第74話 才能を引き出す力は、努力を奪う力じゃない
実技杯のチーム登録を終えた夜、俺はギルドの客室で自分の手を見ていた。
何か特別な手ではない。
剣の達人みたいに硬いわけでもない。
魔術師みたいに魔力紋が浮かぶわけでもない。
前世で陰キャ非モテだった男が、異世界に来ても妙に自信なさげなまま残している、普通の手だ。
けれど、この手で誰かに触れた時。
この手で誰かを支えた時。
好感度限界突破は、相手の才能にまで届くことがあるらしい。
外れスキル扱いされた俺の力。
ただ好感度が見えるだけだと思われていた力。
それが、実は仲間の才能を引き出すチートだった。
言葉だけなら、かなり強い。
というか、だいぶ主人公っぽい。
でも、アイリス・ヴェルナーの言葉が頭から離れない。
――努力して積み上げたものが、誰かの一言で覚醒するなんて言われたら、努力してきた人間はどうなるのですか。
正論だった。
痛いくらいに。
リリアの治癒術も、セリカさんの剣も、ノエルの魔道具も、ユリアナ先輩の判断力も、突然俺が与えたものではない。
みんなが積み上げてきたものだ。
なのに、周囲から「レンと組むと才能が覚醒する」とだけ言われたら。
それは、彼女たちの努力を俺の力で上書きしてしまうことにならないか。
俺は、誰かの努力を横取りする力を持っているのではないか。
「レン」
扉の向こうから声がした。
リリアだった。
「はい」
「入ってもいいですか?」
「どうぞ」
扉が開き、リリアが顔を出した。
白い髪がランプの光を受けて、柔らかく光っている。手には小さな湯気の立つカップが二つあった。
「眠れなさそうな気がしたので」
「顔に出ていましたか」
「はい。夕食の時から」
「そんなに?」
「かなり」
リリアは遠慮がちに笑い、机の上にカップを置いた。
甘い香草の香りがする。
「ありがとうございます」
「どういたしまして、レン」
名前を呼ばれる。
それだけで、胸の奥のざわつきが少しだけ落ち着く。
リリアは椅子に座り、俺の向かいでカップを両手で包んだ。
「アイリスさんの言葉、気にしていますか?」
「はい」
ごまかすのはやめた。
「俺の力が、本当に相手のためになっているのか分からなくなりました」
「相手のため?」
「はい。才能を引き出すって、聞こえはいいです。でも、本人の努力を俺の力で勝手に開いているだけなら、それは……何というか」
「奪っているように感じますか?」
リリアの言葉は、静かだった。
俺は少し黙ってから頷いた。
「そうかもしれません。みんなが頑張って積み上げてきたものを、俺のチートのおかげみたいにされるのも嫌です」
リリアはカップを置いた。
「レンは、私に聖力を与えたわけではありません」
「え?」
「私の中にあった聖力を、レンが作ったわけではありません。私が怖くて流せなかったものを、一緒に見てくれただけです」
その声には、確かな実感があった。
「教会にいた頃、私は自分の力を怖いと思っていました。聖女と呼ばれて、器のように扱われて、自分の聖力が本当に自分のものなのか分からなくなっていました」
「リリア……」
「でも、レンは私を聖女としてではなく、リリアとして呼んでくれました。私の力を、私のものだと見てくれました。だから、流せるようになったんです」
リリアは少し恥ずかしそうに笑った。
「レンが私を変えたのではありません。私が自分の力をもう一度信じるきっかけをくれたんです」
胸の奥が、じわりと温かくなる。
俺の力が何かを与えたのではない。
本人が持っていたものを、本人が使えるようにする。
言葉にすれば簡単だ。
けれど、今の俺には、その違いがとても大きかった。
「そう思ってくれているんですか」
「はい」
リリアは迷わず頷いた。
「だから、アイリスさんにもきっと伝えられます。レンの力は、努力を奪うものではありません。努力してきた人が、自分の力を見失わないように支えるものです」
その言葉は、アイリスの問いへの一つの答えだった。
まだ完全ではない。
でも、逃げずに向き合うための足場にはなった。
◇
翌朝、実技杯に向けた自主訓練が始まった。
場所は学園の第二訓練場。
正式な授業ではないが、実技杯前ということで、多くの学生が自主練に集まっていた。
俺たち第五混成班も、当然そこにいた。
セリカさんは木剣を軽く振っている。
その動きは、何度見ても無駄がない。
速いというより、止まるべきところで止まり、動くべきところで動く。
前世の俺がゲームや漫画で見ていた「強い剣士」の動きが、目の前にある。
「レン」
セリカさんが木剣を肩に担いだまま呼んだ。
「はい」
「昨日からずっと考え込んでる顔してる」
「はい」
「素直すぎる」
「隠せないので」
セリカさんは少しだけ笑い、俺の前へ歩いてきた。
「アイリスの言葉?」
「はい」
「努力を奪う力かどうか、ってやつ?」
「はい」
セリカさんは、木剣の柄で自分の肩を軽く叩いた。
「私の剣は私のものよ」
短い。
でも、はっきりしていた。
「レンが見てくれると動きやすい。タイミングも合う。昨日の合同演習でも、たしかにいつもより剣が走った」
「なら、やっぱり俺の力が」
「違う」
セリカさんは即座に遮った。
「振ってるのは私」
その声に、言い訳も遠慮もなかった。
「私が何年も素振りして、足運びを覚えて、身体に叩き込んできた剣よ。レンが一言声をかけたくらいで、何もしてない人が急に同じ動きできるなら、私は最初から苦労してない」
「それは、そうですね」
「そうよ」
セリカさんは木剣を俺に向ける。
もちろん、本当に当てるつもりはない。
「レンの力は、私の剣を奪ってない。むしろ、迷わず振るために背中を押してるだけ」
「背中を押す」
「そう。だから、調子に乗るな」
「そこで?」
「そこでよ。私の努力を全部レンのおかげにされたら、さすがに怒る」
「はい。すみません」
「でも、自分の力を全部危険物扱いして逃げても怒る」
「どっちにしても怒られる」
「当たり前」
セリカさんは少しだけ口元を緩めた。
「レンの力は、使い方を間違えなければ強い。私たちがそれを知ってる。なら、実技杯で見せればいい」
「アイリスに?」
「アイリスにも、周りにも、レン自身にも」
レン自身にも。
その言葉が胸に残った。
俺はまだ、自分の力を信じきれていない。
外れスキル扱いされた頃の感覚が、どこかに残っている。
前世で何者にもなれなかった自分が、誰かを強くできるなんて、まだどこかで信じられないのだ。
セリカさんは、ふと俺の手元を見た。
「木剣、持ってみる?」
「俺がですか?」
「持つだけ。振らなくていい」
そう言って、彼女は自分の木剣を差し出した。
受け取ると、思ったより重かった。
腕にずしりと来る。
セリカさんがいつも軽々と扱っているから、少し勘違いしていた。
「重いですね」
「でしょ」
「これを、あんな速さで」
「毎日振ってるから」
その一言がすべてだった。
努力。
積み重ね。
身体に刻まれた時間。
俺の力がどれほどチートでも、これを一瞬で作ることはできない。
俺は木剣を返した。
「分かりました。少しだけ」
「少しだけ?」
「俺の力が、みんなの努力を奪うものじゃないって」
「ならよし」
セリカさんは満足そうに頷いた。
◇
その後、ノエルによる才能覚醒リンクの簡易検査が行われた。
場所は訓練場の端。
机の上には魔道具が三つ並んでいる。
小型の魔力計。
精神負荷測定板。
名前固定反応を調べる水晶。
見た目はそれなりに本格的だ。
ノエルは目を輝かせていた。
「レン、ここに手を置いて」
「はい」
「リリアさん、セリカさん、ユリアナも順番に。直接リンクじゃなくて、昨日の演習記録との比較」
ユリアナが隣で釘を刺す。
「検査は短時間です。レン様の負荷が上がったら中止」
「分かってる」
「本当に?」
「本当に」
ノエルは即答したが、少し目を逸らした。
ユリアナがじっと見る。
「……時間を測る」
「よろしい」
この二人のやり取りにも、安心感がある。
俺は測定板に手を置いた。
ノエルが魔道具を起動する。
淡い光が走り、表示が浮かぶ。
才能覚醒リンク
条件確認中
名称固定:必要
本人意思:必要
信頼関係:必要
努力の蓄積:必要
注意:本人が望まない才能覚醒は不安定化します
「努力の蓄積……!」
ノエルが思わず声を上げた。
俺も表示を見て息を止めた。
努力の蓄積が必要。
つまり、何も積み上げていない才能を、俺が勝手に開くわけではない。
相手の中にあるもの。
相手が積み上げてきたもの。
それを通しやすくするだけ。
俺は、肩の力が少し抜けるのを感じた。
「よかった……」
思わず声が出た。
リリアが微笑む。
「レン」
「はい」
「やはり、レンの力は努力を奪うものではありません」
セリカさんも言う。
「ほら。私の剣は私のもの」
「はい」
ユリアナは記録板に丁寧に書き込んだ。
「重要な結果です。才能覚醒リンクの使用条件に、努力の蓄積を明記します」
ノエルは興奮を抑えきれない顔で頷く。
「これ、アイリスさんへの答えになる。レンの力は努力を無視できない。むしろ努力がないと発動しない」
「そうですね」
胸の奥にあった重石が、少しだけ軽くなった。
完全に消えたわけではない。
でも、足場はできた。
俺は、誰かの努力を奪っているわけではない。
その努力が、自分でも見えるように支えている。
そう考えてもいいのかもしれない。
◇
検査が終わった直後、ちょっとした事故が起きた。
ノエルが片付けようとした魔力計のコードに、俺の足が引っかかったのだ。
完全に油断していた。
「あっ」
バランスを崩した俺は、とっさに近くの支柱へ手を伸ばした。
だが、支柱だと思ったそれは、セリカさんの腕だった。
「レン?」
「すみま――」
言い終わる前に、今度はセリカさんが俺を支えようとして一歩引き、その足元に転がっていた測定板を踏みかけた。
危ない。
俺は慌てて彼女を引き戻す。
結果。
俺とセリカさんは、妙に近い距離で止まった。
セリカさんの赤い髪が、頬のすぐ近くにある。
木剣を握る手とは別の手が、俺の肩に触れている。
近い。
かなり近い。
「……レン」
「はい」
「これは事故ね」
「はい。完全に事故です」
「記録禁止」
「もちろんです」
ノエルが少し離れたところで測定板を拾いながら言った。
「記録しない。記憶はした」
「ノエル!」
セリカさんの声が跳ねた。
リリアは少し頬を赤くしながら、でも心配そうに言う。
「怪我はありませんか?」
「ありません」
「よかったです」
ユリアナは咳払いした。
「訓練場における器具管理を徹底してください」
「すみません」
俺とノエルが同時に謝った。
通信水晶からミュレアの笑い声が響く。
『はははっ! レン、また主人公らしい事故を起こしたな』
「ミュレア、笑いすぎです」
『全年齢向けで済んでおる。問題ない』
「その言い方が問題です」
セリカさんはまだ少し耳が赤い。
俺もたぶん赤い。
気まずい。
だが、不思議と嫌な気まずさではなかった。
そのせいで、また表示が出た。
セリカ
状態:羞恥、照れ隠し、信頼
好感度:上限突破中
備考:事故だと理解していますが、動揺しています
スキル。
頼むから、空気を読んでくれ。
◇
検査結果をまとめるため、俺たちは訓練場の端に座った。
ノエルはさっきの事故をなかったことにするかのように、真剣な顔で記録を整理している。
「才能覚醒リンクの条件は四つ。名称固定、本人意思、信頼関係、努力の蓄積」
ユリアナが頷く。
「第五条件として、本人が望まない場合は使用不可」
「それも必要」
「リンク使用前の確認項目に入れます」
リリアは少し安心したように言った。
「これなら、アイリスさんにも伝えられますね」
「はい」
俺は頷いた。
ただ、次の瞬間。
視界に、別の表示が浮かんだ。
第四の系統反応
微弱
干渉対象:才能名
兆候:才能を役割名・評価名へ固定しようとしています
胸の奥が冷えた。
「レン?」
リリアがすぐに気づく。
「第四の系統反応です」
全員の表情が変わる。
俺は表示を読み上げた。
「干渉対象は、才能名。才能を役割名や評価名へ固定しようとしているみたいです」
ノエルが眉を寄せる。
「人の名前だけじゃなく、才能の名前にも来た」
ユリアナがすぐに記録する。
「才能名固定への干渉。詳細は?」
「まだ微弱です。でも、例えば治癒適性を聖女候補へ、剣術適性を戦闘要員へ、みたいな方向かもしれません」
リリアの顔色が変わった。
「聖女候補……」
セリカさんも目を細める。
「戦闘要員、ね」
名前だけではない。
才能もまた、周囲から名前をつけられる。
治癒が得意なら聖女候補。
剣が得意なら戦闘要員。
魔道具が得意なら便利な工房係。
それは能力の説明であると同時に、本人を役割へ閉じ込める言葉にもなる。
アイリスの問いに向き合った直後に、これだ。
第四の系統は、まるでこちらの思考を読んでいるように、次の隙間を突いてくる。
ミュレアの声が低く響いた。
『才能にも名がある。名があるなら、奪われるし、歪められる』
「才能名を守る必要がある、ということですか」
『そうじゃ。レンの力が才能に触れ始めた以上、第四の系統もそこへ手を伸ばす』
俺は唇を噛んだ。
「俺のせいで」
「違う」
セリカさんが即座に言った。
「原因と責任は別。前にも言ったでしょ」
ユリアナも頷く。
「今すべきは、自責ではなく対処です」
ノエルが記録板を握る。
「本人呼称意思確認票の才能版が必要になる」
「才能版……」
リリアが静かに言った。
「本人が、自分の才能をどう呼びたいか。どう使いたいかを確認するものですね」
才能の名前。
才能の意思。
また新しい書類が増える。
でも、必要なのだろう。
俺は自分の手を見た。
外れスキルだったはずの力。
好感度限界突破。
才能覚醒リンク。
その力が本格的に動き出したことで、第四の系統も才能へ干渉し始めた。
怖い。
でも、逃げるわけにはいかない。
アイリスに証明するためにも。
自分自身に証明するためにも。
俺は、この力を誰かを縛るためではなく、本人が自分の才能を選べるように使う。
そう決めなければならない。
「才能確認票、作りましょう」
俺が言うと、ユリアナが静かに頷いた。
「はい。すぐに草案を作ります」
ノエルの目が光る。
「本人才能意思確認票」
リリアが言う。
「名前だけでなく、才能も本人のものですから」
セリカさんが木剣を握り直す。
「私の剣も、私のもの」
ミュレアが通信越しに締めた。
『よい。なら次は、才の名を守る戦じゃ』
才能を引き出す力は、努力を奪う力ではない。
今日、それは少し分かった。
だが同時に、才能にも名前があり、その名前もまた奪われると知った。
実技杯まで、時間は少ない。
けれど、やるしかない。
外れスキル扱いされた俺の力が、本当に最強チートだというなら。
それは、誰かを支配するためではなく。
誰かが自分の名前と才能を、自分のものとして握り直すために使う。
そういう力であってほしい。
いや。
そういう力にする。




