第9話 女騎士の才能を覚醒させたら、なぜか怒られた
王都冒険者ギルドに戻った瞬間、空気が変わった。
いや、正確には、俺たちが持ち込んだものを見た瞬間だ。
グラウルベアの角。
黒く硬いそれを受付カウンターに置いた時、近くにいた冒険者たちの会話がぴたりと止まった。
酒を飲んでいた男が、ジョッキを持ったまま固まる。
依頼票を眺めていた若い冒険者が、口を半開きにする。
受付嬢のエマさんは、最初に角を見て、次に俺を見て、それからもう一度角を見た。
「……あの」
「はい」
「これは、どちらで?」
「東の森です」
「東の森」
「はい」
「薬草採取の依頼で?」
「はい」
エマさんの笑顔が、ゆっくりと引きつった。
「レンさん」
「はい」
「薬草採取で、なぜ災害級魔物の討伐証明を持ち帰っているんですか?」
俺は少し考えた。
正確に説明すると長い。
東の森に異常魔力反応があり、セリカさんの破滅フラグが見え、初心者冒険者三人が襲われていて、リリア――王都ではリア――の支援とセリカさんの覚醒があって、何とか倒した。
うん。
どう考えても長い。
「……成り行きで」
ギルド内のあちこちから、「成り行きで災害級を倒すな」という空気が流れた。
エマさんは額に手を当てた。
「今日登録されたばかりですよね?」
「はい」
「Fランクですよね?」
「はい」
「測定石を割った時点で嫌な予感はしていましたが……」
「すみません」
「謝られると、こちらも困ります」
横に立つリアが小さく言った。
「レンは、悪いことをしたわけではないと思う」
フードをかぶったままの彼女の声は静かだったが、周囲にはよく通った。
エマさんはリアを見る。
「それはもちろんです。怪我人も救助されていますし、災害級魔物の討伐は大きな功績です。ただ……」
「ただ?」
「手続きが大変です」
かなり現実的な理由だった。
俺は思わず頭を下げる。
「本当にすみません」
「ですから、謝られると困ります」
エマさんは苦笑した。
その隣で、セリカさんが腕を組んでいる。
赤髪を高く結った女騎士。
東の森で竜殺しの剣姫としての才能を覚醒させたばかりの彼女は、戦闘直後よりもむしろ不機嫌そうだった。
いや、正確には不機嫌に見える。
スキル表示は少し違った。
名前:セリカ・ヴァンブレイド
好感度:64
状態:照れ隠し、混乱、軽い苛立ち
備考:自分の剣を認められたことをどう受け止めていいか分かっていません
照れ隠し。
本人には絶対に言えない。
言ったら剣が飛んできそうだ。
エマさんは報告書を広げ、俺たちから順番に事情を聞いた。
初心者冒険者三人は、別室で治療を受けている。
命に別状はないらしい。
リアの治癒のおかげで、重傷だった足の怪我も応急処置は済んでいる。
グラウルベアが王都近郊の浅い森に出たことは、ギルドとしてもかなり重大な問題らしい。
エマさんの顔つきが、仕事用の笑顔から真剣なものへ変わっていく。
「この件は、ギルド長に報告します。討伐報酬と救助報酬、薬草採取の依頼達成分も合わせて精算しますが、少し時間をいただきます」
「分かりました」
「それと、レンさん、リアさん」
「はい」
「正式ランクについては、再審査になる可能性があります」
嫌な言葉だ。
「Fランクでは駄目ですか?」
「駄目というか、災害級魔物の討伐に関与した方を、そのままFランク依頼だけに置いておく方がギルドとして問題になります」
「目立ちたくないんですが」
「もう遅いです」
きっぱり言われた。
リアが隣で小さく笑った。
俺は肩を落とす。
「リアまで笑わなくても」
「だって、レンはずっと目立ちたくないと言いながら、目立つことばかりしているから」
「好きでやっているわけでは」
「知ってる」
リアはそう言って、少しだけ優しい目をした。
リリア好感度:116 → 117
状態:安心、微笑
備考:困りながらも人を助けるレンらしさを感じています
また上がった。
今はギルド内なので動揺している場合ではない。
俺は表示を見なかったことにした。
だが、セリカさんの方は見なかったことにできなかった。
彼女が、じっと俺を見ていたからだ。
「レン」
「はい」
「報告が終わったら、訓練場に来なさい」
「訓練場?」
「ギルドの裏にあるわ。模擬戦用の場所」
「えっと、なぜ」
「あなたの実力を確認する」
「さっき森で一緒に戦いましたよね」
「あれは魔物相手。私はあなた自身の動きを見たいの」
セリカさんは真顔だった。
だが表示はこうだ。
状態:照れ隠し、興味
備考:レンに自分の剣をもう一度見てほしいと思っています
見なかったことにしたい。
だが、見えてしまう。
「疲れてませんか?」
俺が尋ねると、セリカさんは眉を吊り上げた。
「私が?」
「災害級と戦った後なので」
「その台詞、そっくり返すわ。あなたも戦ったでしょう」
「俺はだいぶ疲れています」
「正直ね」
「はい」
「でも来なさい」
「拒否権は?」
「あると思う?」
「なさそうです」
セリカさんは満足そうにうなずいた。
リアが隣で、少しだけ目を細める。
「セリカさん」
「何?」
「レンは今日、測定石を割って、災害級魔物と戦って、怪我人の救助までしています」
「知ってるわ」
「無理をさせないでください」
「あなた、保護者?」
「……違います」
リアは少しだけ頬を赤くした。
セリカさんはそれを見て、片眉を上げる。
「ふうん」
「何ですか」
「別に」
「何か言いたそうですが」
「別に?」
二人の間に、妙な空気が流れた。
俺はその空気を真正面から浴びて、背筋が冷たくなる。
何だ。
これは何の気配だ。
リリア
状態:穏やかな警戒
備考:セリカがレンに興味を持っていることを察しています
セリカ
状態:対抗心の芽生え
備考:リアとレンの距離感が気になっています
見えてしまった。
見えなくていい。
心の底からそう思った。
エマさんが受付の向こうで、書類を持ったまま苦笑している。
「……仲がよろしいんですね」
「そう見えますか?」
俺が聞くと、エマさんは少し迷ってから言った。
「はい。少なくとも、初対面同士には見えません」
「セリカさんとは今日会ったばかりです」
「今日だけで災害級魔物を共闘討伐したなら、距離感が変わるのも当然かもしれませんね」
それは確かにそうかもしれない。
命を預け合った後なら、普通より距離が縮まる。
リアとは昨日会ったばかりなのに、すでにずっと前から知っているような感覚がある。
……いや、深く考えるとまた顔が赤くなるのでやめよう。
◇
報告が一段落した後、俺たちはギルド裏の訓練場へ向かった。
石畳の中庭のような場所で、周囲を木の柵が囲んでいる。
片側には木剣や訓練用の盾が並べられていた。
すでに何人かの冒険者が、こちらを見物する気満々で集まっている。
やめてほしい。
非常にやめてほしい。
「目立ちたくない……」
俺が小さく呟くと、リアが隣で言った。
「もう遅いと思う」
「本日二回目ですね」
「大事なことだから」
セリカさんは訓練用の木剣を二本取り、そのうち一本を俺に投げた。
「受け取りなさい」
「はい」
俺は何とか受け取った。
木剣にしては重い。
クロフォード家で使っていたものより少し太い。
セリカさんは軽く振って具合を確かめる。
その姿は、やはり綺麗だった。
剣を握った瞬間、彼女の雰囲気が変わる。
余計な感情が消えて、身体の中心に一本の軸が通るような感じ。
スキル表示なしでも分かる。
この人は、剣を振るために相当な時間を積み重ねてきた。
「どうしたの」
「いえ、やっぱり綺麗だなと」
「は?」
「剣を構えた姿が」
セリカさんの動きが一瞬止まった。
周囲の冒険者たちが「おお?」みたいな顔をする。
リアが無言でこちらを見る。
俺は遅れて気づいた。
言い方。
また言い方。
「あ、いえ、変な意味ではなくて、剣士として」
「分かってるわよ!」
セリカさんの顔が少し赤い。
好感度:64 → 68
状態:照れ、怒ったふり
備考:剣を褒められると弱い
なるほど。
剣を褒められると弱いらしい。
本人には絶対言えない。
リアが静かに言う。
「レンは、思ったことをそのまま言いすぎるところがあります」
「分かるわ」
「私も困っています」
「でしょうね」
「二人で俺を分析しないでください」
なぜか二人の意見が一致していた。
セリカさんは咳払いをして、木剣を構える。
「始めるわよ」
「本当にやるんですね」
「当たり前でしょう。安心しなさい。怪我をさせる気はないわ」
「俺も怪我をさせる気はありません」
「言うじゃない」
「いや、そういう意味ではなくて」
「いいわ。そのくらいの方が面白い」
セリカさんの口元が少し上がる。
完全に戦闘モードだ。
俺は木剣を構えた。
クロフォード家での稽古を思い出す。
カイル兄上との一件。
あの時も、相手の弱点や動きが見えた。
今回も表示が出る。
セリカ・ヴァンブレイド
状態:集中
初撃:様子見の中段
弱点:なし
注意:覚醒後、剣速上昇
弱点なし。
いや、困る。
カイル兄上の時は右肩が上がるとか、左足の重心が遅いとか出ていた。
セリカさんには、それがない。
正確には、小さな癖はあるのだろう。
だが、それを弱点と呼べるほど甘くない。
「行くわよ」
セリカさんが踏み込んだ。
速い。
木剣が中段から伸びる。
攻撃:中段突き
回避:右半歩
反撃不可
俺は右へ半歩ずれる。
木剣が服の端をかすめた。
反撃不可の表示通り、隙がほとんどない。
セリカさんはすぐに横薙ぎへ移る。
二撃目:横薙ぎ
推奨:受けずに後退
俺は後ろへ下がる。
木剣が空を切る。
風が頬に当たった。
観客の冒険者たちがざわつく。
「今の避けたぞ」
「新人だろ?」
「セリカ相手に?」
やめてくれ。
声に出さないでくれ。
セリカさんの目が少し鋭くなる。
「やっぱり見えてるのね」
「少しだけ」
「少しで私の剣を避けられたら、騎士団の訓練が泣くわ」
「俺自身はかなり必死です」
「顔は本当に必死ね」
「はい」
セリカさんが笑った。
少し楽しそうだった。
そして、次の瞬間には踏み込んでくる。
速さが上がった。
攻撃連携:三連
一撃目:上段
二撃目:返し胴
三撃目:足元払い
推奨:一撃目を受け流し、二撃目後退、三撃目前跳躍
情報が一気に流れる。
俺は木剣で上段を受け流した。
腕に衝撃が走る。
痛い。
二撃目を後退でかわし、三撃目の足払いをぎりぎり跳ぶ。
着地が崩れた。
そこへ、セリカさんの木剣が喉元にぴたりと止まる。
負けた。
「一本ね」
「はい。完敗です」
俺は素直に両手を上げた。
冒険者たちがどよめく。
「いや、でも新人にしちゃ十分だろ」
「セリカの三連を二つ避けたぞ」
「最後は体勢崩したな」
分析しないでほしい。
セリカさんは木剣を下ろした。
「予測はできる。でも身体が追いついていない」
「その通りです」
「基礎体力と足運びを鍛えれば、かなり厄介になるわね」
「厄介になりたいわけではないです」
「なるわよ。あなたは」
断言された。
リアが訓練場の端から近づいてくる。
「怪我は?」
「大丈夫です」
「腕、少し赤い」
「これくらいなら」
リアは俺の手首にそっと指を当てた。
白い光が流れる。
軽い痛みが引いた。
「ありがとうございます」
「無理しすぎ」
「今のは無理というほどでは」
「無理しすぎ」
「はい」
リアに静かに言われると、なぜか逆らえない。
セリカさんがその様子を見ている。
「……ずいぶん自然に治すのね」
「リアは治癒師なので」
「それは知ってるけど、距離が近くない?」
リアの手が止まった。
俺も固まった。
いや、治療だから近いのは当然だ。
当然なのだが、言われると急に意識してしまう。
リアが静かに言う。
「治癒には必要な距離です」
「ふうん」
「セリカさんも怪我をしたら治します」
「私は平気よ」
「そう言う人ほど、無理をしています」
「あなた、意外と強く言うわね」
「レンにもよく言っています」
「でしょうね」
また二人の意見が一致した。
俺は自分の立場が少しずつ弱くなっている気がした。
セリカさんはもう一本の木剣を拾い、俺へ投げる。
「もう一本」
「え、まだやるんですか」
「当然。今度はあなたから打ち込んできなさい」
「俺から?」
「予測だけじゃなく、攻めの動きも見たい」
「攻めは苦手です」
「見れば分かる」
「そこまで?」
「構えに性格が出てる。逃げ腰」
ぐさり。
心に刺さった。
リアが少し困った顔で言う。
「セリカさん、言い方」
「事実よ」
「事実でも、刺さる言い方があります」
「……それは、悪かったわね」
セリカさんは少しだけ気まずそうに視線を逸らした。
俺は苦笑する。
「大丈夫です。逃げ腰なのは本当なので」
「開き直るな」
「はい」
俺は木剣を構え直した。
攻め。
苦手な言葉だ。
前世でも、自分から何かを取りに行くのは苦手だった。
人間関係でも、仕事でも、恋愛でも。
傷つくくらいなら最初から踏み出さない。
断られるくらいなら誘わない。
笑われるくらいなら話さない。
そうやって生きてきた。
異世界に来ても、それは簡単には変わらない。
だが、今は少し違う。
俺が一歩踏み出さなければ、リリアは助けられなかった。
セリカさんの破滅フラグも変わらなかった。
なら、剣でも一歩くらいは踏み込んでみるべきなのかもしれない。
「行きます」
「来なさい」
俺は踏み込んだ。
正面からでは通らない。
表示を見る。
セリカ防御:正面対応完璧
推奨:左誘導、足運び崩し
左へ誘導。
俺は木剣を斜めに振り、セリカさんの視線を動かす。
だが、彼女は乗らない。
「見え見え」
「ですよね」
木剣が弾かれる。
手がしびれる。
だが、そこで下がらず、もう一歩前に出た。
セリカさんの目が少しだけ開く。
セリカ状態:意外
隙:半瞬
半瞬。
俺はそこへ木剣を差し込んだ。
肩を狙う。
届く。
と思った瞬間、セリカさんの身体が沈んだ。
彼女は俺の木剣をかわし、足を払う。
「あ」
視界が傾いた。
まずい。
倒れる。
とっさに体勢を立て直そうとした俺は、手を伸ばした。
その手が、セリカさんの腕を掴んだ。
セリカさんも俺を支えようとしたのか、こちらへ手を伸ばす。
結果。
二人して、訓練場の砂地に転がった。
俺が下で、セリカさんが上……ではない。
幸いというべきか、横向きに倒れ、俺の肩にセリカさんの腕が乗るような形になった。
だが距離は近い。
近すぎる。
赤い髪が頬に触れそうな位置にある。
セリカさんの目が、すぐ目の前にあった。
時間が止まった。
周囲の冒険者たちも止まった。
リアも止まった。
俺の心臓だけが全力疾走していた。
「……ご、ごめんなさい!」
俺は慌てて起き上がろうとした。
だが、その瞬間、セリカさんの肩当てを留めていた革紐が、ぱちんと音を立てて外れた。
訓練中に緩んでいたのだろう。
肩当てがずれ、セリカさんの上着の襟元も少し乱れる。
露骨なものではない。
ただ、戦闘後の装備が崩れただけだ。
それでも、本人にとっては十分すぎるほど恥ずかしい状況だったらしい。
セリカさんの顔が、一瞬で真っ赤になった。
「みっ……見た!?」
「見てません!」
「今、明らかに見たでしょう!」
「装備がずれたのは見ました! でも、それ以上は見てません!」
「正直に言うな!」
「すみません!」
反射的に謝った。
周囲から笑いが起きかけた瞬間、セリカさんが木剣を拾って冒険者たちの方へ向けた。
「笑った奴、次は私とやる?」
笑い声がぴたりと止まった。
怖い。
めちゃくちゃ怖い。
リアが静かにこちらへ歩いてくる。
表情は穏やかだ。
穏やかだが、目が笑っていない気がする。
「レン」
「はい」
「大丈夫?」
「俺は大丈夫です」
「セリカさんは?」
「わ、私は平気よ!」
セリカさんは慌てて装備を直そうとする。
だが、外れた革紐が絡まってうまく戻らないらしい。
「くっ……何でこんな時に」
リアが少し考え、手を差し出した。
「手伝います」
「え?」
「そのままだと直しにくいでしょう」
「……いいの?」
「はい」
セリカさんは一瞬迷ったあと、小さくうなずいた。
リアは慣れた手つきで革紐をほどき、肩当てを正しい位置に戻す。
その動きは丁寧だった。
「こういう装備も分かるの?」
セリカさんが尋ねる。
「教会では、儀式用の衣装や装具を整えることも多かったので」
「聖……じゃなくて、治癒師なのに?」
セリカさんが言いかけて止めた。
リアは少しだけ目を伏せた。
「色々あったの」
「……そう」
セリカさんは、それ以上踏み込まなかった。
俺はその様子を少し離れて見ていた。
二人とも、タイプは全然違う。
リアは静かで、言葉を選ぶ。
セリカさんは真っ直ぐで、少し不器用。
でも、どちらも傷を抱えている。
それが分かるから、無理に踏み込まない。
リアが革紐を締め直した。
「これで大丈夫です」
「ありがとう」
「いえ」
セリカさんは少し照れくさそうに視線を逸らす。
そこで、なぜか俺の方を睨んだ。
「あなたは見すぎ」
「見てません!」
「見てた」
「装備修理を見てただけです!」
「やっぱり見てるじゃない!」
「それは見ますよ! 会話の流れで!」
「言い訳が下手!」
リアが小さく笑った。
「レンは本当に言い訳が下手ですね」
「リアまで」
なぜか二人から責められる形になった。
理不尽だ。
いや、転んだ原因の一端は俺にもあるので、完全に理不尽とは言えない。
セリカさんの表示が浮かぶ。
好感度:68 → 76
状態:羞恥、混乱、怒ったふり
備考:事故とは理解しているが、意識してしまっています
七十六。
上がりすぎでは。
転んで装備がずれただけで好感度が上がるものなのか。
いや、たぶん「助けようとした」「正直に謝った」「変に誤魔化さなかった」あたりが理由なのだろう。
……そういうことにしておく。
セリカさんは木剣を片付けながら言った。
「今日はここまで」
「助かります」
「あなた、体力がなさすぎ」
「自覚はあります」
「明日から鍛えるわ」
「え?」
「当然でしょう。予測だけに頼っていたら、いつか身体が追いつかなくて死ぬわよ」
「それは困ります」
「だから鍛えるの」
「えっと、俺の意思は」
「死にたいの?」
「生きたいです」
「なら決まり」
決まってしまった。
リアが静かにうなずく。
「私も、レンはもう少し体力をつけた方がいいと思います」
「リアまで」
「戦った後、すぐ息が上がっていました」
「事実です」
「それに、無理をするなら、無理に耐えられる身体が必要です」
正論だった。
非常に正論だった。
俺はがっくり肩を落とす。
「分かりました。ほどほどにお願いします」
「ほどほどにね」
セリカさんがにやりと笑う。
その笑顔は、あまり信用できなかった。
「今の笑顔、ほどほどじゃない気がします」
「気のせいよ」
「絶対気のせいじゃない」
リアが小さく言う。
「レン、頑張って」
「応援が他人事です」
「治癒はします」
「ありがたいですけど、前提が怪我なんですよね」
セリカさんとリアが同時に少し笑った。
俺はますます自分の立場が弱くなっていることを実感した。
◇
その後、ギルドから報酬の一部が仮払いされた。
薬草採取の報酬。
初心者冒険者三人の救助報酬。
グラウルベア討伐の仮報酬。
合計すると、思ったより大きな額になった。
「これでしばらく宿に泊まれそうですね」
俺が言うと、リアがほっとしたように息を吐いた。
「野宿は、少し寒かったから」
「すみません」
「謝ることじゃないわ。助けてもらったのだから」
「でも、今日はちゃんと宿に泊まりましょう」
「うん」
セリカさんが横から言った。
「ギルド提携の宿なら、東通りの『銀の小鹿亭』がいいわ。安いし、食事も悪くない」
「詳しいですね」
「王都に来てから何度か使ってる」
「セリカさんは家に戻らないんですか?」
聞いた瞬間、彼女の表情が少し曇った。
しまった。
また踏み込んだ。
セリカさんは少しだけ肩をすくめる。
「戻っても居場所がないの。魔法の使えない騎士家の娘なんて、家の看板に傷がつくんですって」
「……すみません」
「謝らなくていいわ。事実だし」
「でも、今日覚醒しました」
「それを家の連中が信じるかは別」
「見せれば」
「見せたいと思えるほど、私はまだあの家が好きじゃない」
その言葉は、淡々としていた。
でも、よく分かる。
実家に認められたい気持ちと、もうどうでもいいと思いたい気持ち。
その両方が混ざっているのだろう。
俺も、クロフォード家に戻りたいかと聞かれれば、すぐには答えられない。
使用人たちには会いたい。
母にも、少しは会いたい。
でも、父や兄に認められるために戻りたいかと言われれば、違う気がする。
リアが静かに言った。
「居場所は、家だけではないと思います」
セリカさんがリアを見る。
「経験者みたいな言い方ね」
「経験者なので」
「……そう」
それ以上は聞かない。
二人の間に、少しだけ共通する沈黙が流れた。
追放された元貴族三男。
追放された元聖女。
家に居場所のない女騎士。
考えてみれば、妙な集まりだ。
俺たちは全員、どこかから押し出された者同士なのかもしれない。
セリカさんが不意に言った。
「明日」
「はい?」
「明日、また訓練場に来なさい」
「決定事項なんですね」
「決定事項よ」
「リアも?」
リアが首を傾げる。
「私は、見ているだけなら」
「支援の練習もした方がいいわ。あなたの支援、かなり強い。使い慣れれば、もっと安全に戦える」
リアは少し驚いた顔をした。
「私も?」
「そうよ。治癒師だから後ろにいるだけ、なんて考えは捨てた方がいい。あなたの支援があったから、私はグラウルベアを斬れた」
セリカさんの声は真剣だった。
リアは少しだけ目を伏せる。
「私の力が、役に立った?」
「役に立ったわ。かなり」
「……そう」
リアは小さく笑った。
嬉しそうだった。
リリア好感度:117
状態:安堵
備考:自分の力を誰かに認められ、少し前向きになっています
セリカさんはその様子を見て、少し照れくさそうに顔を逸らした。
「別に、褒めたわけじゃないわ。事実を言っただけ」
「ありがとうございます」
「だから、お礼を言われることじゃ」
「でも、嬉しかったから」
リアがそう言うと、セリカさんは完全に言葉に詰まった。
この二人、意外と相性がいいのかもしれない。
と思った直後、セリカさんが俺を見た。
「で、あなたは明日逃げないこと」
「逃げません」
「本当に?」
「たぶん」
「たぶん?」
「努力します」
「逃げる気あるじゃない」
リアが静かに言う。
「レンは、逃げる時は顔に出るので大丈夫です」
「便利ね」
「はい」
「二人して俺をどう見ているんですか」
俺がそう言うと、二人はまた顔を見合わせた。
そして、少し笑った。
なぜだろう。
悪い気はしなかった。
◇
夕方、俺たちはセリカさんに教えてもらった宿『銀の小鹿亭』へ向かった。
木造二階建ての、こぢんまりとした宿だった。
入口には銀色に塗られた小鹿の看板が揺れている。
中に入ると、焼いた肉とスープの匂いがした。
前世で言うなら、定食屋付きのビジネスホテル……いや、全然違うか。
受付にいた恰幅のいい女将さんが、俺たちを見る。
「三人かい?」
俺、リア、セリカさん。
たしかに三人に見える。
セリカさんが先に言った。
「私は別に宿を取ってるわ。今日はこの二人に紹介しただけ」
「あら、そうかい。じゃあ二人部屋?」
俺は固まった。
リアも固まった。
「い、いえ! 一人部屋を二つで!」
俺が慌てて言うと、女将さんは帳簿をめくった。
「今日は祭り前でねえ。一人部屋は全部埋まってるよ」
嫌な予感。
「二人部屋は?」
「一部屋だけ空いてる」
来た。
宿屋一部屋問題が、思ったより早く来た。
まだ第十話の予定ではなかっただろうか。
いや、俺は何をメタ的なことを考えているんだ。
リアが静かに俺を見る。
セリカさんも、なぜか面白そうに俺を見る。
俺は冷や汗をかいた。
「ほ、他の宿を探しましょう」
「この時間だと、どこも混んでると思うわよ」
セリカさんが言う。
「でも」
「野宿するよりはいいでしょう」
「それはそうですが」
リアが少し考えて言った。
「私は、同じ部屋でも構いません」
「いやいやいや」
「レンは信用できるから」
「信用はありがたいですが、俺の精神が」
「精神?」
「いえ、何でも」
セリカさんが腕を組む。
「あなた、変なところで真面目ね」
「変なところではなく、当然の配慮です」
「床で寝れば?」
「そのつもりです」
リアがすぐに言う。
「だめ」
「え?」
「床は冷える。昨日も野宿だったのに」
「でも」
「交代で寝るとか、布を分けるとか、方法はあるわ」
「いや、それはそれで」
セリカさんがにやにやし始めた。
「大変ね、レン」
「楽しんでませんか」
「少し」
「正直ですね」
女将さんが豪快に笑った。
「若いねえ。じゃあ二人部屋でいいかい?」
俺は返事に詰まった。
リアが静かに言う。
「お願いします」
「リア!?」
「野宿より安全です」
「それはそうですが」
「それに、レンは変なことをしないでしょう?」
「絶対にしません」
「なら大丈夫」
信頼が重い。
非常に重い。
セリカさんが少しだけ目を細める。
セリカ状態:微妙な対抗心
備考:リアとレンが同室になることが少し気になっています
やめてほしい。
見えなくていい。
俺は結局、二人部屋を借りることになった。
セリカさんは帰り際、俺に小声で言った。
「明日、寝不足でも訓練するから」
「寝不足前提で話さないでください」
「顔に出そうだもの」
「出ません」
「出るわね」
リアまで横でうなずいた。
「出ると思う」
「味方がいない」
セリカさんは軽く手を振った。
「じゃあ、また明日。逃げないでよ」
「逃げません」
「リア、見張っておいて」
「はい」
「リアも即答しないでください」
二人はなぜか少し楽しそうだった。
セリカさんが宿を出ていった後、俺とリアは二階の部屋へ案内された。
部屋は清潔だった。
ベッドが二つ。
小さな机。
水差し。
窓からは王都の夕暮れが見える。
ベッドが二つある。
よかった。
本当によかった。
「ベッド二つありますね」
俺が心底安心して言うと、リアが少し笑った。
「何を想像していたの?」
「何も想像していません」
「本当に?」
「本当です」
リアはフードを外した。
白銀の髪がさらりと落ちる。
部屋の中なので、ようやく顔を隠す必要がなくなった。
夕暮れの光を受けた彼女は、やはり聖女と呼ばれるにふさわしい美しさだった。
俺は慌てて視線を窓へ向ける。
「また顔が赤い」
「夕日のせいです」
「火の次は夕日」
「自然現象は便利ですね」
リアは小さく笑った。
その笑い声は、昨日よりずっと穏やかだった。
俺は荷物を下ろし、ベッドの端に座る。
今日一日の疲れが、一気に身体へ来た。
測定石を割った。
受付嬢エマさんの破滅フラグを見た。
東の森でセリカさんに出会った。
災害級魔物を倒した。
訓練場で決闘した。
装備トラブルで怒られた。
宿屋一部屋問題が発生した。
濃すぎる。
王都初日とは思えない。
リアは向かいのベッドに腰を下ろし、静かに言った。
「レン」
「はい」
「今日も、たくさん助けたね」
「成り行きです」
「でも、助かった人がいた」
「そうですね」
「セリカさんも」
「彼女は自分の力で戦いました」
「でも、レンが言わなければ、剣を信じられなかったかもしれない」
「……そうだといいですね」
リアは俺を見つめる。
「私は、レンが誰かを助けるところを見るのが好き」
不意打ちだった。
俺はまた返事に詰まる。
「そ、それは、どういう」
「そのままの意味」
「そのまま」
「うん」
リアは少し照れたように目を伏せた。
「自分を助けてくれた人が、他の誰かにも手を伸ばしているのを見ると、私だけじゃなかったんだって思える」
「……嫌じゃないんですか?」
「少しだけ、寂しい時はある」
正直な言葉だった。
俺は目を見開く。
リアは続ける。
「でも、それ以上に嬉しい。レンは、私だから助けたんじゃなくて、目の前の人を放っておけない人なんだって分かるから」
言葉が胸に沈んだ。
俺はどう返せばいいか分からなかった。
ただ、小さく言った。
「俺は、そんな立派な人間じゃないです」
「立派かどうかは、レンが決めることじゃないと思う」
「そうですか」
「少なくとも、私はそう見てる」
表示が出る。
リリア好感度:117 → 120
好感度上限突破状態継続
状態:信頼、親密感
備考:レンの隣にいることを自然に望み始めています
百二十。
俺は目を閉じた。
見なかった。
見なかったことにする。
「レン?」
「大丈夫です」
「何も聞いていないけど」
「先に答えました」
「変なの」
「十二回目です」
リアは笑った。
その笑顔を見て、俺も少し笑った。
窓の外では、王都の灯りが少しずつ増え始めている。
この街で、俺たちの冒険者生活が始まった。
いや、始まったばかりにしては、すでにかなり大変だ。
明日はセリカさんとの訓練。
エマさんの借金問題。
グラウルベア出現の調査。
教会の追手。
問題は山積みだ。
それでも今夜は、屋根がある。
火ではなくランプの明かりがある。
ベッドが二つある。
そして、一人ではない。
前世の俺なら、それだけで十分すぎるくらいだった。




