六年生のプライドと、初めての旅
小学六年生に進級する頃には、私は小さな学校の中で、一種の「名物男」のようになっていた。クラス替えがあっても、周囲のクラスメイトはほとんどが幼稚園や小学校低学年からの馴染みであり、私の「半袖半ズボン」のスタイルに今更驚く者など一人もいなかった。
六年生の最大のイベントといえば、五月に予定されている修学旅行だった。近隣の県へバスで向かう一泊二日の旅。学校から旅行のしおりが配られ、クラス中がその話題で持ち切りになる中、私の心は重く沈んでいた。
(修学旅行なんて、一体いくらかかるんだろう。うちにはそんな大金、あるはずがない。僕が行きたいなんて言ったら、またお母さんを困らせてしまう)
そう結論づけた私は、ある夜、居間で内職をしている母の背中に向かって、なるべく何気ない風を装って声をかけた。
「お母さん、僕、五月の修学旅行に行きたくないんだよね。バスに長く乗ると酔うし、お寺とか見てもつまんないし。だから、お留守番してようと思う」
母の、せわしなく動いていた手がピタリと止まった。母はゆっくりと振り返り、私の目をじっと見つめた。その目は、すべてを見透かしているかのように鋭く、そして深い愛情に満ちていた。
「何を言ってるの、〇〇。修学旅行は一生に一度しかないのよ。お金の心配なら、一切しなくて大丈夫。あなたが毎日、一生懸命暗いうちから起きて運んでくれた新聞配達のお給料から、お母さんがちゃんと修学旅行のために、貯金してあるんだから。だから、四の五の言わずに、絶対に行きなさい!」
それは、普段優しい母が見せた、記憶にある中で最も強い、命令調の先制攻撃だった。母の毅然とした態度と、自分の努力が報われていたという事実に、私はそれ以上言葉を返すことができなかった。
「……うん。分かった。行くよ」
小さく頷くのが精一杯だった。
服装については、移動中や見学中は「学校の体操服」でも全く問題ないとされていた。長袖長ズボンの私服の子供が多かったが、季節は5月、日中は半袖半ズボンになって施設見学をする子もおり、半袖半ズボン体操服の私もそれほど目立つわけではなかった。
ただ、最大の問題は「着替え」だった。私には、交換会で手に入れた二着の体操服しかない。一泊二日の旅行中、同じ服をずっと着続けるわけにはいかない。
出発の前夜、私は着ていた一着を母に頼んで猛スピードで洗濯してもらい、夜通し扇風機の前に干した。翌朝、まだ完全に乾ききっていない、少しひんやりとした生乾気の体操服の予備をカバンに詰め込み、私は出発の途に就いた。
小学一年生の時に家族で小さな温泉に行って以来、旅行らしい旅行など一度もしたことがなかった私にとって、その一泊二日は、文字通り夢のような時間だった。
バスの窓から流れる見知らぬ街の景色、友達と枕を並べて過ごす夜。何より感動したのは、旅館の夕食だった。並べられたおかずの豪華さもさることながら、お櫃に入れられた真っ白な白米が「食べ放題」だったのだ。
日頃、家で米の一粒まで分け合うような飢えを経験していた私は、恥ずかしさも忘れて何度も何度もご飯をおかわりした。お腹がはち切れんばかりに満たされるという感覚が、これほどまでに人間を幸せにするものなのかと、心の底から震えた。
修学旅行の出発日の朝も、私はきっちりと四時に起きて新聞配達をこなしてから集合場所へ向かった。さすがにその日の夕方と、翌日の朝刊の配達だけは、事前に販売店の店主に頭を下げて休ませてもらった。五年生の四月に新聞配達を始めて以来、これが私にとって「初めての休暇」だった。
旅行から戻ると、またいつもの半袖半ズボンと新聞配達の日々が再開した。季節は五月後半から夏へと向かっており、まだ朝晩に肌寒さが残る日もあったが、これまでの冬の地獄に比べれば、当時の私にとっては天国のように快適な気候だった。
夏休みに入ると、相変わらず家の中の食糧事情は逼迫していたが、今の私には新聞配達という武器があった。配達中、販売店の店主や先輩たちが時折差し入れてくれるおにぎりやパンが、飢えた胃袋を繋いでくれた。
さらに、五年生の頃から毎日同じ時間に、真冬でも半袖半ズボンのまま走って新聞を届ける私の姿は、配達エリアの住民たちの間でも有名になっていた。夏の午前五時を過ぎると、すでに庭掃除や散歩を始めている高齢の方々も多く、私を見つけると、親戚の子供のように声をかけてくれるようになった。
「おい、半袖の兄ちゃん! 今日も元気だな。これ、持って行って食べなさい」
そう言って、冷えたスイカの切れ端や、高級な焼き菓子、時には手作りのおにぎりを手渡してくれる家が何軒もあった。
私はそれらを決してその場で一人で平らげることはしなかった。ボロボロの体操服のポケットや、新聞を運ぶカバンの隅に大切にしまい込み、配達が終わると一目散に家へと持ち帰った。
「妹、これ、配達先のおじいちゃんにもらったぞ。一緒に食べよう」
居間の小さなちゃぶ台で、二つ下の妹と戦利品をきっちり半分に分け合って食べる時間が、当時の私にとって何よりの誇りだった。
ここで、私の自慢の妹について、少し触れておきたい。「極貧の家庭で、年中半袖半ズボンの兄を持つ妹」と聞くと、世間はどこか暗く、卑屈な少女を想像するかもしれない。しかし、私の妹は、一言で言えば本当に「可愛い」、素直で芯の強い女の子だった。
もちろん、時には小さなことで兄弟喧嘩もしたが、根本のところでは非常に仲の良い兄弟だった。ある冬の日、妹が真剣な顔をして私に言ったことがある。
「お兄ちゃんが年中半袖半ズボンで学校にいるの、本当はちょっと恥ずかしいよ。周りの女の子からも色々言われるし……。私の長袖のジャージの枚数を減らしてもいいから、お願いだから冬は温かい服を着てよ」
妹は、私の頑固なスタイルの理由が「自分に服を譲るため」であることを、子供ながらに気づいていたのだ。それでも、私が「いや、本当に暑がりなんだ」と言い張ると、それ以上は何も言わず、私の意志を尊重してくれた。
妹は私よりも遥かに頭が良く、学校の成績も常に優秀だった。家にお金がないことを完全に理解しており、決して無理な我儘や、新しい服やおもちゃをねだるようなことはしない、健気で聡明な妹だった。私はそんな妹が愛おしくてたまらなかったし、彼女の笑顔を守るためなら、真冬の寒さなどいくらでも耐えられると本気で思っていた。




