第53話 休むと決めたのに、第四の系統が夢に出る
休息とは、何なのだろう。
少なくとも、俺の知っている休息とは、甘いものを食べた直後に古代三系統だの魂同調者だの第四の系統だのについて考え込む時間ではない。
もっとこう、何も考えずに布団へ倒れ込むとか、温かいお茶を飲んでぼんやりするとか、そういうものだったはずだ。
だが、その日の夜、俺はギルドの客室の寝台に腰かけたまま、窓の外を見ていた。
王都の夜は静かだった。
通りの灯りがぽつぽつと揺れ、遠くで馬車の車輪が石畳を鳴らしている。
昼間の王立学園のざわめきが、まるで別世界みたいに遠い。
けれど、頭の中だけは全然静かではなかった。
魂の同調者が現れる時
封じられた第四の系統もまた目覚める
何度も、その表示が浮かんでは消える。
消えてほしい時ほど消えない。
まったく、俺のスキルは本当に気が利かない。
「……寝ろって言われたんだけどな」
独り言がこぼれた。
夕方、ユリアナ生徒会長ははっきり言った。
本日の追加調査は禁止。
全員休息。
これは生徒会長としての判断です。
アリシア王女も同意した。
セリカさんもリリアも頷いた。
ノエルですら、記録整理だけにすると言っていた。
だから、俺も休むべきなのだ。
分かっている。
分かっているが、分かっていることと実行できることは別だった。
寝台に横になっても、目を閉じると零号資料庫の光が浮かぶ。
白い柱。
青い柱。
黒い柱。
そして奥の石碑。
聖女。
王家結界。
魔王封印。
魂同調者。
第四の系統。
俺は頭を振った。
「重すぎる」
前世で非モテ陰キャだった俺に、なぜここまで壮大な設定が乗ってくるのか。
好感度が見えるくらいならまだ分かる。
いや、分からないが、転生チートとしては分かりやすい。
だが、魂同調者は重い。
古代儀式に関係あるとか、三系統を繋ぐとか、第四の系統が目覚めるとか、完全に荷が重い。
俺はただ、外れ扱いされた人生を少しだけやり直したかっただけだ。
誰かの才能を見つけたり。
困っている人を少し助けたり。
リリアやセリカさんやミュレアたちと、多少騒がしくても笑える日々を過ごしたり。
……いや、今も十分騒がしいな。
俺が苦笑した時、扉が軽く叩かれた。
「レン」
セリカさんの声だった。
反射的に背筋が伸びる。
「はい」
「起きてる?」
「……起きています」
「でしょうね」
扉が開く。
セリカさんは、寝間着ではなく普段着に近い格好だった。
剣は持っていないが、動きやすそうな服装。赤い髪は少しだけほどけている。
「寝てない顔」
「セリカさんも寝ていないのでは?」
「私は寝ようと思えば寝られる」
「俺も思えば」
「思って寝られてないから今ここにいるんでしょ」
正論だった。
セリカさんは部屋の中に入り、窓際の椅子に腰を下ろした。
「リリアも心配してたわ。レン、絶対また考え込んでるって」
「リリアは?」
「もう寝かせた。というか、寝るまで見届けた」
「保護者みたいですね」
「最近、全員の保護者みたいになってきてる気がするわ」
セリカさんは少し疲れたように笑った。
でも、その笑い方は嫌そうではなかった。
「ノエルは?」
「ユリアナが回収した」
「回収」
「記録整理が二時間を超えそうになったから、生徒会長権限で止められたらしいわ」
「強い」
「強いわね、あの人」
ユリアナは本当に強い。
そして、ようやく周りに止められる側にもなりつつある。
それは、いい変化だと思う。
「ミュレアは?」
「甘味一品で不満を言いながら、封印室で本を読んでる。アリシア殿下が王宮の菓子事情について書かれた本を差し入れたらしいわ」
「よりによってそんな本を」
「次の要求が増えるわね」
「確実に増えますね」
少し笑えた。
セリカさんは俺を見た。
「で、第四の系統?」
直球だった。
「はい」
「出てるの?」
「表示自体は消えています。でも、頭から離れません」
「まあ、離れないわよね」
セリカさんは窓の外へ目を向けた。
「私だって、考えないわけじゃないもの。聖女、王家、魔王封印。その三つが古代の均衡儀式から来ていて、レンはそれを繋ぐ魂同調者かもしれなくて、さらに第四の系統がある。普通に重いわ」
「ですよね」
「でもね」
セリカさんは、そこで俺を見た。
「今夜考えたところで、答えは出ないわ」
「それは分かっています」
「分かってるなら寝なさい」
「できれば苦労してません」
「じゃあ、考える内容を変えなさい」
「変える?」
「第四の系統が何か、じゃなくて。今、誰が無事かを考える」
セリカさんの声は静かだった。
「リリアは寝てる。ミュレアは封印室で文句を言いながら本を読んでる。ノエルはユリアナに止められた。アリシア殿下は王宮へ戻った。ユリアナは今日こそ休むって言ってた。ギルド長も見張りを置いてる」
「はい」
「今夜は、それで十分」
その言葉が、胸に落ちた。
第四の系統は分からない。
古代三系統もまだ分からない。
魂同調者の正体も分からない。
でも、今夜、みんなは無事だ。
少なくとも、今この瞬間は。
「……そうですね」
「そうよ」
セリカさんは少しだけ微笑んだ。
「あなたは先の危険を見る力があるから、先ばかり見ようとする。でも、今無事なものまで見落としたら駄目」
「はい」
「返事は素直」
「最近、素直に返事しないと怒られるので」
「よろしい」
その時、頭の奥でミュレアの声が響いた。
『レン』
「ミュレア?」
思わず声に出すと、セリカさんが眉を上げた。
「また?」
「はい」
ミュレアの声は、いつもより少し遠い。
『妾は怒っておる』
「甘味が一品だったからですか」
『それもある』
「あるんですね」
『だが、今は別じゃ』
声の調子が違う。
俺は背筋を伸ばした。
「何かありましたか」
『夢を見る』
「夢?」
『妾は封印されて以来、まともな夢をあまり見ぬ。だが今夜は、変なものが見える』
セリカさんの顔が険しくなる。
「何て?」
「ミュレアが変な夢を見ると」
俺が伝えると、セリカさんは立ち上がった。
「封印室へ行く?」
『来るな』
ミュレアがすぐに言った。
『今は危険ではない。ただ、レンに伝えておく。黒い扉じゃ』
「黒い扉?」
『零号資料庫の奥にあった石碑。そのさらに奥に、扉がある。見えぬはずの扉じゃ。妾の夢には、それが見える』
胸の奥が冷えた。
「第四の系統に関係がありますか」
『おそらくな。だが、今開くものではない。近づくな。今のそなたでは、飲まれる』
飲まれる。
嫌な言葉だった。
セリカさんが俺の表情を見て、すぐに言う。
「レン、何が見えた?」
「ミュレアの夢に、零号資料庫のさらに奥の黒い扉が出ているそうです。今近づくな、と」
セリカさんの目が鋭くなった。
「近づかない」
「はい」
『赤き剣姫に同意じゃ』
ミュレアが言う。
『レン。妾は外へ出たい。だが、あの扉は違う。外ではない。奥じゃ。深すぎる』
「分かりました」
『本当に分かっておるか?』
「今日は行きません」
『今日は、ではなく、今のままでは行くな』
いつものミュレアなら、面白がって調べたがるかもしれない。
その彼女が止めている。
それだけで、黒い扉の危険さが分かった。
「分かりました。ミュレアも無理に夢を追わないでください」
『夢を追うなとは奇妙な言い方じゃな』
「でも、追いそうなので」
『……否定できぬ』
少しだけ、いつもの調子が戻った。
『それと、明日の甘味は二品じゃ』
「なぜですか」
『不穏な夢を見た慰謝料じゃ』
「リリアに相談してください」
『白き娘は一品と言うに決まっておる』
「なら一品です」
『つれない男じゃ』
通信のような感覚が薄れていく。
ミュレアの気配はまだ少し揺れていたが、危険表示は出ていない。
俺は息を吐いた。
セリカさんが腕を組んで言う。
「また面倒なものが増えたわね」
「黒い扉です」
「分かりやすく嫌な名前」
「名前ではなく見た目ですけどね」
「どっちにしても嫌」
まったくその通りだった。
◇
翌朝。
俺は、少し眠れた。
眠れたのだが、夢を見た。
暗い場所だった。
零号資料庫のようで、零号資料庫ではない。
白い柱も、青い柱も、黒い柱も見えない。
ただ、暗い廊下が続いている。
足音はない。
自分が歩いているのか、浮いているのかも分からない。
廊下の奥に、扉があった。
黒い扉。
真っ黒ではない。
光を吸い込むような黒。
触れれば指先から自分の輪郭まで消えてしまいそうな黒。
扉には、紋章がなかった。
白い杯も、青い冠も、黒い鎖もない。
ただ、中心に細い線が一本だけ刻まれている。
縦に走る線。
まるで、閉じた目のようだった。
その扉の向こうから、声がした。
言葉ではない。
でも、意味だけが胸に流れ込んでくる。
――つなぐな。
――見るな。
――名を呼ぶな。
俺は、そこで目を覚ました。
「……最悪の目覚めだ」
天井を見ながら、呟いた。
身体が汗でじっとりしている。
胸が重い。
だが、感情過負荷の表示は出ていない。
レン・クロフォード
状態:悪夢後の緊張、軽度疲労
感情過負荷:なし
注意:黒い扉の夢を記録してください
「記録してください、じゃないんだよな……」
思わず文句を言う。
だが、記録は必要だ。
俺は机の上の紙に、夢の内容を書いた。
黒い扉。
紋章なし。
閉じた目のような縦線。
声ではない意味。
つなぐな。
見るな。
名を呼ぶな。
最後の一文を書いたところで、扉が叩かれた。
「レン、起きていますか」
リリアの声だった。
「はい」
扉を開けると、リリアが立っていた。
朝の白い光の中で、少し心配そうな顔をしている。
「顔色が悪いです」
「夢を見ました」
「黒い扉、ですか?」
俺は驚いた。
「リリアも?」
「はい。正確には、扉そのものは見えませんでした。でも、遠くで誰かが名前を呼ばれないようにしている感じがしました」
「名前を呼ばれないように……」
昨夜の夢の言葉。
名を呼ぶな。
つながる。
リリアは胸元に手を当てた。
「嫌な夢でした。誰かがそこにいるのに、名前を呼んではいけないと言われているような」
その時、廊下の向こうから足音がした。
セリカさんだった。
「二人とも起きてたのね」
「セリカさんも?」
「私は夢は見てない。でも、夜中に剣が妙に重く感じた」
「剣が?」
「ええ。抜くなって言われてるみたいな感じ」
剣。
名。
繋ぐこと。
嫌な符号だった。
さらに、階段の方からノエルが駆け上がってきた。
髪が少し跳ねている。
「レン、起きてる?」
「起きています」
「零号資料庫の記録水晶、一つだけ反応した。閲覧禁止にしてた第四の系統関連の封印が、ほんの少しだけ揺れた」
「やっぱり」
「やっぱりって?」
俺は夢の内容を説明した。
ノエルは顔を輝かせかけて、すぐユリアナに怒られると思ったのか、表情を引き締めた。
「これは、すぐ共有した方がいい」
「はい」
セリカさんが頷く。
「ギルド長と学園長、ユリアナ、アリシア殿下。あとミュレアね」
「ミュレアは昨夜、先に夢を見たと言っていました」
「なら、なおさら」
リリアが少し不安そうに俺を見る。
「レン、無理しないでくださいね」
「はい」
俺は紙を持つ手に力を入れた。
黒い扉。
つなぐな。
見るな。
名を呼ぶな。
魂同調者である俺に向けられた警告なのか。
それとも、誘いなのか。
分からない。
ただ一つだけ、はっきりしている。
第四の系統は、もう完全に眠ってはいない。
◇
朝の会議は、ギルドの小会議室で開かれた。
参加者は、俺、リリア、セリカさん、ノエル、ユリアナ、ダリウスさん、オルフェさん。
アリシア王女は王宮から通信水晶で参加し、ミュレアはギルド地下の封印室から声だけを繋いでいた。
ミュレアの第一声は、いつも通りだった。
『レン、妾の忠告を聞いて寝たか』
「少しは寝ました」
『ならよい。顔は悪いがな』
「見えてるんですか」
『声で分かる』
みんな最近、声や顔で分かりすぎではないだろうか。
ユリアナは俺の書いた夢の記録を読み、眉を寄せた。
「“つなぐな、見るな、名を呼ぶな”。これは明確な禁止文のように見えます」
ノエルがすぐに言う。
「でも、本当に禁止なのか、逆に意識させるための誘導なのかは分からない」
「そうですね。禁忌文は、守らせるためだけでなく、興味を引くためにも使われます」
ユリアナとノエルが、珍しく同じ方向を見ている。
オルフェさんは通信水晶の記録を確認しながら言った。
「零号資料庫の第四系統封印が揺れた時間と、レンさんが夢を見た時間帯は近いです。ミュレアさんの夢が先で、次にレンさん、リアさんへ波及した可能性があります」
リリアは少し青ざめる。
「私にも、ですか」
「聖女系統との共鳴があるためでしょう。ただ、反応は軽微です」
アリシア王女の声が水晶から聞こえる。
『私も、昨夜は王家結界の夢を見ました』
全員が静かになった。
『青い壁の向こうに、黒い影がありました。扉は見えませんでしたが、近づいてはいけない感覚がありました』
ミュレアが低く笑った。
『白き娘、王女、レン、妾。四人に反応が出たか』
ダリウスさんが腕を組む。
「第四の系統が、三系統とレンに反応していると見ていいな」
ノエルが頷く。
「ただし、まだ直接接触は危険。特にレンは“魂同調者”だから、扉の向こうのものと繋がってしまう可能性がある」
「繋がるな、という警告はそこですね」
俺が言うと、ノエルは真剣に頷いた。
「たぶん。レンの能力は、感情や信頼だけじゃなく、名前や役割にも反応してる。名を呼ぶな、というのは、相手の存在を定義するなという意味かもしれない」
「存在を定義するな……」
重い。
朝から重い。
ミュレアが言った。
『名前を呼ぶことは、繋がることじゃ。白き娘の名を守った時、そなたらはそれをやった』
リリアが静かに頷く。
「はい。名前を呼ばれることで、私は私に戻れました」
『なら逆もある。呼んではならぬ名もあるということじゃ』
呼んではならない名。
それは、かなり嫌な響きだった。
ユリアナが記録板に書き込みながら言った。
「当面、第四の系統に関する直接調査は禁止します。零号資料庫への再入室も、王宮・学園・ギルドの三者許可制。レン様、リア様、ミュレア様、アリシア殿下の夢や反応は記録。ただし、解釈は急がない」
「賛成」
セリカさんが即答した。
「今行ったら絶対危ない」
ノエルは少しだけ悔しそうだったが、今回は素直に頷いた。
「分かってる。調べたいけど、今は危険すぎる」
ダリウスさんも頷く。
「では、方針は決まりだ。第四の系統は現時点で封印調査対象。接触禁止。記録収集のみ」
ミュレアが不満そうに言った。
『つまらぬな』
「ミュレアが昨夜止めたんですよ」
『そうじゃ。だから余計につまらぬ』
「理不尽」
『魔王令嬢じゃからな』
いつもの言い訳が出た。
少しだけ、空気が緩んだ。
◇
会議が終わる頃、俺の中に新しい表示が出た。
第四の系統
接触禁止推奨
現段階での最優先事項:既存リンクの安定
推奨行動:深層信頼対象との通常交流、過負荷回避、休息
注意:焦って調べるほど反応が強まります
俺は思わず笑ってしまった。
ダリウスさんが眉を上げる。
「何だ」
「焦って調べるほど反応が強まるそうです。推奨行動は、通常交流と休息」
セリカさんが、ものすごく満足そうに頷いた。
「ほら。スキルにも休めって言われてる」
「まさかスキルにまで言われるとは」
リリアが少し安心したように微笑む。
「では、今日は調査ではなく、普通に過ごしましょう」
「普通に、ですか」
「はい。学園の相談窓口の準備をして、ミュレアさんの制御具の安全確認をして、ユリアナ様が休憩するか確認して」
「普通の範囲が広すぎませんか」
セリカさんが肩をすくめる。
「私たち基準の普通ね」
ノエルが頷く。
「かなり平和」
「これで平和なんですね」
ユリアナが真面目に言った。
「少なくとも、第四の系統へ接触するよりは平和です」
「それはそうです」
ミュレアが通信越しに言う。
『では、平和の象徴として甘味を要求する』
「ミュレアさん、一品ですよ」
リリアが即座に返す。
『白き娘、反応が早すぎる』
「体調管理ですから」
『夢見が悪かったのだ。二品でもよかろう』
「一品です」
『手強い……』
会議室に笑いが広がった。
黒い扉の夢。
第四の系統。
呼んではならない名。
重い謎は確かに残っている。
でも、それでも笑える。
たぶん、今はそれでいい。
焦って調べるほど反応が強まるなら、焦らない。
まずは、今ある繋がりを安定させる。
深層信頼対象との通常交流。
スキルの言い方は相変わらず妙に事務的だが、要するにこういうことだろう。
ちゃんと食べて、ちゃんと寝て、ちゃんと話す。
リリアやセリカさんたちと、普通の時間を積み重ねる。
それが、今の俺にできる一番大事なことなのかもしれない。
俺は小さく息を吐いた。
「分かりました。今日は、普通に過ごします」
セリカさんが頷く。
「よし」
リリアも微笑む。
「はい」
ノエルが言う。
「普通に記録する」
「普通に休憩もしてください」
ユリアナがすかさず言った。
ミュレアは通信越しに不満そうに言う。
『普通に甘味を二品』
「一品です」
リリアの返答は揺るがない。
アリシア王女の通信水晶から、控えめな笑い声が聞こえた。
第四の系統は、まだ遠い。
黒い扉は、まだ開けない。
けれど、夢に出るほど近づいてきている。
その不安を抱えたまま、俺たちは一度、日常へ戻ることにした。
俺たち基準の、かなり騒がしい日常へ。




