表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

PR
75/110

第75話 第四の系統、才能にまで名前をつけ始める

 才能にも、名前がある。


 そのことに気づいた時、俺は少しだけ嫌な予感がした。


 人の名前が奪われる。

 肩書きに置き換えられる。

 正式名だけに縛られる。

 未定を決断不足にされる。

 未来の役割で、今の名前を塗りつぶされる。


 ここまで、第四の系統はずっと「呼び方」の隙間を狙ってきた。


 なら、次に狙われるのは何か。


 それは、たぶん才能だ。


 誰かが持っている力。

 努力して磨いてきた技術。

 本人がどう使いたいか、まだ決めきれていない可能性。


 そこに勝手な名前をつけられたら。


 人は、自分の力まで他人のものにされる。


     ◇


 異変が起きたのは、翌日の午前だった。


 実技杯に向けた自主訓練が本格化し、王立学園の各訓練場はいつも以上に賑わっていた。


 剣術課程の学生たちが木剣を打ち合わせ、魔術科の学生たちが魔力制御を確認し、治癒術科の学生たちは模擬負傷者用の人形を相手に術式を流している。


 どこも熱気があった。


 実技杯という分かりやすい目標ができたことで、学園全体が少し浮き立っている。


 そして、その中心近くに俺たち第五混成班がいる。


 レン・クロフォード。

 リリア。

 セリカ。

 ノエル。

 ユリアナ。


 外れスキル扱いだった俺が、好感度限界突破と才能覚醒リンクで仲間の力を引き出す。


 かなり派手な看板になってしまった。


 前世の俺なら「こういうの、アクセス数取れるやつだ」と思っただろう。


 今は胃が痛い。


「レン、顔」


 セリカさんが言った。


「まだ何も言ってません」


「言う前から顔に出てる」


「最近、顔が完全に弱点ですね」


「前からじゃない?」


 さらりと刺された。


 リリアがくすりと笑い、すぐに心配そうな顔に戻る。


「無理はしないでくださいね。昨日も、能力の検査をしましたから」


「はい。今日は見るだけにします」


「本当に?」


「本当に」


 リリアの疑い方がユリアナ先輩に似てきた気がする。


 そのユリアナ先輩は、訓練場の端で新しい書式案を確認していた。


 本人才能意思確認票。


 昨日、第四の系統が才能名に干渉し始めた兆候を受け、ユリアナ先輩とノエルが即座に作った草案だ。


 本人名。

 得意なこと。

 周囲から呼ばれる才能名。

 本人が受け入れられる才能名。

 嫌な才能名。

 その才能をどう使いたいか。

 未定欄。


 名前確認票の才能版である。


 また書類が増えた。


 けれど、必要な書類だった。


「正式導入前に、少数の協力者で確認します」


 ユリアナ先輩が言った。


「まずは昨日相談に来た学生たちを中心に」


「エリナさん、ダンさん、ミーナさんあたりですね」


「はい」


 ノエルは小型の記録水晶を並べながら頷く。


「才能名は、本人の力の方向性とかなり深く結びついてる可能性がある。嫌な名前で固定されると、出力が歪むかも」


「怖いですね」


「怖い。でも調べないともっと怖い」


 ノエルらしい言い方だった。


 通信水晶から、ミュレアの声が響く。


『才とは刃にも灯にもなる。名を間違えれば、刃は勝手に人を斬り、灯は煙るぞ』


「今日も深いこと言いますね」


『当然じゃ。妾は高貴なる助言者じゃからな』


「甘味は一品です」


 リリアが即座に言う。


『まだ要求しておらぬ!』


「先に確認です」


『白き娘め……完全に先読みを覚えたな』


 このやり取りを聞くと、訓練場の緊張が少しだけ和らぐ。


 だが、それも長くは続かなかった。


     ◇


 最初の異常は、治癒術科のエリナ・ファスに起きた。


 彼女は昨日、才能確認相談で「安心治癒」という才能名候補が出た少女だ。


 怖がる人の緊張を和らげたい。


 そう言った時の表情は、少し照れながらも明るかった。


 今日もリリアと一緒に模擬治癒の練習をしていたのだが、途中で急に白い光が乱れた。


「あっ……」


 エリナの杖先から出ていた柔らかな光が、ぎくしゃくと細くなる。


 治癒対象の人形に触れる前に、光が弾けて消えた。


 リリアがすぐに近づく。


「エリナさん、大丈夫ですか?」


「はい、でも……今、変な感じがしました」


「変な感じ?」


「自分の治癒じゃないみたいで」


 俺は胸騒ぎを覚え、表示を見る。


エリナ・ファス

才能名:安心治癒

状態:揺らぎ

外部置換候補:聖女候補

関連:第四の系統

注意:本人の望む才能の使い道が、周囲の役割名に押されています


「出ました。安心治癒が、聖女候補に置き換わりかけています」


 その瞬間、リリアの顔色が変わった。


「聖女候補……」


 エリナは怯えたように自分の杖を握る。


「私、そんなつもりじゃありません。聖女になりたいとかじゃなくて、ただ、怖がっている人を安心させられたらって」


「分かっています」


 リリアが、はっきり言った。


「エリナさんは、聖女候補ではなく、エリナさんです。あなたの治癒は、誰かを安心させたいという気持ちから出ているものです」


「リリアさん……」


「もう一度、自分で言ってみてください。どう使いたいですか?」


 エリナは少し震えながらも、息を吸った。


「私は……治癒術で、怖がっている人を安心させたいです。怪我だけじゃなくて、心も少し楽にできるように」


 白い光が戻る。


 淡く、温かく、やさしい光。


聖女候補:後退

安心治癒:安定

本人意思確認:有効


「戻りました」


 俺が言うと、リリアがほっと息を吐いた。


 エリナは泣きそうになりながら、自分の杖を見つめた。


「よかった……私、聖女候補なんて言われたら、また怖くなるところでした」


 また。


 その一言が重かった。


 治癒術が得意なだけで、周囲はすぐに「聖女」や「候補」と呼びたがる。


 その言葉は、本人の可能性を広げることもある。

 でも、本人が望まないなら、鎖にもなる。


 リリアは静かにエリナの名前を呼んだ。


「エリナさん」


「はい」


「あなたの治癒は、あなたのものです」


「……はい」


 エリナの光は、さっきより安定していた。


     ◇


 次の異常は、剣術課程のダン・ロウエルに起きた。


 彼はセリカさんの指導で足運びの練習をしていた。


 速さはある。

 だが焦ると大振りになる。


 昨日の表示では、才能名候補は「疾走剣」。


 本人意思は、速さで押すだけではなく、相手を見て動きたい、だった。


 そのダンが、模擬魔物人形に向かって踏み込んだ瞬間、動きが乱れた。


 速い。


 けれど、雑だった。


 相手を見ていない。

 ただ前へ突っ込んでいる。


 セリカさんが即座に木剣で止めた。


「止まれ!」


 ダンの木剣が弾かれる。


 彼は荒い息をして、呆然と立ち尽くした。


「俺、今……何を」


 表示が出る。


ダン・ロウエル

才能名:疾走剣

状態:揺らぎ

外部置換候補:戦闘要員

関連:第四の系統

注意:速さが、本人意思ではなく役割消費へ寄っています


「疾走剣が、戦闘要員に置き換わりかけています」


 セリカさんの目が鋭くなった。


「最悪ね」


「戦闘要員って……」


 ダンは顔を青くした。


「俺、ただ前に出ればいいって思ったわけじゃ……」


「思わされかけたのよ」


 セリカさんは短く言った。


「速いから前へ出ろ。剣が振れるから戦え。そういう雑な役割名に引っ張られた」


「俺は……」


「ダン」


 セリカさんが名前を呼ぶ。


「はい!」


「あなたの剣は、ただ突っ込むためのもの?」


「違います」


「どうしたい?」


 ダンは木剣を握り直した。


「相手を見て動きたいです。速さで押すだけじゃなくて、仲間が動きやすいように道を開ける剣にしたい」


「なら、それを忘れない」


「はい!」


 再び構えたダンの足運びは、さっきより落ち着いていた。


 速いが、止まれる。


 前に出るだけではなく、横へ流れる余地がある。


戦闘要員:後退

疾走剣:安定

本人意思確認:有効


「戻りました」


 セリカさんは頷いた。


「よし。じゃあ最初からやり直し」


「はい!」


 容赦はない。


 だが、ダンはさっきよりずっといい顔をしていた。


     ◇


 魔道具科のミーナにも、似た異常が出た。


 彼女の才能名候補は「手馴染み調整」。


 使う人の手や癖に合わせて、魔道具を調整する才能だ。


 ところが、調整中の小型ランプが急に規格通りの無機質な出力になり、ミーナが首を傾げた。


「変。これ、使う人の手に合わせたはずなのに、工房の標準品みたいになってる」


 表示。


ミーナ・アルレット

才能名:手馴染み調整

状態:揺らぎ

外部置換候補:工房後継者

関連:第四の系統

注意:個人に合わせる才能が、家業・生産役割へ固定されかけています


「工房後継者に置き換わりかけています」


 ミーナは目を丸くした。


「え、私、実家は工房だけど、別に後継ぎって決まってるわけじゃないんだけど」


 ノエルがすっと近づいた。


「ミーナさん。あなたの調整は、何のため?」


「何のためって……使う人が、使いやすいように」


「大量生産の標準品を作るため?」


「違う。そういうのも大事だけど、私が好きなのは、手に持った時に『あ、これなら使える』ってなる調整」


「なら、それを言語化」


 ミーナは少し考え、ランプを手に取った。


「私は、使う人に合わせた道具を作りたい。工房の名前のためじゃなくて、その人の手に馴染むものを」


 ランプの光が、ふっと柔らかく変わった。


 冷たい標準出力ではなく、手元を包むような明かり。


工房後継者:後退

手馴染み調整:安定

本人意思確認:有効


 ノエルが小さく頷いた。


「いい才能」


 ミーナは照れたように笑った。


「ノエルさんに言われると、本当に嬉しいですね」


「事実」


 短いが、かなりの褒め言葉だった。


     ◇


 連続する異常に、訓練場の空気は少しざわつき始めた。


 治癒適性が聖女候補へ。

 剣術適性が戦闘要員へ。

 魔道具調整適性が工房後継者へ。


 どれも完全な間違いではない。


 でも、本人の意思を削っている。


 才能の名前が、周囲の都合や役割に塗り替えられている。


 ユリアナ先輩はすぐに訓練場の端で臨時対応を始めた。


「才能確認相談を一時的に優先します。異常を感じた者は、無理に練習を続けず申告してください。才能名が周囲の評価や役割名に置き換わっている可能性があります」


 教師たちも動き始める。


 ノエルは本人才能意思確認票の項目を増やしていた。


「外部置換候補欄が必要。周囲からつけられた才能名と、本人が受け入れられる才能名を分ける」


「また欄が増えますね」


「必要」


 ユリアナ先輩が即座に頷く。


「増やします。ただし記入負担も考慮し、未定欄を併記します」


 リリアは治癒術科の学生たちを落ち着かせ、セリカさんは剣術課程の暴走気味の学生を止め、ノエルは魔道具科の相談を受ける。


 俺は、必要な時だけ表示を見る。


 だが、続けて能力を使うと少しずつ負荷が溜まる。


 胸の奥が重くなる感覚。


 他人の才能の名前が、自分の中を通過していくたびに、少しだけ意識が引っ張られる。


 その時、リリアがすぐに俺の名前を呼んだ。


「レン」


「はい」


「少し休んでください」


「まだ大丈夫です」


「大丈夫でも、休んでください」


 強い。


 セリカさんも遠くから言う。


「レン、座る!」


「はい!」


 逆らえなかった。


 俺は訓練場の端の椅子に座る。


 ミュレアの通信水晶が光った。


『レン。自分まで才能確認用の道具になるでないぞ』


「分かっています」


『本当か?』


「……努力します」


『怪しいな』


 その指摘は正しい。


 俺は、また自分を後回しにしかけていた。


 名前を守る時もそうだった。


 才能名でも同じことをやりかけている。


 セリカさんが言った通り、原因と責任は別。


 でも、目の前で誰かの才能が歪められていると、つい手を伸ばしたくなる。


 それが危ないのだ。


     ◇


 休憩している俺の前に、冷たい気配が近づいてきた。


 顔を上げると、アイリス・ヴェルナーが立っていた。


 淡い青銀の髪。

 涼しげな紫の瞳。

 制服の襟元まできっちり整った姿。


 昨日と同じく、隙がない。


 だが、今日は少しだけ表情が硬かった。


「レン・クロフォード」


「はい」


「今の異常、見えているのですね」


「はい。才能名が役割名や評価名に置き換わりかけています」


「……そう」


 アイリスは短く答えた。


 その瞬間、彼女の周囲の冷気が少し強まった。


 訓練場の床に、薄い霜が走る。


 俺は嫌な予感を覚えた。


 表示が出る。


アイリス・ヴェルナー

才能名:氷属性魔術適性

状態:強い揺らぎ

外部置換候補:冷血魔女

関連:第四の系統

注意:本人の過去の拒否呼称と才能名が結びつきかけています


 冷血魔女。


 その文字を見た瞬間、胸がざわついた。


 言ってはいけない。


 呼んではいけない。


 これは、彼女の才能名ではない。


 アイリスは自分の手を見ていた。


 指先に白い冷気がまとわりついている。


「……見えたのですね」


 声が低い。


 俺は少し迷った。


 そして、正直に答えた。


「見えました。でも、口にはしません」


 アイリスの目がわずかに揺れた。


「なぜ」


「あなたが望んでいない名前だと思ったからです」


 彼女は唇を引き結んだ。


 冷気がさらに強くなる。


 周囲の学生たちが距離を取った。


 リリアが立ち上がろうとしたが、俺は手で制した。


 ここで大勢が囲めば、アイリスは余計に殻を固くする気がした。


 アイリスは静かに言った。


「昔から、そう呼ばれることがありました」


 その声は、氷のように冷たかった。


 けれど、冷たい声ほど、内側に熱いものを隠していることがある。


「私は氷魔術が得意でした。感情を表に出すのが苦手で、練習でも失敗しないように、余計なことを言わないようにしていました」


 彼女は自嘲気味に笑った。


「そうしたら、冷たいと言われました。氷みたいだと。人の気持ちが分からないと。強い氷を使うから、心まで凍っているのだと」


 冷血魔女。


 その嫌な呼び名が、どれほど彼女に刺さっていたか。


 少しだけ分かった気がした。


「私は、冷血だから強いんじゃありません」


 アイリスの声が揺れた。


「弱いところを見せるのが怖かっただけです」


 その瞬間、表示の揺らぎが強くなる。


冷血魔女:固定進行

注意:本人の自己認識が拒否呼称に引っ張られています


 まずい。


 俺は反射的に才能覚醒リンクを使いかけた。


 彼女の才能を見て、戻す。

 できるかもしれない。


 だが、その瞬間、アイリスが鋭く言った。


「勝手に見ないで」


 俺は手を止めた。


 胸の奥でスキルの流れが止まる。


「……分かりました」


 アイリスがこちらを見る。


「本当に止めるのですか」


「はい」


「異常が見えているのに?」


「はい」


「なぜ」


「あなたが嫌だと言ったからです」


 言葉にすると、当然のことだった。


 でも、今までの俺なら焦っていたかもしれない。


 助けなければ。

 戻さなければ。

 自分が見えるなら、何とかしなければ。


 そうやって、相手の意思より自分の焦りを優先していたかもしれない。


 でも、それでは駄目だ。


 アイリスが俺に突きつけた問いは、まさにそこだった。


 人を道具にしない。

 努力を奪わない。

 勝手に変えない。


 なら、見ないことも必要だ。


「俺は、あなたの許可なしに才能を覗きません」


 アイリスは黙っていた。


 冷気はまだある。


 だが、少しだけ弱まった。


 俺は続けた。


「だから、見る前に聞きます。アイリスさんは、どう呼ばれたいですか。才能じゃなくて、まずあなた自身を」


 アイリスの目が大きく揺れた。


 長い沈黙。


 訓練場のざわめきが遠くなる。


 リリアも、セリカさんも、ノエルも、ユリアナ先輩も、口を挟まなかった。


 ミュレアすら静かだった。


 アイリスはやがて、小さく息を吐いた。


「……アイリスでいい」


 その声は、とても小さかった。


 けれど、確かに彼女自身の声だった。


 俺は頷いた。


「アイリス」


 名前を呼んだ。


 その瞬間、彼女の周囲の冷気が少し柔らかくなる。


 表示が変わる。


冷血魔女:後退

氷属性魔術適性:安定傾向

本人名確認:有効


 俺は慎重に言った。


「嫌な呼び名は後退しました。氷属性魔術適性は安定し始めています」


 アイリスは驚いたように自分の手を見る。


「本当に……」


「勝手には変えていません。あなたが名前を選んだだけです」


 彼女は、まだ信じきれていない顔をしていた。


「私の才能は、冷たいから強いのではないのですか」


「俺はまだ見ていません」


「……そうでしたね」


「でも、少なくとも、嫌な名前で強くなる必要はないと思います」


 アイリスは黙った。


 そして、かすかに頷いた。


「なら」


 彼女は少し迷い、それから言った。


「少しだけ、見てもいいです」


「本当に?」


「ええ。ただし、勝手に覚醒させないで」


「分かりました。見るだけにします」


 俺は深呼吸した。


 好感度限界突破ではなく、才能確認のために意識を向ける。


 アイリスの周囲にある冷気。


 氷魔術の流れ。


 そこに重なる努力の層。


 何度も何度も術式を練り直した跡。

 感情を抑えて、失敗しないように積み上げた時間。

 誰かに冷たいと言われても、折れずに磨いてきた魔力の形。


 表示が浮かぶ。


アイリス・ヴェルナー

氷属性魔術適性:極めて高い

努力の蓄積:高

拒否呼称:冷血魔女、氷人形

本人意思:まだ未定

才能の方向性:制圧だけでなく、守護への可能性あり


「見えました」


 アイリスは静かに待っている。


「あなたの氷は、冷たいから強いわけじゃない。努力の蓄積がすごく高いです。何度も術式を練って、失敗しないように積み上げてきた力です」


 アイリスの瞳が揺れる。


「それから、才能の方向性に……守る氷の可能性があるみたいです」


「守る氷?」


「はい。まだ未定です。制圧だけじゃなく、誰かを守る方向にも伸びる可能性がある」


 アイリスは、しばらく言葉を失っていた。


 冷気はもう暴れていない。


 静かに、彼女の手の中で揺れている。


「私は……誰かを遠ざけるために氷を使っていると思っていました」


「今は、そうかもしれません」


 俺は正直に言った。


「でも、それだけじゃない可能性がある。少なくとも、表示はそう出ています」


「表示」


「あ、俺の力の見え方です」


「不思議ですね」


「俺もそう思います」


 アイリスは小さく息を吐いた。


「本当に、勝手に変えないのですね」


「変えるんじゃなくて、戻すだけです」


 口にした瞬間、自分でも少し驚いた。


 でも、それは今の俺の本心だった。


 才能を変えるのではない。


 本人のものとして戻す。


 誰かが勝手につけた名前から、本人の手元へ。


 アイリスは、ほんの少しだけ表情を緩めた。


「なら、今日のところは信じます」


「今日のところは」


「完全にはまだ無理です」


「分かっています」


「実技杯で、もっと見せてください。あなたの力が、本当に本人の努力を支えるものなのか」


「はい」


 アイリスは踵を返す。


 去る前に、振り返らずに言った。


「それから」


「はい」


「今の呼び方は、嫌ではありませんでした」


 アイリス。


 そう呼んだことだろう。


 俺は少しだけ笑った。


「分かりました、アイリス」


 彼女の肩がわずかに揺れた。


 そして、何も言わずに歩いていった。


     ◇


 アイリスが去った後、訓練場に止まっていた空気が戻ってきた。


 リリアが近づいてくる。


「レン、大丈夫ですか?」


「はい。負荷は低いです」


 セリカさんが俺をじっと見た。


「ちゃんと止まれたわね」


「はい。勝手に見そうになりましたが」


「止まったならいい」


 ノエルは記録板を抱え、珍しく少し興奮した声で言った。


「今の、すごく重要。本人が拒否した時点でリンク停止。許可後に確認のみ。才能覚醒なし。第四の系統反応は後退」


「記録が増えますね」


「増える。必要」


 ユリアナ先輩はすでに本人才能意思確認票の草案を修正していた。


「最上部に、本人許可なく才能確認を行わない、と明記します。拒否した場合は即時停止。未定も有効。拒否呼称の保護を優先」


「また制度が進化しましたね」


「必要です」


 ミュレアの通信水晶が光る。


『レン。今の対応は悪くなかった』


「ありがとうございます」


『勝手に救わぬことも、時には救いじゃ』


「……はい」


『ただし、菓子は勝手に出してよい』


「一品です」


 リリアが言う。


『白き娘、そこは救いではないのか!』


「体調管理です」


 やはり最後はそこに戻る。


 でも、そのやり取りに救われた。


 重い空気が少しだけ軽くなる。


 俺は訓練場の向こうを見る。


 アイリスは少し離れた場所で、一人で氷の術式を確認していた。


 冷たい光。


 でも、さっきより鋭すぎない。


 いつか、あの氷が誰かを守る壁になる日が来るのかもしれない。


 まだ未定だ。


 でも、未定は空白ではない。


 可能性だ。


 俺は自分の手を見た。


 外れスキル扱いされた力。


 好感度限界突破。


 才能覚醒リンク。


 それは、人を変える力ではない。


 名前と才能を、本人の手元に戻す力であってほしい。


 そして今日、少なくとも一歩だけ、その使い方に近づけた気がした。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ