『やらなきゃ駄目だろ』……って、つい最近、俺、お前に言われた記憶があるんだけど……? お前、俺がナタンとした例の約束の件で、言ったよな?」
「え……」
ネージュがぴたりと固まった。
みるみるうちに赤い瞳がうるんでいく。
「うっ……」
分かりやすく言葉に詰まる。
その姿に、思わずため息が出た。
……駄目だ。
やっぱり可愛いと思ってしまう。
俺が自分の魔力を注いで孵化させた存在だからだろうか、どうしても、少し甘くなる。いや、かなり激甘の完全に親馬鹿だ。
俺はネージュの頭を軽く撫でると、追いかけてきたヒーラーと魔獣使役士たちへ向き直った。
「申し訳ありません」
と言って、軽く頭を下げると、
「わっ、わわっ……!?」
「セ、セレスタン様!? おやめくださいっ」
「お顔をお上げください……!」
全員が明らかに慌てふためいた。
転生前、日本で新卒新入社員だった頃に叩き込まれた習性が、こういうとき、無意識に出る。
ふっ、特技、謝罪。
なんだ、この悲しい自己分析。
「いえ、ネージュがお手数をおかけしました」
俺がそう言うと、代表らしき魔獣使役士が慌てて首を横に振った。
「と、とんでもございません! むしろこちらが非常に貴重な機会をいただいておりまして……!」
「すみません。本日は、ひとまずこのままでお願いできますか。スタンピードも終息しましたし、改めて時間は作れます」
すると、先ほどの代表らしき魔獣使役士が、少しだけ安堵したように肩の力を抜いた。
「ご協力いただけるのでしたら、もちろん」
「学院へ戻りましたら、ボンシャン先生に採血していただき、必要であればお届けすることも可能です」
数名の目が輝いた。
「……それは非常に助かります」
「では、先ほど採取できた分は各分析班へ分配を」
「属性反応の資料も王軍医療部へ提出しましょう」
「変異個体としてではなく、高位使役獣枠で再分類が必要かもしれませんね」
なんだか不穏な単語がいくつか聞こえた気もするが、彼らはそれ以上ネージュに迫ることなく、揃って室内へ深々と一礼した。
「では、失礼いたします」
そうして、ぞろぞろと布幕の外へ去っていく。
去り際にも、
「羽毛組成の記録は保管庫へ」
「採血結果は急ぎ回します」
「魔力量、あれ本当に異常値でしたね……」
などと口々に話しているあたり、本当に大変だったらしい。
布幕が閉じられると同時に、ネージュが心底ほっとしたように脱力した。
「助かったぁぁぁ……」
俺の胸元に顔を埋め、彼は全身の力を抜いて、ぐったりしている。
いつもの鳥の姿なら、そのまま肩や腕や頭の上に乗られても特に問題はない。
たぶんネージュ本人の感覚も、その延長なのだろう。
ただ単純に、鳥のときの距離感のままなだけだ。
……が。
「お、重っ……」
さすがに人型の重量は別だった。
しかも、俺もついさっきまで倒れていた身。
ぐらり、と足元が揺れる。
「っ、セレス」
直ぐに、背後から腕が伸びてきて、ネージュごとまとめて、俺の身体がふわりと抱き寄せられる。
支えてくれたのは、もちろんアルチュールだった。
「危ない」
背中越しに低い声が落ちてくる。
「悪い、ちょっと油断した」
そのまま俺を支えつつ、アルチュールはじっとネージュを見下ろした。
「……なに?」
なんとも言えない顔で、アルチュールがぽつりと呟く。
「……鳥の姿のときは特に何も思わなかったけど」
「ん?」
「人型でセレスにそんなふうにくっつかれると、なんか複雑だな」
「えっ」
思わず目を瞬く。
アルチュールは少しだけ眉を寄せて、ネージュを見る。どことなく不服そうだ。
その反応がなんだか可笑しくて、思わず笑ってしまった。
「アルチュールくん」
「なんだよ」
「この子は、うちの子なんです。焼きもち焼かないでください」
「焼いてない」
即答だったが、アルチュールは、ふいっとあからさまに視線を逸らした。
「焼いてるじゃない」
「焼いてない」
俺とアルチュールのやり取りを聞きながら、腕の中のネージュがにやにやと嫌な笑みを浮かべ始める。
「何見てるんだよ、ネージュ」
「ぐふぅ……尊い……」
流石、腐男子。
すると、それまで俺たちを見守っていたリシャールが、とうとう額を押さえた。
「ああ、もう駄目だ」
深いため息。
「これ以上見せつけられると精神衛生によろしくない」
リシャールは心底うんざりした顔でルクレールを見る。
「きっちりと呪いをかけておけ。この際、黒魔術を使ってでもいい」
「王太子命令だな。了解」
「おい、ルクレール!」
アルチュールが叫ぶ。
その声を背に、リシャールは少しだけ機嫌を直したように口元を緩めた。
「名残惜しいが、王軍へ戻る」
布幕へ歩き出しながら、殿下は、最後にちらりとこちらを振り返った。
「セレス」
「はい、シャー」
「本当によくやってくれた。感謝する」
短いその一言だけ残し、リシャールは天幕の外へ出て行った。
入れ替わるように、外から誰かと会話する声が微かに聞こえる。
低い声が二つ。
その直後だった。
布幕がふわりと持ち上がる。
「主、今、戻った」
静かな低音。
「シオン!」




