第6話 聖女の力を奪っていたのは“教会”だった
夜の森は、思った以上に寒かった。
昼間は汗ばむくらいだったのに、日が落ちると空気が一気に冷える。
焚き火の小さな炎だけが、俺とリリアの間に頼りなく揺れていた。
俺は膝を抱えて、火の番をしていた。
リリアは、少し離れた岩壁にもたれるようにして眠っている。
……いや、眠っているように見えただけだった。
「寝ないの?」
急に声をかけられて、俺は肩を跳ねさせた。
「起きてたんですか」
「眠ろうとはしてる」
「眠れない?」
「少し」
リリアは目を開けた。
焚き火の光を受けて、青い瞳がぼんやりと揺れる。
昼間に比べれば顔色はだいぶ戻っている。
それでも、まだ疲労は濃い。
名前:リリア・セレスティア
好感度:84
状態:疲労、聖力循環不安定、軽度発熱
破滅フラグ:夜明け前、聖力逆流による高熱
対処法:聖力循環の安定化、呪具残滓の除去
また赤い文字だ。
俺は小さく息を吐いた。
首飾りは壊した。
教会騎士も退けた。
それで全部終わり、とはならないらしい。
「……俺、また顔に出てました?」
先に聞くと、リリアは少しだけ目を細めた。
「今、何か見えた顔をしてる」
「分かりやすいですか」
「かなり」
「隠密には向いてませんね」
「そうね」
即答された。
少し傷ついた。
いや、事実なので仕方ない。
「体調、まだ良くないみたいです」
「そうでしょうね」
「自覚あります?」
「身体の中が、温かいのに寒い。変な感じがする」
リリアは自分の胸元に手を当てた。
そこにはもう、あの首飾りはない。
聖力を吸い取っていた呪具は、沢に投げ捨てた。
でも、その影響はまだ残っている。
「首飾りを壊した時、黒い糸みたいなものが見えました」
「糸?」
「はい。リリアの中から、力を外に吸い出しているみたいな」
リリアの表情が強張った。
焚き火の炎が、小さく爆ぜる。
「それは……どこへ繋がっていたの?」
「そこまでは分かりません。でも、首飾りの石が中心でした。あの石が吸っていたのは間違いないと思います」
「……聖具では、なかったのね」
その声は静かだった。
ただ、静かすぎた。
俺は言葉を選ぶ。
「少なくとも、俺のスキルには呪具って表示されました」
「大司教様は、私の力を安定させるものだと言っていた」
「……」
「聖女として未熟な私に必要なものだと。苦しいのは、まだ神の力に身体が慣れていないからだと」
リリアは、ぼんやりと火を見つめている。
「私は、それを信じた。苦しい時も、痛い時も、これが必要なんだって」
俺は黙って聞いていた。
下手に慰めると、言葉が薄くなる気がした。
リリアは続ける。
「でも、力が出なくなった。祈っても、治癒の光が弱くなった。民の前で奇跡を起こせなくなった。そうしたら、皆の目が変わった」
焚き火の光が、彼女の頬を赤く照らす。
でも、その目は冷えていた。
「最初は、休めば戻ると言われた。次に、信仰心が足りないと言われた。その次は、私が聖女の名を騙った偽物だと」
「ひどいですね」
思わず出た。
リリアは俺を見た。
「そう言っていいの?」
「え?」
「教会のことを、ひどいって」
「思ったので」
「……あなたは、本当に変」
「十回目です」
「覚えてるの?」
「はい。ここまで来たら記念です」
リリアは少しだけ笑った。
でも、その笑顔はすぐに消えた。
「私は、怒っていいのか分からない」
「怒っていいと思います」
「でも、私は聖女だった」
「聖女でも、怒っていいんじゃないですか」
「聖女は、許すものだと言われた」
「無理に許さなくてもいいと思います」
リリアの瞳が揺れる。
俺は自分でも驚くほど、すらすらと言葉が出ていた。
前世の俺なら、こういう時に絶対黙っていた。
相手の心に踏み込むのが怖くて、曖昧に笑って、当たり障りのないことを言っていた。
でも、今は違う。
目の前のリリアが、ずっと「許せ」と言われて苦しんできたのなら。
せめて俺くらいは、怒っていいと言いたかった。
「許すかどうかは、リリアが決めることだと思います」
「私が?」
「はい」
「神でも、教会でもなく?」
「はい」
「……そんなふうに言われると、困る」
「すみません」
「謝らないで」
「はい」
リリアは膝を抱えた。
火の明かりに照らされた白銀の髪が、少し乱れている。
昼間の逃走で泥や葉がついているが、それでも不思議と綺麗だった。
いや、何を見ているんだ俺は。
俺は慌てて視線を焚き火へ戻した。
「また顔が赤い」
「火です」
「まだ言うの」
「便利なので」
「便利すぎるわ」
リリアの声に、少しだけ柔らかさが戻る。
よかった。
そう思った瞬間、彼女が小さく咳き込んだ。
「リリア?」
「平気」
平気じゃない。
表示が赤く点滅する。
状態悪化:聖力逆流の兆候
推奨:即時処置
俺は立ち上がった。
「やっぱり、このままだとまずいです」
リリアは胸元を押さえたまま、顔を上げる。
「何が起きてるの?」
「聖力が戻ってきているのに、流れが安定していないみたいです。たぶん、呪具の残りみたいなものがまだ中に」
「残り……」
「はい。呪具本体は壊したけど、吸い出すための跡が残ってる感じです」
自分で言っても曖昧だ。
でも、スキルの表示を俺の言葉にすると、そうとしか表現できない。
リリアは少しだけ怖そうに俺を見た。
「また、触れる必要があるの?」
「たぶん」
「……どこに?」
「胸元……というか、聖力の流れが乱れている場所に近い方がいいみたいです」
言ってから、俺は自分の顔が熱くなるのを感じた。
言い方。
もっと他にあっただろう。
リリアも、少し頬を赤くした。
「胸元」
「いや、あの、変な意味ではなくてですね」
「分かってる」
「本当に治療目的です」
「分かってる」
「俺、前世でも今世でもそういう経験が全然ないので、むしろこっちが緊張して」
「それは言わなくていい」
「はい」
俺は口を閉じた。
前世非モテの悪いところが出た。
動揺すると余計なことまで言う。
リリアは少し考え込んだ。
怖いのだろう。
当然だ。
さっき会ったばかりの男に、自分の力の流れを治すために触れさせる。
信用しろという方が無理だ。
俺は一歩下がった。
「嫌なら、無理にはしません」
「……そう言うと思った」
「え?」
「あなたは、いつもそう言う。嫌ならしないって」
「嫌がることはしたくないので」
「教会では、嫌かどうかなんて聞かれなかった」
リリアは自分の指先を見つめる。
「聖女だから。必要だから。皆のためだから。そう言われたら、拒めなかった」
「……」
「だから、選ばせてもらえるのは、少し怖い」
「怖い?」
「選んだ結果が間違っていたら、私のせいになるでしょう?」
その言葉に、胸が痛んだ。
責任を負わされ続けてきた人の言葉だと思った。
選ばせてもらえない。
でも失敗すれば責められる。
そんな場所に、彼女はずっといたのだ。
俺はできるだけ静かに言った。
「一緒に選ぶ、では駄目ですか」
「一緒に?」
「俺は、処置した方がいいと思っています。放っておくと危ないので。でも、決めるのはリリアです。怖いなら、途中でやめてもいい。失敗したら、俺も一緒に別の方法を考えます」
「……」
「全部リリアのせいにはしません」
リリアは、焚き火の向こうから俺を見ていた。
長い沈黙。
やがて、彼女は小さくうなずいた。
「お願い」
「はい」
「でも、変なことしたら怒る」
「しません!」
声が裏返った。
リリアが少し笑った。
「信用してる」
その一言で、俺の心臓が変な跳ね方をした。
好感度:84 → 89
状態:信頼、緊張
備考:自分の意思でレンに頼ることを選びました
八十九。
もう九十目前だ。
深く考えるな。
今は治療だ。
俺はリリアの近くに座った。
焚き火の明かりだけでは不安だったので、手のひらに小さな治癒魔力を灯す。
淡い光が、彼女の胸元を照らした。
リリアは外套の襟元を少し緩めた。
首飾りがあった痕が、赤黒く残っている。
痛々しい。
俺の動揺は、その痕を見た瞬間、すっと引いた。
これは冗談にしていい傷ではない。
俺は指先に魔力を集める。
「触れます」
「……うん」
リリアの声が少し震えていた。
俺はできるだけそっと、首飾りの痕の近くに指を当てた。
その瞬間、視界が切り替わるような感覚があった。
リリアの中に流れる白い光。
その一部に、黒い棘のようなものが刺さっている。
呪具残滓確認
位置:聖力中枢付近
状態:癒着
除去方法:浄化魔力による分解、聖力循環の再誘導
注意:対象者の精神的拒絶反応に配慮
配慮。
スキル表示にまで言われるとは。
俺はゆっくり魔力を流した。
「痛かったら言ってください」
「……大丈夫」
黒い棘に、浄化魔力を触れさせる。
じゅ、と音がした気がした。
リリアの肩がびくりと跳ねる。
「痛い?」
「痛い、というより……熱い」
「やめますか」
「続けて」
俺はうなずいた。
棘を一気に壊そうとすると、リリアの身体に負担がかかる。
だから、少しずつ削る。
前世で絡まったイヤホンコードを解くような作業だ。
……いや、例えが安っぽい。
でも、本当にそんな感じだった。
引っ張れば切れる。
無理をすれば傷つける。
だから、焦らず、絡まりをほどいていく。
リリアは目を閉じている。
額に汗がにじんでいた。
俺の服の袖を、彼女の手が掴む。
「ごめん、少しだけ」
「いくらでも」
「……優しいのね」
「今それを言われると、手元が狂いそうです」
「狂わないで」
「はい」
リリアの口元がほんの少し緩む。
その直後、黒い棘の一つが崩れた。
白い光が流れを取り戻す。
リリアの身体が淡く輝いた。
呪具残滓:二十七%除去
聖力循環:改善
まだ二十七。
先は長い。
俺は集中し直す。
その時、リリアが小さく言った。
「レン」
「はい」
「さっきから、私の中にある嫌なものが、少しずつ消えていく感じがする」
「よかった」
「でも、同時に思い出す」
「何を?」
「教会で、祈っていた時のこと。力が出なくなって、皆の目が冷たくなっていった時のこと」
俺の指が止まりかける。
リリアは目を閉じたまま続けた。
「子どもが泣いていたの。病気の母親を治してほしいって。でも、その時の私は、もうほとんど力が出なかった」
「……」
「治せなかった。母親は助からなかった。子どもは泣いて、周りの大人たちは私を見た。偽物を見る目で」
俺は何も言えない。
リリアの声は震えていた。
「私は、自分が悪いんだと思った。信仰が足りないから。努力が足りないから。聖女にふさわしくないから」
「違います」
自然に言葉が出た。
「それは、リリアのせいじゃない」
「でも」
「力を奪っていたのは呪具です。君が悪いんじゃない」
俺は黒い棘に浄化魔力を流す。
少し強く。
ただし、リリアを傷つけないように。
「その時に治せなかったことまで、全部リリアが背負う必要はないと思います」
「そんなこと、できるのかな」
「すぐには無理かもしれません」
「……」
「でも、せめて俺は、リリアが悪いとは思いません」
リリアの袖を掴む手に、力が入った。
表示が揺れる。
好感度:89 → 94
状態:感情揺動
注意:聖力循環が好感度上昇に反応しています
待て。
好感度上昇に反応って何だ。
考える暇もなく、リリアの身体から強い光があふれた。
「っ……!」
「リリア?」
「何か、流れて……」
聖力循環:急上昇
呪具残滓:分解促進
推奨:接触維持
接触維持。
つまり、手を離すなということか。
俺はそのまま魔力を流し続けた。
リリアの白い光が、黒い棘を包み込む。
棘が次々と崩れていく。
呪具残滓:五十二%除去
七十一%除去
八十八%除去
いける。
あと少し。
だが、最後の一つがしつこかった。
他よりも深く刺さっている。
中枢残滓
性質:支配命令
内容:聖女の力を教会上層部へ帰属させる
解除条件:対象者による自己所有宣言
自己所有宣言。
またか。
リリア自身が、自分の力は自分のものだと認める必要があるのだ。
「リリア」
「……なに」
「最後のが残ってます。これは俺だけじゃ外せないみたいです」
「どうすればいいの」
「自分の力は、自分のものだって言ってください」
リリアの目が開いた。
青い瞳が、焚き火の光を映す。
「また、それ」
「はい」
「私、言えるかな」
「言えます」
「どうして分かるの」
「さっきも言えました」
「……」
「それに、今のリリアなら言えると思います」
リリアは唇を噛んだ。
長い時間、何かと戦っているようだった。
教会の教え。
聖女としての役目。
自分を責めてきた記憶。
そういうもの全部が、彼女の言葉を塞いでいるのかもしれない。
俺は待った。
急かさなかった。
やがて、リリアは震える声で言った。
「私の力は……」
声が途切れる。
彼女は一度、深く息を吸った。
そして今度は、はっきりと言った。
「私の力は、私のもの」
白い光が強くなる。
「神に祈るために使うかどうかも、誰を癒すかも、私が決める」
黒い棘に亀裂が入った。
「私は、教会の道具じゃない」
ぱきん、と音がした。
最後の残滓が砕けた。
瞬間、リリアの身体から眩しいほどの光があふれた。
「わっ……!」
俺は思わず目を細める。
光は岩場を満たし、周囲の草花まで照らした。
夜の森が、一瞬だけ朝になったみたいだった。
リリアの髪が、白い光の中でふわりと揺れる。
綺麗だった。
あまりにも綺麗で、俺は言葉を失った。
呪具残滓:完全除去
聖力循環:正常化
隠し才能【大聖女の加護】覚醒
リリア・セレスティアの破滅フラグを一時解除しました
好感度:94 → 103
好感度上限突破を確認
連携補正:聖属性強化
能力還元:聖女の祈り・小
好感度、百三。
百を超えた。
俺は表示を見て固まった。
好感度って、百が上限じゃないのか。
いや、スキル名が限界突破なのだから、超えるのは当然なのか。
当然じゃない。
前世でゼロ付近をうろうろしていた男に、三桁は刺激が強すぎる。
その時、光が収まり、リリアの身体がふらりと揺れた。
「リリア!」
俺は慌てて支える。
彼女はそのまま、俺の胸元に倒れ込むように寄りかかった。
柔らかな髪が、顎の下に触れる。
近い。
近いどころではない。
完全に腕の中だ。
いや、これは治療後の脱力だ。
やましい場面ではない。
断じてない。
「リリア、大丈夫ですか?」
「……うん」
彼女の声は、少しぼんやりしていた。
「身体が軽い」
「よかった」
「でも、力が抜けた」
「それは、よくないかも」
「少しだけ、このままでいい?」
俺は固まった。
「え」
「少しだけ」
「えっと、その」
「だめ?」
だめではない。
だめではないが、前世非モテにこの質問は強すぎる。
俺は天を仰ぎたくなった。
夜空に星が見える。
助けてほしい。
「……少しだけなら」
「ありがとう」
リリアはそう言って、俺の外套を軽く掴んだ。
焚き火の音がやけに大きく聞こえる。
俺は両手の置き場に困った。
支えないとリリアが倒れる。
でも、変なところに触れるわけにはいかない。
結局、肩の辺りをそっと支える。
リリアは怒らなかった。
むしろ、安心したように息を吐いた。
好感度:103 → 106
状態:安心、信頼、軽度の甘え
備考:自分から他者に寄りかかる経験がほとんどありません
軽度の甘え。
スキル表示が容赦ない。
見せないでほしい。
こっちの心臓がもたない。
しばらくして、リリアは小さく言った。
「レン」
「はい」
「私、まだ怖い」
「はい」
「教会のことも、自分の力のことも、これからのことも」
「はい」
「でも、さっきよりは怖くない」
「それなら、よかったです」
「あなたがいるから」
心臓が止まるかと思った。
いや、止まっていない。
止まっていたら困る。
でも、本当に一瞬呼吸を忘れた。
「そ、それは……えっと、光栄です」
「変な返事」
「すみません。慣れてなくて」
「慣れてない?」
「人にそういうことを言われるのが」
リリアは少し顔を上げた。
近い。
青い瞳がすぐそこにある。
「誰にも?」
「はい」
「家族にも?」
「……あまり」
「前にいた場所でも?」
前にいた場所。
前世のことだろうか。
俺は苦笑した。
「俺、前は本当に地味で、誰かに頼られるような人間じゃなかったので」
「今は頼ってる」
「はい。だいぶ頼られてます」
「嫌?」
「嫌ではないです」
リリアの表情が少し緩んだ。
「よかった」
その一言が、妙に胸に残った。
人に頼られることは、怖い。
期待に応えられなかったらどうしようと思う。
自分なんかが支えていいのかと思う。
でも、リリアが「よかった」と言ったから。
今は、それでいい気がした。
やがてリリアは身体を離した。
少し名残惜しそうに見えたのは、俺の気のせいだろう。
そういうことにしておく。
「もう大丈夫」
「本当に?」
「今度は本当に」
「信じます」
「疑ってたの?」
「さっきまでの大丈夫は、だいたい大丈夫じゃなかったので」
「……否定できない」
リリアは苦笑した。
そして、自分の手のひらを見つめる。
そこに、白い光が集まる。
先ほどまでとは違う、安定した光。
「戻った」
「はい」
「私、本当に聖女だったのね」
「はい」
「でも、もう教会の聖女じゃない」
「はい」
「じゃあ、私は何者なのかしら」
リリアは少し寂しそうに言った。
俺は考える。
聖女でもない。
偽物でもない。
教会の所有物でもない。
では、何者か。
「リリアは、リリアじゃないですか」
「また簡単に言う」
「でも、本当にそう思います」
「それ、答えになってる?」
「たぶん、俺の中では」
リリアはしばらく俺を見て、それから小さく笑った。
「不思議ね」
「何がですか」
「前なら、そんな言葉を言われても困ったと思う。でも今は、少し楽になる」
「なら、言った意味がありました」
リリアは焚き火に目を向けた。
「私、王都に行く」
「はい」
「冒険者になるかどうかは、まだ分からない。でも、自分で決めたい」
「それがいいと思います」
「レンは?」
「俺は……冒険者登録しようかと思っています」
「どうして?」
「無職なので」
「またそれ」
「かなり重要です」
「たしかに」
リリアは真面目な顔でうなずいた。
「生活費は必要ね」
「はい。切実です」
「聖女の力で稼げるかしら」
「治癒できるなら、需要はありそうです」
「でも、教会に見つかりやすくなる」
「それもありますね」
二人で現実的な話を始めた途端、妙に普通の旅人っぽくなった。
さっきまで神聖な光がどうとか、呪具残滓がどうとか言っていたのに、結局は生活費である。
でも、生きるというのはそういうことなのかもしれない。
聖女でも、追放貴族でも、腹は減る。
宿代も必要だ。
パンはただではない。
「まずは王都で情報を集めましょう」
「ええ」
「教会から隠れるなら、名前も少し変えた方がいいかもしれません」
「リリアという名前は、目立つ?」
「元聖女リリア・セレスティアを探しているなら、目立つと思います」
「じゃあ……リア、とか」
「いいと思います」
「レンだけは、リリアと呼んで」
俺はまた固まった。
「え?」
「他の人の前ではリア。でも、あなたにはリリアと呼ばれたい」
リリアは少し恥ずかしそうに視線を逸らした。
「だめ?」
「だ、だめじゃないです」
声がまた裏返りそうになったが、何とか耐えた。
好感度:106 → 111
状態:親密感上昇
備考:特別扱いを望み始めています
特別扱い。
まずい。
このスキル、本当に情報を遠慮なく出してくる。
知らないふりをするのが大変だ。
俺は焚き火に薪を足しながら、無理やり話を変えた。
「そろそろ休みましょう。明日は早めに出たいので」
「そうね」
「俺が火の番をします」
「だめ」
「え?」
「レンも疲れてる。戦って、怪我して、私の治療までした」
「でも」
「交代で休む」
リリアはきっぱり言った。
「私はもう、何もできない聖女じゃない。少しくらい見張りもできる」
「それは助かりますけど、本当に無理は」
「またそれ」
「すみません」
「心配してくれるのは嬉しい。でも、私も役に立ちたい」
役に立ちたい。
その言葉には、危うさもあった。
自分の価値を、また役割に縛ろうとしているようにも聞こえたから。
でも、今ここで否定するのも違う。
俺はうなずいた。
「じゃあ、交代で」
「うん」
「眠くなったらすぐ起こしてください」
「それはレンも」
「はい」
俺たちは交代で眠ることにした。
最初は俺が見張り、リリアが休む。
リリアは外套にくるまり、岩陰に横になった。
少し迷ったあと、俺は自分の予備の布を丸めて枕代わりに渡した。
「使ってください」
「レンは?」
「俺は座ってるので」
「……ありがとう」
リリアは布を受け取り、目を閉じた。
しばらくして、寝息が聞こえ始める。
本当に疲れていたのだろう。
俺は焚き火を見つめながら、今日のことを整理した。
呪具を壊した。
教会騎士を退けた。
リリアの聖力を取り戻した。
好感度が百を超えた。
最後の一つが特に問題だ。
今後どうなるのか、まったく分からない。
スキル名は【好感度限界突破】。
つまり百を超えてからが本番なのかもしれない。
……いや、本番って何だ。
考えるのをやめよう。
今は生き延びることが先だ。
俺は自分のステータス表示を開いた。
現在の還元能力:
治癒魔力
作業効率補正
味覚感知
自然感知
戦闘予測・小
商人勘・微
聖属性耐性・微
浄化魔力・微
聖女の祈り・小
聖属性連携補正
明らかに増えている。
最初は外れスキルと笑われた。
でも、こうして見ると、救った相手の力や才能が俺に積み重なっているのが分かる。
俺は、誰かを助けるほど強くなる。
いや、それだけじゃない。
助けた相手も、力を取り戻す。
リリアは偽物ではなかった。
俺が何かを与えたのではない。
彼女の中に元々あったものを、取り戻す手伝いをしただけだ。
それが、このスキルの本質なのかもしれない。
「……外れじゃないよな、やっぱり」
小さく呟く。
焚き火がぱちりと音を立てた。
しばらくして、リリアが寝返りを打った。
そして、眠ったまま小さく呟いた。
「……レン」
俺は動きを止めた。
寝言だ。
たぶん。
いや、確実に寝言だ。
でも、名前を呼ばれた。
前世も含めて、こんなふうに誰かの寝言に自分の名前が出た経験なんてない。
俺は顔を覆った。
「……心臓に悪い」
夜の森に、俺の小さな声だけが消えていった。
翌朝になれば、俺たちは王都へ向かう。
冒険者ギルド。
身分を隠した元聖女。
教会からの追手。
そして、好感度限界突破という謎だらけのスキル。
問題は山積みだ。
けれど、焚き火の向こうで眠るリリアの表情は、昨日より少し穏やかだった。
それだけで、今夜は十分だった。




