限界の糸口と、地獄の悪循環
三年生の冬の「体操服交換会」では、私は自分の分の衣服をすべて辞退し、全ての枠を妹に譲った。前年にツーサイズ上の大きめを選んでおいたおかげで、私の半袖半ズボンはまだ十分にサイズがもっていたからだ。
学校の体操服というのは、驚くほど頑丈に作られていた。毎日泥にまみれ、毎晩洗濯機で激しく揉まれても、生地が薄くなり、あちこちの糸がほつれる程度で、致命的に破れることはなかった。ほつれた箇所は、母が夜な夜な針と糸で器用に補修してくれた。汚れは目立っていたが、毎日洗ってあるため不潔感はなく、友達にそれをからかわれることもなかった。
ただ、この年の冬、どうしても限界を迎えたのが下着のパンツだった。ゴムは伸びきり、生地は薄くなって今にも裂けそうだった。新しいパンツを買うかどうかで、母と激しい押し問答になった。
「これ以上、お母さんにお金を使わせたくない!」と言い張る私に対し、母は涙目で説得してきた。
「お願いだからこれだけは買わせて。もうサイズも合ってないし、破れたら学校で恥ずかしい思いをするのは〇〇なのよ!」
一時は「じゃあ、ノーパン生活をすればいいや」と本気で過激な生存戦略を考えたが、さすがに小学生男子としての最後の理性が働き、パンツだけは買ってもらうことに同意した。
この三年生の冬は、父の商売が一時的に少しだけ持ち直していたのか、食卓に並ぶご飯の量は何とか維持されていた。家での飢えの記憶はあまりないが、それでも学校の給食の時間には、少しでも栄養を蓄えようと、必ずバケツのような食缶の前へ行き、おかわりをもらうことを忘れなかった。
しかし、本当の地獄が始まったのは、四年生になってからだった。父の金回りが再び、そして過去最悪のレベルに悪化した。
春から秋にかけては、寒さの問題がないため快適に過ごせるはずだった。だが、四年生の私を襲ったのは、「夏休み」という名の巨大な伏兵だった。
学校がある日は、給食という確実な栄養源が保証されている。だが、夏休みに入るとそれがない。家には満足な食材がなく、母のパートの給料日直前になると、米櫃の中身すら底をついた。
猛暑の中、蝉の声が降り注ぐ公園で、私は一日中過ごした。お腹がすいて動けなくなると、公園の公衆便所の脇にある水道の蛇口に口をつけ、生ぬるい水を胃袋がはち切れんばかりにガブ飲みした。水で腹を満たし、一時的に空腹の痛みを麻痺させるのだ。
母は限られた予算の中で、信じられないような工夫をして献立を作ってくれていた。薄い小麦粉の焼き物や、具のないスープ。しかし、育ち盛りの男の子の胃袋を満たすには、あまりにも限界があった。母のパートの給料日が来ると、ようやく食卓に少しの肉や野菜が並び、家族全員でホッと一息つく。そんな自転車操業のような状態で、何とか飢えの夏休みを乗り切った。
そして、その飢えを引きずったまま、四年生の冬がやってきた。例年のように、年が明けると半袖仲間は絶滅し、学校全体を見渡しても、あの六年生の先輩が一人だけ。私はまたしても、孤独な戦場に取り残された。
一月の交換会が近づいていた。さすがに二年間毎日着倒した私の体操服は、サイズ的にも、生地のほつれ具合としても、もう一年持たせるのは不可能だった。私は迷うことなく、半袖と半ズボンの体操服を二枚ずつだけ申請した。残りの枠はすべて、大きくなってきた妹の分に回した。
問題は、今回手に入れたこの二着の体操服を、小学校を卒業するまでの「残りの二年間」持たせなければならないということだった。
ちょうどその頃、保健体育の授業で「高学年になると、第二次性徴で身長が急激に伸びる」という知識を習っていた。私は自分のノートの端に、将来の身長の予測を書き込みながら、どのサイズを選べば六年生の終わりまで着られるのかを必死に考えた。しかし、当時の私には明確な答えなど分かるはずもなく、ただ「今着られるものより、かなり大きめのもの」を祈るような気持ちで選ぶことしかできなかった。
四年生の冬の寒さと飢えは、これまでの比ではなかった。寒さを紛らわすために、私は放課後の校庭や公園で、がむしゃらに走り回った。しかし、体を激しく動かせば動かすほど、カロリーが消費され、お腹が猛烈にすいてくる。空腹の痛みに耐えかねて、私はまた公園の水道へ行き、冷え切った水をがぶ飲みした。
すると、冷水が容赦なく体内から体温を奪い、指先が凍りつくように冷えていく。その寒さに耐えられなくなり、また体を動かすために走り出す――。「動く→空腹→水を飲む→体が冷える→動く」という、恐ろしい地獄の悪循環が完成していた。どれだけ走っても疲れるだけで、水では本当の空腹は一ミリも解決しない。外の寒風に晒され、体はガタガタと震え、頭がもうろうとした。最悪のループだった。
一方で、二つ下の妹は賢かった。家の中に長袖長ズボンのジャージがある彼女は、極寒の我が家でも、布団や毛布を体に巻き付け、じっと静かに座って過ごしていた。エネルギーの消費を最小限に抑えていたのだ。だから、私よりも遥かに少ない食事量であっても、飢えに苦しむことなく平気な顔をしていた。当時の私には、そこまで知恵が回らなかった。




