自切
蛇の絵に足を付け足してた失敗から中国で生まれた「蛇足」と言う言葉がある。この言葉には、完成した物に付け足された余計な物の意味を持つ。それに初めて触れたのは、小学六年生の残暑の厳しいある日のことだった。
その日は肌が脂汗でベタつく蒸し暑い猛暑日だったが、普段通りの一日だった。欠席者もおらず、早退者も出なかった。生徒間の諍いもなく、午前の授業は時間通りに進んだ。味も中身もよくわからない揚げ物の給食に若干困惑して、昼休みは多くの生徒が校庭で汗を流していた。
午後の授業は昼下がりのまどろみに包まれ、ゆらゆらと舟を漕ぐ生徒もいた。掃除の時間にサボっていた生徒が怒られていいた。
台風紛いのゲリラ豪雨も、地震や火災などのアクシデントも、悲しい不慮の事故も、その日は起こらなかった。昨日とよく似た時間は、流れ落ちる砂のようにさらりと過ぎ去っていった。
そして、たった今。帰りのホームルームにおいて佳境と言っても差支えの無い「先生の挨拶」が始まった。
物凄く暑い中、みなさんよく頑張りました。しかし、明日も同じくらい暑いという予報が出ていますので明日も出来る限り水筒を持参して下さい。それと、熱中症対策として水筒の中身は水やお茶ではなく、塩分を補給できるスポーツドリンクを水で薄めたモノをおすすめします。明日は体育の授業もあるので、そうしてもらえると先生は安心です。
そして、先生は最新のインターネット被害の紹介を皮切りに、ネットに関する注意喚起を始めた。
インターネットの情報を鵜吞みにし過ぎないでください。
怪しいサイトには手を出さないでください。
名前や顔、住所等の個人情報は絶対にアップロードしないでください。
断言する。
それはもう、聞き飽きたと。
今回はネットの話題だったが、ワールドカップなどのカジュアルな話題から、震災などのシリアスな話題まで。先生は帰りの挨拶に幅広くニュースを取り入れていた。周辺地域の不審者情報や、隣の小中学校で発生した熱中症の事例なども話すので、先生って何でも知っているんだなぁ、と感嘆する。
だが、聞いた話によると他クラスの先生が同じタイミングで、一斉に同じ話題を取り上げる日があるらしい。
それを勘ぐるわけでもないが、在学歴の長い高学年の生徒は学校全体の意向なのだろうと、密かに察していた。常日頃から実際に起きている現象に触れ、社会の倫理観に慣れさせる目的があるのだろうということも、直感していた。
スマホの普及により、誰もが莫大な検索エンジンを手に入れられる時代になった。勿論、小学生にもスマホは行き届いており、仲間の大半がスマホを持っている。スマホを持っていないと仲間に入れてもらえない。そのような大きな流れが存在する。それに逆らうことは可能だが、相応の険しい道を歩むことになる。それをわかっている親は、子供にスマホを買い与えた。時期が早まっただけ。ついでに防犯や送迎に利用できる。そう、信じて。
故に、誰もがスマホを使いこなせると思いこむ。それは当事者意識の欠如を生む。インターネットやSNSを容易に御しきれる玩具だと錯覚する。それがいつ爆弾に触れるかは、定かではない。だが、それを正すのは学校である。そういう風潮がいつからか存在した。
先生方の仕事は、これからも増え続けるのだろうと悲しくなった。それと同時に、僕はいい学校に通っているのだと痛感した。
「というわけなので、みなさん。くれぐれも、インターネットの扱いは慎重に。先生との約束です。いいですね。」
先生の話が終わる。
体感だと、二分程度だろうか。先生の会話のテンポはこの数カ月間で覚えていた。それはクラスメイトも同様らしく、教室に浮ついた空気が蔓延った。
「それと、申し訳ありません。」
それは、先生の一言で霧散した。
「突然ですが、今から夏休みの読書感想文を返却します。なので、もう少し私に時間を下さい。」
先生の提案はすぐに受け入れられた。誰もそこまでする必要はないと思っているのに、先生は凄く申し訳なさそうにしていた。後ろの男子生徒数名が身構えて損をしたというような、安堵のため息をこぼした。
「それと、作文に私からのメッセージを添えましたので、良ければ読んでみてください。号令が終わったら、質問したいことがある人は遠慮せず、先生の所に聞きに来てください。」
先生はそう言いながら、窓際の教員用机と教壇をせわしなく行き来している。やがて原稿用紙の束が六つ。教壇に横一列に並べられると、先生はそれを左側から順に掬い取り、教室の右端から左端に向かって、先頭の生徒に束を手渡していった。
右端から四列目の前から三番目の席。そこが僕の席だった。逆に、左端から見れば二列目の後ろから二番目の席になる。
そんな僕の席に作文が届いたのは、もたもたするなという飢えた視線が飛び交う頃合いだった。先生からのメッセージを一瞥する時間すら、僕にはありえなかった。
「すみません。それじゃあ、日直の方。帰りの号令をお願いします。」
先生が言うと、スゥっと、日直の誰かが鼻で息を吸った。
「起立。」
ガタ、ガタガタ、と椅子と床の擦れる音が無数に共鳴する。それは鼓膜を突き抜け、こめかみに嫌に響いた。
「礼。」
瞬間、頭を腰の少し上の高さまで下げ、三秒ほど制止する。その所作は、一年の時から続く暗黙の了解だった。
「みさなん、さようなら!」
一斉に頭を上げ、日直が凛とした声色で教室へ告げる。
「「「さようなら!」」」
斉唱と言っても過言ではない。統率の取れた声が教室に木霊した。
二秒後には、数名の男子生徒が廊下へと駆け出した。
僕は一度席に着いた。そのまま、机の真ん中に置いた原稿用紙に視線を落とす。原稿用紙の左上の端がお馴染みの鉄製クリップで止められていて、対角線上に視線を滑らせると、右下の角とピッタリ重なるように、三対二くらいの比率の大きめの付箋が張られていた。おそらくこれが、先生からのメッセージだろう。それは薄い水色の付箋で、ボールペンの青黒い文字を解読するには、少しばかりピントを合わせる必要があったので、眼球に意識を集中しようと僕は試みた。
だが、僕は一度目を逸らした。そのまま、先生に連なる列の状況を確認する。黒板前の教壇から、教室の反対側。ロッカーと小さい黒板のあたりまで列は伸びていた。人は十五人程度。女子が多めで、男子は五、六名ほど。
今、一人の生徒が、教壇から自分の席に戻っていった。しかし、列は三十センチほど短くなっただけで、まだまだ長い。猶予を確認した僕は、原稿用紙を裏返した。
それは、何故か。
それは、僕の作文は完成度が低いことを自覚しているから。
僕は、起承転結の基本ができていない。そう自負しているから。
「今」を構築しながら、「先」を見据えるのが苦手だった。複数の思考を同時に回すと、段々と頭の中が緩慢になっていって、やがて何にも手を付けたくないと身体が拒んでいるような感覚があった。僕は目の前のことに集中した。がむしゃらに、半ばやけくそに精一杯やってきた。何も出来ないよりはその方がいい。そう思うようにしていた。
しかし、作文において、それは致命的だった。起・承・転・結のそれぞれが独立した存在感を放つ。そんな異常事態を招いた。これから結論を書くのに、もう三行しか残っていない。そんなことも多々あった。
さらに言えば、それは作文に限った話ではなかった。単純な事ほど、僕は得意になっていった。複雑な事ほど、僕は苦手になっていった。力がどんどん偏っていくのを感じた。
どうして僕は、結末から考えない。
何故、頭に浮かぶ言葉ばかりを後先も考えずに書き殴るのか。
何故、自分の意思から、目を背けてしまうのか。
自分の書いた作文を読み直すと、いつも同じ感想が浮かぶ。だが、今回はその限りではない。何日も頭の中とにらめっこした。
僕だって、努力した。だから、大丈夫。
「大丈夫。」
誰に言われるでもない。僕の声が言う。誰に言われるより、誰かに言われているように感じる。一人じゃないと、心に小さな火が灯る。
僕は原稿用紙の右下の角を左手の人差し指と親指で掴み、そのまま裏返した。紙の束がパラパラと翻る。
もう目を逸らさない。そう、肝に銘じた。
僕は、薄水色の付箋に焦点を合わせた。
「この作文は蛇足です。」
付箋のサイズに対して、かなり小さい文字で、たった一行。まるで活字のように姿勢が良い字で、お母さんの書置きのような趣で、それは書かれていた。
シンプルイズベストなレイアウト。そんな風に直感した。スッキリしていて気持ちがいい。そう思った。
ただ、その一行が、「蛇足」という単語が、一体何を意味しているのか。
僕にはそれがわからなかった。




