第5話 聖女を奪いに来たので、ぶっ飛ばした
森は、夕方になると急に表情を変える。
昼間は木漏れ日が差し込んでいた道も、日が傾くにつれて薄暗くなり、枝の影が長く伸びる。
鳥の声は少なくなり、代わりに遠くで獣の鳴くような音が聞こえ始めた。
俺とリリアは、沢沿いの道を外れ、王都へ続く街道を目指して歩いていた。
リリアの足取りは、まだ危うい。
首飾りを壊したことで聖力は戻り始めているらしいが、何日もまともに食べていなかった身体が急に元通りになるわけではない。
彼女は時々、木の幹に手をついて息を整えた。
「大丈夫ですか?」
俺が尋ねると、リリアは少しだけ眉を寄せた。
「それ、何度目?」
「え?」
「さっきから、十回くらい聞いてる」
「そんなに?」
「たぶん」
リリアはそう言って、小さく息を吐いた。
「大丈夫。……とは言えないけれど、歩けるわ」
「無理なら言ってください」
「だから、それも何度目?」
「心配なので」
俺が正直に言うと、リリアは黙った。
そして、少しだけ視線をそらした。
好感度:63 → 65
状態:照れ、疲労
備考:心配されることに慣れていません
また上がった。
いや、今のは普通の会話だろう。
前世非モテの俺には分からない。
好感度というものは、こんなに簡単に上下するものなのか。
ただ、リリアの表情が少し柔らかくなっているのは分かった。
それだけで、今はいい。
俺は荷物の中から、ボルドがくれた干し肉をもう一つ出した。
「食べます?」
「……また?」
「少しでも食べた方がいいです」
「硬い」
「文句が出る元気があるなら良かったです」
リリアは俺を見た。
「あなた、時々ひどいことを言うのね」
「すみません。前世……じゃなくて、昔から会話が下手なので」
「前にも言いかけた。前世って」
「気のせいです」
「気のせいにするには、二回目」
鋭い。
聖女ってもっとふわふわした存在かと思っていたが、リリアは意外とよく見ている。
いや、教会の中でずっと生きてきたのなら、人の顔色や言葉の裏を読む力が育っていて当然かもしれない。
俺が返答に困っていると、リリアは干し肉を受け取り、小さく噛んだ。
「……でも、おいしい」
「ボルドが聞いたら喜びます」
「料理長?」
「はい。屋敷の料理長です。口は悪いけど、料理はうまい人で」
「あなたを追い出した家の人?」
「家の人というか、使用人ですね」
「使用人なのに、あなたに食べ物を?」
「はい。皆で少しずつ、旅支度をくれました」
そう言うと、リリアは干し肉を持ったまま、少し驚いたような顔をした。
「追放されたのに?」
「父と兄には追い出されましたけど、使用人たちには見送ってもらいました」
「……変なの」
「七回目です」
「数えてるの、やっぱり変」
「八回目ですね」
リリアは呆れたように俺を見て、それから小さく笑った。
その笑顔を見ていると、森の暗さが少しだけ薄れる気がした。
しかし、和やかな空気は長く続かなかった。
俺の視界に、赤い文字が走る。
警告:敵性反応接近
対象:教会騎士五名
距離:二百メートル
目的:リリア・セレスティアの捕縛、抵抗時は処分
足が止まった。
リリアもすぐに気づいたのか、顔を強張らせる。
「来たの?」
「はい。五人」
「……逃げましょう」
「走れますか?」
リリアは唇を噛んだ。
その答えだけで十分だった。
無理だ。
今のリリアは、歩くのがやっと。
森の中を追手から逃げ切る体力はない。
俺ならどうだ。
ひとりなら逃げられるかもしれない。
でも、リリアを置いていく選択肢はない。
なら、どうする。
戦うしかない。
その結論に至った瞬間、胃の奥が冷たくなった。
怖い。
当たり前だ。
相手は訓練された騎士。
こちらは追放されたばかりの元貴族三男。
実戦経験なんて、さっきのグレイウルフくらいしかない。
リリアが俺の袖を掴んだ。
「レン」
初めて聞く、少し強い声だった。
「無茶はしないで」
「善処します」
「その返事は、無茶をする人の返事」
「ばれましたか」
「笑い事じゃない」
リリアの瞳が揺れている。
恐怖だけではない。
俺を巻き込んでしまったことへの罪悪感も見える。
状態:恐怖、自責
備考:自分のせいでレンが危険に晒されることを恐れています
俺はなるべく落ち着いた声で言った。
「リリアは、あの岩の後ろに」
「でも」
「大丈夫とは言えません」
「……」
「でも、俺が時間を稼ぎます。逃げられそうなら、街道の方へ」
「置いていけって言うの?」
「違います。生き延びてくださいって言ってます」
リリアは目を伏せた。
「それは、同じことよ」
その言葉に、胸が詰まる。
たしかに、そう聞こえるかもしれない。
でも、今は感情論だけでは動けない。
俺は彼女の肩に触れないよう、少しだけ手を上げた。
「俺は、置いていくつもりはありません」
「本当に?」
「はい」
「約束?」
「約束です」
リリアは俺を見つめた。
そして、小さくうなずいた。
「……分かった」
彼女は岩陰へ身を寄せる。
俺はハンクからもらった杖を握り、前へ出た。
数十秒後、教会騎士たちが姿を現した。
白を基調とした鎧。
胸には教会の紋章。
腰には剣。
一人は槍を持っている。
先頭の男は、年の頃三十代半ば。
短く刈った髪に、冷たい目をしていた。
その頭上に表示が浮かぶ。
名前:ガレス
所属:教会騎士団
状態:苛立ち
目的:リリアの回収、証拠隠滅
弱点:左膝の古傷
危険行動:部下を囮にし背後から斬撃
証拠隠滅。
その言葉で、背筋が冷たくなる。
リリアはただ逃げているのではない。
教会にとって、何かを知られてはまずい存在になっているのだ。
ガレスは俺を見ると、眉をひそめた。
「貴様、何者だ」
「通りすがりです」
「その女を渡せ」
あまりにも当然のように言った。
俺は杖を握る手に力を込める。
「嫌です」
ガレスの目が細くなる。
「聞こえなかったのか。聖女リリアは教会の所有物だ」
所有物。
背後の岩陰で、リリアの息が詰まる気配がした。
俺の中で、何かが静かに切れた。
「人を物みたいに言うな」
自分の声とは思えないくらい低かった。
ガレスは一瞬だけ目を見開き、それから笑った。
「小僧。事情も知らずに首を突っ込むな」
「事情なら少し見えています」
「何?」
「彼女の力を奪っていた首飾り。あれは聖具じゃなく、呪具でした」
空気が変わった。
騎士たちの表情に、わずかな動揺が走る。
ガレスの頭上の表示も変わった。
状態:警戒
隠し本音:なぜ呪具のことを知っている
当たりだ。
やはり知っていた。
「……貴様、どこでそれを聞いた」
「見れば分かります」
「異端か」
「便利な言葉ですね」
前世でもあった。
都合の悪い人間を、変な奴、空気が読めない奴、面倒な奴と呼んで遠ざける。
この世界では、それが異端という言葉になるのだろう。
ガレスが剣を抜いた。
「その女は、教会の秩序を乱した罪人だ。引き渡せば、貴様の罪は問わん」
「彼女は、何をしたんですか」
「偽りの聖女として民を欺いた」
「力を奪ったのは教会でしょう」
「黙れ」
「黙りません」
自分でも驚くほど、言葉が出た。
前世でも今世でも、強い相手に言い返すのは苦手だった。
でも、今は黙れなかった。
リリアがどれだけ傷つけられたのか、少しだけ知ってしまったから。
ガレスが剣を構える。
「ならば、貴様も異端として処分する」
騎士たちが広がる。
五人。
真正面から戦えば不利だ。
だが、俺には表示が見える。
敵一:右利き、初撃は袈裟斬り
敵二:槍、踏み込み浅い
敵三:盾役、視野狭窄
敵四:短剣所持、背後回り込み
ガレス:待機、隙を見て急所狙い
情報が流れ込んでくる。
頭が痛くなるほどだ。
でも、怖さよりも先に、次の動きが見える。
最初の騎士が斬り込んできた。
初撃:袈裟斬り
回避:左後方半歩
反撃:手首
俺は半歩下がり、杖で相手の手首を叩いた。
「ぐっ!」
剣が落ちる。
自分でも驚いた。
当たった。
いや、表示通りに動いただけだ。
二人目の槍が突き出される。
槍突き
軌道:直線
弱点:踏み込み不足
俺は杖で槍の柄を横から払う。
相手の体勢が崩れたところに、足を引っかける。
槍兵が転倒した。
「なっ……!」
盾役の騎士が前に出る。
状態:動揺
視野:正面固定
推奨:右側面へ移動
俺は横へ回った。
盾の死角。
そこから膝裏を杖で打つ。
騎士が膝をついた。
三人が一瞬で崩れた。
俺は息を荒げる。
心臓がうるさい。
怖い。
怖いが、動ける。
今まで助けた人たちから得た小さな能力。
それが積み重なって、俺の身体を動かしている。
ガレスの顔から余裕が消えた。
「小僧……何者だ」
「追放されたばかりの、元貴族の三男です」
「ふざけるな!」
背後に回ろうとしていた短剣持ちが、木陰から飛び出した。
背後攻撃
狙い:右脇腹
回避:前方へ沈む
反撃:鳩尾
俺は前に沈み込み、振り返りざまに杖の石突きを相手の腹へ入れた。
「がはっ……!」
短剣持ちが崩れる。
残るはガレスだけ。
いや、最初に手首を打った騎士も、まだ完全には戦闘不能ではない。
だが、今すぐ向かってくる様子はない。
ガレスが剣を構え直した。
その剣に、薄い白い光が宿る。
スキル反応:【断罪剣】
効果:魔力防御貫通
危険度:高
弱点:発動前、左膝への負担増大
断罪剣。
名前からして嫌だ。
ガレスが地面を蹴った。
速い。
今までの騎士とは違う。
表示は見える。
だが、身体が追いつくかは別だ。
斬撃:右上段
回避困難
推奨:左膝への牽制
俺は杖を振るう。
ガレスの左膝を狙った。
直撃ではない。
かすっただけだ。
だが、古傷には十分だったらしい。
「ぐっ!」
ガレスの踏み込みがわずかに乱れる。
そのおかげで、剣の軌道がほんの少しずれた。
俺の肩を、刃がかすめる。
痛みが走った。
「っ!」
血がにじむ。
リリアが岩陰から叫んだ。
「レン!」
その声が聞こえた瞬間、ガレスが笑った。
「出てきたな、聖女」
しまった。
ガレスの目的は、俺を倒すだけではない。
リリアを引きずり出すことだ。
ガレスが俺を無視し、リリアの方へ向かおうとする。
視界が赤く染まる。
危険:リリア捕縛
推奨:即時阻止
言われなくても分かっている。
俺は痛む肩を無視して走った。
「行かせるか!」
杖を振るう。
ガレスは振り向きざまに剣を合わせた。
木の杖と鋼の剣。
普通なら、杖が折れる。
だが、ハンクの杖には自然感知で分かるほど、しなやかな魔力が宿っていた。
俺はそこに治癒魔力と浄化魔力を流し込む。
杖が淡く光った。
剣とぶつかり、火花が散る。
「木の杖で、私の剣を受けただと……!」
「俺も驚いてます!」
「貴様!」
ガレスが力任せに押し込む。
筋力では負ける。
真正面からは無理だ。
表示が走る。
ガレス:重心前方
弱点:左膝
推奨:受け流し、足払い
俺は力を抜いた。
剣の圧を横へ流す。
ガレスの身体が前に泳いだ瞬間、杖で左膝を払う。
「ぐあっ!」
ガレスが片膝をつく。
俺はその手首を打ち、剣を落とした。
さらに杖の先を喉元に突きつける。
沈黙。
森の中に、荒い息だけが残った。
俺は肩で息をしていた。
怖かった。
本当に怖かった。
でも、勝った。
ガレスが俺を睨み上げる。
「殺せ」
「殺しません」
「甘いな。後悔するぞ」
「するかもしれません」
俺は杖を下げない。
「でも、殺す方がもっと後悔しそうなので」
ガレスは吐き捨てるように笑った。
「偽善者め」
「そうかもしれません」
「その女を連れて逃げても無駄だ。教会は必ず追う」
「でしょうね」
「聖女リリアは教会のものだ」
またそれか。
俺は杖を握る手に力を込めた。
「違います」
「何?」
「リリアは、リリア自身のものです」
背後で、リリアが息を呑む気配がした。
俺はガレスを見下ろした。
「聖女とか、偽物とか、教会の所有物とか、勝手に決めるな。彼女は物じゃない」
「小僧……」
「連れて帰って上に伝えてください。リリアは渡さない」
言ってから、自分でも思った。
何を大口叩いてるんだ。
教会という組織を敵に回す発言だ。
普通に考えて危険すぎる。
でも、撤回する気にはなれなかった。
ガレスの頭上に表示が出る。
状態:屈辱、警戒
備考:撤退判断中
よし。
この人は今、引くか迷っている。
俺はさらに言った。
「次に来るなら、もっと大人数で来るんでしょうけど」
「分かっているなら」
「その時は、今回のことも王都で話します。聖女の力を奪っていた呪具のことも。教会が彼女を処分しようとしたことも」
ガレスの顔色が変わった。
状態:焦り
隠し本音:公にされるのはまずい
やはり。
教会全体が真っ黒なのか、一部の上層部がやっているのかは分からない。
だが、少なくとも表に出ると困る話らしい。
「……貴様、後悔するぞ」
「たぶん、もう色々してます」
「何?」
「こっちの話です」
ガレスは部下たちに撤退を命じた。
騎士たちは傷ついた身体を引きずりながら、森の奥へ退いていく。
最後にガレスが振り返った。
「リリア様」
その声は、さっきまでとは違い、わざとらしく丁寧だった。
「教会は、あなたをお許しにはなりません」
リリアは岩陰から出てきて、震える手を握りしめた。
それでも、彼女は前を向いた。
「私はもう、あなたたちの言う許しを求めません」
ガレスの目が細くなる。
リリアは続けた。
「私の力は、私のものです」
彼女の声は小さかった。
けれど、はっきり届いた。
ガレスは何も言わず、森の奥へ消えた。
足音が遠ざかる。
完全に気配が消えた瞬間、俺はその場に座り込んだ。
「……こわかった」
本音が漏れた。
リリアが駆け寄ってくる。
「レン、肩!」
「あ、そういえば斬られてました」
「そういえばじゃない!」
リリアが珍しく声を荒げた。
俺の肩からは血が流れている。
浅いとはいえ、痛い。
急に痛みを思い出した。
「痛っ……」
「座って。早く」
「もう座ってます」
「口答えしない」
「はい」
リリアは俺の肩に手をかざした。
白い光が生まれる。
暖かい。
さっきまで頼りなかった彼女の聖力が、確かに戻り始めている。
傷口がゆっくり塞がっていく。
「すごい」
「まだ、本調子じゃないわ」
「でも、助かります」
「……私のせいで怪我をした」
「違います」
「違わない」
「俺が勝手に立っただけです」
「それを、私のせいと言うの」
リリアは俯いた。
その表情が苦しそうで、俺は少し困った。
慰め方が分からない。
だから、正直に言う。
「リリアを守れてよかったです」
リリアの手が止まった。
「……そういうことを、すぐ言う」
「変でしたか」
「変」
「九回目」
「数えないで」
彼女はそう言いながらも、目元を赤くしていた。
好感度:65 → 78
状態:動揺、安堵
備考:自分のために怒り、戦ってくれたことに心が強く揺れています
また上がっている。
いや、今回はまあ、上がってもおかしくないかもしれない。
命懸けで守ったわけだし。
それでも七十八は高いのでは?
俺の前世基準なら、好感度七十八なんてもう都市伝説の域だ。
リリアは治癒を終えると、俺の肩から手を離した。
「これで血は止まったはず」
「ありがとうございます」
「お礼を言うのは、私の方」
「そうですか?」
「そうです」
彼女は少し強く言った。
そして、深く頭を下げた。
「助けてくれて、ありがとう」
その言葉は、とても静かだった。
でも、森の中にまっすぐ響いた。
俺は照れくさくなって、頬を掻く。
「俺も、治してもらったので」
「そういうことじゃない」
「すみません」
「謝るところでもない」
「難しいですね」
リリアは少しだけ笑った。
さっきまでの恐怖が、少しずつ解けていくような笑みだった。
しかし、すぐに真剣な顔になる。
「レン。あなたは本当に、私と一緒に行くの?」
「はい」
「今ならまだ、逃げられる。教会は私を追うけれど、あなたは関係ないと言えば」
「もう関係あります」
「どうして」
「さっき、教会騎士をぶっ飛ばしたので」
リリアは一瞬きょとんとし、それから小さく吹き出した。
「たしかに」
「しかも、かなりはっきり喧嘩を売りました」
「売ってた」
「ですよね」
「ええ」
二人で少しだけ笑った。
緊張が切れたせいか、俺は急に疲れを感じた。
身体が重い。
足も痛い。
肩の傷は治ったが、精神的にはだいぶ削れた。
表示が浮かぶ。
戦闘勝利:教会騎士隊
破滅フラグ:リリア捕縛、回避
能力還元:聖女の加護・微
能力還元:対人戦闘予測・小
リリア・セレスティアの好感度が一定値を超えました。
連携補正が発生します。
連携補正。
また新しい単語が出た。
俺は頭を抱えたくなった。
スキルの説明がどんどん増えていく。
リリアが心配そうに覗き込む。
「どうしたの?」
「スキルの表示が増えました」
「何て?」
「リリアとの連携補正が発生するそうです」
「連携……」
リリアは少し考え、それから頬を赤くした。
「それは、どういう意味?」
「俺にも分かりません」
「分からないのに言ったの?」
「はい」
「あなた、時々すごく不用意ね」
「よく言われます」
「誰に?」
「主に自分に」
リリアはまた少し笑った。
それから、自分の手を見つめる。
白い光が、指先にかすかに残っていた。
「私、本当に力が戻ってきてる」
「よかったです」
「怖い」
「え?」
「嬉しいのに、怖い。戻ったら、また利用されるのではないかって」
その言葉に、俺はすぐには答えられなかった。
リリアの力は強い。
だからこそ奪われた。
だからこそ追われている。
力が戻ることは救いであり、同時に恐怖でもあるのだ。
「使いたくないなら、使わなくていいと思います」
「聖女なのに?」
「今は無職仲間なので」
リリアは目を丸くした。
そして、少し困ったように笑った。
「またそれ」
「便利なので」
「聖女じゃない私にも、価値があると思う?」
その問いは、軽いものではなかった。
俺はリリアを見る。
泥で汚れた白い服。
疲れ切った顔。
けれど、青い瞳だけはまっすぐだった。
「あります」
俺は答えた。
「聖女じゃなくても、力が使えなくても、リリアはリリアなので」
「……あなたは、簡単に言うのね」
「簡単じゃないです」
「え?」
「俺も、役に立たないって言われるのは嫌でした。前世でも、今世でも。だから、役割がなくなったら自分に価値がないみたいに思う気持ちは、少し分かる気がします」
言ってから、前世という単語をまた出しかけたことに気づく。
でも、リリアはそこには触れなかった。
ただ、静かに聞いていた。
「でも、誰かにとって役に立つかどうかだけで、自分の価値が決まるなら、たぶん俺は前世からずっと価値なしでした」
「……」
「だから、そうじゃないと思いたいです」
本音だった。
誰かに必要とされなかった人生。
誰かの一番になれなかった人生。
それでも、あの人生が全部無意味だったとは思いたくない。
思いたくなかった。
リリアはしばらく黙っていた。
やがて、小さく言った。
「私も、そう思いたい」
「はい」
「すぐには無理だけれど」
「すぐじゃなくていいと思います」
リリアはうなずいた。
その顔はまだ不安そうだったが、どこか少しだけ前を向いているようにも見えた。
好感度:78 → 84
状態:信頼上昇
備考:レンの言葉を心の支えとして受け取り始めています
八十四。
俺は見なかったことにした。
見えているけど、見なかったことにした。
意識すると挙動不審になる。
リリアが不思議そうに首を傾げる。
「レン?」
「何でもないです」
「また顔が赤い」
「戦闘後の余熱です」
「余熱、多いわね」
「俺は燃費が悪いので」
リリアは呆れたように笑った。
その笑顔を見て、俺も少し笑った。
森の空は、もうかなり暗くなっている。
このまま歩き続けるのは危険だ。
俺は周囲を見回した。
推奨:近隣の岩場で野営
注意:教会騎士の再接近可能性は低
注意:魔物反応少数
「今日はこの辺りで休みましょう」
「王都までは?」
「明日、街道に戻れれば何とか」
「……一緒に?」
「はい」
リリアは少しだけ安心した顔をした。
「なら、行く」
その言い方が、どこか幼く聞こえた。
聖女としてではなく、一人の少女としての声。
俺はうなずき、歩き出した。
リリアも隣に並ぶ。
最初より、距離が近い。
袖が触れそうな距離。
いや、たぶん疲れているからだ。
足元が不安定だから、近くにいるだけだ。
そう自分に言い聞かせていると、リリアがぽつりと言った。
「レン」
「はい」
「さっき、私を渡さないって言ったでしょう」
「言いましたね」
「あれ……嬉しかった」
俺は足を滑らせかけた。
「だ、大丈夫?」
「大丈夫です。森の地面が急に裏切りました」
「地面のせい?」
「はい」
リリアは少し笑った。
そして、今度は俺の外套の端を軽く掴んだ。
「暗いから。少しだけ」
「はい」
俺はそれ以上、何も言えなかった。
前世で誰にもモテなかった俺には、この距離感は心臓に悪すぎる。
けれど、不思議と嫌ではなかった。
むしろ、彼女が少しでも安心できるなら、それでいいと思った。
その夜。
俺たちは岩場の陰に小さな火を起こし、ボルドの干し肉とパンを分け合った。
リリアは硬いと言いながらも、最後まで食べた。
食べ終わったあと、彼女は火を見つめながら静かに言った。
「私、明日からどうしたらいいのか分からない」
「俺もです」
「あなたも?」
「追放された無職なので」
「……そうだった」
「まずは王都で冒険者登録でもしようかと」
「聖女が冒険者になれるかしら」
「元聖女ならいけるかもしれません」
「元聖女の無職冒険者」
「肩書きが渋滞してますね」
リリアは小さく笑った。
それから、火の向こうで俺を見た。
「レンが一緒なら、少し怖くない」
心臓が変な音を立てた。
俺は慌てて火に薪を足す。
「そ、それはよかったです」
「また顔が赤い」
「火のせいです」
「便利ね、火」
「はい。かなり」
リリアはくすりと笑い、膝を抱えた。
その笑顔を見ながら、俺は思った。
今日、俺は教会を敵に回した。
家を追放された翌日に、さらに厄介なものを背負い込んだ。
普通に考えれば最悪だ。
でも、不思議と後悔はなかった。
リリアがここで火に当たり、硬い干し肉に文句を言い、少しだけ笑っている。
それだけで、今日の選択は間違っていなかったと思えた。
夜の森に、火の粉が小さく舞う。
俺たちはまだ、何も持っていない。
居場所も、仕事も、後ろ盾もない。
けれど、ひとりではなかった。
それが、前世の俺にはなかったものだった。




