第7話 冒険者ギルドで最低ランク登録した結果
朝の森は、夜とはまったく別の顔をしていた。
冷たい空気の中に、湿った土の匂いが混じっている。
鳥の声が、遠くの枝から枝へ渡っていく。
昨日の夜はあれほど不気味に見えた木々も、朝日を浴びるとただの森に戻っていた。
俺は焚き火の跡に土をかぶせながら、少しだけ息を吐いた。
「よし」
火が完全に消えたことを確認し、荷物を背負う。
少し離れた場所では、リリアが両手を胸の前で重ねていた。
祈っているのかと思ったが、どうやら違うらしい。
手のひらに小さな白い光を灯し、消して、また灯す。
何度かそれを繰り返していた。
「調子はどうですか?」
俺が声をかけると、リリアは手元の光を見つめたまま答えた。
「昨日より、ずっといいわ」
彼女の顔色は、確かに良くなっていた。
まだ疲労は残っているが、昨日のような危うさはない。
白銀の髪は少し乱れているし、服も旅で汚れている。
けれど、その姿にはもう、倒れかけていた少女の弱々しさだけではなくなっていた。
名前:リリア・セレスティア
偽名候補:リア
好感度:111
状態:回復傾向、聖力循環安定
備考:自分の力を確かめています
好感度百十一。
朝から見るには、少々刺激が強い数字である。
いや、冷静になれ。
これは信頼とか、命を助けられたことへの感謝とか、そういうものだ。
恋愛とかではない。
たぶん。
きっと。
そうであってほしい。
今の俺にその処理能力はない。
リリアは光を消すと、俺の方へ歩いてきた。
「レン」
「はい」
「さっきから、何か考えている顔をしているわ」
「いえ、何も」
「うそ」
「即答ですね」
「分かりやすいもの」
彼女はそう言って、少し笑った。
昨日までの硬さが少し薄れている。
それだけで、ずいぶん印象が違った。
「王都に着いたら、私はリアと名乗ればいいのよね」
「はい。リリア・セレスティアの名前は、教会関係者には知られているでしょうし」
「リア……」
彼女は自分の偽名を小さく呟いた。
「変じゃない?」
「自然だと思います」
「レンだけは、リリアと呼んで」
「はい」
昨日も言われたことなのに、改めて言われると変に意識してしまう。
俺は咳払いをして、荷物の紐を締め直した。
「王都に入る時は、なるべく目立たないようにしましょう」
「私、目立つ?」
リリアは自分の髪に触れた。
白銀の髪。
青い瞳。
整った顔立ち。
普通に目立つ。
「……そこそこ」
「今、だいぶ遠慮したでしょう」
「しました」
「正直ね」
「嘘が下手なので」
リリアは少し考え、外套のフードを深くかぶった。
それだけで、少し印象が変わる。
とはいえ、完全に隠せるわけではない。
「これでどう?」
「だいぶいいです」
「だいぶ」
「かなりいいです」
「言い直した」
「はい」
リリアがくすりと笑った。
昨日、教会騎士に追われていた時には考えられないような会話だった。
でも、こういう何でもないやりとりが、俺には少し嬉しかった。
前世の俺は、女性と普通に雑談するだけで緊張していた。
今も緊張していないわけではない。
というか、相手が元聖女で好感度百十一という時点で、普通に会話できている自分を褒めたい。
俺たちは森を抜け、街道に戻った。
朝の街道には、旅人や商人の姿がぽつぽつと見える。
王都へ近づいているせいか、昨日より人通りが多い。
荷馬車。
護衛らしい冒険者。
巡礼者風の老人。
籠を背負った農民。
その頭上に、次々と表示が浮かぶ。
好感度:0
状態:眠気
好感度:4
状態:空腹
好感度:−2
状態:警戒
破滅フラグ:なし
情報が多い。
最初の頃より整理して見られるようになったとはいえ、人が増えるとやはり疲れる。
俺が目元を押さえると、リリアが気づいた。
「大丈夫?」
「人が多いと、表示が増えて少し疲れます」
「好感度が?」
「はい。他にも体調とか、危険とか」
「私のも、見えているの?」
「……見えています」
「今も?」
「はい」
リリアは少しだけ頬を染めた。
「変なこと、書いてある?」
「変なことは、たぶん」
「たぶん?」
「えっと、回復傾向と、聖力循環安定と」
「それだけ?」
好感度百十一とは言えない。
いや、言うべきなのか。
でも言ったら絶対気まずくなる。
俺は視線をそらした。
「だいたい、それだけです」
「今、何か隠した」
「隠してません」
「レン」
「好感度が少し高めに出ています」
負けた。
リリアは目を瞬かせる。
「どれくらい?」
「……それは、その」
「言えないくらい?」
「はい」
リリアは少し考えて、それから顔を赤くした。
「そ、そう」
「はい」
「……聞かなければよかった」
「俺も言わなければよかったです」
「でも、嘘をつかないところは、嫌いじゃない」
そう言われて、俺はまた妙に動揺した。
好感度:111 → 113
備考:隠そうとして結局正直に話すところに安心しています
上がるな。
いや、上がってくれるのはありがたいのかもしれないが、心臓に悪い。
俺たちはそんな会話をしながら、王都を目指した。
◇
王都エルグランは、想像以上に大きかった。
遠くからでも、白い城壁が見える。
その内側には赤い屋根の建物が幾重にも並び、中央には王城らしき尖塔がそびえていた。
門の前には商人の馬車や旅人が列を作っている。
衛兵たちが身分証や荷物を確認しながら、ひとりずつ中へ通していた。
「大きい」
リリアが小さく呟いた。
「来たことないんですか?」
「教会の儀式で一度だけ。でも、その時は馬車の中からほとんど出なかった」
「そうなんですね」
「聖女は、人目に触れすぎてはいけないと言われていたから」
また教会か。
俺は少しだけ眉を寄せた。
リリアはそれに気づいたのか、苦笑する。
「怒ってる?」
「少し」
「私より怒っているみたい」
「そうかもしれません」
「変なの」
「十一回目です」
「まだ数えてた」
そんな話をしているうちに、俺たちの順番が来た。
門番の衛兵は、俺の旅装とリリアのフードをちらりと見た。
「身分証は?」
俺はクロフォード家を出る時に渡された簡易身分証を出した。
表向きは「王都修行中の男爵家三男」という扱いになっている。
追放とは書いていない。
衛兵はそれを確認し、俺を見た。
「レン・クロフォード。男爵家の三男か」
「はい」
「そちらは?」
リリアの肩がわずかに強張る。
俺は先に答えた。
「リアです。道中で知り合った旅の治癒師で、体調を崩していたので王都まで同行しています」
嘘は半分。
治癒師なのは本当だ。
道中で知り合ったのも本当。
体調を崩していたのも本当。
問題は、元聖女で教会から追われているところを省いた点だけである。
衛兵はリリアを見る。
「フードを取れるか」
リリアの指が動く。
俺の視界に表示が出た。
衛兵
状態:通常業務
疑念:低
危険度:低
大丈夫そうだ。
リリアはゆっくりフードを少しだけ上げた。
白銀の髪が覗く。
衛兵は一瞬目を留めたが、すぐに身分確認用の板へ視線を戻した。
「治癒師か。王都で仕事を探すのか?」
「その予定です」
リリアが静かに答えた。
声は落ち着いていた。
少しだけ安心する。
衛兵は頷いた。
「最近、教会関係者の出入りが多い。揉め事には気をつけろ」
「教会関係者、ですか」
俺が聞き返すと、衛兵は肩をすくめた。
「聖女様が体調を崩されたとか、何とか。詳しいことは知らんがな。まあ、ああいう連中は話が面倒だ。近づかん方がいい」
リリアの表情がわずかに硬くなる。
聖女様が体調を崩した。
教会はそう説明しているのか。
偽物として処分しようとしていたくせに、外向きには体調不良扱い。
都合がいい。
俺は心の中で舌打ちした。
衛兵は俺たちに通行許可の印を返す。
「行っていいぞ」
「ありがとうございます」
俺たちは門を抜けた。
王都の中は、さらに騒がしかった。
石畳の道。
露店の呼び声。
行き交う馬車。
パンの焼ける匂い。
肉を焼く煙。
鍛冶屋の金槌の音。
情報量がすごい。
前世の駅前を思い出す。
それよりも匂いと音が濃い。
リリアも周囲を見回していた。
「人が多い」
「ですね」
「少し、怖い」
彼女は素直に言った。
その言葉に、俺は少し安心した。
怖いと言えるようになったのは、悪いことではない。
「無理しないでください。まずは冒険者ギルドに行って、登録だけ済ませましょう」
「冒険者ギルド」
「身分証代わりにもなるらしいので。俺みたいな半端な身分でも仕事を探しやすいかと」
「私も登録できる?」
「たぶん。治癒師なら歓迎されると思います」
「……リアとして?」
「はい」
リリアは小さくうなずいた。
「分かった」
俺たちは通行人に道を尋ねながら、冒険者ギルドへ向かった。
途中、何度か教会の白い法衣を着た者たちを見かけた。
そのたびにリリアの肩が強張る。
俺はなるべく自然に彼女の前へ半歩出た。
守れるかどうかは分からない。
でも、少しでも視線を遮るくらいはできる。
リリアはそれに気づいたのか、小さく言った。
「ありがとう」
「いえ」
好感度の表示は見なかった。
見たらまた動揺しそうだったので。
◇
冒険者ギルドは、王都の大通りから少し外れた場所にあった。
石造りの大きな建物。
入口には剣と盾を模した看板が掲げられている。
中へ入ると、酒場のような匂いがした。
汗。
革。
鉄。
酒。
焼いた肉。
前世の市役所みたいなものを想像していたが、実際はもっと荒っぽい。
広いホールには、武装した男女が何人もいた。
掲示板には依頼書が貼られ、奥には受付窓口が並んでいる。
俺とリリアが入ると、数人の冒険者がこちらを見た。
いや、正確にはリリアを見た。
フードをかぶっていても、彼女の雰囲気は目立つ。
冒険者A
状態:興味
備考:白髪の少女が気になっています
冒険者B
状態:下心
危険度:低
下心。
やめてほしい。
俺はリリアの前に少し立つ。
リリアが小声で言った。
「また守ろうとしてる」
「そう見えますか」
「見える」
「一応、自然にしているつもりです」
「全然自然じゃない」
「難しいですね」
リリアは少し笑った。
受付には、若い女性が座っていた。
茶色の髪を後ろでまとめ、淡い緑色の瞳をしている。
見た目は穏やかだが、目元に少し疲れがある。
俺たちが近づくと、彼女は営業用の笑顔を浮かべた。
「ようこそ、王都冒険者ギルドへ。本日は登録でしょうか?」
「はい。二人、登録をお願いします」
「かしこまりました。私は受付担当のエマと申します」
彼女の頭上に表示が出る。
名前:エマ・リント
好感度:5
状態:疲労、金銭的不安
破滅フラグ:三日後、悪徳金融業者に連行される
対処法:借用証書の不正確認、ギルド規約違反の証拠提出
隠し才能:交渉術・中
俺は一瞬、固まった。
まただ。
王都に着いて、冒険者登録をしようとしただけなのに、さっそく破滅フラグが見えた。
三日後、悪徳金融業者に連行。
重い。
初日から重い。
「どうされました?」
エマが不思議そうに首を傾げる。
「あ、いえ。登録をお願いします」
俺は慌てて答えた。
リリアが隣から小声で聞く。
「見えたの?」
「はい」
「危ない?」
「だいぶ」
「助けるの?」
「……登録が先です」
「助ける顔をしてる」
「分かりますか」
「分かりやすいから」
リリアは少し呆れたように、でもどこか優しい顔をした。
エマは書類を二枚取り出した。
「こちらにお名前、年齢、得意分野をご記入ください。文字が難しければ代筆いたします」
「大丈夫です」
俺は名前欄に「レン」と書いた。
家名は迷ったが、クロフォードと書くと面倒なことになりそうなので、冒険者名としては名前だけで登録できるか聞いてみる。
「名前だけでも登録できますか?」
「可能です。家名を出したくない貴族の方や、事情のある方もいらっしゃいますので」
ありがたい。
リリアは「リア」と書いた。
少しだけ手が止まっていたが、最後まで書いた。
得意分野。
俺は迷う。
剣士、と書くほど剣が得意ではない。
魔法使い、と言えるほど魔法を使えるわけでもない。
治癒も少しできるが、本職ではない。
「得意分野って、複数書いてもいいですか」
「はい。暫定で構いません」
俺は「探索、補助、近接」と書いた。
かなりふわっとしている。
リリアは「治癒、支援」と書いた。
そちらは分かりやすい。
書類を受け取ったエマは、内容を確認して頷く。
「では、簡単な能力測定を行います。登録ランクは基本的に最下位のFランクからになりますが、危険防止のため適性を確認いたします」
「Fランクで大丈夫です」
むしろFランクがいい。
目立ちたくない。
リリアも静かにうなずいた。
エマはカウンターの下から透明な水晶玉を取り出した。
「こちらの測定石に手を置いてください。魔力、身体能力、適性の大まかな傾向が出ます」
嫌な予感がした。
こういう測定石は、物語だとよく壊れる。
いや、そんなテンプレ通りのことが起きるわけがない。
俺は自分に言い聞かせながら、測定石に手を置いた。
水晶が淡く光る。
最初は薄い青。
次に白。
それから緑。
赤。
金。
銀。
待て。
色が多い。
エマの表情が固まる。
「え?」
水晶の光がどんどん強くなる。
周囲の冒険者たちも振り返った。
俺は慌てて手を離そうとする。
しかし、測定石は俺の手に吸い付くように光り続けた。
測定石反応異常
原因:複数能力還元、連携補正、未分類スキル干渉
推奨:魔力出力を抑制
抑制ってどうやるんだ。
俺は内心で叫びながら、必死に力を抜いた。
だが遅かった。
ぴしっ。
嫌な音がした。
水晶に小さな亀裂が入る。
ギルド内が静まり返った。
俺は冷や汗をかいた。
「あの……すみません。弁償は」
エマが目を見開いたまま、測定石を見ている。
「い、いえ。測定石が割れることは、まれにありますので」
「まれに?」
「年に一度あるかないかです」
かなりまれだった。
周囲の冒険者たちがざわつく。
「おい、今の見たか?」
「測定石が割れたぞ」
「あいつ、何者だ?」
「貴族か?」
やめてくれ。
目立ちたくない。
リリアが隣で、少しだけ口元を押さえていた。
笑っている。
助けてほしい。
「レン」
「はい」
「目立たないようにするって言ってなかった?」
「言いました」
「初日からすごく目立ってる」
「俺も困っています」
「知ってる」
リリアは小声でそう言った。
エマは慌てて別の石板を取り出した。
「え、ええと、測定結果ですが……」
彼女は石板を見て眉をひそめる。
「未分類、補助、治癒、浄化、近接、探索、自然感知……複数適性。総合評価……測定不能」
「Fランクでお願いします」
俺は即答した。
エマが困った顔をする。
「ですが、測定不能の方を通常のFランクとして扱うのは」
「初心者なので」
「しかし」
「初心者なので」
「……」
エマは少し考えた。
そして、仕事用の笑顔を取り戻す。
「では、規定上はFランク登録とし、ギルド内記録に注意事項を付けます」
「注意事項」
「測定石を壊した新人、と」
「できればもう少し柔らかく」
「測定石と相性が悪い新人」
「それでお願いします」
周囲で誰かが吹き出した。
俺は聞かなかったことにした。
次はリリアの番だった。
彼女が測定石に手を置く。
白い光がふわりと灯った。
今度は割れない。
ただ、ギルド内の空気が少し変わった。
暖かい光だった。
近くにいた冒険者の一人が、肩を押さえて「あれ、痛みが引いた?」と呟く。
エマの目が丸くなる。
「治癒適性……高。聖属性……高。支援適性……高。総合評価は……」
リリアは少し緊張した顔をしている。
エマは石板を確認し、声を抑えて言った。
「本来なら、上位治癒師相当です」
ざわめきが広がりかけたので、俺は慌てて言った。
「初心者なのでFランクでお願いします」
エマが俺を見る。
リリアも俺を見る。
「レン、それは私にも適用されるの?」
「目立たない方がいいかと」
「たしかに」
リリアは素直に納得した。
エマは少し困ったように笑った。
「お二人とも、かなり特殊な方のようですね」
「よく言われます」
「私は今日から言われ始めたわ」
リリアが小さく付け加える。
エマは二人分の仮登録証を作りながら、説明を続けた。
「Fランクの方は、薬草採取、街中の雑用、小型魔物の討伐補助などが主な依頼になります。無理な依頼を受けると、ギルド側から止めることもあります」
「分かりました」
「それから、宿をお探しでしたら、ギルド提携の安宿をご紹介できます」
「助かります」
宿。
そうだ、宿が必要だ。
野宿はもう十分である。
しかし問題は金だ。
クロフォード家から渡された金と、使用人たちからの支援はある。
だが、長くはもたない。
早めに仕事を受ける必要がある。
エマが登録証を渡してくれた。
「こちらが仮登録証です。正式なカードは明日以降に発行されます」
「ありがとうございます」
俺は登録証を受け取る。
その時、エマの袖口から、紙の端が少し覗いた。
借用証書のようなもの。
視界に表示が出る。
関連情報:不正借用証書
内容:利息計算改ざん、署名強要
破滅フラグ進行中
残り時間:三日
やっぱり見えてしまう。
俺はエマを見る。
彼女は営業用の笑顔を保っているが、目元の疲れは隠せていない。
リリアが小声で言った。
「レン」
「はい」
「また助ける顔」
「……登録が終わったので」
「理由になってる?」
「たぶん」
リリアは呆れたように息を吐いた。
でも止めなかった。
俺はエマに尋ねる。
「あの、少し変なことを聞いてもいいですか」
「はい?」
「最近、借金関係で困っていませんか」
エマの顔から笑顔が消えた。
周囲の空気も少し硬くなる。
さすがに踏み込みすぎた。
だが、もう聞いてしまった。
「……なぜ、それを」
「えっと、顔色が悪かったので」
「顔色で借金まで分かるんですか?」
「……分かる時もあります」
苦しい。
だが、エマは冗談とは受け取らなかったようだ。
彼女の頭上の表示が揺れる。
状態:警戒、不安
好感度:5 → 3
備考:知られたくない事情に触れられ動揺しています
好感度が下がった。
そりゃそうだ。
初対面の新人冒険者に借金の話をされたら怖い。
俺はすぐに言った。
「すみません。踏み込みすぎました。ただ、不正な借用証書や、利息の改ざんがあるなら、ギルドの規約で対処できる可能性が」
エマの目が大きく見開かれた。
「利息の改ざん……?」
その反応で、確信した。
彼女は知らない。
借金があることは知っているが、改ざんまでは気づいていないのだ。
「もしかして、心当たりが?」
エマは周囲を見回し、小さな声で言った。
「ここでは話せません」
「分かりました」
「でも……どうして」
「俺のスキルです」
全部は説明できないが、嘘を重ねるよりはましだ。
エマは少し警戒しながらも、真剣な目になっていた。
「業務後に、少しだけ時間をいただけますか」
「もちろんです」
「ただし、変な勧誘や詐欺ならギルドに突き出します」
「それで大丈夫です」
リリアが隣で小さく言った。
「レン、王都初日から問題を増やしてる」
「自覚はあります」
「でも、放っておけないのでしょう?」
「はい」
「知ってる」
リリアはそう言って、少しだけ優しく笑った。
リリア好感度:113 → 115
備考:レンが自分以外にも手を伸ばす人だと理解し、少し誇らしく感じています
誇らしく。
やめてほしい。
そんな表示を出されたら、照れる。
エマは俺たちに初心者向けの依頼票を差し出した。
「本日受けられる依頼なら、薬草採取が安全です。王都近郊の東の森で、指定薬草を十束。魔物の危険は低めです」
東の森。
初心者依頼。
安全。
この三つが揃うと、むしろ危険な気がする。
俺は依頼票を受け取った。
依頼:薬草採取
推奨ランク:F
表示外危険:東の森に異常魔力反応
注意:災害級魔物の痕跡あり
見なかったことにしたい。
できない。
災害級魔物。
初心者依頼とは何だったのか。
リリアが俺の顔を見た。
「今度は何が見えたの?」
「……薬草採取、ちょっと危ないかもしれません」
「どれくらい?」
「初心者向けではないくらい」
リリアは一度、依頼票を見て、それから俺を見た。
「受けるの?」
「受けない方がいい気もします」
「でも、そこに誰かがいるのね」
彼女はもう、俺の行動原理を理解し始めていた。
俺は依頼票を握る。
東の森に、災害級魔物の痕跡。
もし他の初心者冒険者が知らずに向かえば、危険だ。
見えてしまった以上、放っておくのは難しい。
「まずは様子を見に行きます。危険なら、ギルドに報告します」
「私も行く」
「リリアは休んだ方が」
「リア」
「あ」
彼女はフードの奥で少し笑った。
「王都ではリアでしょう?」
「すみません。リアは休んだ方が」
「行く」
「でも」
「私も冒険者登録した。治癒と支援ができる。役に立てる」
「無理は」
「しない。だから連れていって」
その目は真剣だった。
昨日まで、自分の力を怖がっていた少女が、自分で行くと言っている。
止める理由を探す方が失礼な気がした。
「分かりました。でも危険だと思ったら下がってください」
「レンも」
「はい」
「約束」
「約束です」
リリアはうなずいた。
エマが不思議そうに俺たちを見る。
「お二人は、出会って長いのですか?」
「昨日です」
俺が答えると、エマは固まった。
「昨日?」
「はい」
「それで、その信頼感なんですか?」
リリアが少し頬を赤くした。
俺もたぶん赤くなった。
「色々ありまして」
「色々ありました」
俺とリリアの答えが重なった。
エマは少しだけ笑った。
エマ好感度:3 → 9
備考:怪しいが悪人ではなさそうだと感じ始めています
よかった。
とりあえず、怪しさは少し減ったらしい。
俺たちは薬草採取の依頼を受け、ギルドを出る準備をした。
その前に、エマから地図と薬草の見本を受け取る。
「東の森は通常なら安全ですが、最近魔物の動きが少し不安定です。無理はしないでください」
「分かりました」
通常なら安全。
やはり今は通常ではないらしい。
ギルドを出ると、王都の空は昼に近づいていた。
人通りはさらに増えている。
リリアはフードを押さえながら、俺の隣を歩く。
「レン」
「はい」
「冒険者ギルドって、もっと怖い場所かと思っていた」
「俺もです」
「でも、怖い人もいた」
「いましたね」
「下心、見えてた?」
「見えてました」
「……やっぱり」
リリアの声が少し低くなった。
「大丈夫です。何かあったら対応します」
「私も対応するわ」
「頼もしいです」
「聖女だから」
そう言ってから、リリアは少し考え直したように首を振った。
「違うわね」
「え?」
「私だから」
彼女は静かに言った。
俺は少し驚き、それから笑った。
「はい。リアだから」
リリア――今はリアと呼ぶべき彼女は、満足そうにうなずいた。
その時、背後からギルドの扉が開く音がした。
振り返ると、赤髪の女性冒険者が出てくるところだった。
年は俺たちと近いか、少し上くらい。
軽装の鎧に身を包み、腰には剣。
赤い髪を高く結び、鋭い目をしている。
彼女の頭上に、表示が浮かんだ。
名前:セリカ・ヴァンブレイド
状態:自信喪失、苛立ち
隠し才能:竜殺しの剣姫
破滅フラグ:本日午後、東の森で災害級魔物に遭遇し重傷
好感度:0
俺は足を止めた。
赤髪の女性――セリカは、依頼票を握りしめて東の方へ歩き出している。
行き先は、たぶん同じだ。
東の森。
災害級魔物。
破滅フラグ。
リリアが俺の顔を見て、小さく息を吐いた。
「また、助ける顔をしてる」
「……はい」
「今度は女騎士?」
「たぶん」
「レン」
「はい」
「あなた、王都に来てまだ一時間くらいよね」
「そうですね」
「もう三人分くらい厄介事を拾ってる」
「自分でも驚いています」
リリアは呆れたように、でもどこか諦めたように笑った。
「行きましょう」
「いいんですか?」
「放っておけないのでしょう?」
「はい」
「なら、私も行く」
彼女はそう言って、俺の隣に並んだ。
その横顔には、もう逃げていた聖女の弱さだけではない。
自分で歩くと決めた少女の強さがあった。
俺は依頼票を握り直し、赤髪の女騎士の後を追って東の森へ向かった。
初心者依頼の薬草採取。
そのはずだった。
だが、俺の視界には、最悪の文字が浮かんでいる。
警告:東の森にて災害級魔物の活動兆候
関連対象:セリカ・ヴァンブレイド
推奨:介入
王都初日の冒険者生活は、どうやら静かに始まってはくれないらしい。




