橋の彼方へ
一樹
朝六時、目覚まし時計代わりに頭痛が僕を叩き起こした。ここ最近は起きている間ほとんどこんな調子になっていた。痛み止めや睡眠薬がないととても眠れなかった。
ここまできて、体の調子はあまり気にしていないが、もう少しの間踏ん張ってほしい。目を開けたまま横になって、体が動けるまでじっと待っていた。待ち続けて二十分が過ぎ、何時間も待ったように長く感じた。
ようやく動けるようになって、テントから外へ出た。外では薄い霧が出ているようだ。潮と泥の匂いが混じった海風が頬を撫で、涼しくていい覚ましになった。重い頭も少し軽くなった気がした。
まだ日が登っていないし、回りに生い茂った木々が光を遮って辺りは薄暗かった。鳥の啼き声が時々聞こえたが、薄暗い森の中では視界が悪く、姿は見当たらなかった。
まだ早いか。
目の前に自然発生した霧は僕の求めたあれとは違う。あの生き物のような霧は一度だけ出会ったことがある。あの時美雪を見失って不安でいっぱいになって、あれを不気味がっていた。二度目は遠くで見たが、その時何か現実味のない物を感じた。
それからずっとあの霧を待っていた。
島へ来るのが二日前だった。僕の命が終わる前にあれは再び現れるだろうと思った。理屈では説明出来ない直感的なものだった。具体的な時間は分からないから、少し水と保存食を持ってきて、森の中の開けた場所にテントを張った。
美雪が消えた後、毎年彼女が消えた日にこの島を訪れ、細やかな弔いをした。あの霧に出くわすことも薄々期待していた。そうする度に一日か二日くらい軽く島に野宿した。自分用のボートも一応買っておいた。ここに泊まるになると流石に借りるわけにはいかなかったからだ。
段々空が白んでいき、闇が薄くなってゆく。やることがなくて、森の中を散策した。持ってきた本も読み終わったし、食糧も水も底を突いた。まだ終わっていないのは、自分だけだ。
美雪を失ってから、僕は自分に余暇を与えないように過ごしてきた。起きている間は何かに打ち込まないと気が狂ってしまうからだ。時間を忘れさせる物であればなんでもよかった。暇になってしまえば考えが暴走した列車のように、底なしの大穴に一直線に走ってゆく。
あいにく今はまさにその状態に陥っている。念のために持ってきた原稿や筆で何かを書いて、落ち着かせることはできるが、今はとてもその気になれなくて、滅びの甘美の誘いに身を任せた。
もうそろそろ、終わっていいのかな。
島の中央にある平野を抜けて、また森に入った。更に南西に向かって、やがてあの欠落した橋に辿り着いた。視野がぱっと開いて、陰鬱の空の下で鉛色の海が目の前にあった。
ここは始まりでり、終わりでもある。
さっきから頭の中で波の音がしてきた。緩急をつけるように押しかけては引いていく。そのプロセスが段々長くなって、居心地いい頭痛と一緒にダンスしていた。
もうその時は近い。
振り返ってみると、あの奇妙な霧は雪崩のように島中に拡散し始めた。何もかもを飲み込む勢いで、もうすぐ目の前に来た。
ああ、ようやくだ。
テレビの前にじっと座って大好きな番組の放送を待っている子供のように、楽しみや興奮の気持ちがいっぱいだった。
雪崩込む白い霧が僕を飲み込んだ。
喜びを感じながら心は段々起伏を無くしてゆく。やがてガラスのように透明になった。
さて、物語はここから始まるのだ。
FIN




